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第十八話  『どうして私はまだここにいる?』

今日はセシリーの話です。


◇◇  競赤祭三日目、午後四時





 時刻は、ネミィを探して七瀬沙智がカフェに戻ってきた直後まで遡る。カランカランとドアベルが激しく鳴って少年が走り去り、セシリーは少年に渡そうとしたお冷を寂しいカウンターに置いた。正直に言うと、セシリーは七瀬沙智という少年に親近感を覚えていた。周囲の女の子たちに流されるばかりの、頼りない人。


 そんな少年が、セシリーにはその一瞬だけ違って見えた。

 まるで自由な羽を手に入れたかのように、少年は衝動に素直だった。

 兄が去った日から、立ち止まっている自分と違って。


「――どうして私はまだここにいるんだろう」


 呆然と天井のシャンデリアを眺めていると、再びカランとドアベルが鳴った。

 セシリーは慌ててお冷を片付ける。自分だけが置いてけぼりにされているような感覚を胸にしまって、自分の『店員』という称号に準じた。


 この昼下がりに訪れた客は、ここ半月の常連だった。

 勇者シアンの腹心である、熊族のコーディである。


「セシリーさん、ネミィの様子はどうです?」


「今は散歩に出てったきりです」


「そりゃシアン様は絶好の機会を逃した訳ですな」


 そう言って、コーディは長い鼻を上向かせ、豪快に笑った。

 セシリーの兄であるミシェルを討伐して以降、彼女がカフェに訪れたのはネミィを預けに来た一回きりだ。沙智にシアンについて教えた際も、窓際に店内の様子を窺う彼女を見つけただけのことだった。


 こうして毎日部下を差し向ける辺り、気にはしているのだろう。

 それでも、猫耳勇者はカフェに訪れなかった。


「シアンさんは今日も?」


「気まずいんですよ、ネミィに会うのも貴女に会うのも」


 僅かに俯いて、セシリーは心優しい猫耳勇者を思う。

 誰も彼女を恨んでいないのに、と。


 セシリーが紅茶を用意すると、普段ならシアンに聞かせるために詳しくネミィの様子を問い質される。しかし、この日はどうも様相が違った。コーディは紅茶に驚くほどの角砂糖を入れると、何か覚悟でも決めたかのような表情で話し始めた。


「それより、今日は別の要件があるんです――」


 それから語られた相談はセシリーには衝撃的な内容だった。沙智に親近感を覚えていた彼女には、特に。

 西日が差すガラスの窓を、ヤモリが足早に駆けていった。





§§§  競赤祭三日目、午後十時





 コーディの話を聞いて、七瀬沙智という少年に複雑な心境を抱くようになったセシリー。その心境は、決して彼に対して快いものではなかった。あるいはそれは、疑心とも言うべき感情だった。

 それが今、彼女の心の中で、全く予期せぬ形で変容しかけていた。


 キッカケは、兄ミシェルを失って感情を凍らせた一人の少女。

 シアンの頼まれて預かったものの、死んだように生きているネミィという少女の何の力にもなれないことに、セシリーはずっと歯がゆさを感じていた。そんな少女が、衝動を瞳に燃やして歩き出したのである。

 夜更けに出る少女に、しかし自由な羽を見つけたら、もう何も言えなかった。


 少女の氷を解かす、停滞していた場所から歩き出す、何か。

 その何かを――。


「――シアンさんにお茶に誘われた!?」


「紅茶なら大丈夫だけど、俺、抹茶だけは飲めないんだよなあ」


「これこれ、素のまま受け取るな。それはデートのお誘いじゃ」


「状況を見るに、それも違うと思うんですが?」


 この七瀬沙智という少年は持っている。

 セシリーは痛烈に知りたいと願った。その何かを。


 沙智らに悪魔レイファを加えた一行は、午後十時を迎えようという時にカフェにやって来た。何でも宿の方で亭主ジョズエの息子アシルがイタズラをしたせいで、現在借り部屋が清掃中だとか。どうしても今日中に話しておきたいことがあると聞き、閉店して客もいなかった事だし、セシリーはカフェを貸し出した。


「別に逃げたって良いんだよ?」


「大丈夫、そのための最強悪魔レイファ様なのだ!」


 笑い合うステラと沙智を交互に見て、セシリーは食器を洗う手を止める。

 二人に重ねたのは、在りし日の兄と自分だった。


「――――」


 兄であるミシェルが『魔王』の称号を持っていたことを、セシリーは幼い頃から知っていた。しかし、セシリーには、ミシェルは優しい兄でしかなく、それ以上の意味を特段求めようともしなかった。海岸で二人、日が沈むまで遊び回って――もう、遠い記憶で思い出すことはできないが、必死に二人で集めた掌一杯の貝殻の中には、輝かしい思い出がたくさん詰まっているとセシリーは知っていた。


