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1 昇天しました



 そろそろかな? 彼が通る時間だ。

「外の掃除に行ってきますね」

 店長にそう告げ、私はホウキと塵取りを手にいそいそと店の外に出る。

 私、森詩杏もりしあんは大学に通いながらこのコンビニでバイトを始めてもう半年。理由をつけては、夕方のこの時間になったら外へ出るようにしているのだ。

 少しでも彼を近くで見たいから。

 茶色いトイプードルを連れて、毎日大体決まった時間に散歩をしている彼を一目見た時から、私は勝手に恋してる。

 彼は私の事なんか、いつもの散歩コースの途中にあるコンビニの店員くらいにしか思っていないだろう。そして私も、彼の歳も名前も、どこに住んでいてどういった人なのかも知らない。勿論、挨拶以外にまともに会話をした事すらない。

 それでもいいの。ただ私が挨拶をしたら「こんにちは」って彼が返してくれるだけでも、私は天に舞い上がるくらいに嬉しいんだもの。

 私がホウキで店の周りを掃きながら、行き交う人を気にしていると……来た!

 すらりと高い背、優し気な面差し、見ただけでサラサラとわかる少し茶色い髪、清潔感のある服装。彼の周りだけ空気が違うかのよう。私の王子様。

 ああ、あの茶色い小さな犬。確かに可愛いけど、ちょっと憎らしい。

 ちゃんと真っ直ぐ前を見て歩きなさいよ。ご主人様の顔ばかり見上げて。彼に飼われているんだから、いつだって見られるじゃない。どれだけ好きなのよ。リボン着けてるからメスよね?

 まあ……気持ちはわからなくもないけどね。

それでも今日は自分の足で歩いているだけマシね。抱っこされてることもあるし……とか思ってほんの一瞬目を離した隙に、やっぱり抱っこされてるじゃないのよ!

 散歩だったら自分の足で歩きなさいな。四本も足があるんだから。

愛おしそうに犬を抱きしめる彼。その優しい眼差しを受けて、嬉しげに彼の頬を舐める犬を見ていると、嫉妬すら覚える。

 私もあの犬のように、彼に無条件で愛される存在だったら。いっそあの犬になりたいって本気で思う。うらやましい。傍にいられて、優しく撫でられて。

 ……などと、犬相手にジェラシーを感じつつ、なに食わぬ顔を装い掃除を続ける。

「あっ」

 突然、彼が小さく声を上げた。

 顔を上げると、犬が彼の腕から飛び降りて私の方に走って近づいて来た。

 足元にまとわりついて、くんくんニオイを嗅ぎ始めた犬。

「こらメル。お姉さんの邪魔をしちゃ駄目だよ」

 リードを引っ張られて、彼も近づいてきて胸がどきっと跳ね上がった。

 メルと呼ばれた犬は私のニオイを嗅ぐのをやめない。くすぐったいよ?

 そういえばさっき店の中で商品のチキンを揚げていたから、食べ物のニオイがしたのかな?

「美味しそうな匂いがする?」

 そう声を掛けると、メルはちょこんとお座りして、くるくるした目で私を見上げて首を傾げた。

 うっ……! くそう、可愛いじゃないのよ。そりゃ、彼もそんな目で見上げられたら参るわね。何、犬相手にこの敗北感。

「ごめんね、犬が嫌いな人もいるのに」

 困ったように彼が私に言った。

「いえ、嫌いじゃないです。メルちゃん? 可愛いですね」

 私がそう答えると、彼はふわりと微笑んだ。

 きゃあぁ! 今日は挨拶だけでなく、少し会話ができた。しかも私に微笑んでくれた!

 これは犬のおかげだよね。憎らしいなんて思ってて悪かった! いい子だメル!

 そう思ってたら、急に私に興味を無くしたのか、はたまた愛しのご主人と私が話すのがいやなのか、メルはダッシュの勢いで走り始めた。

 リードを引っ張られながら、半分振り返って彼が言い残す。

「君、いつもお店の前を綺麗に掃除していてえらいよね、ご苦労様。僕、今日もいるかなって思って通ってるんだ。じゃあ頑張ってね。また明日」

 そんな言葉と、爽やかな笑顔を残して、彼は散歩に戻って行った。

 ああ! いつもって……今日もいるかなって思ってるって? ちゃんと私のこと見てくれてたんだ。ご苦労様って言ってくれた! 頑張ってねって!

 それにまた明日って。

 なんかもう、嬉し過ぎて昇天しそう……。

 感動を噛みしめて、去っていく一人と一匹の後ろ姿を見送っていると、突然メルが私を振り返って吠えた。

「キャンキャン!」

 何? どうしたの? そう思った次の瞬間。

 きぃいい! という車のブレーキの音と、誰かの悲鳴、犬の鳴き声……何もかもが同時に聞こえて、そしてすごい衝撃が私を襲った。

 突っ込んできた車と壁の間に挟まれて、私、潰されてる?

 メルちゃん、危ないって吠えて教えてくれたのね。でもちょっと遅かったかな……。

 薄れゆく意識の中で、妙に冷静に状況を把握したのも、重い、痛い、そんな感覚があったのもほんの僅かの間。何も見えなくなって、聞こえなくなって、感じなくなって。

 多分、ほぼ即死。


 ―――私、喩えでなく、本当に昇天してしまったみたいです。


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