10 街へおでかけ(1)
リーン様の飼い犬としての生活は毎日がホント楽しい。
子犬というだけでなく、やっぱり魔犬族の血のせいか、私は軽い魅了の魔法を使えるのだと意識するようになった。
犬や動物の苦手な人もいるので、絶対に全員をメロメロにまで出来るわけではないけど、そういう人でも大概は好意的に接してくれるのだ。
お屋敷の中を歩けば、伯爵夫妻をはじめ、使用人や家庭教師までが声を掛けてくれるし、おやつもくれる。抱っこしたり、撫でたり……リーン様が拗ねちゃうほど他の人が構いたがるので、私もちょっとは気をつけるようにしている。
だって私のご主人様はリーン様だけだもんね。
そんな中、ハエルだけは相変わらず私を目の敵にしているみたい。でも、それはハエルが寂しいからじゃないのかなと思い始めた。
リーン様より五つ年上のハエルは、リーン様が小さい頃からずっとお傍で仕えて来たのだそうだ。その位置を盗られたような気がするんじゃないかって、メイドさん達が言っているのが聞こえた。
そう思うと案外可愛いじゃないのよ。まあ……犬と張り合うなよとは思うけど。
だけど、リーン様への忠誠心が強いが故に、ハエルに私が普通の犬じゃないとわかればタダでは済まないだろう。
魔犬族は人間の間では、破滅をもたらす存在だと恐れられて忌み嫌われている……お母さんはそう教えてくれた。リーン様の御母上も、魔犬族は恐ろしいって言ってたから、その認識は深く浸透しているのだとわかった。
魔犬族がもたらす破滅って何だろうって思わなくもないけど、変身もできて魔力があるというのは、やっぱり普通の人からしたら恐怖の対象なのだろうな。
私がその魔犬族だと絶対にバレないようにしないと。特にハエルには気を付けないといけない。大事なご主人様のためだったら、どんなこともして来そうだもの。
その心配を除けば、愛されて大事にされる快適そのもののこの暮らし。早くも一月近くが経ち、私も少し大きくなった。最近は手足も伸びて速く走れるし、硬いものも食べられる。
……流石は伯爵様。お肉も上等なのよ。残念ながら犬なので味付けはしてもらえないけど、毎日ステーキを食べてていいのかしら、私……。
さて、今日も午前中はみっちりお勉強だったリーン様は、午後は久しぶりに街へお出かけだという。
「駄目です。絶対に屋敷に置いておかれますよう」
「えー? 少しは大きくなったもの、大丈夫だよ。今日はシアンも一緒に連れて行く」
ハエルとリーン様が言い合っている。私も一緒に連れていきたいリーン様。断固置いていきたいハエル。
前回までは、まだ小さいからという理由で私はお留守番だった。だけど今回、リーン様は私を連れて行ってくれるつもりみたい。
行きたい行きたい! リーン様とお出かけしたい!
それに、私って考えてみたら、生まれた森とこの屋敷の中しか知らない。違う世界だとはわかっていても、実際にどんな所で、人はどんな暮らしをしていて、どんな文化なのかを見たことが無いのだ。人間の街、ぜひとも知りたい!
「私はリーン様のためなら命も投げ出す所存でお守りいたしますが、犬まで責任はとれませんよ」
おおぅ。ハエル、命も投げ出すって、そこまでリーン様に忠誠を誓っているのか。すっごい健気……っていうより引く。ほら、リーン様も引いてるよ。
「い、命まで懸けてもらわなくても。それにそんなに危険じゃないと思うよ。シアンは僕が責任を持つから、ハエルは気にしなくていいよ」
うんうん。たかが街に行くだけで御大層な。だがハエルが難しい顏で声を潜める。
「いえ、まだ街は安全でございましょうが、最近この国の中央では、何やら情勢に不穏な兆候があるようで、各領地を守る貴族も警戒しております。由緒ある伯爵家の正当な嫡子であられるリーン様も、油断は禁物でございます」
ハエルは結構気になることを言っているのだが、まだ十五のリーン様にはピンと来ていない模様。
「そうなの? でも街は安全なんだよね。じゃあ問題ないよ」
そんなわけで、私も一緒に行くことは、リーン様の中では決定みたいだ。
わくわくした表情でお出かけの用意を始めたリーン様に聞こえないように、ハエルが私に向かって小さな声で言う。
「まったく……おい、駄犬、迷惑はかけるなよ」
ふーんだ。駄犬って何よ。言われなくても迷惑なんかかけないもんね。また言葉がわかっているってバレたら大変なので知らん顔でそっぽを向いて、心の中でハエルにあっかんべーをしておいた。
リーン様に抱っこされるようにして一緒に馬に乗り、着いた所は想像以上に賑やかだった。
「わぁ……おん!」
思わず声が出て、慌ててただ吠えてみただけですよというフリ。
建物が高―い! いっぱい人がいるー!
