第二十八話 『魔王に勝ちたい!』
初投稿から1か月が過ぎました。ここまで読んでいただいた方、これから読んでいただく方、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これからもよろしくお願いします。
◇◇ 神界
「ここは、ディストピアだ」
宇宙は一つの大樹、世界は無数の果実。
二つの果実が次元を越えて同じ空間座標に重なれば次元パラドクスが発生し、果実はもれなく砕け散る。ゆえに、魔法の世界と科学の世界が重ならないように境界を定める世界の『護り手』がいた。
「人々の暮らしは称号によって管理され、自由と権利は制限される」
一面が白に包まれる世界。
タキシード姿の神は足元の水面に映る別世界を眺めて静かに語る。
「魔神が支配して千年。数多の勇者が生まれて、魔王に挑み、結果――」
「敗れてきた、か」
彼の話が事実なら、世界は救われることを望まないのだろうか。
変革をもたらす勇者の存在が忌まわしいのだろうか。
女神は思う。
断じて、否だ。
「でもあなたは勇者が勝つ可能性に境界を定めない、そうでしょボーダー神」
「ふっ、まあね」
地上世界への過剰な干渉は禁止。
これは魔神が神々の世界から“大切な物”を盗んで始まった戦争で多くの人が傷ついたから。
だが隣にいるのは、魔神に最後まで抗った神である。
女神の、少しくらい過剰な祝福も許してくれるだろう。
「『譲渡』」
水の結晶から作り出された青い蝶。
そこへ女神はそっと声を吹き込む、『――を獲得しました』と。
「さあ飛んでけ。馬鹿なお兄ちゃんの下へ」
今、祝福を届けん。
女神の願いを乗せて、蝶は一片、次元を越える。
『次に力を証明しよう――』
◇◇ 沙智
魔獣を上手く躱しながら通りを北上するのは俺とキャロル。
南門が開かないと噂が広まったせいか、建物に籠城している人もそれなりに多いようだ。
「要するに、魔王玉を聖域から安全な場所へ持ってけばいいんだろ?」
十字路に居座る白犀の様子を見ながら、警報機の陰で気前よく歯を見せる彼女に罪悪感が込み上げる。魔王玉を聖域から持ち去ること、これが意味するのは――。
「悪いなキャロル。ギニーの羽化が防げそうにないんだ」
羽化すれば、彼は結界を破る力を得る。
俯く俺に、またキャロルは鼻を鳴らす。
「今更『守護者』の称号に未練はないさ。それより、あの二人を広場に残していきなり走り出したのは考えなしじゃないんだろ? 期待してるぜ」
「俺もお前がもっとお淑やかになるのを期待してるよ」
キャロルとは本当に色々あったが、この期に及んで何も言うまい。
彼女は教会へ、俺は案内所へ。拳を重ねたなら、後は信じて進むだけ。
魔獣騒動が始まってすでに六時間。
勇気ある冒険者や軍人が住民を避難させようと傷つき、この案内所はそういった人たちの療養所となっていた。ガラスのドアを覆うように設置されたベンチのバリケードには人が一人、ようやく通れるほどの隙間があり、俺は徐にドアを開いて中に入った。
「ソフィーはいるか……って何ここっ!?」
想像を遥かに超える光景が目の前に広がっている。
運び込まれた人の怪我の具合が酷いから驚いた?
