14 可愛いは正義
リーン様は私を捨てたりしないよね? そう信じながらも、体の力が抜けた。それが一層ハエルを喜ばせるだけだったみたい。
「そらみろ。やっぱり人の言葉がわかっているではないか」
もうコイツには、薄々どころか完全にバレている。だったら……。
「わかってたら、なに?」
おお。ちょっと大きくなった分、舌足らずの幼児語がマシになったぁ! いや、そんなことは今は重要ではない。
ハエルは思い切り狼狽えている。よく私を放り投げなかったものだ。
「お、お前……」
言葉がわかっていても、喋れるとまでは思わなかった?
私はもう昔の私じゃない。目立たない様に嫌われない様に、黙ってばかりで後悔するのはやめたい。どうせコイツにはもう嫌われているならもういいじゃない。
もっと困らせてやるんだから。
「きゃんきゃん! きゃん!」
私は声の限り吠えて、思いっきりハエルの腕の中でもがいてみた。
「こ、こら! 静かにしろ」
黙らせようと口を押えかけた手に思い切り噛みつく。まだ乳歯だったってこの歯は尖がってる。お姉ちゃんに甘噛みされても結構痛かったもの。本気で噛めば相当痛いわよ。
「痛っ! こ、こいつ……!」
噛みついたまま離さないでいると、ハエルがバシバシぶって来た。
「きゃんっ! きゃんっきゃんきゃんっ!」
腹いせに更に大きな声で吠えると、今度は鼻面をガッシリ掴まれた。吠えられなくなった上に、噛みつきもできなくなってしまった。
顔を振って暴れた拍子に、抱えていた方のハエルの手が滑り、かろうじて首輪だけで宙ぶらりんだ。全体重が首に掛かる。
ぐえ。痛いっ。息が……!
その時、思いがけぬ人が助けてくれた。
「まあハエル! なんですの? リーンの大事なシアンちゃんをそんなに乱暴に扱って!」
御母上~! リーン様の御母上の伯爵夫人だ。
この方も他のこのお屋敷の人達同様、魅了の魔法で既に味方。私にめちゃくちゃ甘いもの。
どう見ても大の大人が子犬を虐めているようにしか見えないよね。日本っていうか、前世の私が知ってる世界だったら動物虐待で叩かれるやつだ。
「お、奥様、これは……」
ハエルは慌てて佇まいを正して、何か言いかけたが、時、既に遅し。
御母上は、ハエルの手から私を奪い取って抱きしめる。
「可哀相に。さあ、お母さんと一緒に、お兄ちゃんとお姉ちゃんのところに行きましょうね」
すごく優しくそう言って私を撫でてから、ぷいっとハエルに背を向けた御母上。
「違うのです、奥様。そいつが……」
「言い訳は聞きたくありません。後でリーンに言いつけますわ」
私に声を掛けてくれたのとは、全然口調も声の温度も違う声でハエルに放ち、御母上は私を抱いたままさっさと移動。
後ろから必死な顔のハエルが追いかけて来て弁明しかけたものの、聞く耳も持たないようだ。
べーだ。ざまあみろ。イタイケな子犬ちゃんを虐めた罰だ。まあ、私も噛みついてやったので、歯形くらいはついてるだろうからおあいこなんだけどね。
ハエルから救い出された私が、御母上に連れて行かれた先は煌びやかな客間だった。
その部屋の中央、豪奢なテーブルを挟んで、リーン様、御父上の伯爵。対面にパネラ様、その横においでの、恰幅の良いお髭の紳士はパネラ様の御父上のダグモンド伯だろうか。そしてもう一人、見たことの無い難しい顔をしたおじさんが一人。立会人のようだ。
御母上は私を膝にのせて、隅っこの方の椅子に掛けて、様子を見守るだけみたい。
「ここで一緒に待っていましょうね」
うんうん。大人しくしてるね。大丈夫、このくらいの距離があっても全然聞こえる耳だから。
婚約の儀ってどんなものかと思っていたけど、ホントに本人と両家の父親が書面にサインするだけの至極事務的で素っ気ないもののようだ。婚約指輪とか無いんだね、ここ。
しーんと静まった室内、ペンの音だけがカリカリと響く。四人がサインを終えると、立会人のおじさんが紙を仰々しく掲げ、朗々とした声で告げる。
「キュベロ家が嫡子リーンバルト、ダグモンド家が長女パネトレイラの婚約をここに承認する」
そんでもってリーン様達四人と、部屋の隅っこで見ていた御母上が拍手。パチパチパチ。この肉球前足では拍手出来ないから、私は気持ちだけ拍手しておくね。はいおめでとうー。
なんだか、素っ気なさ過ぎて、私もリーン様がぁ……みたいな感傷に浸る隙さえ無かったよ。
どうでもいいけど、初めてリーン様とパネラ様の正式なお名前を聞いたな。やっぱり愛称だったんだね。
立会人のおじさんが紙をくるくる巻いて、早々に部屋を退出して行ったのを見届けて、これにて無事終了みたい。どうでもいいけど、あの紙どこに持って行くんだろう……。
「これで正式に婚姻の約束を交わしたことになるが、ダグモンド伯、本当にウチの倅で良かったのかね? 王子の妃候補の話は反故にしてしまっても……」
リーン様の御父上は心配そうだ。その懸念にダグモンド伯は仰る。
「本人達が望んだことですからな。幾ら相手が王家とはいえ、幼い時から一緒の二人を離すのはやはり親としては可哀相ではありませんか。それに、候補とはいっても選ばれるとは限りません」
本人達が望んでる……ねぇ。微妙なところなんだけどね。本当は。それにどうも物騒な陰謀が渦巻いていそうな王子様のお妃選びから、パネラ様を遠ざけるにはこれしかないものね。
神妙な顔で座っているリーン様とパネラ様の横で、お父さん達はくだけた感じで話し始めた。
「では、仕来りに則って、以後娘さんはこちらに身を置いていただくことになるが、寂しくなりますな、ダグモンド伯」
「いやいや。このようなじゃじゃ馬娘、結婚前にいつ返品されるか心配はありますが、ホッとしておりますよ」
「何を仰る。このように出来た娘御を。結婚までにリーンに愛想をつかされないようこちらも心配ですぞ」
え? ちょっと待って? いきなりパネラ様は一緒に住んじゃうわけ?
