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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
68/193

閑話    『桜舞い散る雲の果て(5)』

『燃えろ――』


 黒い巨人は炎を纏う。


『燃えろ――』


 業火にハンマーはその身を焦がす。


『燃えろ――』


 大地は鳴動し、夜は赤をもってして晒される。


『燃え尽きろ――』


 全てを灰にせん。

 炎獄王は侵攻する。





◇◇  サク





「すっかり遅くなっちゃったね」


「じゃの」


 雷鬼王との戦闘はある種避けられないものがあった。ゼイムが以前仕えていた勇者による記録や住民の証言から、明日からの五日間で炎獄王が現れる可能性は非常に高く、もし炎獄王と徒党を組まれたら勝ち目はない。急遽借りた鉱山の採掘場をしっかり片付けてから帰ると、こんな夜更けになるのは仕方がないのだ。


 ただ、私は違和感も同時に抱いていた。

 ララに鎌をかける作戦は今朝になって思いついたもので、彼らが、特にランスとレイファが不満を垂れると思っていたのだが、なぜか彼らはすんなりと頷いた。私の無茶ぶりに駄々をこねないランスなど初めてである。


「ねえ、何か企んでる?」


「まままままっまっさかー」


 あ、企んでるな、これ。

 ランスの明らかに挙動不審な態度にレイファが額に手を当てているが、それすらも悪だくみをしている証明なのだ。先頭を素知らぬ顔で歩いているゼイムが隠すつもりなら一番正しい。ただ、幾ら素知らぬ顔を続けても、顔に出やすい二人のせいで骨折り損である。


 そんな風に思っていると、ゼイムは振り返っていきなり私に説教を始める。


「それにしてもサク。お前は確かに強いが雷鬼王にすら前のめりな戦い方をするのは見ていてハラハラした。まるで死を恐れていないかのようで時々不安になる」


 露骨に話を逸らしにきたな。


「大丈夫、私はちゃんと死ぬのは怖いよ。ゾンビにはなりたくないしね」


 そう、死ぬのは怖い。

 しかし、死に急いでいる自覚はある。


 私が元の世界の記憶を失う前に形作った“死に対する感覚”というやつだけが、成り立つ過程を吹っ飛ばして魂に刻まれている。そんな風に感じることが偶にあるんだ。だから、ゼイムの指摘は完全に的外れという訳でもない。ま、その話はまた今度ゆっくりと紅茶でも飲みながらしよう。この峠を越えればレレーレ村まではずっと下り道なのだから。


 そんな時だった。

 ゼイムを追い越して先頭に躍り出たレイファが妙なことを言い出したのは。


「む? サク、街灯の電球の種類、変えたかのう?」


「ん? 変えてないけど?」


 急にどうしたのだろう。

 彼女の隣に並んで丘から村の方を眺めると、なるほど、いつもは優しい生クリームのような色合いでほのかに光る街並みは、今日は赤く焼けるように見える。


 あれは――煙?


「先行する! レイファはまだ『テレポート』を使うな。魔力が惜しいっ」


 ゼイムは僅かな燻煙で全てを察知し、老躯とは思えない猛スピードで駆けだした。その様子に未だ状況が理解できていないランスが戸惑い、首を傾げた。。


「あ、ちょ、ゼムっちー! ……行っちゃったよ。何だったんだろね」


 何が起きているのか、何となく予想はついていたんだよ。

 でも、それを認めたくなかった。


「ねえ、レイファ……」


「早すぎる――っ!」


 それはレイファも同じことだった。

 苦虫を噛み潰したように顰めるその横顔が私たちの計算の甘さと悪夢の始まりを物語っていた。





§§§





 火焔は踊り子。

 炎でできた腕を左右に揺らし、その場を熱狂的な渦に是非を問わず巻き込む踊り子。それは何も精神的な話だけでなく、街灯も、通りのベンチも、看板も、民家も、ゴーゴーと音を立てながら狂ったように叫び声をあげた。しかし、そこに華麗な踊りを称えるような尊敬の念は介在しない。あるのは、物質だけでなく、今日まで私たちが積み上げてきた自信が、達成感が、隣人たちへの思いが、無慈悲に焼け落ちる音。