いや、違う。
「あっ、沙智さんっ!」
「なぜみんなバケツを被ってる?」
「被った方が良いかなと思ってえ」
あざとく頬に指差してソフィーは笑うが、意味が分からない。
相変わらずパジャマ姿のエルフの少女はその長い耳を一切隠そうとせず、運び込まれた患者の治療に献身していたようだ。だからなのだろうか、愛らしい少女が持ち込んだ謎のファッションセンスを老若男女問わず温かく受け入れている。
「謎の部族の集落に迷い込んだ気分だ」
「ステラさんどうなったあ!? 作戦はあ!? 怪我とかしてなかったあ!?」
ソフィーは俺の感想を無視して目を潤ませながら矢継ぎ早に質問を重ねる。
その怒涛の勢いには息を呑んだが、ステラの複雑な事情を聞かされて助けようと意気込んだところで別の場所を担当してくれと頼まれたのだから心配するのも無理もないか。
「ソフィー、頼みがあるんだ」
「ん、なあに?」
敢えて説明する必要はないと思った。
体の両側に拳を作って、きょとんと首を傾げる少女に真剣に。
「俺に火のオーブを譲ってほしい」
暴走するステラに名前を叫び続ける力が本当にあるか――。
長い意識の旅を終えて、俺が選んだ証明方法はただ一つ。
「ギニーを――『魔王』を倒したいんだ」
ステラに“その日”を託してもらうための力の証明。
これだけが、全てを救える選択肢なのだ。
相手は『魔王』だ。
歴史上数体しか倒されていない化け物に挑むなんて正気の沙汰ではない。
ソフィーもそう思ったようで、驚くを通り越して苦笑いだ。
「それは無茶だって思わない?」
「ああ、思うよ」
俺だって進んでその選択肢を選んだ訳ではない。
でもさ、うるさいんだよ。
『魔王』の攻撃は当たればゲームオーバー、でも躱し続けるなんて不可能だ。
手を広げて自分の華奢な体を示すと、ザキがすかさず胸を張る。
『――どんなに素早い魔獣もスローモーションっぽ』
『魔王』には魔法くらいでしかダメージが通らないのに、どう攻撃しろと。
袖を捲って細い腕を見せると、ソフィーが無邪気に首を傾げる。
『――本当に欲しかったらオーブはあげるからね』
この非常時に武器を売っている店を探す余裕も、それを買うお金の余裕もない。
空っぽの掌を広げて説明すると、山姥と金ぴか不細工がぐるぐる躍る。
『――これで気になるあの子のスカートを切り開いた後で縛っちまいなっ!』
『――最近でかい山に当たってなあ!』
頭の中でキンキンと。
耳にタコができるほど本当に何度も。
「どいつもこいつも頭の中でうるさいんだよ。俺が魔王を倒せない理由を一つ一つ、過去から言葉を引っ張り出して潰していくんだ。そして最後には無責任にお前ならできるって叫ぶんだよ。次第にゃ神様までもが言い訳してないで走りなさいってさぁ」
同時に心の底からぐつぐつと衝動が湧き上がるのを感じた。
俺も、物語の主人公みたいに格好良く全部救ってみたいと。
「良い人たちなんだね」
「どこがだ。全部終わったらおっかない決断させた全員に復讐しに行くからな」
そう、全部救って仕返しにいこう。
マルコやザキらが派手に転んで、ソフィーが無邪気にまたクリティカルな言葉を言い放って、馬鹿騒ぎをトオルに叱られて。
その輪の中でステラが腹を抱えて笑っていて。
そんな未来しか浮かばないんだ。
「だから、そんなハッピーエンドをさ――」
「いいよ、助けてあげてえ」
ソフィーはいつの間にか震えていた俺の声を遮って穏やかに微笑む。
またいつかの妙な呪文を唱えて、少女はその掌に赤い炎の宝玉を再び灯した。
「掌を重ねてえ」
指が触れると、透明感のある宝玉の中で炎がより一層燃え盛る。
酸素や燃料と接触せず、無の中に非科学的に妖しく蝋燭の赤が揺蕩っている。それはまさしく、遥か昔、ギリシアの哲学者ヘラクレイトスが万物の根源を炎の中に見たという証明である。顔に感じるストーブのような熱が、未だかつて感じたこともないような魅惑の渦へと誘った。
「眠りしは炎。魔法の法則によって生み出されし熱はあ、その身をもって全てを焦がす。獰猛な火の魔力を、強い意志によって支配しい、いつ何時でも変換せよお」
何だか彼女らしくない難しい言葉の羅列だな。
ソフィーが畏まったのは一瞬だった。いつもみたく無邪気に笑って、唖然とする俺に静かに促すのだ。
「さあ、魔力を流してえ。これは私のものだと、名前を刻むようにい」
言われるがままに紫苑の光をかざした掌から流すと、直後、宝玉の色は失われて少し濁ったガラスのようになってヒビが入った。同時に、寂しい冬を焼き焦がして、うららかな春の到来を予感させる野焼きのような熱が体の中に溶け込むのが分かった。
