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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第一章 はずれの町
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第四話   『神様なんているはずがない』

【異世界】

ステラ「今日はあんたに質問です!」

沙智「お、逆のパターン!」

ステラ「異世界ってどんなところ?」

沙智「魔法はないけど宇宙にも行けるところだ!」

ステラ「え、いいなあ」

沙智「(誰でも自由に行けるって思ってそう)」


 そうだな、『解術ポーション』代を支払う目途があるなら、約束の夕方まで時間もあることだし、少しだけ俺の身の上話を聞いてもらおうか。

 どうせなら、気分を味わえるように詩的に話してみよう。

 いつものように放課後、神社に集まって、友人主催の勉強会に参加した俺の目の前に、あの女神は現れたんだ。


 凛と鳴り響く、ファンタジーを引き連れて。





※※※





 俺の家の近所に高台があって、長ったらしい階段を上ると、そこには誰が管理してるかも分からない古い神社があるんだ。鈴草神社って言うんだけど、鳥居の脚の片方だけが後から造られたのかやけに真新しい、人なんてほとんど来ないような寂れた神社なんだ。

 そこが、放課後、俺たちがよく集まる場所だった。


「――ああもう、対数ってマジ何なんだ! 伊吹、小学生でも分かる説明をオレとサッチにくれえええ! このグミあげるからあああ!」


「ジョン・ネイピアの画期的な発明だよ」


「分かりやすいけど何一つ分からない!」


「っていうか優斗、俺その範囲なら終わらせてる」


「うわ裏切者!」


 優等生の椎名伊吹が、成績ドベ三人組の俺、竹下優斗、三島明菜の三人を集めて勉強会を開いていたのだ。俺たちは勝手に「伊吹の頭のおかしい勉強会」と呼んでいた。いつもここで、にっこり顔で圧を飛ばす伊吹に、俺たち三人が課題から逃げないように見張られていたんだ。

 ええ、馬鹿ですよ。悪かったですね!


 ただ、伊吹は非常に柔軟な性格だった。


「伊吹、オレもう限界なんだけど!」


「私もー!」


「じゃあ一旦息抜きでもしようか」


 俺たちの集中力はそう長く続かない。優斗が駄々をこね始めると、お遊びタイムに突入するのがいつものことだった。

 いつも色々な遊びを優斗と明菜が率先して持ってくるのだが、その日は缶蹴りだった。高校三年生にもなって子供っぽいって思うかもしれないけど、伊吹も「程よい運動は寧ろ良い」って太鼓判を押していたから、俺も気にせず遊んだ。


「鬼は明菜だね」


「あー、確かに明菜は鬼っぽいわ」


「さっちー!!」


 怖い顔でカウントダウンを始める明菜から逃げるように、俺は神社の裏手へと移動した。俺は缶蹴りでは、かくれんぼのように永遠に潜み続けるタイプなんだ。

 神社の裏手は、背の高い雑草がふんだんに生い茂っているので、身を隠すには打ってつけだった。何より、虫嫌いと名高い鬼役の明菜が、夏の雑草地帯に率先して入ってくる訳がなかった。

 あんたずるいって? まあまあ。


 今にも壊れそうな神社の木壁を背にゆっくりと屈み込み、俺は通り雨が過ぎ去るのを待つようにゲーム終了を待った。


「――ポテンシャルはあるのに勿体ない、か」


 これは、その日に、対数の課題を一人だけさっさと終わらせている俺を見て、明菜が呟いた言葉である。実際は分からない箇所を放置して、適当に進めただけの雑なお仕事だったのだが、彼女は勘違いしたようだった。

