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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
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第十八話  『君の優しさを疑いたい』

 午前九時になり、電子モニターは速報を映し出す。

 休憩所に集まった誰もがその身だしに注目する中、一足先に宿を出て連れをベンチで待つこの少年だけがニュースに背中を向け続けていた。


『駐屯所でロープに吊るされた軍人の遺体発見。床には大きく口を開いた化け物の絵。芝の公園に冒険者を遺棄した犯人と同一人物による犯行か?』





◇◇  沙智





『魔王玉サエ手ニスレバ一度隠レルトシヨウゼェ?』


『ナラ私タチガ容疑者トシテ注目サレルノハ困ルナァ』


 キャロルは国を滅ぼすなどと大袈裟なことを言っていたが、魔王が大手を振って歩けば勇者たちの目の敵にされることくらい理解しているはずだ。ならばあれは俺を脅す方便。魔王玉を回収し次第、彼らは再び陰に身を潜めるつもりだろう。そのためにはジェムニ国軍の目が自分たちに向かないように、ゴーストライターならぬゴースト「キラー」が必要だった。


『任セテ。私ガ連レテキタ奴ニ濡レ衣ヲ着セテシマエバイインダヨ』


 そこでステラの出番である。

 キャロルとギニーと協力関係にあった彼女の役目は、はずれの町からゴーストキラーの候補を見つけ出し、ジェムニに連れてくること。はずれの町には貧しく、素性が知れない人も多くいるだろう。そういった人間には罪を擦り付けやすい。


『ヤッホー。俺ノ名前ハ七瀬沙智、異世界人デス』


『嘘ツキサンハ一人デ勝手ニ……アレ、チョット待テヨ』


 そんな折に現れたのが俺だ。

 異世界から来たと妄言を吐き、全く素性が分からない放浪人。濡れ衣を着せるのにこれ以上の存在がいるだろうか、いや、いない。ステラもその事に途中で気づいたから、あれだけ渋っていたジェムニへの同行を決意した。この男を殺人犯に仕立て上げられるかもしれないと腹を黒く染めて、彼女は笑ったのである。


『異世界人トカ言ッテル馬鹿連レテキタ』


『危険人物ジャナイナラ利用シヨウ。ステラモ悪ヨノウ』


 合流したステラがキャロルらの計画の進捗を聞く機会は充分ある。俺の目を盗んで旅館でキャロルと話し合う時間は度々あっただろうからな。


 以上が俺の推測である。

 自分でも気味が悪いほど筋が通っているように思う。


 遅れて通りにやって来たステラは朝から俺の疲れを気遣うよう優しく微笑みかける。思い返せば彼女の笑顔を胡散臭いものが多かった。その偽りの優しさで俺が逃げ出さないよう囲いを作る。


「今夜は満月だ……」


 絶対お前の思い通りになんてなるものか。

 その狡猾な形だけの優しさで騙して俺を犯人に仕立て上げようというのなら、こっそり準備を進めて今夜、ロブ島へ発ってやる――。


 疑心に満ちた心は、どうしようもなく真っ暗な海だ。





§§§





 まずは雑貨屋を巡りたいと希望したステラに俺も頷いた。

 彼女が何を企んで提案したかは分からないが、ロブ島への旅に必要なライターや方位磁石などの小物を粗方揃えることができたのだから痛み分けだ。どこで昼食にしようかと腹を鳴らすこの間抜けには、右手に掴むぶ厚い紙袋がこの国から逃げ出すための具材で腹を膨らませつつある事に気づくまい。


「沙智おいで。お昼はこの店にしたらいいよ。メルポイの料理があるみたい」


「何っ!? ナイスだステラ、よく見つけ――」


 小さなレストランの前で手招きする彼女の言葉に俺は喜び、その感情を一秒後には炭になるまで滅した。この下種な悪女に隙を見せるな、何度も忘れないように心に刻みつける。


「いや、別にどこでもいいけど」


「えぇ……食べ物にツンデレってあんた……」


 騙されていたことで一番悔しい思いをしたのは俺じゃないか。

 ならばその優しさに決して心を開こうとするな。


 例えばこの看板の上の方に大々的に宣伝している不思議なパスタについて、ステラに何かを尋ねようと思ってはならない。確固たる意志で唇を閉ざして固めると、これについて言及したのはトオルだった。


