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第二十話  『あなたの心に響いている?』

 視界に映る全てが印象的に光り、心臓が一定のテンポで叫び続ける。

 ガラスの破片が、湯気立つマグカップが、細い聖剣が、鈍い鈍器の光沢が、影落とすメイド服が、欠けた桜が、シャッターを連続で切ったように鮮やかに映り代わった。それらには確かに温度があって、俺の拍動の熱源となった。

 嵐の中にいるかのように、速いテンポで叫び続ける。


 この猫耳勇者こそ、魔神信仰会と共謀して脅迫状を出した敵だ。

 俺の正体を見破って、逃げられる前に聖剣エクスカリバーを奪いに来たのだ。


 疑惑を抱いて、疑った。

 結果――。


「早い話、彼女が『魔王』だということは分かっていたわ。昨晩のニュースの、赤の大魔王復活を目論む魔神信仰会の表明が、あなたたちの存在を隠すフェイクだとも思ってる。素性を隠してヤマトの懐に入り込み、内部から勇者が掲げた反撃を突き崩す――考えたものね。問題は、あなたがその企みに加担する魔神信仰会の一員なのか、それとも何も知らずに彼女に踊らされただけなのかという一点のみ」


 暴かれたのは、もっと大事な秘密だった。

 自分の正体を隠し通すより、よっぽど大事な使命だった。


 ステラの正体が『魔王』であること。

 人のメニューを隠匿できる秘密の首飾りに守られていたはずの、絶対にバレてはならない重大情報。それが、全く予期しえない方向から突如照らし出された。


 言葉から最低限の敬意が消える。歴戦を潜り抜けて来た勇者の冷たい眼差しに、目は泳ぎ、鼓動は一層テンポを増す。平静を保てるはずがない。

 動揺を何とか押し殺そうとする俺を、また冷たい声が揺さぶる。


「何か喋ったら?」


「ぇ」


「ねえ、赤毛の『魔王』のお仲間さん?」


 より厳しくなるシアンさんの視線に、全身がじわじわと熱を帯びた。脈動を加速させる心臓が、喉元にも熱を送って筋肉を伸縮させ、声の通り道を悪路にした。都合の良い反論は、音に選ばれる前に奥底へ逃げ失せる。

 加えて、香染の瞳は、確信を持って言っているのか一切の揺らぎがない。


 ただ、沈黙を続けても状況は好転しない。

 鋭い追及の眼差しに怯え、俺は焦って声をひっくり返した。


「ス、ステラも俺も、魔神信仰会との関りなんてないっ!」


「つまり、私の思い違いだと?」


「そ、そうだよ! 魔神信仰会がタイミング良く犯行声明を出したからって、こじ付けにも程があるッ! ヤマトだって、騙そうとなんかしてないッ!」


 声を荒立て、一生懸命に俺は捲し立てた。

 それが中身のない訴えだということは自分でも痛感した。根拠や事実関係を示さない感情的な主張は、受け手に妄言と捉えられて当然だ。

 惨めで、稚拙で、どうしようもない悪足掻きだった。


 事実、シアンさんの瞳には、軽蔑の色が宿る。


「なら、選びなさい」


 不快感を押し殺すような低い声でそう告げ、彼女は徐に椅子を引いて立ち上がった。テーブルの下に震える拳を隠す俺に、彼女は右手を突き出す。

 指を折って提示されたのは、慈悲なき選択肢だ。


「赤毛の『魔王』を殺して身の潔白を取るか、それとも潔く果てるか」


「へ?」


「あなたが満足できる方を選びなさいよ」


 究極の二択に、俺はゴクリと息を呑んだ。

 どちらかを選ばなければならないという重圧に怯えた訳では決してない。どちらを選んでも、この毛を逆立たせる猫は俺の言い分など聞かないだろう。

 この問いを選ばせることに、きっと意味はない。


 状況は、詰んでいる。

 彼女の中で、答えはもう決まっているのだ。

 俺たちが、敵だと。


「――ッ」


 下唇をギッと噛みしめて、俺は何とか思考を回そうとした。膝の上で捻じれるほど小指を抓って、額に汗を浮かべて、頭を回そうとした。この状況を打開できる術は果たしてないか、獣人たちの殺気を一身に浴びながら、必死に考えた。


