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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
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第二十話  『もう少しだけ傍にいたい』

◇◇





 少女は誰にも言えない秘密を抱えていた。

 この世界で忌み嫌われる存在だった少女は、誰かとの繋がりを求めて正体を偽った。その代償にひょっとしたら自分の秘密が勘付かれているのではないかという疑惑を常に抱えることとなる。いずれ少女は羽化し、自我を失ってようやく繋がれた誰かさえ傷つけてしまうかもしれない。それでも少女は望んだ、もう少しだけと。


 少年は心の奥底に孤独を抱えていた。

 自身を「なんちゃってコミュ障」などと称してふざけながらも、少年は他人の繋がりを密かに羨んでいた。環境が変わり、必要に迫られて話すようになった少女らに、だが少年は困惑を覚える。どうして彼女らはこんな自分に優しくしてくれるのだろうか。やがて少年は彼女らの優しさの裏を探るようになる。誰かと繋がれたことへの、矛盾した幸せを感じつつ。


 不運だったのはそのタイミングが重なったことである。

 しかし、それは決してあり得ぬものではなかった。


 逆回転する歯車はいつか衝突して火花を散らすものである。もしそこに決まった方向へ流れるための法則が、関係性が明確に成り立ってさえいれば、その歪は多少の小競り合いがあったとしても容易く解消される。


 しかし、少年と少女の間にはそれが無かった。

 それだけの話だった。





◇◇  沙智





 白い五枚の花びらが印象的に咲いた紅いお守り。

 掌に灯る温かさが明かりのついていない部屋の隅々にある数々の思い出たちを代表して佇む俺に問いかける。


 信じたいんだろ?


 騙されて利用されて、そんな未来が俺はどうしても怖かった。

 だから信じていたいと願う気持ちに被ったのは疑う仮面。

 

 お守りに込められた願いをその右手で握り潰し、覚悟を決めて俺は大きく振りかぶった。空を切って闇を舞い、拒絶の印はバルコニーの手すりに器用に座って満月を眺めていたステラの背中に当たってするりと落ちた。足元に視線を遣ったステラは信じられないものを見るかのように動揺して硬直している。


「俺はお前の秘密を知ってるぞ、ステラ――!」


 裏切られて傷つくのはもう嫌だ。

 だからこそ、俺がステラを信じたいと強く願うその象徴を投げ捨てた。

 パサパサになった舌の渇きを感じながら、握りこぶしを震わせて思い切り叫ぶ。


「お前は、嘘をついてるな!?」


 もしも間違ってたなら後で謝れば済む話だ。

 部屋に入る前に自分を納得させたはずなのに、投げかける度に言葉の針は自分の胸をチクチク刺して、一音一音が口から外に出ていく度に、心から大事な何かが溶けて消えていくような感覚に陥る。


 頼むから、否定してくれ。

 何するのよって、怒ってくれ。


 キャロルやギニーと共謀し、事件の濡れ衣を俺に着せる事。

 思い描く推測を馬鹿げてると笑ってくれ。


 逸る気持ちを抑え込み、集中が途切れないように注意しながら一人の少女の背中に無言で焦点を合わせ続けた。釈明でも、嘲笑でも、決して聞き逃さぬように。抑えきれない希望が誤って口から飛び出ぬように――。


「そっか、バレちゃったか」


「――っ」


 赤く染まった海に黒い波紋を生む一滴。

 動揺する様子もなく俺に背を向けたまま零すたった数音の響きに、小指の先まで緊張で石のように凝り固めていた力がふっと抜けたのを感じた。そして徐々に擦り減って空になった心にステラの音がひっそりと物悲しく、しかし確かに意味を伴って溶け込んでいく。


「根本的に違う生き物なのに、望んだ私が悪かったんだよ」


 どうしてなんだ。

 一緒に分かち合った楽しみも、乗り越えた苦しみも、全部嘘だったのか。

 全部、仮面を被った演技だったのか。


 絨毯に接地している足の感覚は失われ、体中が汗でベトベト、まるで服のデザインのアイスクリームが溶けたみたいだ。小刻みに肩を震わせ、血が滲むほど拳を固く握り締め、胸に生じたのは推測が当たったことへの喜びでも怒りでもなく、行き場のない虚しい悔しさだけ。


