13 前世の思い出と教育係
久しぶりに前世の夢を見た。
人間の私は二本足で歩いているから、犬である今とは広がる視界が違う。遠くまで見えるの。代わりに、ニオイも音もそんなに重要ではなかった。
私は地味で目立たなかった。いや、違う。目立たないようにしていたのだ。ヘタレで人と喋るのが苦手だったし、誰にも嫌われたくなかったから。目立たなくて気にも留められなかったら、嫌われることもいじめられることも無い。
小学校の低学年だったかな。酷く仲間外れにされ、いじめられている女の子がいた。私はその子が嫌いではなかったし、心の中では私だけでも仲良くしたかった。でも自分もいじめられそうで、声を掛ける勇気は無くて。そのままその女の子は転校してしまった。
中学でも高校でもそうだった。気になる男の子がいても、声を掛けるなんてできなくて。そのうち皆、他の女の子と仲良くなっていた。
あの時、嫌われてもいいから声を掛けていたら、一言喋る勇気があったら、本当の自分を表に出せていたら、もっと違った人生があったかもしれない、そう思う瞬間がいっぱいある。あの、毎日コンビニの前を通るのを楽しみにしていた彼とのように、思い切ってたった一言でも言葉を交わせたなら。
声も出たのに。喋れたのに。話せたのに。
でも、今は本当は話せるのに話してはいけない。正体をバラしてはいけない。
……だって。犬だもの。魔犬族だもの。
「駄犬、そこをどけ。邪魔だ」
昔のことを思い出しながら、ぽかぽか陽の差し込むお屋敷のテラスでうとうとしていたら、痛いって程ではないが軽く蹴られた。
目を開けるとやっぱりハエルだった。くそう、酷いな。
これだけ広いのだから、歩くのなら躱して他の所を歩けばいいのに。
腹が立つので、一言文句を言ってやりたいところだがそれは出来ない。断固動かずに睨んでやったら、無駄に澄ましたイケメン顔に明らかな怒りの色が差す。
「なんだその目は。本当に憎らしい犬だ」
……お前の方がよっぽど憎らしいわっ。喋っていいものなら、リーン様に言いつけてやるのに。この男、お坊ちゃまの愛犬を足蹴にするんですよ、って。
「全く、ゴミ屑みたいに道に落ちていた分際でいいご身分だな。え? 人間様は忙しく働いているというのに、呑気に昼寝とはな」
むきーっ! 駄犬の次はゴミ屑とまで言うか、この男はっ!
あったまきた!
「うー」
一応唸ってみても、自分でも呆れるほど迫力が無いな。噛みついてやろうかとも思ったけど、更に蹴られても嫌だし、こんな奴を噛んだらお口が汚れそうよ。
もういいや、リーン様に甘えてこよう。
私は嫌々立ち上がる。ぷいっと顔を背けてリーン様のニオイのする方に向かおうとすると、ハエルが後ろで言う。
「今日はパネラ様と一緒に、御父上のダグモンド伯がお越しになる。皆準備でバタバタしているから邪魔をするなよ。リーン様もお忙しい」
あー、はいはい。邪魔しませんよ。
そうか、朝から皆さんがカーペットを敷き替えたり花を飾ったりしていたのは、大事なお客様があるからなのか。
街で会ってから数日。いよいよパネラ様とリーン様の正式な婚約のお話でもしにおいでなのかな? じゃあリーン様のお邪魔をしちゃいけないか……。
リーン様の方へ行きかけた足を止めて、向きを変えた私の目の前に、突然しゃがみ込んだハエルが顔を近づけて来た。
「……お前、やっぱり人の言葉がわかっているだろう?」
ハッ!
そういえば、ハエルって、リーン様達以上に私に対して普通に喋っている。犬相手なのに。ひょっとして私の反応を見るためにわざと?
なんか、ちょっとマズイ気がする。
目を逸らすと、更にハエルは詰め寄って来る。
「最初から怪しいとは思っていたんだ。普通、お前くらいの子犬はキャンキャン吠えるものだ。妙に落ち着いているし、何もかもを悟っているように人の話を聞く犬などおらん」
……そ、そんなことで気が付いたっていうの? 確かに言われてみれば……私、吠えないよね。
でも他の人にはバレてないのに? なんでこいつだけ?