この世界じゃ、婚約だけで結婚前にお嫁さんが相手の家に入る準備期間みたいなのがあるのが仕来り? ところ変わればとは言うけどびっくりなんですけど!
ここでようやくリーン様が私の方に目を向けてくださった。この広い部屋の隅の方で御母上と一緒にいるとは思っておられなかったみたい。
「あれ、シアンもいたの? ハエルと一緒にいると思っていたのに」
「リーン、それですけど……」
御母上が立ち上がってハエルの事を言いつけそうになったので、慌てて私はその腕から飛び降りて先回りでリーン様に駆け寄る。せっかくのおめでたい空気を変えちゃマズイもの。
「いい子で待ってたね」
手を広げて待っていてくれるリーン様の胸にもうちょっとで飛び込むというところで、思わぬ障害が立ちはだかった。
「シアンちゃん、お久しぶり。会いたかったわ」
急停止できなかった私が、勢いよく飛び込んだのはパネラ様のドレスのスカート。
むむぅ。リーン様に抱きしめて欲しかったのにぃー。まあいいや、パネラ様は嫌いではない。それに飛び込んだたっぷりの布のスカートの中は、新感覚の気持ちよさだ。出るのが嫌になりそう。
「くすぐったーい」
私がスカートから顏だけ出すと、リーン様の困った顔が待っていた。
「こらこら、シアン駄目じゃないか」
えへへー。だって事故だもの。犬なので勘弁しておいて。気持ちいいよ、この中。
「リーンも入る?」
「パ、パネラっ!」
……パネラ様、冗談でも何と言うことを仰います。リーン様が真っ赤になって困ってるよ。婚約者だからいいのかな?
その時、コホン、と咳払いが聞こえた。あ、そういえば御父様方の前だった。
パネラ様が誤魔化すように御父上のダグモンド伯に仰る。
「お父様、この子がお話していたリーン様の愛犬のシアンちゃんですわ」
ご紹介いただいたので、ダグモンド伯にもご挨拶しないとね。
ちょこちょこっと近づいて、くんくんして……うん、おじさんの革靴はお貴族様でも例外なく地味にクサイ。お座りして、上目遣いでお顔を覗き込んで、首をコテンと傾げるっと。これやっとかないとね。
「……ほう。これは確かに愛くるしい」
よしよし。ダグモンド伯の目尻が下がったぞ。子犬の魅了完了。
「これからパネラと仲良くしてやっておくれ」
「わんっ」
「おやおや。お返事するのかな? 利発な子だね」
大きな手でわしわし撫でていただきました。それを見ているリーン様、パネラ様、御母上もほのぼのしたものだ。
……ここでふと、先程のハエルのことを思い出した。
ハエルには正体がバレてしまったけど、これ、案外大丈夫なんじゃないかな? 私は可愛い子犬だもの。まあ、とりあえずは変身できるくらい大きくなるまでだけは……だけど。
リーン様達は婚約式を終えしばらくお茶を飲んで歓談を始められたので、私は先にお部屋を出ることにした。メイドさんがお菓子を運んでくるのにドアを開けた足元をすり抜ける。
「シアンちゃん、どこに行くのぉ?」
メイドさんがすっごく甘い声をかけてくれたので、愛想を振りまいておく。
「くぅん」
「はい。どうぞ」
クッキーみたいな焼き菓子を一つくれたので、尻尾をぱたぱたしておきました。
皆に可愛がられる従順な犬っぷりを見せつけるために。
ええ、ドアの外で待っていた、そこで怖い顔でコッチを見ている誰かさんに。
「犬のくせに猫かぶりか?」
あら面白いこと言うじゃないの。ハエル。
でも無視して、私はその横を通り抜ける。さて。またテラスでお昼寝でもしてこよう。
数歩行って、振り向きざまに私はハエルに言ってやった。
「ハエル。私が魔犬族だってバラしてみなさい。構わないわよ? まあ、今日の奥様達のことでもわかるように、悪者になるのはあなたの方でしょうけど」
「くっ……!」
フフン。いけずの教育係の困った顔を見るの気持ちいいー!
可愛いは正義なのよ。