「やっぱり、お前は」


「お察しの通り、私は」


 動揺を鎮められず目玉を引ん剥いて、絞り出たガラガラ声。

 信じていたかったのにと虚しく願う俺の視線の先で、彼女は初めて顔を動かした。胸のドキドキが最高潮になって身体の隅々まで震わせ、視界に揺れ動く赤い後ろ髪が月へ払われた時、彼女の素顔が素顔がようやく明らかになる。


「――私は、『魔王』だよ」


 蔑むように嘲笑う彼女でも、正体を嘘を破られたことで逆上する彼女でもない。瞳が捉えたのは、目尻に涙を浮かべて自嘲気味に微笑むステラだった。

 想定外の事態に思考は暗幕を下ろされたかのように停止する。


 分からない。

 彼女の数節から成る自白が何を意味するのか分からない。

 ただ俺は、俺は、何か。





 取り返しのつかない失態を、演じた気がする――。





「一昨日の夜は堂々とメニューを開いて無防備だったもんね、私。バルコニーの戸を開けようとした時に『魔王』って称号があるのに気づいたんでしょ? 怖くなったからあなたは昨日いきなり別行動しようって言い出して――」


「ちょ、ちょっと待て!」


 俺が呆けているのを良いことに物悲しそうな声音でつらつら話を続けようとする彼女を慌てて制止した。薄暗い部屋から月明かりを目指す途中でピタリと死んだ右腕を、血と熱が通う声帯から外気を目指す途中で麻痺してあわあわと震える音なき声を、俺という存在から止め処なく溢れる動揺を前にステラは首を傾げる。


「沙智?」


「お、お前は……何を言ってるんだ?」


 何とか振り絞って出せた掠れてみっともない声にも新たな意味はない。

 また別の形で無理解と動揺を具現しただけだ。


「え? だって私のヒミツを知ってるって……」


 秘密……。

 そう、秘密だ。


 優しく接することで信頼を勝ち取り、この国に縛り付けて行動を共にさせる。トオルとの行動も視野に入れながら、俺から用意可能なアリバイを一つずつ確実に奪って、最終的には事件の濡れ衣を着せる。そんな悪意が彼女の秘密なのだと俺は思っていた。


 だが蓋を開けてみればどうだろう。

 ステラは今も困惑して目をパチクリとさせているではないか。これも何かの演技かと疑おうとしたが、彼女の素直に応じる態度がその思考の邪魔をした。彼女は確かに秘密を認めたのだ。俺が想像していたものとはまるで異なる秘密を。


 やがて彼女の瞳で揺れていた困惑の光はふと固まり、受け入れがたい衝撃を伴って彼女の奥底へと溶け込んだ。そのまま手すりから降りると、いきなり額に手を添えて壊れたように笑い始める。


「はははっ。とうとうやっちゃったかぁー」


「は?」


「まだバレていないのに疑心暗鬼になって自分から正体を明かしてしまう……私はそんなヘマ絶対にしないと思ってたんだけどなー」


 首飾りの琥珀を胸元から摘まみだして月にかざす少女の後ろ姿は随分とさばさばとしたものだった。太陽のうざったい蒸し暑さと違って、満月は俺の頭に上った血を急速に冷ましていく。


 全てがステラは“敵”だという俺の推測を否定していた。

 同時に全てが『魔王』だという彼女の自白を肯定していた。


「お前が……俺に出会った日に優しくしてくれたのは……?」


 その自白が彼女にとってどれだけ意味のあることなのか、『魔王』というものが称号であることさえ知らなかった俺には到底理解しえない。ただ自分の早とちりを笑いながらも小刻みに震える切実な彼女の後ろ姿を見ると、自分の推測が正しいのだと無理やりにでも証明したくなった。


 その方が、彼女にとって救いがあるような気がしたから。

 その方が、自分にとって被害が少ない気がしたから。


 無条件の優しさは存在しない。

 もし進展しない宿探しで途方に暮れていた俺に声を掛けてくれた理由をトオルのように説明できないのなら、きっと今の自白を嘘にできる、そう心に言い聞かせた。


「私が『魔王』だと知って、友達だと思っていた子たちが見る目を変えていくんだ。この称号を持ってるだけでどうしてって……自分が誰かを憎もうとしていることに気がついて無性に怖くなった。だから誰とも関らないと決めた」