 時が経って、セシリーは『魔王』がどういう存在なのかを知るようになった。次第に孤立していく兄に、セシリーが抱いた感情は恐れ以外の何物でもなかった。『店員』という使命称号を授かったセシリーが、称号に縛られない自由な人々を密かに妬んでいたように、ミシェルも『魔王』の苦しみを知らず能天気に生きる人を妬み、恨んでいるのではないかと疑惑を持つ。そう思ったら最後、その妬み恨みが兄を本物の魔王にしてしまうのではないかと恐れて、次第に距離を取るようになった。思い出が詰まる貝殻は、固く閉ざされた。


『じゃあな』


 ミシェルは、セシリーが自分を恐れていたと、とっくに知っていたのだろう。カフェの玄関で偶然セシリーと出くわしたミシェルは、手に持っていた置手紙をぐしゃぐしゃに握り潰して、背を向けた。それでも何か思い残すことがあったのか、振り返って、昔のようにセシリーの頭の上に手を置こうとした。セシリーもまた、旅立とうとする兄に、無意識に手を伸ばそうとした。


 届かなかった。

 二人の手は、お互いに。


『じゃあな』


 床に転がっていた置手紙を開いたら、そう書かれていた。

 結局、二人の別れに声はなかった。


 セシリーは今でも思っている。

 もしもあの時、手の伸ばすことができたら結果は変わっていたのではないかと。ミシェルは死なず、シアンが罪悪感に苦しむこともなく、ネミィが感情を凍らせることもない。そんな今日になったのではないかと。

 ただ、去ろうとする兄に向かって手を突き動かした、『魔王』という存在への畏怖に一瞬だけ勝った、心の内の衝動――。

 それが何だったのか、その答えがセシリーは自分でも分からない。


 強烈に思う。

 知りたいと。


『――セシリーさん!』


 不意に大音量で名前を呼ばれて、セシリーは驚き我に返った。

 危うく割るところだった皿を置き、セシリーがカウンター席に目を遣ると、沙智が自慢げに手のひらサイズの謎の白い機械について語っているところだった。


「とこんな風に、レイファのユニークスキル『万物創生』と、俺の異世界の知識を組み合わせて作った、科学アイテム第一号がこれ!」


「ズバリ、『拡声器ミニ―その鼓膜壊します―』じゃ!」


 面白い物を作っているなと、自然とセシリーの興味が惹かれる。

 複雑な心境を一端余所へやって話を聞いてみると、これは音を増幅させる小型の機械らしい。大国に備わる警報機が魔力を必要とする一方で、彼らが作った拡声器は魔力を一切必要としない。

 それどころか、電気さえ必要としないようだった。


 彼らの発明に感心して、セシリーは掌を合わせた。


「すごいじゃないですか! 『拡声』スキルなしで大声を出せるんですね!」


 セシリーのそれは素直に称賛の意のつもりだった。

 ところが、鼻を高くしていた沙智の表情が途端に強張る。そのまま小刻みにぶるぶる震え始め、何かに酷く打ちひしがれたような視線を悪魔に向けた。


「――レイファさん?」


「『拡声』スキルは魔力を喉元に集めて音を増幅させるスキルじゃ。誰でも簡単に習得できるから、これは商品化できんじゃろうな。窮地に陥ったお主をすぐに助けられるようにと作ったものじゃ」


 セシリーにはよく分からないが、どうも金儲けを考えていたらしい。

 確かに素晴らしい道具だとは思う一方で、幾ら小型の機器とは言え、少量の魔力さえあれば手ぶらで大声を出せるスキルがあるのだから、売れそうにはないとセシリーも感じていた。


 沙智は、あからさまに慌て始める。

 グッと奥歯を噛んで、茶色のリュックから別の丸い器具を取り出して。


「き、気を取り直して科学アイテム第二号の『防犯ブザーコケッココー』! この栓を抜けば辺りに鶏の囀りのようなけたたましい音が鳴る。これで自分は窮地ですと誰かに伝えることができるんだ!」


「私、安心したよ。沙智が逃げることばかり考える人で」


「お兄さん。少しくらい戦おうという気概を見せてもいいんですよ?」


「言ってることが逆転したっ!?」


 賑やかな声を聞きながら、セシリーは拭いた皿を背後の戸棚に戻す。その時に、ガラスの扉に反射して少年の表情が映り込む。

 頼りなくて、少し情けない、停滞し続ける、逃げ腰の少年――。


 そう、これが七瀬沙智という少年の人物像だったはずだ。

 そんな少年が、なぜ夕刻に姿を現した時、あんなに輝いて見えたのか。そんな少年が、なぜ十日以上も感情を凍らせていた少女の氷を解かせたのか。セシリーが見つけられなかった、温かい言葉を見つけられたのか。