「この『折紙パスタ』、随分と派手な色をしてますね」


「えー何々? 具材は沙智のアンテナと……」


「ステラ」


「冗談だってば。折紙パスタっていうのは北のテスル地区で一番有名な食べ物だよ。寂しい暮らしをしていた王子様を何とか元気にしようと、ある名の通ったシェフが徹夜で作ったのが始まりなんだ」


「ホント、無駄に物知りですよね」


 自分で聞かないと決めた癖に、その笑顔の説明が俺に向けられたものではないと分かると言い知れない虚しさがあった。本心を隠すようにまだ看板の前で楽しそうに話している二人を放って店のドアを開く。

 こんな事なら彼女に一つたりとも聞くんじゃなかった。


 真っ黒に歪んだ海に赤の一滴。

 広がる波紋を抑えようもなく。


『――魔法のこと、もっと知りたい?』





§§§





 昼食を済ませた後は通りで一番大きな本屋へ寄った。

 そのスペースの一角の作業台で、短冊型の透明なプレートにステラが三日月に熊が乗った絵柄のスタンプシールを貼り付ける。彼女が選んだその絵もまた数ある絵本の一ページに登場する印象的なイラストの一つだ。


「丁度可愛い栞が欲しかったところなんだ」


「押し花で作るのも良いですけど、これも絵本から切り抜いたみたいで何だかドキドキしますよね。あ、こっちの『赤鬼も泣いた』のスタンプを使ったらきっとお兄さん怖がりますよっ」


「また気絶されたら困るでしょ」


 本当に楽しそうに笑ってる。

 人を陥れようとしている悪魔にはその笑いを聞いている人間の怒りも、苛立ちも何も分からないのだろう。これ以上悪魔の隣に座っていると耳が穢れて腐り落ちそうだ。


「沙智はどういうのにす――」


 椅子をわざと強く後ろに押し払って彼女の言葉を強引に区切らせた。

 別に、違うテーブルへ何か良さそうなスタンプシールがないか探しに向かっただけのことさ。ステラの人を傷つけるだけの嘘の数百倍可愛らしいだろ?


「地図が買えたのはいいが……まさかこんなイベントをやってるなんて」


 しばらくの沈黙の後ステラたちの会話が再開されたのを背中で聞いて、堪え切れずに溜息。ステラは間違いなく敵のはずなのに、この心に生じる罪悪感は何なのだろう。どうして俺だけが苦しまなければならないのか。


「…………」


 不意に意識を攫ったのは一枚のスタンプシール。

 夕焼けと風車――この世界の童話『旅する約束』で描かれたその景色の中に、先ほど無視されたステラの赤い髪がとても寂しそうに揺れているんだ。


「ああ」

 

 指先がシールの縁に触れ、感じるままに零れ落ちた虚しい音。

 今でもこの感情を表現できるほどの語彙力を俺は持ち合わせていない。


 小さな赤い波は腐り切った海を照らしていく。

 掌で水面に堰を作ろうと、向かいから黒い波で打ち消そうと。


『――私がいなくなったら寂しいなーとか思ってたり?』





§§§





 ちらほらと劇場ホールから人が出始める。

 どうやらやっと劇が終わったようだ。


 演劇『旅する約束』、この世界で有名な実話を基にした演劇があると知ったのは本屋でチケットの広告を見つけた時だ。ステラにあんたもどうかと誘われたのだが、無論俺は首を横に振った。きっとあの悪魔は思い通りに俺を監視できなくて唇を噛みしめているに違いない。


 濁った視界の奥で人の波の中に赤い髪が淡く揺らぐ。

 出口のすぐ横で壁にもたれて待っていた俺に気づいていないらしい。どうも目が腐っているようだ。


「夢を叶える物語かー、いいなぁ」


「特に十年越しの約束を果たそうと主人公とヒロインが約束の木へ駆けつけるシーンは涙なしにはっ!」


「ははは、トオル、泣いてなかったじゃん」


「それくらい感動したということですよ。……さて、お兄さんはどこで待ってるんでしょう?」


 ここにいるよ、そう叫ぶのを俺は躊躇った。

 トオルがガラスドアを開けて駆け足で通りに出たお蔭で今はステラ一人きっり。ひょっとしたら今だけは彼女の本音のようなものを盗み聞くことができるかもしれないと思ったのだ。