「レイファっ、ランスっ、住民の避難を最優先に行動開始――!」


「分かっとる」


「つ、土魔法で防空壕作ってくる!」


 私たちは焦っていた。

 残り二時間ほどで日が跨ぐ。

 悪夢の五日間が始まれば、もう住民はこのイズランドの国境を越えることは叶わないのだ。


「――っ」


 バラバラで動くことの危険は充分承知していたけれど、時間がない以上、一人でも多くを救うには人海戦術に出るしかない。仮に炎獄王と出くわしても彼らならきっと冷静に対処するはずだ、そう自分に言い聞かせて私は炎を町を走り出した。私たちと住民が協力して復興を遂げた街並みが燃えるのを、傍で肌に感じながら。


 火焔は夕焼け。

 夜の何もかもを包み込まんとする漆黒を焼き焦がし、昼の空一面に広がる青い海を焼き尽くす。まさしく業火。曇りを手で拭って、帰路の車窓から窺うのは僅か一瞬。それでも赤は鮮烈に人の記憶に刻まれる。それは原初、人の文明の始まりを象徴する叡智の源が、こうして視界一杯に広がって小さな人間に訴えかけるからだ。この時、大気の雫に阻まれてなお、太陽を燃やす炎の赤への畏怖を思い知る。


「ゼイム……」


 町の中心の広場に真っ黒に焦げた遺体が幾つも転がっていた。キャンプファイヤーが終わった後、バラバラになって放置された炭のように悲しく、虚しく影を落とす。もう誰なのかすら分からない遺体が並ぶ中で、その老躯だけは中途半端に焼け残っていた。


 誰かを祝うために食品や皿が用意された微笑ましい場所で、煤で所々黒ずんだ老躯の白髪から目が離せない。


 地響き。

 それは終わりを告げる、確かな音だ。


 火焔はいつだって、あらゆる物語の一ページ目に綴られる。

 それは物質的な炎として、人々の内に存在する衝動として、ジャンルを問わず、姿形を変えて物語を始める原動力となる。


『貴様、勇者か?』


 でも、これだけは覚えておく必要がある。

 火焔は、物語を始める原動力であると同時に、物語を終わらせる抑止力にもなり得るのだと。


「……炎獄王」


 黒き巨人は炎を纏い、民家の屋根を軽々凌ぐ高さから“儚き者”を見下した。

 もはや人とは思えない姿で、体は黒に染められている。この村を酷い有様に変えた元凶は、この世の終わりのような赤を何でもないただの衣装のように着こなし、酷く気だるい様子だった。


 寝起きの癇癪に等しい。

 私はそう感じた。


 のっそりと背後から地響きを鳴らしながら現れた巨体を前に、私が抱いたのは恐怖や絶望ではなく、ただただ純粋な――幾つもの濾過システムに一切削られることなく、軽く潜り抜けたどこまでも純粋な怒りだった。周囲の炎の熱すら生温かく感じるほどの怒りの熱は、冷静な思考処理を下そうとする脳を焼き尽くして結論付ける。


 言葉は要らないんだって。


「『コムラサキ』!」


 水の刃は抑えきれない怒りに振動し、あらゆるものを切り刻む。

 しかし、新たに供給のない水は炎に散らされて終わりだった。


「『イチモンジ』!」


 水はうねる。

 火に対して揺らぐことのない優位性を示さなければならなかった。しかし、これもまた炎獄王の炎を打ち消すには頼りない。右腕に払われて終わりだった。


「『聖剣作製』……『聖撃』!」


 水が駄目なら『勇者』の力で。

 ゼイムの傍らに落ちていたロングソードを聖剣化し、私は炎獄王の肩を狙って飛び込んだ。


 怒りを怒りで上書きしろ。

 血は血で洗え。

 

 真っ黒に歪んだ復讐の熱はもはや私を勇者ではなくした。

 ただの命を刈り取る死神だ。

 そんな存在が勇者の極意を使って魔王を倒せるはずがない。剣は王の右肩を僅かに抉っただけで停止し、力強い左の拳で私の小さな体は宴会の虚しい跡地に弾かれた。


「うぉぉぉぉ――ぐふっ」


 炎は焼く。

 矛盾を理解する熱を焼く。

 中途半端な殺意が、本物の殺意に叶うはずがなかったのだ。


『この程度か? ならば死ね』


「――っ」


 巨体は右手に灼熱の太陽を具現化した。

 辺りは夜とは思えないほど明るく照らし出され、じっと固まって動けない机や椅子の代わりに彼らの影は怯えたように震え続ける。激しい怒りももはや燃やし尽くされ、私は晴れの日の水溜り。流されることなく、溢れることなく、ただ強い陽の光に乾くだけ。もう、私は死ぬだけ。