 どうすればいい。

 彼女の確信を揺さぶれる、小さな何かはないか。

 そよ風のような、何か。


 何か、が。


 何かが、いる。


 何か。


「ま、魔王が、わ、悪い奴とは、限らないんじゃないか?」


 早まる鼓動に押し出されて、焦りは唇を勝手に動かした。

 声を発してから、後悔は津波のようにやって来る。これもまた惨めで稚拙。言い逃れにしか聞こえない無為な悪足掻きで、心象をますます悪くするだけだ。

 背中の汗を気持ち悪く感じながら、俺は俯いて次の反応を待った。


 きっと彼女は俺の反論の薄っぺらさを指摘し、冷静に逃げ道を塞いでいくだろう。対話を続ける振りをして、引き出せるだけ情報を引き出そうとし、俺が逃げる素振りを見せれば、部下に命じて俺の首を刎ねるだろう。そこに一切の躊躇はなく、確実に、堅実に、周到に、勇者らしいと謳われた勇者らしく。


 そう、思っていた――。


「何を言ってるの?」


「え?」


 突然、声から温度が消え失せる。

 雰囲気がガラリと変貌したのを、肌で感じた。


 何の感情も反映しない虚無な音に驚いて顔を上げると、シアンさんは、まるで亡霊に憑りつかれたかのように朧な瞳を俺に向けていた。数秒置いて、虚ろな瞳に少しずつ光が戻っていき、同時にその表情から、みるみる余裕が消えていった。

 代わりに映ったのは、怒髪天を衝く勢いの激情だった。


 この変化が何を意味するのかは正直分からない。事態を好転させる要素など微塵にもなく、俺がただ不用心な足取りで、猫の尾を踏んだだけかもしれない。

 荒くなる呼吸が音になるのを堪え、固唾を飲んで見守った。


 そして、次の瞬間。

 猫は、最大級の緊張をぶち破った。


「――『魔王』は、絶対にこの世界に生きてはいけない悪だッ!!」


 激しい憎悪が、店内を震撼させた。

 その剣幕に、遠巻きでお盆を抱えて成り行きを見守っていたセシリーさんは目を見開き、武器を構えて俺だけを睨んでいた獣人は思わず視線を移す。

 誰も、彼女がここまで激高するとは思わなかった。


 シアンさんの豹変に、場は熱を帯びる。

 そんな中で、俺は一人だけ。


「――――」


 急速に世界が冷めて、色褪せていくのを感じた。

 お皿の桜の意匠が、強く抱き締められたお盆が、陰りを見せる鈍器の光沢が、腹を煮やした聖剣が、冷めたコーヒーのマグカップが、ガラスの破片が、シャッターを連続で切ったようにモノクロで映り代わった。それらに温度はなく、熱源を失った心臓は徐々に落ち着きを取り戻す。

 嵐が止んで、冷めた世界への視界が広がる。


 そして、初めて気づいた。

 シアンさんの猫耳が、ずっと前倒しだったことに。


「アレは人を苦しめて、殺して、平気で笑っている悪魔のような化け物だッ! この世界に災いをもたらす存在だッ! 自由を選べないこの世界のシステムを良しとして魔神に追従し、悪逆の限りを尽くす害悪だッ!」


 彼女は尾の毛を更に逆立たせて、猛烈に捲し立てた。

 止まることを知らない言葉の毒に、店の奥でセシリーさんが固く唇を噛みしめて委縮した。一方で俺は冷め切った思考回路を秩序立てて回し始める。


 彼女の言葉は、果たして本当だろうか。

 目を瞑って記憶を掘り返した。


「醜くて!」


 頭に向けられた剣の切先が、いつかの殺意とリンクする。

 あの口の悪い白髪の男の最期に垣間見えた表情は、醜かったろうか。


「愚かで!」


 背後から吹き込む生温い風が、白昼のせせらぎとリンクする。

 頑張りたいと願った赤毛の少女の照れ混じりの笑顔は、愚かだったろうか。


「何者にも体現できない悪の象徴なんだッ!!」


 ゆっくりと瞼を開け、卓上に手をつく猫を見た。

 眉間にしわを寄せ、息切れする猫を。


 ひょっとすると彼女も知っているのではないだろうか。

 俺がギニーやステラに見たような、人間らしく怒り、人間らしく笑う、そんな一面を、例えばミシェルに見たのではないだろうか。ネミィを遠ざけたのも、あの少女の口からミシェルという『魔王』について語られるのを恐れたから。怖いんだ、倒した『魔王』が実は心優しい人だったと、認めるのが。