 俺の監視で続いた緊張が今だけは解ける。

 人の波の中で顔を上げ、少女はやはり本音を溢した。


「……沙智とも一緒に見たかったな」


「…………」


 途端に、彼女らが劇を見ている間に増やした紙袋の重みが消えた。


 違う、あれは練習だ。

 俺といる時に彼女の悪意が漏れないよう練習しているのだ。


「あ」


 必死に言い聞かせていた時、ステラが何かを落とした。

 耳まで腐っている彼女は落下音に気づいていないらしい。


「別に落とし物を教えてやるくらい……いいよな?」


 別に彼女に優しくしたい訳じゃない。

 この罪悪感を軽くしたいと思った訳でもない。


 彼女が建物から出た後で、俺はその落とし物に近づきゆっくりと手を伸ばした。麦色のナイフケースは落ちた拍子にボタンが外れたようで、隙間から小さく咲いた短剣の柄の花柄がまた心を惑わせる。


「しんみりしてんじゃねーよ……悪口の一つでも言ってくれたら……」


 地面に短剣を押さえつけて歯を食いしばる俺はさながら沸騰する鍋で煮詰められるエビのようだ。疑っていたいとどれだけ願っても、思い出の熱が身を赤く染めていく。


 雨降る道端の水溜りのように波紋は幾つも重なって。

 もう嫌だと耳を塞いでも、記憶から蘇る幻聴を防げる訳がなく。


『――やれやれ、その武器みたいな頭のアホ毛は飾りですか?』





§§§





「楽しかったね、これで目ぼしい店は全部巡ったかな?」


「ええ、これ以上お兄さんに付き合ってもらうのも悪いですし、明日にはロブ島への準備を始めましょうか」


 宿への帰路、目の前で楽しげに話す二人に覚えた感情は苛立ち以外の何物でもない。俺の平和は昨夜突然終わったというのに、その幕閉じをもたらした元凶が今日を一番の思い出にしようとへらへら笑ってるのが癪に障る。


「ごめん、沙智はあんまり楽しくなかった?」


「別に……」


 どうして悲しそうな目で俺を見るんだ。

 また俺の心を揺さぶろうとでも言うのか。


「こんな平和も例えば魔王が登場したら塵一つ残らないんだけどな」


 醜く狂い躍り出た嫌味は自分でも驚くほど激しくドロドロしていた。

 トオルが思わず振り返って目を見張り、ステラはただただその場に立ち尽くす。キャロルらの共犯者だというのに何も言わず俯いたままのステラの態度は俺をさらに苛立たせた。


「沙智は……魔王と関わるのはやっぱり嫌だよね」


 やっと溢した言葉がそれか。

 それはまるでギニーと出くわした俺を嘲笑ってるかのようで、悪寒が走るほど胸糞悪い。おまけに腕を掴んで微かに震え、俺を案じて気遣っているかのように見せる騙しっぷりが気に入らない。


「当たり前だろ。誰が望んで魔王なんかに会いたがるんだよ」


 それ以上彼女の姿を見たくなくて、二人の間を通り過ぎて案内所の角を一人先に曲がった。あのステラの後ろ姿が本心を映したものだと錯覚するのが怖かったんだ。あの女は敵だと、そういう事にしておきたかった。


 休憩所のベンチを過ぎ、数歩進んで不意に足は止まる。

 望んでいないのに、どうして……?


