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第六話   『悪魔は星空に願っている』

 世界樹から吹きしく夜風が穏やかに前髪を揺らす。

 心臓の鼓動だけが世界に息づき、不思議とそれが心地良い。

 地面に走る大樹の根に足を取られないよう慎重に進み、やがて隆々とした根が盛り上がって壁のようになっている場所に俺は誘われた。


 星空に混じり、仄かに漂うレモングラスの香り。

 その匂いを鼻で辿った先に女はいた。


「急に呼び出してすまんのう」


 波立ったショートヘアに凛と輝く赤い瞳。

 黒と赤の二色が散った振袖のデザインは前衛的に思える。裾は先端がボロボロで脛が見えるくらい短く、肩にスリットが入った袖はまるで蝶の翅のよう。

 この独特な雰囲気を壊さない程度に、リンゴの髪留めがチャーミングに光る。


 一見禍々しい格好だが、俺は女を大して警戒しなかった。

 恐らく女が俺を怖がらせないよう最低限の配慮をした結果だろう。

 その証拠に――。


「わしの名はレイファ、泣く子も笑うこわーい『悪魔』じゃぞ」


 女は自己紹介からして思わず頬が緩むほど諧謔的だった。


 悪い人間ではない。

 普段なら初対面の相手には敬語を意識する俺だが、この場は彼女に合わせることにした。彼女が解してくれた場の雰囲気を、敢えて緊張させることもない。


「どもども、まさか天然のじゃロリを拝めるとはな」


「お互い様じゃ、わしもお主の立派なアホ毛には感動を隠せん」


 腰に手を添えてフランクに応じると、彼女も腕を組んで片目を瞑る。

 先天的か後天的かの違いはあれど、お互いに会話のきっかけになる目立つ特徴があったのは有難いことだ。お蔭で珍しく距離感を掴むのに苦労しなかった。


 だが、安堵したのも束の間だった。


「まるでアニメキャラのようじゃな」


「――っ」


 視界が、凍り付いた。

 固まった視界で、誰かがこちらを覗いて手を振っている。


「ちゃんと通じとるかのう?」


 いや、誰かじゃない、女だ。

 いつの間にか腰に添えていたはずの手がポロリと零れ落ちている。俺は、この黒髪の美少女と何を話しているのだろう。この赤い瞳は、本当に現実か。


「お主の世界にはアニメ文化はなかったかのう?」


「お前は――」


 口から零れた音は間違いなく俺の声だ。

 ならば、もう夢ではあるまい。


 異世界に存在しないはずの「アニメ文化」。

 まるで別の世界と対比するかのように「お主の世界」。

 俺は小刻みに震える唇を無理やり動かした。


「お、お前は、『渡る者』、なのか――?」


 ドクドクと、熱を帯びて早まった拍動はメトロノーム。

 気さくで禍々しい悪魔がどんなリズムの音を奏でるのか、恐怖と期待の狭間で揺れて、一言も聞き逃すまいと耳を研ぎ澄ませている。


 やがて女は指揮棒を振り上げるように徐々に掌を持ち上げる。

 穏やかな表情で何を答えるのか。


「まあ、腰を下ろせる場所へ移動せんか?」


 そして、女は紫苑の光の中で俺の手を拾った。

 ――『テレポート』、と。





§§§





「――何っ!? レイファの世界はタダで宇宙旅行し放題なのかっ!?」


「わしも宇宙人の友人が一人おってな」


「宇宙人と友達っ!?」


 世界樹の樹頭付近の開けた太い幹の上。

 水色の葉の絨毯に腰を据え、妙に人懐っこい悪魔と俺は存分に語らった。


 この悪魔の名前はレイファ、約千歳である。

 つまりは英雄ボルケや古の魔王を友人や宿敵と語る、とんでもない歴史の生き証人だ。そして何を隠そう、俺と境遇を同じくする、異世界人である。

 同じ異世界人と言っても、彼女が元いた世界は俺達の世界とは少し異なるようで、魔力が元々存在する世界だったらしい。話を聞く限りでは、俺達の世界でもしも魔法を使えたら――を実現したような、心躍る世界だった。