 自分に言い聞かせるような厳しい表現の数々に、何となくそう感じた。


 ただ称号のレッテルを貼られた『魔王』。

 絵本に登場するような残虐の魔王。


 この二つは全然違うのに、目の前の猫は混同している。

 より正確には、自分の固着観念が崩されるのを恐れて、二つが違うことを知ってなお『魔王』は悪だと、解答用紙に何も考えず殴り書きしたんだ。

 それはレイファが言った、白紙の解答用紙と何ら変わらない。


「――――」


 俺は、悔しかった。

 力も人徳もある勇者が、本当に苦しんでいる人に向き合おうとせず、悪と決めつける。彼らの人間性を知った上で、見て見ぬ振りをしようとする。

 何とか少しでも見てもらおうと、俺は声を震わせて。


「ステラは、普通でいたかったって泣いたんだぞ?」


「上辺だけの涙なんて、どうせすぐ乾いて消えていくッ!」


 でも少しも間を空けることなく、激しい拒絶で振り払われた。

 彼女はテーブルを何度も叩いて、自分が正しいのだと叫び続ける。でも何も考えずに結論付けた主張は、具体的な根拠もなく、稚拙で惨めだ。

 俺は、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。


 ああ、この猫の底は、本当に――。


「――浅いな」


「――?」


 怪訝に眉を顰める猫の前で、居住まいを正す。

 シアンさんが――否、シアンが『勇者』だから『魔王』を倒すという固定観念に盲目的に従って、その代償を本当に苦しんでいる人々に払わせると言うなら、俺が選ぶべきは彼女が提示しなかった第三の選択肢。


 ジェムニ神国で、疑って、悩んで、話し合って、目一杯考え抜いた。

 だから、この選択肢を、俺はもう恐れない。


「称号で人を判断して本当に苦しんでいる人を助けようともしない。――そんなあんたを、俺は絶対に勇者と認める訳にはいかない」


「――ッ」


 まずは、宣戦布告からだ。

 きっぱり告げて、フォークを掴んで俺も立ち上がる。


 急に声から臆病を吹き飛ばして物怖じせずシアンを睨み始めた俺に、武器を構える獣人たちが目を見張った。彼らは、猫に追い詰められて絶体絶命の鼠とは似て非なる印象を俺に抱いたのだろう。それは猫本人も同じだったようで、動きを見せた俺に対処もせず、呆然と眺めるだけだった。

 右手のフォークを逆手に持ち替えて、俺は声を続けた。


「例えここであんたと戦うことになっても選ぶよ。俺が夢見たのは、エンディングでヒロインを一番の笑顔にできるお伽噺の主人公なんだ!」


「でも、魔王は暴走するわ」


「なら辿り着いてやるさ。胸張って頑張りたいって言ってのけた友達と、理不尽な魔神の意思統制に打ち勝つ未来へ。だって俺は――!」


 フォークを卓上に突き立て、ユニークスキルを発動する。

 瞬間、青白い光が店内をみるみる包み込み、内側から呼び覚ました。

 始まりの衝動を。


「――ただ、繋がっていたいだけだから!」


 そして、カフェは聖域となる。

 背後で、誰かの小さな声が、零れた。





 まるで白昼夢のようだった。

 フォークを突き立てたテーブルに始まり、椅子も、フローリングの床も、奥のドアや階段も、天井も、一斉に青白く光り出す。卓上の冷め切ったコーヒーは、蛍のように淡く舞っている光の泡沫を映し続ける。