「……ぁ」


 お洒落な街灯が陽炎に焼かれてみすぼらしく変容し、ちかちかと明滅を始める。三毛猫は影に覆われ体を黒く染め、いつかのハチ公のようにつまらなさそうに丸くなる。石張りの床は細かい砂へと砕け散り、空はパタリと闇に染まる。


 ここはもう、紅と始まるあのステージだった。


『――私はステラ、よろしく』


 波紋は赤く幻覚を生み出し、クスリと笑う。

 嘘つきだと思っているのなら、なぜ俺は今も忘れられないのか。


「もう……やめ、どうして……ッ!!」


 もう騙されるのは嫌だ。

 もう傷つくのは嫌だ。


 もう、信じるのは嫌なのに。


「沙智、どうしたの? 顔色が」


「話しかけんなッ!!」


 ステラの腕を激しく振り払ったのは動揺を隠すポーズだった。

 目の前で彼女の瞳が今も淡く揺れている。


 赤い波紋が広がり続ける。

 これ以上彼女の優しさに呑み込まれてはいけない、逃げ出すように通りの南へ走り出した俺の背後で聞こえたのはトオルの咳き込む音だけだった。 





§§§





『――だからあなたやトオルに出会えたことは本当に感謝しているんだ』


 赤い波紋、ただブランコに揺られているだけなのに止め処なく。

 本当は疑いたくなんてない、これが本心だから揺らぎ続ける。


 今日の夕空に綺麗な赤焼けはなく、晴れているのにどこまでも中途半端な紫が一面を支配していた。まるで太陽が、夜の検問にバレないよう明日へ逃げ出そうとするかのようだ。


 準備が済んでいつでもロブ島へ出発できるというのに、次の目的地から最も遠い南門前の広場リトルエッグで項垂れていたのは他でもなく俺だった。もう夜だと勘違いして夕空に駆け込み乗車した淡い満月の麓、赤いブランコが少女への葛藤をいつまでも揺らし続ける。


 導き出した推測が筋の通ったものだと思った。

 ステラは俺を騙しているんだと。


『――あなたが無事に元の世界に帰れますようにって』


 そんな海の暗きを照らそうとまた赤い一滴。

 嘘とは思えない温かい笑顔がいつかのように月光を浴びて、疑おうと必死で真っ暗になった心を激しく揺さぶるんだよ。揺れ動く度に苦しくて、心の奥底が焼けるように痛くて、一人になって封じ込めようとした本音はもう抑えきれなかった。


「どうしても全部が仮面だったなんて思えないんだよーっ!!」


 鎖がギシギシと軋み、勢いよく飛び散った唾が地面を濡らした。

 度重なる猟奇的な事件の影響かこの広場にはもう誰もいない。この絶叫をただ一人聞いてくれた満月はまだ透けていて、不安定な実体では否定も肯定もできない。


 どうせなら――。

 世界を焼き尽くさんばかりの怒りに支配された方が楽だったろうに。

 

「もう、いいや」


 ブランコは不意に固まった。

 こんなにも心を擦り減らすくらいなら、全て忘れてしまおう。

 出会いは月と太陽が重なるような一瞬の出来事だ。


 ロブ島にさえ辿り着ければ元の世界への道が開く。

 その時にきっと……。


「全部夢になって消えれば良いん」


「――やっと見つけましたよ」


 力なく吐き捨てた願いに答える者は唐突にやって来た。

 黄色い柵の向こう側で膝に手をついて息を切らし、少女は酷く疲れた様子だった。薄い桜色の衣装までもが困憊してよれよれになって汗を掻く。胸に手を当てて辛そうに数度咳き込むと、ゆっくりと柵の手前まで少女は近づいて来る。


「お兄さん、今日は一体どうしたというんですか?」


 荒んだ目の俺を悲しそうに睨みつけるトオル。


 月はまだ白く、その本領を発揮しない。

 しかしそれでも白く、少女の背中を精一杯照らしていた。


【リトルエッグ】

 ジェムニ神国南門前に広がる巨大な広場だね。ここはジャンブルドストリートの起点でもあって、普段はたくさんの人で賑わってるんだ。でも最近は物騒な事件のせいであまり人がいないみたい。因みにジェムニ神国の形がよく卵に例えられるんだけど、この広場が小さなジェムニ神国を模して作られたってことでリトルエッグと言います。覚えましたか?



※加筆・修正しました。

2019年9月4日  加筆・修正

        表記の変更

        ストーリーの大幅加筆


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