 ただ、一つ残念だった事と言えば――。


「にしても、レイファでも元の世界に帰る方法は知らないかぁ」


「悪いのう、故郷に帰る気はなかったのでな」


 俺の悲願を叶えるには、先輩が役立たずだった事だ。

 折角同じ異世界人に初めて巡り合えたのにという気持ちは正直ある。だが知らない事を知っていろと要求するのは聊か横暴が過ぎる。

 やはりヤマトお墨付きの『賢者』か、ロブ島の図書館に期待するしかないか。


 そこまで考えて、今更ながら一つの疑問を抱いた。


「そう言えば、何で俺が異世界人だって分かったんだ?」


「む?」


 実は勇者会議参加を承諾した際の条件として、『賢者』と呼ばれる勇者に合わせてもらう事の他に、ステラと同じ『秘密の首飾り』を譲ってもらっている。

 これは当然、俺の素性を他の勇者達に明かしたくないからだ。

 結果として、現在、俺のメニューを他者が知る術はない。


 だがレイファは、明らかに俺が『渡る者』と知って声を掛けてきた。

 首を傾げると、彼女は赤い瞳を指差し説明した。


「わしら悪魔が持つ特権じゃよ」


「――と言うと?」


「例え『鑑定』を使わずとも相手のメニューを見抜くことができるんじゃ。正確には暗号化された魔力コードを読み取る能力じゃがな」


 悪魔の鑑定眼の前ではアイテムも無意味らしい。

 レイファが俺達を見つけたのは赤の国に入国した直後らしい。この分だと、俺だけでなくステラの素性もすでに知られていそうである。


 雲一つない満天の星空。

 不意にレイファは幹の上に立ち上がり、その赤い瞳を夜空に向けた。


「じゃがお主と話したいと思った理由はまた別じゃ」


「え?」


「お主が、千年前の友人とあり得んほど似ておったんじゃ」


 そう語る彼女の横顔は、どこか切なく儚げだった。

 大事な人だったのだと容易に推測できた。


「顔立ちもユニークスキルの構成もあやつと瓜二つ。おまけに同じ『渡る者』ときた。何か知っとるかもしれんと思うと、居ても立ってもいられなくての」


 だが、俺はレイファの期待には添えないだろう。

 少なくとも千年前の友人を、俺が知るはずが――。


「そやつはサクと言うた」


「――っ!?」


 水のように清く響く、鈴の音。

 凛とした音色とともに、あのフレンドリーな女神が脳裏に蘇る。


 一体どういうことか。

 同じ名前の別人という可能性を俺は自然と否定した。何よりサクが神様という事実が、千年前に存在した人物と同一である説明の補強に思えてならない。

 息を呑む俺をレイファが静かに見つめている。

 どの道、答えないという選択肢はないか。


「知ってる、俺をこの世界に送り込んだ神様がそう名乗った」


 必死に動揺を押し殺して俺は端的に答えた。

 サクの言葉は今でも闇夜の蛍のように次々浮かび上がる。


 ――あなたには異世界に転移してもらいます。


 ――その意味はあなたが見つけるの。


 俺をこの異世界に引きずり込んだ女神様は、意地悪で、無茶苦茶で、全然人の話を聞いてくれなくて、でもとても大切な事を教えてくれたのだ。


「やはり、転生して神格を得ていたか」


「レイファ?」


 神妙な面持ちで夜空を仰ぐ目を細めていたレイファ。

 俺が控えめに呼び掛けると、その目を瞑り、こう切り出した。


「千年前の話をしようか」





 千年前、サクは『勇者』だったらしい。

 他人を色眼鏡で見ない自由気ままな猫の彼女に、様々な種族の者が惹かれて共に旅をしたという。かく言うレイファもその一人だった。

 誰もが、その元気な少女を好いていた。


 だが平和な日々は終わりを告げる。

 猛威を振るう炎の『魔王』に為す術なく蹂躙されてしまう。


 サクも、死んだ。

 死んだ、はずだった――。





「――この世界には『転生』スキルというものがある」


「何だそれ?」


「奇跡の魔法じゃよ。”一パーセントの壁”を突破すれば、死後、記憶はそのまま別の種族へ生まれ変われる。例えば人間から神様に、とかのう」


 俺はハッとなって目を見開いた。

 思い当たる節があったのだ。

 はずれの町の騒動。ジュエリーの呪いで多くの人間がゾンビへと姿を変えられたが、まさしくあれが『転生』スキルだったのではないか。明らかに確率は一パーセントを越えていたが。