 俺を魔神信者と思って乗り込んできた獣人たちは、口々に騒ぎながら、目の前に生じた奇跡を理解できない表情でキョロキョロ見回している。

 中でもシアンの動揺は言葉で言い表せられないほどだった。


「あなたはッ!?」


「――俺が、『六人目』だ!」


 力強く放った宣言は、この場で絶大な効力を持っていた。

 『勇者』や『魔王』に強い固定観念を抱くシアンにとっては、対照的な道を模索する『勇者』の登場は問答無用で強力な威嚇となる。加えて、登場したのは二日間の勇者会議で散々話題となった「六人目」だ。その内容は尾鰭のついたものばかりだったが、彼女らの中で強大な勇者のイメージ象を形成するのに一役買った。この状況を咀嚼する猶予が必要なことも踏まえて、容易には手を出せない。

 つまり、落ち着いて次の対応を考える時間を獲得できた訳だ。


 ヒートアップした心を、深い呼吸で落ち着かせる。

 実際問題として、俺がシアンと戦っても勝てる見込みはない。ならば彼女らが勝手に英雄的なイメージを抱いている間に、脱出するのがベストだろう。何とか囲まれている今の状況を脱して、リュックに入っている防犯ブザーを鳴らしてレイファを呼び、『テレポート』で脱出。ステラたちと合流してロブ島へ。


 分かってるよ、潮時だ。

 聖剣エクスカリバーを狙う容疑者絞りは、ここらが限界で。


『――――』


 コトンとお盆が落ちたのは、思考がまとまりかけた時だった。

 音が鳴った方へ振り向くと、「危ないから下がってて」と言う馬の獣人の制止を聞かず、セシリーさんが武器を構える獣人たちの合間を縫って歩いてきた。確かな足取りで、まっすぐに澄んだ瞳で。

 やがて彼女は、俺から二歩程度の至近距離で足を止めた。


 俺は、どうすべきか、正直迷った。

 シアンに協力したということは、セシリーさんも――。


 そんな不安は、すぐに杞憂だと分かった。

 俺を嵌めたことに恨み言でも吐きたかったが、その気も失せた。彼女は大事なモノを胸に抱えるように手を押し当てて、両目を瞑って、言ったのだ。

 とても優しく、すっきりとした表情で。


「沙智さん、私に衝動を思い出させてくれてありがとう」


 そして、屈託のない瞳で俺の隣に並び立った。

 一方、面白くないシアンが、目を細めて問いかける。


「どういうつもり?」


「初めから決めていたことです。もしも沙智さんが悪いことを考えてる人じゃなかったら、今度こそ自分が見たものを素直に信じてみようって」


「――――」


 セシリーさんはシアンの威圧に一切物怖じせず、きっぱりと言い切った。

 メイド服姿で、俺よりも低いレベルで、恐らく攻撃的なスキルも持ち合わせていない。にも拘らず、この場で彼女が放った言葉は最も強烈な一撃だった。

 それは間違いなく、シアンが目を背けてきたことだから。


 でもね、セシリーさん。

 その言葉は、どうやら説得から最も遠い言葉だったらしい。


「排除する」


「え?」


 感じたのは、足の指先から頭頂まで一気に迸る強烈な痛み。

 かつて、ギニーやキャロルと対峙した時に感じた、殺意の圧力だ。

 思考することを、猫は遂に閉ざした。


「『魔王』も、『魔王』に与する者も、全て聖剣カーテナが排除する!」


 シアンは聖剣を鞘から引き抜き、卓上に左手をついて地面を蹴り上げ、飛び掛かって俺に一閃。糸のように細長く銀色に輝く聖剣が躊躇なく俺の首筋を狙った。辛うじて体を捻って、尻餅をつくようにその一撃を躱すも、聖剣の切先は激しい破壊音と振動を奏でてフローリングの床を大きく歪ませた。

 軽そうな聖剣とは思えない、重量感のある一撃だった。


 今の一撃を喰らって、平気でいられるはずがない。

 爪を研いだ猫を前に、俺は焦って――。


「――私だって、右手くらい上げられるんですよ?」


 突如、悔しそうに響いた声の意味を、誰も理解できない。

 殺気立つ猫も、助力しようと武器を掴む手に力を込めた獣人たちも、俺でさえも、殺意の劇場で発せられた力なき者の宣戦の意味を、正しく認識できなかった。各々の瞳に映ったのは、右手を掲げるセシリーさんの姿。