 その言葉自体、思うところは何もなかった。


 ただ、その次に発せられた言葉にもやもやしただけで。


「あ」


 そんなことを考えていたせいで、筆箱に入れ忘れて手に持ったままだったペンをコトリと落としてしまったんだ。

 それを屈んで取ろうとした時、気がついた。


『TSKT』


「おいおい、神社の壁に落書きか?」


 石で削ったのか、やや歪な文字。ひらがなでもカタカナでも漢字でも、ましてや英語でもない。だけど子供のお絵かきにしては妙に整っていて、文字らしく、何らかの秩序立った法則に従っているように俺には思えたんだ。


 最初は優斗の仕業かと思ったんだけど、あの男なら落書きした次の日には、ピンポンダッシュに成功した悪ガキのように自慢するはずだと、すぐに思い直した。

 それによく観察してみれば、傷口には砂煙が溜まっていた。刻まれてからそれなりの年月が経過しているようだったんだ。


 まあ問題は、これを発見した俺の行動だ。


「けしからんな! うん、けしからん!」


 嬉々として、持っていたペンで落書きを追加。

 本当に馬鹿な真似をしたものである。


「みんなには秘密に――」


 この時の俺は、何も知らなかったんだ。

 何気ないこの落書きこそが、トリガーだったのだ。

 ファンタジーへの扉が、開かれる。


「え?」


 ほら、耳を澄ませて。

 始まりを告げる音がやって来た。





『――――』





 鳴り響いた音は鈴の音色のように甲高く、だけど鈴に感じるような清涼なハーモニーはまるでない乱暴な音だった。あらゆる境界線をめちゃくちゃに破壊して、けたたましく暴力的に空間を支配した。頭が破裂するような高音。俺も慌てて耳を塞いで目を瞑って蹲った。それでも音波は、手の甲冑による柔い防御を容易く突破して鼓膜を何度も叩きつける。そんな時間が数分続いて、音は突然鳴り止んだ。


 突然のことで、本当に訳が分からなかったんだよ。

 何とか状況を確認しようとしたら、驚いた。


「今の音って何だったん……え?」


 世界が、青く凍り付いていたんだ。


 風に揺れていたイカリソウは今やピクリとも動かず、花の近くを飛んでいた一片の蝶は宙に浮いたまま動かない。蝉も烏も一斉に合唱を止め、遠くから聞こえていた踏切の音も止まっていた。俺たちみたいに鬼から逃げている訳でもないのに、まるで動いたら掴まると言わんばかりに、ピクリとも動こうとしなかった。

 そして、全てのものが青みがかって見えた。まるで景色と目の間に、青い半透明のフィルターを挟んだように。

 時間が止まって、青く色づいていたんだ。


「そ、そうだ! 明菜たちは!?」


 訳が分からないままに必死に考えて、俺は同じく神社にいたはずの友人たちを探そうとしたんだ。

 みんなが「何変なこと言ってるんだ?」と言いたげな顔さえしてくれれば、全てを夢だと思える。そんな気がしたから。


 でも、その青い世界で最後に見た顔は友人の顔じゃなかった。


「――見えたんだ」


 振り返ると、少女はそこに立っていた。


 透き通るような青い紗彩模様の着物を羽織り、肩にかかる黒い髪は清涼な川の流れのように波がかっていた。その面立ちはどこか亡くなった母を思わせる、優しそうな少女が、背後で、俺の足元にある落書きを見て目を細めていた。