「ようこそお、魔法使いの世界へ」
満面の笑みで祝福してくれるソフィー。
その温かい表情で、俺もとうとうファンタジーの世界の住人に片足突っ込んだのだと理解してすさまじい高揚感を覚えた。しかし、喜ぶのも見返すのもまた今度にしよう。
「ところでソフィー。お前、確かバフ系のスキルを持ってたよな?」
「……ばふう?」
さあ、残りの準備を済ませて掴み取ろうか。
力の証明を――。
◇◇
「ちっ、こんなところまで逃げやがって。メチャ情けねーなぁっ!」
ジャンブルドストリート、教会正面のカフェ『グラース』の瓦屋根の上でまた人が死んだ。口では文句を垂れながらも、男は血飛沫を狂気の笑みに散らしているのだ。全てを溶かす、毒のような血管を頬に浮かべて。
それもそのはずだ。
彼にとって今日は積年の願いが叶う日なのだから。
「ふふふっ。やっとじゃねーか」
禍々しく黒い魔力が繭のように身を包み、男を包み込んだと同時に割れていく。僅かに耐久は落ちるがその程度は些末なこと。手に入るのは無限の魔力と新たな力。『氷晶の魔法使い』が予言した通り、メニューには新たなユニークスキル『上位結界破り』――これで聖域を突破できる。
レベル30、即ち「羽化」である。
「ははは、ははははは!」
今まで感じたこともないような力の脈動に彼は高揚を抑えきれなかった。
広場ではキャロルの裏切りやステラの連れの少女、そして王の側近と名乗るベストの男に騙されて時間を取ってしまったが、彼女らに対する怒りすらもはやなかった。見上げれば夜を燃やしていく朝焼けがギニーの進化を祝福する。
瓦屋根の峰に座り込んで、未だ混乱の続く町をギニーは眺める。
門は封鎖されたままで、簡易の避難所は次々に統率された魔獣に蹂躙される。その度に、虫けらのように人々は逃げ惑い、悲鳴をあげた。
『――――』
何かが屋根に引っ掛かる物音、随分と近い。
逃げ惑う誰かが小石でも蹴り飛ばして当たったか。
「ほらな。ヨナーシュのような英雄はどこにもいねえ。いたとしても、妖精を救えなかった奴の後を追うだけだ」
先程の高揚感とは打って変わって、ギニーは唾を吐くように落胆を露わにした。
誰にも彼のその言葉の真意は分からない。ただ、それは彼がこの事件で最も欲していた、結末よりもずっと重大な幻だったのだ。しかし、幻は幻でしかなかった。
それが分かったからギニーは動き出す。
昨晩、警報機から奪い取ったスピーカーと、彼の『拡声』スキルを利用すれば、このベスル地区全てに声は響くだろう。男は、悪意を吹き込む――名乗りの時がついにやって来た。
『やあゴミムシども。ご機嫌ようっ!』
ジェムニ神国、芝の公園。
溝に足が嵌って動けない人物を助けるメル達の下に声が響く。嫌味な挨拶にオルグが珍しく怪訝に眉を寄せ、ザキは真剣な表情で耳を傾ける。助けを失ったマルコはこんな時でも関係なくぷーたれているようだ。
『俺の名はギニー。『魔王』であるっ!』
リトルエッグでのステラとギニーの攻防を目の当たりにしたこの男、チャドもまた夜明けとともに訪れる忌々しい音を外壁上の門の制御室で聞いていた。門の制御機器は時限式の雷魔法でショートしたようだが、彼の戦闘を思い出してチャドは疑問を抱く。あの魔王が戦闘で雷魔法を使っていただろうか。
『ああ、想像通りだよっ。この魔獣騒ぎは俺が起こしたもんさぁ』
通りの北にある避難所の一つがまた魔獣の群れに潰されたようだ。
案内所での応急処置をあらかた終えたソフィーは、新たな避難場所を求めて北から波のように押し寄せる住民たちを目にする。それを追うかのように空には、未だ討伐されない炎の鳥が。
『誰も俺を止められなかった。止めるどころか、何が起きているのかすら理解できなかった。なぜか分かるかぁ?』
南門前の広場、リトルエッグには、一度は魔王同士の衝突で人が散ったものの、すぐにまた門が開くかもしれないという淡い期待を抱いた人々で込み合った。冒険者や軍人が指揮もなしに何とか魔獣を抑えている、一進一退の攻防の渦に、ソフィーを先頭に人々が雪崩れ込む。強力な魔獣の『主』を引き連れて。
『はっ。真面目に考えてんじゃねーよっ! てめえらがただ囀り合うことしかできねえ愚かで汚ねーゴミだからに決まってんだろーがっ』
トオルは怒る。
この声の主を止められない無力さを。
『さあ、掃除の時間だ。最強の魔王の降臨にふさわしい血祭りにしようぜっ!』
ステラは願う。
急に走り去ってしまった少年の無事をただ祈って。
『まずはこの国を滅ぼそうっ!』