『さらばだ』


「『渡れ』」


 だから……。

 この魔法を唱えたのは、別に何かを期待しての事じゃなかった。





§§§





 この世界にやって来て三年。

 私には理解不能なスキルが幾つかあった。


 一つは普通スキルの『神格の儀』

 そして、もう一つが今使用した『渡り』である。


 後者については以前、アイビーに調べてもらったところ、『テレポート』に近い能力であることが判明した。ただし、動かすのは空間軸ではないらしい。その時の私は彼女の言っている意味がよく理解できなかった。でも、やけになって使ってみた今なら、その意味が理解できる。


「ここって」


 目の前には古びた短冊のような木壁が縦に並んで固定され、足元には枯れたイカリソウの花たち。春に旬を迎えるこの花たちはこの場所では雪が降ってもお構いなしに咲いているというのに、今日だけは枯れていた。すぐ右手に視線を移せば、桜の木が一本、寂しくなんかないぞと見栄を張って青い葉が茂る枝を必死に伸ばしている。


 ――この場所を、私は知っている。


「鈴草神社?」


 そう、私の家のすぐ近くの山にある、踏切の音が煩い神社、その裏手だ。その景色を見た瞬間、数百年前のカラクリがゼンマイを巻かれて動き出したような衝撃が脳裏に蘇った。忘れていた記憶、私がそう遠くない過去に日常的に見ていた景色。


 私は今日、次元のベクトルを再び越えたのだ。


「――ぅ」


 そう理解した途端、酷い頭痛が襲い掛かった。

 炎獄王との戦闘による傷ではない。神社の一角の景色を皮切りに、私がこの三年間で忘れていたたくさんの思い出が疼き始めたのだ。

 ここにいるよ、と。


 ――届かないかもしれない。


 ――俺じゃない誰かが。


 ――聞いてやってくれ。

 

「誰……なの……?」


 その誰かは、雨が降る中、私の背後で必死に声を荒げていた。

 懐かしい、優しくて厳しい、少し頼りない声。

 頭を押さえて蹲りながらも右手を見ると、桜の木の下でつまらなさそうに昼寝をしている誰かがいるような気がした。


 記憶は曖昧なままだ。

 その誰かははっきりと浮かびそうで浮かばない――まるで雲の輪郭。

 何かが、私の記憶が蘇るのを邪魔しているかのようで……そう感じた時にまた別の誰かが記憶の中で語り出す。


 ――ここでの記憶は消してしまうんだがね。


 ――死んだら転生してまたここに来るといい。


 転……生……?

 不安定な記憶の奥底で、その男は瞳に真っ白な一線を引き、神のような理不尽さを思わせた。その途端、レイファとの会話の中で生じた違和感とメニューにあるもう一つの意味不明なスキルが結びつく。


「――っ」


 何もはっきりしない。

 はっきりしないまま、世界が揺れ始める。

 あの理不尽で大嫌いな世界、ディストピアが私にこう告げているかのようだ。


 帰って来い、と。


 どこか遠い場所から体が引っ張られる。


 帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い。帰って来い……。


「待って……もう少しで……思い出せそうなんだ……」


 私は必死に抗いながら、記憶に曖昧に浮かぶ誰かに必死に手を伸ばした。頼りなくて、力も弱くて、情けなくて、アホ毛で、でも優しくて、人の話をしっかり聞いてくれて、一緒によく遊んで、いつか……馬鹿みたいな夢を一緒にあの桜の木の下に埋めた誰かが……っ!


「……お兄……」


 そして、私は再びこの世界から消えた。

 神社の壁に、たった一言書き残して。





§§§





 焼けていく。

 焼けていく。

 焼けていく。


 全てが、焼けていく。


「ぇほっ、げほっ……っ」


 たった数分の異世界帰還を終え、私の体は煤の中に舞い戻った。焼けて真っ黒になった木の椅子やテーブルの脚が体に絡みつき、零れた血は端が焦げたテーブルクロスの白を穢す。炎獄王はもういなかった。