後ずさってみても、ハエルはついて来る。
怖い、怖いよぉー! その時。
「ちょっと、ハエル。シアンと遊んでる暇は無いよ? 準備はもう終わったの?」
おおう、天の声! リーン様だ!
ハエルは私に目線を合わせるために、お尻を突き出して床に完全に四つん這いになっている。考えてみたらイケメン様は非常に情けない格好だ。傍から見たら遊んでいるようにしか見えないよね。
やーい、叱られてやんのぉ。
「フン。まあいい。いつまでも誤魔化せると思うな。いつか決定的な証拠を掴んでやる」
そう小さく言い残して立ち上がったハエルは、心持ち赤くなっていた気がする。自分が情けない格好をしていたのに気が付いたらしい。
あー、焦った。やっぱりハエルには気をつけないと。
ちらっと伺うと、ハエルはまだ横目でこっちを見ている。そこで、私は子犬らしく、リーン様の足にぴょんぴょん飛びついて構っての催促。どうだ、普通の犬っぽいでしょ。
リーン様は今日は来客があるからだろうか、ちょっとだけ豪華なお召し物だ。毛がつくとマズイかなと思わなくもないけれど、犬がそんな気をつかうとまたハエルに訝しまれる。
リーン様、リーン様ぁ。抱っこー、抱っこしてーと、全身でアピール。
「くぅん」
「どうしたの? 甘えんぼさんだね」
優しい顔で笑いながらリーン様が私を抱き上げる。
「ごめんよ。今日は忙しくてなかなか構ってあげられなくて。寂しかったの?」
うんうん。寂しかった。それに、ハエルが意地悪するんですよぅ。慰めてくださいよぉ。そんな思いを込めて顔を覗き込むと、笑み崩れる優しい顏。
「ホントに可愛いね、君は」
そう言って、お召し物も気にせずに私に頬ずりしてくれる。
ああ。やっぱりリーン様は最高。こんなにされるとうっとりしちゃう。
そういえば、前世で憧れだった彼の犬……メルちゃんだったっけ。散歩するときもずっとご主人の顔を見上げて歩いてた。抱っこされてる時も嬉しそうだった。こんな気持ちだったんだろうか。
私だけのご主人様。無条件に愛を注いでくれる人。
そんなうっとりタイムは長く続かなかった。この人よりもいい耳に、屋敷の外から聞こえて来たのは馬の足音と、ごとごという車輪の音。馬車? 近づいて来る。パネラ様が来たのかな?
しばらくして、お屋敷の使用人の一人がリーン様に告げに来た。
「おみえになりました」
俄かにお屋敷の中の空気が張り詰めた。
そこでハエルがリーン様に寄って来て言う。
「犬は預かりましょう。リーン様、お迎えを」
「わかった」
えっ? ちょっ……リーン様? よりによってハエルの手に私を渡さなくても!
そーっとハエルの顔を見上げると目が合った。何、その顔? なんで口元に嫌な笑いを貼り付けて見てるの? めっちゃ怖いー!
逃れようともがいてみても、痛いほど強く抱きしめられて逃げられない。
「大人しくしろ。リーン様にお前が怪しいことをバラすぞ」
くっ! こ、こいつ……。
大丈夫よ、もしハエルが私が魔犬族だって言ったところで、きっとリーン様は信じない。他の人たちだって魅了の魔法をつかえば皆私の味方だもの。
なのに、ハエルは更に追い打ちを掛けるように耳元で囁く。
「安心しろ、今すぐではない。今日の大事な儀礼が終るまではリーン様のお気持ちを乱すわけにはいかんからな。だが、パネラ様を正式にお迎えすれば、今までのようにお前に夢中になることも無くなるだろう。そうなれば捨てられるかもな」
……ううっ。そう言われると―――。
新婚さんになっちゃったら、いかに本人達が姉弟のように思ってるって言ってもわからないか。犬に構ってる余裕なんか無いかもしれない。あの優しい眼差しを向けるのは私だけじゃ無くなる?
リーン様は私を捨てたりしないよね?
ああ、喋れるものなら、逆にリーン様に言いつけてやれるのに!