お屋敷は敷地も建物も広いけれど、三階建てなので高さにしたらそうでもない。それに見慣れているからか、はたまた自分の顔が地面から近いところにあるせいか、五階以上の建物が大通りや水路に沿って並ぶ街は、私にはとんでもなく高い崖の谷間にいるようにすら感じられた。と言っても、高層ビル街のような無機質な感じでもない。
隙間なく並んだ三角屋根の間口が狭く背の高い建物は、木造土壁みたいでそれぞれがカラフル。でも、窓枠や目立つ柱はどれも黒っぽいから統一感がある。
一階部分は店舗の建物も多く、窓辺の花や看板、石畳に置かれたテーブルなんかも生活感があっていい。おとぎ話にでも出てきそうな素敵な街並みだ。
街を行き交う人の服装も興味深い。男の人はシャツに七分丈くらいのズボンにベスト、女の人は膝下くらいのワンピースに前掛けとベストというのがお約束みたい。民族衣装なのかな。ベストの刺繍がよく見ると一人ずつ違うのと帽子あたりでお洒落をしているのだろう。お屋敷のリーン様の御両親のような煌びやかなものや丈の長いドレスの人もたまにいるけれど、そういう人は貴族かお金持ちみたいだ。
うん、日本とは全然違う。やっぱり知らないところなんだなと再認識できた。
私が面白くてきょろきょろしていると、ハエルの声が掛かる。
「犬、ボケっとしてると置いていくぞ」
あー、はいはい。さすがにリーン様の前では駄犬って言わないんだね。絶対に名前も言わないけど。犬って、ねぇ。それに比べてリーン様のお優しいこと。
「シアンは初めてのところで驚いたんだね」
うん! びっくりしたよ。そして楽しい。
リードなんかついていないから、はぐれない様にリーン様について歩く。少しは大きくなったとはいえ、まだ子犬の域を出ない私は、足の長いハエルやリーン様に合わせるとほぼ小走りだ。
ここは色んなニオイに溢れてる。美味しそうなニオイに、薬っぽいニオイ。油のニオイに、お香っぽいニオイ。沢山の人のニオイ。ネコか犬のニオイもする。それに音も。遠い音楽、人のさざめき、足音……街って犬にしてみたら、目で見るだけじゃない、様々な情報の洪水みたい。
でも、リーン様のニオイは絶対に見失わないよ。
途中で他所の大きな飼い犬に吠えられて、ちょっとビビった私は、結局リーンさまに抱っこされての移動になった。そして辿り着いたのは一軒の店。
革と金属のニオイがする店内。奥からトントンと何かを打つ音。革細工の店だね。
例の民族衣装を着た中年のおばさんが迎えてくれた。
「坊ちゃま、出来上がっておりますよ」
「良かった。見せてくれる? 寸法を合わせたい」
リーン様はこの店に何か頼んで作ってもらっていたみたい。
「すぐにお持ちいたします」
おばさんがお辞儀をして奥に消えると、リーン様は私に笑いかける。
「シアンにいいものを作ってもらったんだよ」
私に? わあ、何だろう。ドキドキする!
……いや、犬なんだし。革細工の店ってことは……。
おばさんが恭しく持ってきたものは、やっぱり案の定首輪だった。
「とってもお似合い。黒い綺麗な毛によく映えますわ」
金細工のプレートのついた革の首輪は、アクセサリーに近いもので確かに美しかった。そして、これから大きくなっても大丈夫なように、金具でサイズ調整も出来る芸細な造りだ。
でも今の私には重い。肩が凝りそうで正直あんまり嬉しくない。
確かに飼い犬って事がわかっていいのだろうけど……と、慣れない感触に首をプルプル振って抵抗していたが、おばさんとリーン様のやりとりで私の気分はころっと変わった。
「坊ちゃまもお似合いですわ」
「シアン、僕とお揃いだよ」
同じデザインの腕輪をはめて見せてくれたリーン様。
お揃い! リーン様とお揃いっ! 嬉しいー! 重かろうが何だろうが一気にお気に入りだ。
「わんっ」
嬉しいと言うわけにいかないので一声吠えてみた。ついでにおばさんの目をじっと見て首を傾げてみる。
「まあ……そうなの。嬉しいのね。なんて可愛い子なのかしら」
フッ。今日も一人私の魅力に墜ちた人を作ってやったよ。
そんなわけで、別にまけてもらわなくても困らない伯爵家のお坊ちゃまは、お金を払う際にちょっとおまけしてもらえた。
「また来てくださいませ。シアンちゃんもご一緒に!」
すごく丁寧にお見送りされ、ご機嫌のリーン様と私だった。
「リーン様、私には無いのですね……」
そんなハエルの寂しそうな声は、リーン様には届かなかっただろう。
……ハエルもお揃いの首輪が欲しかったのだろうか。