 少年を歩かせる、内なる衝動は、何だったのか。


 知りたい。

 知りたい。


 少年を動かした、衝動の正体。

 それが分かれば、自分も答えを出せそうな気が――。


「あ、もう十一時。宿の清掃終わったんじゃない?」


「じゃあ帰るか」


 カランとドアベルが鳴って、時間外の客人は去って行った。

 結局セシリーは、図らずとも訪れた期待の客に、尋ねたいことを一つも尋ねることができなかった。コーディが持ちかけた話が事実なのかや、ネミィと何の話をしたのかや。

 自分は、あの日から立ち止まったまま。


 カウンター席を拭いた布巾を絞って干す。

 気づけば、時刻は日を跨ぐ直前だ。


「――ネミィを探しに行かなきゃ」


 ふと思い出して、セシリーもドアベルを鳴らす。

 そして誰もいなくなった静寂のカフェの窓際で、光に集まった蛾がバタバタと忙しなく翅を打ち付けている。その内の一匹が、ヤモリに喰われた。

 夜空はますます、熱を帯びるばかり。





 知りたい。

 あの日の衝動が何だったのかを。


 知りたい。

 七瀬沙智がどういう人なのかを。


 知りたい。

 ネミィの氷が解けた理由を。


 知りたい。

 今、昔の自分と同じ立場にある沙智が何を選ぶのか。

 私は、どうすれば良かったのか。

 ねえ、教えて――。


 セシリーは今にも涙に変わりそうな感情を心に閉じ込めて、夜の赤の国を走り出した。夕刻にネミィをカフェまで送り届けてくれた御者の話では、彼女は渓谷奥地の墓地にいたらしいが、まさか夜更けに山に入ったなんてことはないだろう。どうして今まで少女のことを急に思い出したのか不思議だったが、とにかく走った。


 そして、赤の国の南西の国境沿い。

 夜更けに妙な人だかりを見つけて、セシリーは足を止める。


「何かあったんですか?」


「ああ、『イズランドの決まり』をどうも破ったらしい」


 そうして、住民が指差した場所へセシリーは近づく。

 国境を越えた、森の入り口を見て――。


 ――絶句する。


「臨時ニュースでも見て焦ったのかねえ」


 街灯に照らされた薄暗い土の地面の上に、赤い血はまるで花火を落書きしたかのように飛び散っていた。花火には見慣れた子供用の水色の衣装が浮かび上がり、泥で汚れた靴が無造作に転がっていた。その光景を見た瞬間、セシリーの頭は真っ白になり、落書きの中心で果てた命の痕跡が、避けようもなく、視界に飛び込む。


 信じたくなかった。

 願いと裏腹に、目の前の光景が何を意味するのか理解し始める。


「ぁ……ぁぁあ……!」


 その場に膝をつき、セシリーは喉奥で声を鳴らす。

 もう、涙は止まらない。


「どぉして、私は、まだっ!?」


 絶叫だけが、虚しく夜の暗闇に響き渡った。

 衝動は、まだ見つからない。





§§§  午前一時半





「――ねえ」


 この夜、彼女と出会ったのが偶然か必然かは、分からない。

 でも、涙はもう拭わないととセシリーは思った。


 セシリーが停滞を続ける一方で、周囲の人々は続々とそれぞれの答えに向かって歩き出した。それが善か悪かまだ分からない衝動を抱えた、七瀬沙智。その結果が許容できるかはともかくとして、自分を犠牲にしてでも抗いの意味を誰かに刻もうとした、ネミィ。――そして、目の前に現れた兎の女性。


 もしも明日、自分の衝動に気づけたなら。

 選ぼう、後悔しないように。


「セシリー、話があるんだー!」


「私もです、アルフさん」


 小さな決断を星空が見守って競赤祭は四日目。

 裏切りの勇者が聖剣の取引を指定した日であり、シアンと沙智が接触する日。星の夜空は熱を増すばかりで、悪夢の五日を終わらせる花火はまだ灯らない。

 それでも胸に、小さな灯火を抱いて。


 怒涛の四日目が、幕を開ける。


【アキレア】

 いつだって目の前には高い壁が聳え立っている。その壁を越える力が自分にはないんだって時には絶望して、誰かが代わりに越えてくれたらって時には投げ出して――。それでも壁の向こう側に広がる景色を見たいという衝動があるのなら、戦う前から諦めるなんて情けない。だから、沙智とネミィは、アキレアに「戦う」と誓って――。



※加筆・修正しました

2020年5月13日  加筆・修正

         表記の変更

         ストーリーの視点変更


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