アイヴィー先生とユニコンの角
「――失礼な事を聞くようですが、貴女は処女ですか?」
ゴスッ!
アイヴィー先生がその質問を口にした次の瞬間、モップが後頭部を直撃していた。
「なんて事聞くんですかっ!」
座っているアイヴィーの後ろに立ち、顔を真っ赤にしているのはお掃除妖精のシルキーだ。木の葉を日光に透かして見たようなライトグリーンの長い髪に、エメラルドのような緑色の瞳。その名の通り上質な絹の衣を纏っている。彼女は一般人でも視認できる珍しい妖精で、そのため人間に間違われる事も多い。
「……痛いなシルキー」
頭をさすりながらアイヴィーが抗議した。彼はと言えば、赤い髪は手入れもされてなくぼさぼさで、不精髭を生やし、その姿からはやる気の欠片も感じられない。一応、赤の賢者などと言う異名で知られているのだが、正直名前負けとしか思えない――と机をはさんでアイヴィーの向かいに座る女騎士、リディアは思っていた。
「ごめんなさい、リディアさん」
アイヴィーの抗議を無視し、シルキーは謝罪するとぺこりと頭を下げた。
「いえ、いいんですよ」
そう言うリディアの頬には微かに朱が差している。短く切った栗色の髪が美しい彼女だが、切れ長の厳しい目が騎士らしい。その目をアイヴィーに向け、
「それが、私の親友を助けるのにどう関係するのですか?」
と、尋ねる。仮にも赤の賢者と呼ばれる位の人だ。なんの考えもなしに聞いた訳ではないだろう。
「それが大いに関係ありなんですよ」
アイヴィーはそう応えて、ちら、と横に目をやった。恐い顔をしたシルキーがまた爆弾発言をした時のためにモップを握りしめている。
「あなたの親友に必要なのはユニコンの角ですね」
「ユニコンの角!?」
リディアは思わず大きな声を出した。ユニコンの角と言えばそれを一本売っただけで孫の代まで遊んで暮らせる秘宝中の秘宝だ。どんな病気や傷でも癒す効果があると聞いた事がある。
「そんなもの、どうやって手に入れるのです?」
「なに、簡単な事ですよ」
アイヴィーはそう言うと、何を思い出したのかくすくすと笑った。
「ユニコンなんて、ただのエロおやじですから」
「エロおやじ?」
エロおやじ。ユニコンに似つかわしくない言葉に、怪訝な顔をするリディア。
「そうです。ま、僕の言った通りの事を彼に言えば最悪の事態は免れる筈ですよ」
「――?」
その日の夕方、日が沈み始めた頃。カートルと呼ばれる筒型衣服に着替えたリディアが湖の畔に立っていた。
久し振りにした一般の女の子らしい服装に、少々戸惑いを隠せないでいる。
女の子らしい服装を恥ずかしいと感じるなんてな――と、リディアは自嘲気味に笑った。
やがて日が沈み、辺りを闇が包みこんでゆく。
リディアは柔らかい草の上に腰を下ろし、ひたすら時が来るのを待っていた。
そうして一時間程経ったとき、
「――お嬢さん」
突然声をかけられ、リディアは振り返った。そこには透き通るような白い肌をした金髪の男が立っている。男らしさと、優しさを同時に感じされる顔立ち。見たこともないような豪華な服に身を包んだその姿はあまりにも幻想的で、思わず心を奪われてしまいそうになる。
「お困りですか?」
片膝をつき、キザったらしく白い歯を見せて男が笑う。男の腰に、金色の鞘に収まった剣があるのを密かに確認し、
「……ええ、困っています」
リディアは男の質問に答えた。
「ほう、どのような事で?」
ずい、と男が顔を近づけてくる。リディアは少し顔を遠ざけ、
「ユニコンの角が欲しいのです」
「ほう、それはそれは……」
それを聞いた男はにやりと笑うと、リディアの手を掴み、彼女を立たせた。顎に手をやり、
「貴方は運がいい。丁度私はそれを持っているのですよ」
「本当ですか?」
「ええ、本当です」
リディアが表情を輝かせる。どうやら当たりで間違いなさそうだ。問題はどうやって彼から角か、その一欠片でもわけてもらうかだが……。
男はリディアの表情を探るような目で見ながら、
「しかし、ただでは渡せませんな。見たところ、貴女は男を知らないようだ――」
そう言ってリディアの手を握る。リディアは思わず顔を赤らめた。
――ユニコンに口説かれそうになった時にはこう言って下さい
アイヴィーの言葉を思い出し、多少早口になりながら
「あの、角は私の婚約者に使うのです」
「……婚約者?」
手を握ったまま、男が固まる。
「あー、……なるほど……」
リディアの手を離し、男は背を向けると歩きだした。
「すまないね、用事を思い出したわぶっ!」
どこからか飛んできた赤い玉がそんな男の頭を直撃する。
「あの野郎……」
直撃した場所を押さえ、男は悪態をつくと足早に戻ってきて剣を抜き、その先端を僅かに折る。
「これを……」
リディアにそれを手渡すと、男は煙のように夜の闇に紛れ、姿を消した。
翌日、リディアを見送ったアイヴィーが小屋に戻ってくると、仏頂面をした金髪の男がその帰りを待っていた。
「やっぱり、あの娘を送り込んできたのはお前だったか」
「やあ、ディニー」
ディニーと呼ばれた男は腕組みをし、挑発的な笑みを浮かべている。そんな彼に、シルキーがお茶のお代わりを注ごうとしたとたん、
「あ、シルキーちゃんありがと」
そう言ってだらしなく鼻の下をのばした。
「ま、そう文句を言うなよ」
アイヴィーは笑いながら部屋の中央にある椅子に腰かけると、
「お詫びにこんな物を用意しといた」
そう言って机の下から酒を取り出す。
「おお、そりゃいいな」
ディニーはすっかり機嫌を直すと、アイヴィーの向かいに腰かけた。
「もう、昼間からお酒ですか?」
シルキーが恐い顔をするが、お構いなしで飲み始める二人。呆れながらも、酒の肴を作り出すシルキーだった。
――一時間後
「ったく、なんで俺はモテねぇんだよう!」
顔を真っ赤にし、ディニーがおいおいと泣き始めた。アイヴィーはと言えば、机につっぷして寝息を立てている。
「はいはい、ディニーさんお酒はそれくらいにして」
ディニーをなだめながら、シルキーは酒の入ったグラスを取り上げた。そんなシルキーを見て、ディニーがぶほっと鼻水を噴出させる。
「シルキーちゃあん! その優しさで俺をいやしておくれぇ!」
そう言って飛びかかろうとしたディニーの顔に、シルキーの足がめりこんだ。
ううっ、と呻いて床に伸びるディニー。
酒に飲まれ酔いつぶれる賢者と、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして呻いているユニコン。
「もう、子供の夢がぶち壊しですよ」
呆れて溜息をつくシルキーは、なぜか楽しそうだった。