 同じ意図で同じ動作を示したシアンでさえ、理解できない。


 合図は、為された。

 すぐ隣の最後の窓ガラスが割れて、舌に飛び込んだのは苦い土の香り。

 仄かに飴の匂いが漂わせて、先制を放つ。


「――ッ」


「『ロックナックル』ーっ!!」


 侵入と同時に、岩の籠手を纏った拳が圧倒的な物量で、表情を歪めたシアンをカウンターまで吹き飛ばした。颯爽と卓上に現れたセシリーさんの切り札に、獣人たちは目を見開いて信じられないものを見たかのようにピタリと固まる。


 いや、それは俺も同じだった。

 この時の俺の衝撃を、誰が分かろうものか。


 ――貴様、恩義を忘れたかッ!


 ――どうしてお前がッ!


 獣人たちが口々に騒ぐ中、『彼女』はゆっくりと卓上に立ち上がった。舞い上がった砂埃が太陽光を乱反射させて、『彼女』の白い毛並みを美しく幻想的に映し出す。少女と呼べるほど幼くはなく、だが女性と呼ぶには精神年齢が低すぎる『彼女』は、動揺を露わにする自分の仲間たちの前でニヤリと歯を見せ、笑った。

 そして出会いの日と同じく、『彼女』はウキウキと口上を立てる。


「迷子のことなら任せんさいっ! 東西南北あれこれさっさ、迷った数だけ正しい道に戻ってきたっ! 安心してよねナビなんて、お茶の子さいさいお手の物っ! スーパー飴好き美少女、そう、その名こそが――っ!」


「――――」


「――アルフなのだーぜっ!」


 卓上でクルリと回って、最高のウインクでピースサイン。

 兎の、参戦である。


 しかしこの兎、助けてくれるのは有難いが、状況を理解しているのだろうか。出会い頭に友達の顔面に容赦ない一撃をぶち込み、かつての仲間が動揺する中、華麗に口上を述べる。肝が据わっているのか、空気が読めないだけか。セシリーさんに判断を仰ぐと、彼女でさえテンション増し増しな助っ人に顔を引き攣らせていた。

 さもありなん、といったところである。


 一方、カウンターからガタリと物音。

 シアンさんが体勢を崩したまま、歯を軋ませていた。


「どうして、アルフ?」


「シアンが教えてくれたんだよー? 世界には獣人を嫌わず、価値観を越えて友達だって言ってくれる人がたくさんいるってー! 怖い種族だってレッテルを貼られて苦しみ続けた歴史を知ってる私たち獣人が、おんなじことを別の誰かにしちゃダメだよー! 今のシアンは嫌いだもんね、ぷいーっ!」