 一体いつからそこにいたのか。警戒する俺に、少女は笑った。


「ま、いっか」


「あんた、誰?」


「私のこと?」


 自分を指差して微笑む少女に、他に誰がいるんだと叫びたくなる気持ちを我慢できたことだけは、当時の俺を褒め称えたい。

 尤も、この後で散々無礼な発言を繰り返してしまうんだが。


 少女は、どう名乗るのか少々迷った様子だった。

 口元にあざとく指を当てて――。


「あれ?」


 その仕草に、何か強烈なデジャブを感じた気がしたんだ。この少女と、どこかで会っていたような。が、それについてはまあいいだろう。

 多分、一瞬生じた緊張の解れを何かと勘違いしたんだと思う。


 少女は悩んだ末、こう答えた。


「私は神様、かな!」


 そう、俺がよく口にしている自称女神の登場だ。


「――――。ぷふっ!」


「ああ! 信じてないでしょ!」


「当然。――ぷぷぷ!」


 勿論、俺は信じなかった。言うに事を欠いて何を言い出すのだろうか、頬をぷっくら膨らませるこの自称女神様は、という気分だった。

 魔法が普通にある世界で暮らしてきたステラには不思議だろうけど、俺たちの世界には魔法なんてなかったんだ。神様や妖精が空を舞うお伽の世界じゃなくて、ジョン・ネイピアが対数を発案するような数式で科学を解き明かす世界。そのせいで優斗は今日の課題を半分も終わらせられなかったのだから。


 要するに、「私神様です」なんて言う人は相当変ってこと。

 まあ、だからと言って笑い過ぎたと今では思っているよ。


「で、その神様が何の用で――」


 言葉の途中で、機嫌を損ねた少女がパチンを指を鳴らした。

 そして、初対面の相手にしては流暢に回っていた舌が、僅かな空気の質の変化を感じ取って、途端に動かなくなった。

 理解が追い付かなかった。いや理解したくなかった。


 あろうことか、少女は証明しようとしたんだ。

 自分が、普通ではないことを。


「人は魔法に憧れる。気球や飛行機なんてなくても自由に空へ飛び立つ羽があればそれはどんなに素敵なことか。夢のようだと思わない?」


「――――」


「ね、高所恐怖症の七瀬沙智さん!」


 空気の質の変化。視界の変化。覚束ない足の感覚。

 そして、嫌な単語を出して微笑む悪魔。


 俺は、瞬時に自分がどういう状況にあるのか悟った。

 見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。

 意識レベルではそう警戒を繰り返しても、目が状況を確かめずにはいられなかったんだよ。顔を下に向けて、頭が真っ白に。

 更には、声にならない悲鳴。


 ああ、本当に高いところは駄目なんだよ俺。


「――ッ! ――――ッ!」


 声を出そうとしても、出なかった。もしも先程までの意趣返しに、ここから突き落とされたらと思うと、声が出るはずもない。

 まだ神様というのは信じられなかったが、無礼だけは全力で謝りたい。だから突き落とさないでくれと祈った。もう全力でな。


 だが幸い、少女は俺が思っていたほど幼稚ではなかったんだ。


「つい意地悪してごめんね。神様っていうのがどうしても信じられなかったら、名前でサクって呼んでくれてもいいよ」


 自称女神サクは、友達に謝るような気軽さだった。とりあえず一心不乱に頷きたい気持ちを眼力に乗せて訴えると、サクは楽しそうに笑った。

 いや、ちょっとでも動くと落ちそうな気がしたので。


 俺が話を聞く気になったと分かったサクは、まっすぐな目でこちらを見て、パチンと両手を重ね合わせた。


「では、自己紹介も済んだところで本題ね。あなたには、神社に落書きをした罰を受けてもらいます!」


「へ?」


「――あなたには異世界に行ってもらいます!」


「ホワットォ!?」


 次から次へと、もう訳が変わらなかった。浮遊感の気持ち悪さも相まって、理解が追い付かなかったんだ。

 その証拠に、この時の俺は考えなしにものを言っていた。


「ま、待って! 俺は神社に落書きなんて――!」


 遅れて頭に浮かんだ、数分前の出来事。

 嬉々として刻んだ『読めん』の三文字。


「したな」


「したでしょ?」


 しました。


 言葉を失くしてしまった俺は、ふと嫌な推測が浮かんだ。神社に落書きした人物が異世界転移の罰を受けるというなら、俺の前に謎の文字を落書きした先達は一体どうなったんだろうかと。その人物も異世界へ飛ばされたのではと考えると、何だか妙に現実的な思考が追加されたように感じて、笑えなくなったのだ。