 そう語る彼女の拳には薄っすらと筋が入る。

 彼女にとって思い出は必ずしも温かいものではないのかもしれない。


「実はね、あなたに出会ったあの日、私は呪いの事を本当は知ってたんだ。誰かを憎んだまま死にたくない。せめて死ぬ前に最後に誰かに優しくしてみたい、その相手が偶然見つけたあなただった」


「……俺?」


「そうしたらあんたは必死に走って私を助けちゃうんだもん」


 解術ポーションを求めて真夜中にはずれの町を駆けた時のことか。

 ならあれは別にステラを想ったからじゃない。助けようとせずに朝を迎えて、何もしなかったことを後悔するのが嫌だっただけだ。


「もう誰とも関らないと決めたのに、あなたはこの世界の事にあまりにも無知で、放っておけなくて……いつの間にか繋がってしまった。魔王だってバレるのが怖かったけど、でもね……」


 彼女は俯いて一呼吸置くと、また月を見上げてそれは心惜しそうに。


「――楽しかったんだ」


「――っ!」


 波紋、それはやはり赤くどこまでも。

 心に芽生えた果てしない黒きをその切ない響きはついに消滅させた。


 この言葉が嘘でないくらい馬鹿でも分かる。

 楽しかった――とてもシンプルに胸に響いたのだから。


「で、でもお前は悪いことを企んでる魔王じゃないんだろ? だったら普通に接してくれる人が他にもいたって……」


 どうにかして彼女の言葉に一つでも嘘を見つけようとした。

 それが無意味で、誰も望まない足掻きだと知っていたはずなのに。


「魔王はね、レベル30になると羽化するの」


「……ユニークスキルとかが手に入って強くなるんだろ?」


 キャロルからその話は聞いた。

 魔王はレベル30になると絶大な耐久力の代わりに強力なスキルと無限の魔力を手に入れる。それは蛹の背が割れて、そこから毒蛾が羽を広げるように。


「同時に魔神の意思に逆らえば“意志統制”が行われる」


「意志統制?」


「魔王に屈したくない――そう思ってる私は、羽化と同時にあらゆる人格を壊されて暴走するんだ。これはこの世界の常識。それこそあなたみたいな異世界人じゃなければ爆弾を背負った私に話しかけようとは思わないよ」


「…………」


 彼女の言葉には思いの他悲壮感がなかった。

 呪いによる死を受け入れようとした彼女の事だ。きっと意志統制も避けられない運命として遠い昔に納得してしまったのだろう。


 いつか自分が自分でなくなる日を彼女はどんな思いで……。


「嬉しかったんだよ、本当に。断らなきゃいけなかったのに、あなたが一緒に行こうって言ってくれたことがとても嬉しくて、あなたとトオルと三人で笑えることが楽しみで――ダメなのに望んでしまったんだ」


 いつか理性というトリガーが奪われて爆発する時限爆弾。

 その粉塵に俺たちを晒してはならないと心で分かりながらも、彼女はどうしても俺たちに秘密を作り続けた。たった一つの叶わない願いを胸に秘めて。


「もう少しだけ傍にいたいって」


 彼女が俺に優しく接してくれたのは、トオルと同じ我が儘。

 ずっと一人で生きてきた少女の寂しさの裏返し。


 これが、これだけが世界で一つの答えだった。

 赤い波紋、信じていたいという願いを無視したのは俺だった。


「だから、これでお別れ」


「――え?」


 予感はあったんだ。

 誰かとの繋がりを求めて『魔王』を隠そうと仮面を被った少女。

 その仮面が破れたなら、もしかすると……。


「私はもうすぐ羽化しちゃう、そんなレベルなんだ。お別れの手紙も本当はもう用意してた。私の我が儘な願いであなたたちをこれ以上危険に晒す訳にはいかない」


 何だかステラの背中が遠くへ離れていくようで、ふらつく足で一歩、一歩と追いかけた。急速に脳に数々の思い出が蘇り叫び出す。この言葉を何としてでも止めろ、これは彼女の結びの挨拶なんだ。