これが人々にとってどれだけ絶望的な宣言だったことか。
長年、魔獣の脅威から人々を守り続けた防壁は、今や人々を逃がさないための魔王の牢獄でしかない。国が権力を行使すれば、たちまち魔神支配への反抗の意思と見なされ、天罰で何一つ残らず滅ぶだろう。
誰かが小さく怯えるような声で呟いた。
――勇者がいれば良かったのに。
それが実に現実離れした淡い希望かを誰もが知っていた。
しかし神さえ撤退したこの世界で、人々が縋れる存在は他にもう――。
『――――!!』
その時、スピーカーから轟いたのは爆音。
魔王の熱烈なスピーチの余韻をぶち壊すように鳴り響いたその音に誰もが息を呑んだ。それは無論、爆発の中心に注意深く目を向けているギニーもである。
彼からたった数メートル。
墨色の屋根瓦には似合わない茶色いレンガ造りの煙突に小さな穴が開き、そこからモクモクと煙が生じる。飛び散った瓦やレンガの破片は高熱で炙られたかのように四隅が黒く焼け焦げている。
「――死に損ないかぁ?」
ギニーは目を細めて不機嫌に、煙の中にいるであろう人物に語り掛けた。
彼に思い当たる人物は一人だけ。冒険者も、軍人も、誰も逃げ惑うことしかできない中で、唯一戦いを挑みに来た同胞の存在。
やはり、是が非でも追いかけて殺しておくべきだったか。
彼は心の内で反省しながらも、フランベルクを片手に立ち上がり、その煙の中の動きに注視する。
割れた瓦を踏む足音。
布着の擦れる音。
「あぁ?」
煙の中から現れた人物はギニーの予想と違っていた。
通りを次々に南門へ向かって走る住民も足を止めて息を呑む。
煙の中から現れたのは、見たことのない衣装に身を包む男。
背中にはぎっしりとたくさん詰まって膨らんだ鞄の一種。片手には如何にも安そうな六十センチ程の剣。そして、耳元を隠すように斜め上にずらされた縁日用の仮面。おそらくは『認識阻害』系のスキルを行使しているからだろう、人々はそうした外見的特徴しか分からない。
だが、ギニーはこの少年が誰か知っていた。
「――てめえ、何しに来たぁ?」
路地裏でも、広場でも、この男は恐怖に竦んで固まるだけの案山子だった。
一人で全てを解決できるようなセンスを一切持ち合わせていない。
それでもギニーの声が緊張していたのは他でもない。
少年は両端を掴んで簡単に折り曲げられそうなほど華奢で弱そうだというのに、微かに震えながらでも確かな足取りで煙の中から一歩、また一歩とギニーに近づいたからだ。
少年に得体の知れなさを感じた。
だからギニーは問うた、何をしに来たと。
その回答は何だっていい。
震えあがった声を聞けば、仮面の下の男の本性が露見するはずだと彼は考えたのだ。
だがギニーの思惑とは裏腹に、少年は端的に、しっかりとした口調で応答する。
「決まってんだろ?」
少年は――七瀬沙智は未だに俯いてその表情を見せない。
それでも剣を構え、『魔王』という存在に抗う意思を明確に示した。
この時にはすでにギニーは彼にある種の尊敬の念を抱いていた。
冒険者や軍人、彼よりもずっと強い連中が尻尾巻いて走り去る中、この少年は恐怖に抗いながらも災厄たる魔王に挑みにやって来たのだ。これに真剣に応じなくては、魔王の名が廃るというものである。
ゆえに、彼は七瀬沙智を初めて敵と認めた。
有象無象のゴミから、倒すべき雑魚として。
「――挑んでやるっ!」
しかし直後、少年が持っている剣の異常性に気づき、ギニーは、人々は、その表情を次第に歪ませていく。剣に乗せられた青く光る魔力は聖属性の魔力。これを持っている存在はこの世に一つしかない。だからこそ、ギニーは焦りを露わにし、目の前で不敵に笑った非常識な存在に問わねばならなかった。
ここは、ディストピア。
人々の暮らしは称号によって管理され、自由と権利は制限される。
魔神が支配して千年。
この世界に数多の勇者が生まれ、そして敗れてきた。
だが、勇者たちの反撃は始まった。
これは、五人の勇者の。
「何でてめえがその称号を持ってるっ!? 『勇者』ぁぁあ――っ!!」
――否、「六人目」の勇者の物語。
【『勇者』】
千年前、ボウンダルという名の神がいたの。彼は魔神が称号システムを運用開始するタイミングを見計らって、システムに希望の種を紛れ込ませた。そうして『勇者』の称号が生まれたんだよ。聖属性の魔力に対する適合があるかが人が生まれたタイミングで本来は決まるんだけど……沙智、あんたまた『編集』で何かしたの?
※加筆・修正しました。
2020年7月24日 一部キャラの口調変更