 いや、宙に浮いている時点ですでに笑いようもないのだが。


 サクは、指をくるくる回しながら説明を続けた。


「ただ、厳しい世界にこんな平和すぎる国の人が行くのは危険なの。だからあなたには私から『祝福』として何らかの力をあげるわ。何か希望があれば言って。都合の良いスキルとかがあ・れ・ば、望み通りあげるわ」


「え、なければ?」


「ふふふ、ふふふふふふ!」


 サクの嫌な言い方のせいか、それとも感覚が麻痺してきたせいか、多少の受け答えはできるようになっていた。そして、訳の分からないことばかり言われていたせいか、すぐに理解できる事柄に関して俺の反応は早かった。


 ――ああなるほど、よくある異世界テンプレか。


 ステラは馴染みないだろうけど、異世界転移みたいなジャンルの創作物は、結構俺たちの世界にありふれていたんだ。

 そういう創作物を見るのは好きだったから、自称女神が言う「祝福」というのがどんなものなのか、ちょっとだけ興味を持った。

 そう、興味を持ってしまったんだ。本来なら、何とか言葉を尽くして罰自体を解除してもらうべきだったというのに。


 異世界というジャンルへの興味が、憧れが、俺の口を滑らせた。


「ゲ、ゲームのプレイヤーみたいにその世界のドキドキは楽しめるけど体は傷つかない、とかってできる?」


 支離滅裂。今になっても、何を要求したかったのか分からない。

 そもそも、神様がゲームのことを知ってるのかも考えない。


「キャラみたいに大怪我とかしたくないってこと?」


 まあ、知っていたようだったが。


「怪我したくないってのはそうなんだけど、鉄壁の防御力が欲しいとか、トカゲみたいな再生能力が欲しいとか、そういうのじゃないんだよ! こう、何というかだな、本物のゲームプレイヤーみたいに、その世界観から一歩離れた位置で楽しめるような創意工夫をよろしく、女神様!」


 こんな時ばかり相手を持ち上げて、親指を立てた俺。

 高いところに長居し過ぎて、壊れたんだと思う。


 ――良かったな、宙にいるのに笑えたぞ俺!


「――――む」

「――――♪」


 自称女神サクと俺は、しばらく宙に浮いたまま見つめ合った。難しそうな顔のサクと、大船に乗った気でいるニコニコ顔の俺。

 吊り橋効果にはこれでもかと言うほど、とても緊張感を共有できるシチュエーションだが、残念なことに恋は始まらない。


 しばらく経って、少女はにこやかに微笑んだ。


 すっと差し出されてきた掌に、俺は小さく鼻息を鳴らして応じる。罰は嫌だが事ここに至っては仕方がない。受け入れるしかないだろう。

 人は、罪を認めることで前に進める。「過ちて改めざる是を過ちと謂う」と、孔子も言っているのだから、仕方ない!


 浮ついた心で、サクの手を取って――。 


「じゃあ、あなたを異世界へ送ります!」


「えええええ!?」


「行ってらっしゃい!」


 それまでのやり取りは笑顔でなかったことにされ、少女が手を振ったのを合図としたかのように、またあの甲高い鈴の音が鳴った。

 視界が激しく歪み、俺を宙に縛り付けていた支えは失われ、果てしない時空の疼きとともに俺の悲鳴は消えていった。


 視界が閉じる直前、サクが何かを言っていた気がした。それが何だったのかは全く思い出せないんだが、その時、俺が考えていたことはぼんやり覚えている。

 課題を一早く終わらせた俺に、ポテンシャルはあるのに勿体ないと発した友人の言葉。もしも俺に目指すべき目標が見つかれば、きっと今よりも頑張れるはずだよと応援してくれた、友人の言葉。


 そして。


 ――見つかると良いね、未来の自分への羅針盤が――


 俺をもやもやとさせていた、あの言葉だった。


※加筆・修正しました(2021年5月21日)


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