「俺はお前が魔王でも――」


 色眼鏡で見たりしない。

 呼び止めるその声を塞いだのは過去の俺だ。


 ――誰が望んで魔王なんかに会いたがるんだよ。


「お、お前の願いはどうなるんだよ! 傍にいたいんだろっ!?」


 どの口が今更「願い」などという言葉を使うのか。

 みっともなく、都合のいいだけ。


「願いかあ」


 その証拠に彼女の声は揺らがない。

 ただ淡々と、物思いに耽るように月を見上げる。


「ねえ、覚えてる? あなたにヒミツしてた夢があったこと」


「あ、ああ」


 急に何だと思いながら頷くと、ようやくステラが振り向いた。

 綺麗な赤い髪が月の光を浴びて艶やかに靡き、薄暗い夜を拭ってまた秘密を解き明かす。その表情を前に俺はとうとう彼女を呼び止める言葉を見失った。


「私ね、普通に生きてみたかったんだ」


 無理に笑顔を浮かべながら、頬を伝っていく一筋の涙。

 初めて見る、彼女の涙。


 先に拒絶を告げたのは俺だ。

 お前をもう信じられないと――紅いお守りを投げつけたのは俺だ。


「今までありがとう。もし来世でまた出会うことがあったなら……その時はもう走っちゃダメだよ」


 ステラはそう言って無理に微笑むと、手すりを飛び越えてバルコニーから姿を消した。どれだけ彼女の赤い髪が月夜に鮮やかに光っても、激しい後悔の暗闇の中でその輝きを見つけることはできない気がした。


 代わりに見つけたのは、テーブルに無造作に置かれた一冊の日記。





『八月十三日


 ギニーと名乗る『魔王』の称号を持った男が自分と手を組まないかと訴えかけてきた。きっと彼は今ジェムニで起きている事件に関わっている。私は彼に間違ってると伝えたい。


 でもね、上手く言えるかな?

 沙智やトオルに正体が知られることを恐れてる私が、分かってくれる人もいるんだよって言えるのかな?


 ねえ、私はどうしたらいい?

 どうしたらいい?』





 満月の明かりと部屋の暗闇に引かれた明確な一線。

 なぜ疑うことしかできなかったのか。


「馬鹿だ、俺……」


 日記をくしゃくしゃに顔に押し当てて俺は暗闇に一人、もぬけの殻となったバルコニーから吹き続ける夜風の寂しさを浴び続けた。





◇◇





 少女は誰にも言えない秘密を抱えていた。

 『魔王』であることを隠し、少女は仮面を被る。普通の人々に溶け込むために笑顔を作って通行証をかざす。少女は幸せだった。だからこそ、自分の身勝手な嘘で優しく接してくれた人が傷つくのは耐えられなかった。少女は別れを決断する。


 少年は心の奥底に孤独を抱えていた。

 キャロルの豹変で、信じて裏切られることの辛さを知ってしまった。初めから信じて裏切られるくらいなら、鎌をかけて本性を炙り出してやる。自分の推測が誤っていたら後で謝罪すればいいだけだ。少年は自分の中に芽生えた少女への思いが崩れ去るのを耐えられなかった。疑う仮面を被り、見つけたのは修復できない溝だった。


 衝突した思いはもはや止まることなく回り続け、ついに瓦解した。

 しかし、それは決して予期せぬ暴走ではなかった。


 逆回転する歯車はいつか衝突して火花を散らすものである。もしそこに決まった方向へ流れるための法則が、関係性が明確に成り立ってさえいれば、その歪は多少の小競り合いがあったとしても容易く解消される。


『――ねえ、沙智。私たちってどういう関係?』


 しかし、少年と少女の間にはそれが無かった。

 それだけの話だった。


【ステラと沙智の関係】

 お兄さんとステラはお互いに素直になろうとしませんでした。出会いからして軽口を叩き合っていたせいでしょうか。お互いに山ほど感謝もあったでしょうに、今のなあなあの関係で満足してしまったんです。踏み込む勇気がなかったから。……ステラ、早く帰ってきてくれないとこのコーナー潰れちゃいますよ?



※加筆・修正しました。

2019年9月10日  加筆・修正

         ストーリーの補強・変更


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