 そう考えると合点がいく点が幾つかあった。

 俺が一人小指を摘まむ一方、レイファは惜しむように口を開く。


「そうか、サクは神様になったか」


 何気なく隣の顔色を窺ってみる。

 悪魔は、世界樹から吹きしく神秘の風に包まれて、黒い右袖を切ない表情で空へ持ち上げていた。決して届かない星空に、その手を伸ばしていた。


「なら会えんのう」


「――っ」


 その時、自分でも不思議なくらい心が泣いたんだ。

 もう誰の墓だったかは覚えていないけれど、会えない誰かに会いたいと強烈に願った記憶は確かにこの小さな胸の中にあって。

 分かるんだ、この悪魔の気持ちが。


 いつの間にかレイファはまた隣の葉の絨毯に腰掛けていた。

 静まり返った俺を、和やかに見つめている。


「悪いのう、しんみりさせるつもりはなかったんじゃ」


「いや、いいよ」


「お詫びに面白いものを見せてやろう」


 何事かと首を傾げると、レイファは手元から青葉は数枚毟り取った。

 神聖な世界樹に罰当たりな事をと一瞬思ったが、葉を両手に乗せて慈しむように温かい視線を向ける彼女の横顔を見ると、それを追求する気も失せた。


「よく見ておるといい――『万物創生』」


 詠唱、微風に乗って星空へ旅する紫苑の光。

 掌に包まれた青葉は光を帯び、混ざり合い、やがて一つの形へ収束した。

 世界樹を閉じ込めたような、水色の栞へ。


「ほれ、読書のお供にやろう」


「い、今のって?」


 その神秘的な光景に一瞬、俺は呼吸を忘れていた。

 興奮を抑えながら尋ねると、レイファはにかりと微笑む。


「わしのユニークスキルじゃ。簡単に言えば錬金術みたいなもので、材料があって構造を知っとる物であれば、自由自在に作ることができる」


 これが如何にすごい能力かを俺は後で知ることになる。

 物質を加工するのに必要な労力や熱、それに類するエネルギーの付与を、レイファは完全に無視している。これは熱を使わずに肉を焼くようなものである。


 だがこの時、俺の頭には別の考えがあった。


 一瞬で別の地点へ移動することができる『テレポート』。

 物を自在に作ることが可能な『万物創生』。

 何より、想いを分かち合える、心優しき『渡る者』。


「さて、あんまり長く呼び止めても悪いし――」


「なあ、レイファ」


 伸びをしてこの場を区切ろうとする悪魔に待ったをかける。

 あるいは、彼女かもしれないのだ。


 俺が未だに見つけられない、ステラを一番の笑顔にできる答え。

 世界樹の壮大さが吹き飛ばしてしまうかもしれないと恐れた彼女の悩みを、俺と彼女自身が受け入れられる形で解決できる具体案。

 その答えが、レイファかもしれない――。


「少しの間、俺達と一緒に来ないか?」


 普段なら小っ恥ずかしくて絶対言わないようなセリフがスムーズに流れ出す。

 ドクドクと、罪悪感を帯びて早まった拍動はメトロノーム。

 気さくで禍々しい悪魔がどんなリズムの音を奏でるのか、不安と臆病の狭間で揺れて、できれば耳を塞ぎたいという衝動を必死に抑えている。


 指揮棒を振り上げるように掌を持ち上げたのは俺だ。

 その真意を、赤い瞳は探っている。


「わしは悪魔じゃぞ?」


「その方が面白いじゃん」


 満点の星空に、鈴のように葉を鳴らす世界樹。

 遠く見える街並みは屋台の光が点々と煌めき、空も地面も瞬いた。

 女は頬を緩め、俺の手を取る。


「……ふふっ、とびっきりじゃのう」


 美しい物は、偶に嘘をつく。





§§§





 数分後、ずっと我慢していた高所恐怖症を俺が打ち明けて、レイファに呆れた目を向けられたのは余談である。


【悪魔族】

 ディストピアに存在する種族の一つだよ。基本的には人前に現れないから、妖精と並んで架空の存在として扱われているんだけどね。不老長寿な種族で、一目で相手の魔法の成り立ちを見抜く鑑定眼を持っているんだって。因みに当人曰く、私たちが思ってるほど怖い存在じゃないらしいよ。



※加筆・修正しました

2020年4月22日  会話の一部修正


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