 何と可愛らしい効果音付きの決裂だろう。

 兎らしいと言えばらしいが。


 いや、そもそも――。


「お前、獣人の歴史とか、そんな難しいこと分かるの?」


「さっちーは本当に私のこと何だと思ってるのー!?」


「手の掛かる迷子」


「うわーん、セシリーっ!」


 涙目で飛び込んできたアルフにどう対処すれば良いか、困った表情でセシリーさんがあたふたしているが放っておこう。誰でもあの兎は手に負えない。

 それに何より、そろそろ時間だ。


 俺は向き直って、俯いたままの猫を見下ろした。

 これが、分かり合う最後のチャンスだった。


「まだ、足りないかよ?」


「――――」


「俺の言葉は信じるに値しないと切って捨ててくれても良い。でもさ、セシリーさんやアルフが自分で見たものを信じてって、勇気を振り絞って叫んだんだ」


「――――」


「なあ、二人の声は、少しもあんたに響かないか?」


「――――」


 俺にも自分の目で見たものを信じられなくなった時がある。

 ステラの善意を疑って、俺を陥れようとしているんじゃないかと疑った時があった。決裂しかけた時、一人の少女がパチンと背中を叩いてくれたんだ。

 それで良いんですか、って。


 シアン、あんたにもいるじゃないか。

 自分の心がどこにあるのか、教えてくれる人が。


「『魔王』は殺さなければ――」


「これじゃ倒されたミシェルも浮かばれないな。魔神支配に最も忠実だったのは、他でもない、あんただったんだから」


「――――ッ」


 皮肉を込めて俺からも拒絶を告げると、激しく猫の表情が揺らいだ。

 俺はテーブルからナイフを取って、魔力を流す。獣人たちは咄嗟に構えたが、俺の狙いがシアンじゃないと分かった途端、表情を歪めた。

 狙ったのは、天井を支える一番太い柱だ。


「『聖撃砲』!」


 ナイフは詠唱とともに崩れ去り、支柱の根元を砕く。

 これが意味する事を、獣人たちは理解した。


 ――おいおい、嘘だろ!?


 ――自分諸ともカフェを壊す気か!?


 そう、天井の落下である。

 降ってくる礫を防ごうと獣人たちが、俺を視界から外す。

 その一瞬を、見逃さない。


「逃げるぞ!」


「ほえ?」


 目が点になって固まるアルフとセシリーさんの腕を掴み、店のドアに一直線だ。その姿を降り頻る礫の中に見つけたシアンが迎撃に移ろうとするが、彼女はまた視界から俺たちを見失う。なぜなら天井の一部だった礫は二分の時を経て青白い魔力の粒へと還り、煙幕のように広がって猫の視界を塞いだからである。

 俺は、その隙に『第三の目』を駆使して青白い煙の中を駆け抜けた。


 こうして、無事に脱出に成功する。

 そう、思っていた。





◇◇





 死んだ仲間が、彼岸に並んで猫を見張っている。

 彼らは猫の信念に同意して死んでいった。猫は、何より仲間の死の意味が消えてしまうことを恐れる。故に自分には、最初の信念を貫き通して、彼らの死が意味あるものだったと証明する責任があるのだと、猫は信じた。


 猫は、自分の信念が間違っているかもしれないと時折悩んだ。

 その度に強い責任感で蓋をして、心を隠し続けた。


 だと言うのに――。


『迷子はどっちだぁー!』


『あんたを、俺は絶対に勇者と認める訳にはいかない』


『自分が見たものを素直に信じてみようって』


 声は、猫を激しく揺さぶる。

 必死に覆い隠そうとした心の在り処を見つけ出して、猫に全く別の形の勇者を期待するのだ。真正面からの葛藤で、悔しそうな拒絶で、意図しない表明で。

 猫が、遠い昔に夢に見た、桜の勇者を。


 耳を塞いで首を振っても、声は消えない。

 もう生みの親から離れて、猫の内側で鳴っている。


 そもそも、いつの事だったろうか。

 最初に信念が間違っているかもしれないと思ってしまったのは。

 考えて、死に際に『魔王』が放った言葉を思い出す。


 ――ああ、聞こえなければ良かった。


『――――』


 あの言葉さえなければ、猫は自分の信念を疑わずに済んだ。「『魔王』は倒すべき悪である」という考えを疑わずに済んだ。――気づかずに済んだのである。こんな風になりたいと夢見た絵本に登場する桜の勇者と、今の自分との剥離に。


 猫は、亡霊のように立ち上がった。

 青白い光の煙幕に、逃げ出した七瀬沙智らを探して獣人たちが右往左往とする中、俯き加減の猫は小さく喉を震わせる。


「『GAチェンジ』、解放」


 自分の心を土足で踏み荒らした者を、猫は決して逃がさない。

 それが、例え――。


「『風ドラ』」


 ――狂気だと、知っていても。


【カラーズシーカー】

 シアンさんが持ってるハンカチ状のアイテムだよ。通常時は薄桃色の布地に白い刺繍が入ったタオルなんだけど、身近に『魔王』がいることを知っている人が持つと、刺繍が赤く染まるんだって。『魔王』に近しい人間が触れるほど、刺繍はより鮮明な赤色を浮かべるの。この性質を利用して、シアンさんは市街に紛れ込んでいる魔王信者から『魔王』を辿る索敵術を実践していたみたい。――全部、後で知った話なんだけどね。



※加筆・修正しました

2020年5月18日  加筆・修正

         表記の変更

         ストーリーの順序変更


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