 まるで現実に引き戻されたような気分だ。

 救いなど、どこにもない。

 頼るべき誰かなどどこにもいないのだ。


 足が、腕が痛むのを堪えて、私はふらふらと立ち上がり、亡霊みたいに歩き始めた。夜空に上がる白煙は私たちの完膚なき敗北を告げている。めらめらと燃える街並みが私たちの弱さを告げている。時折道端で焦げた何者かの遺体を踏み越えながら、空っぽの私は彷徨い続けた。


 もうどうでもいい。

 どうせ勝てないのだから。


 もうどうでもいい。

 どうせ誰もいないのだから。


 もうどうでもいい。

 何も残らないのだから。


 もうどうでもいい。

 もうどうでもいい。


 それでも私は最後に、記憶に現れた霧のような誰かの正体が知りたかった。私が忘れてしまった記憶の全てを知りたかった。何か大切なものを、忘れてしまっている気がしたのだ。当時は何の意味も見出せなかったガラクタが、私が忘れていくこの三年間のうちに磨かれて、キラキラと重大な意味を勝ち得ている気がした。


 だから、私は呆然と歩きながら望んだ。

 せめて死ぬ前に、何かを思い出したい。


 歩く。

 歩く。

 歩く。

 歩く。


 誰かと出会えれば。

 誰かと話せれば。


 また記憶の彼が、頭痛とともに私の下へやって来る。


 誰か。

 誰か。

 誰か。


 誰か――。


『やいっ、炎獄王! 俺が相手だっ!』 


 少年は煤で汚した頬を動かして建物から燻る石造りの家の影にいる敵に必死に叫んでいた。力なんてないのに、知恵もないのに、空っぽでも、何かを吠えていた。空っぽな言葉でも、目一杯の思いを乗せて。


「村のみんなと……サク姉の仲間たちの仇を取ってやるっ!」


 自然と足が前へ動き出したんだ。

 これが私の最後の熱だ。


『失せろ、ゴミムシ』


「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇええ!!」


 意識は、そのまま途切れた。





§§§





 知りたい。

 どうせ死ぬのなら、最後に知りたい。


 背後の暗闇で私に傘を差しながら、あなたは何を叫んでいるの?

 どうして叫んでいるの?





§§§





『サクっ、しっかりせいっ!』


 誰かが呼んでいる。

 彼と同じように、必死な言葉で。


『私のスキルで凍らせましょ。それしか麗しのサクちゃんを助けられる方法はないわ』


 誰かが提案している。

 ふざけた修飾語も気にならないくらい真剣な響きだ。


『サク姉っ、死なないでっ。もう魔王を倒してなんて言わないからっ!』


 誰かが泣いている。

 憎たらしいだけの男の子の、素直な叫び。


『だからお願い!!』


 誰かがまだいてくれた。

 最後に、少年を守れた。


 目は開かないし、体ももう思うように動かない。きっとライフゲージが無くなっても一定時間は活動を続けられるユニークスキル『ゼロのその先』が発動しているのだろう。でも、それも長くない。私はきっと死ぬだろう。でも、思い出す方法を私はもう知っている。


 ――死んだら転生してまたここに来るといい。


 あの時、不気味な神様はそう言った。

 真っ白な、月面のような世界に私は元の世界の記憶を全て置いてきてしまったのだ。

 それを取り返す。


 せめて死ぬ前に、知りたかった。

 あなたは、誰?


「みんな……私に……笑顔を……ありがとう」


 私は最後に力を振り絞って伝えたかった言葉を選んだ。

 独りぼっちだったこの世界で、みんなと出会えて、私は一つの目標に向かって前へ歩くことができた。魔王を倒して、みんなと一緒に――をする。その願いは叶わなかったけど、悔いもあるけど……だけど……。


『わしらだって同じじゃったっ!!』


 転生魔法を使おうとしたその時、レイファが金切り声をあげた。

 涙混じりの目一杯の叫びにランスやアイビー、イアも続く。


『そうだよっ! サっちゃんが一緒に行こうって言ってくれたからっ!』


『私だって本当にあなたが好きで……好きで……っ』


『俺、本当は嬉しかったんだよ。……嬉しかったんだよっ!!』


 不思議と涙は流れなかった。

 たくさんの声が私を惜しんでくれて、ちょっぴり嬉しくて、ちょっぴり悲しくて。


 もう少し、何かできたんじゃないだろうか。

 そんな思いとともに、私は『転生』した――。


※加筆・修正しました

2019年9月26日  加筆・修正

         表記の変更


        

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