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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第一章 はずれの町
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第三話   『円が使えるはずがない』

 ある称号研究家は自身の著書にこう書き残したという。


『――称号システムこそが、この魔神支配世界の象徴だった』


 この世界の全ての住民にはメニューなるものが与えられている。与えられていると言っても叩けば音が鳴るような実体ではない。魔力というファンタジー物質で表示することのできる、小さなカードのようなものだ。そこには当人のレベルやライフゲージ、魔力容量、保有スキルなど様々な情報が表示されている。当然、このシステムの名の由来となった称号もだ。

 この小さな魔力のカード「メニュー」は、例えばスマホの画面と同じだ。魔力のネットワークによって、魔神が有する称号システムの中核と繋がっており、称号の付与や罰の付与なども、システムを介して行われる。


 全ての称号に破ってはならないルールがあって、ローニーやハンナお婆さんのように命を蝕むという訳では決してない。だが、少なからず人々の生活や権利を制限している称号があるのも事実だ。

 故に、世界は『ディストピア』と呼ばれるようになった。


 ――と、ここまでの概略を受けて。


「で、そのメニューってのはどうやって見るんだ?」


「指に魔力を込めて、宙に四角をなぞるの。でもホントに良いの? 普通メニューは秘匿するものなんだけど」


「どこぞの女神がチュートリアルすっ飛ばしたせいで、分かんないことだらけなんだよ。寧ろ見てくれないと困る!」


「それについても解説よろしくってことか、はあ」


 現在、実践編に突入中。


 赤毛さん――もといステラの家に招かれて、俺は夕食が出来上がるまでの間、彼女から簡単なチュートリアル講義を受けていた。俺があまりにも無知で無知で、ステラが危機感を覚えるほどだったのである。

 因みに、現在お米が炊けるの待ちだ。この世界には、冷蔵庫も炊飯器も普通にあるらしい。ありがたや文明の利器。


「――――」


 魔力というのは、ステラが言うには、俺が『呪い看破』を使った時に無意識に瞳に集めていたものらしい。その感覚は何となく覚えていたので、指先に魔力を集めるのには苦労しなかった。

 ステラに言われた通り、そっと適当なサイズの四角を宙に描く。


 瞬間、その軌跡が紫苑の光を帯びた。


「おお!」


 魔法ではないが、ファンタジー感はある。

 ちょっぴりテンションが上がってきた!


「ステラ先生」


「はいはい」


 ちょっぴりそわそわしながら、呼ばれるまで律儀に待っていたステラに表示したメニューを覗いてもらう。俺の後ろからそっとステラが顔を出す。その時、数センチにも満たない距離に赤い髪が零れ落ち、ふんわりと女の子らしい香りが漂ってくるのだ。幾ら何でも気を許し過ぎではと恥ずかしくなる距離感。


 そうしてドキドキしている俺の隣、ステラはポツリと一言。


「――何これ?」


 と、理解不明という感情を漏らしたのだった。



 個体名「七瀬沙智」

 レベル1

 称号:『渡る者』『神の罰を受けし者』

 ユニークスキル:『キャラ依存』『編集』『Undelivered』『Undelivered』

 スキル:『共通語』『呪い看破』



 俺がパッと見る限り、理解できないのはユニークスキルの欄だ。

 レベルが1しかないのは納得である。どんな勇者も最初はレベル1から世界を救い始めるのだ。それが王道、それがロマン。

 称号の欄も納得できる。いや、したくはないのだが、二つとも心当たりのある文字列だ。残念ながら。

 スキルの欄も理解できる。『呪い看破』はステラの呪い状態を見て習得できたのだろうと推測できるし、『共通語』は、ステラに会う以前に、『呪い看破』と同じく謎の女の声と一緒に降ってきたスキルだ。

 因みに、他にもライフゲージ、魔力容量、次のレベルまでの必要経験値がバーで表示されているのだが、それらもゲームっぽいなと思う程度である。


 だが、このユニークスキル欄にある四つは謎だ。なぜ『Undelivered』なる謎の表記が二つもあるのか。なぜ『キャラ依存』『共通語』の文字は、他が黒字なのに、黄色い字で表示されているのか。そもそもこれらは何なのか。

 正直に話せば、この黄色く光っている『キャラ依存』という文字列には少し思うところがあるのだが、あの自称女神の奴か?


「この物騒な称号って何? 『共通語』なんてスキルも見たことないし、珍しいユニークスキルが四つもあるなんて何で? 同じ名前のスキルがあるのはバグ? 黄色く光ってるってことは、ああいうことだけど、でも――」


 俺が雲隠れした女神を疑う隣で、ステラは許容量を超えたのか、あるいは理解できないことがあるのが許せないのか、早口で呟き始めた。

 よく分からなかったが、とりあえずユニークスキルというのが、スキルの上位版であり、珍しいものだということは分かった。


 しばらく待っていると、ステラはとりあえず理解できるところを拾って、それ以外は諦めたようだ。

 そして、何を理解できたかと言うと。


「呪いを見破ったのはホントだったんだね。ごめん」


「ふふーん!」


「ホントごめん!」


 珍しく威張れる場面だったので、遠慮なく威張っておいた。


 チュートリアル講義が一段落した頃、丁度お米の炊ける音がした。そのままステラの手料理を頂くことになった。


「大したものしか出せなくてごめんね」


「いや、助かったよ」


 思えば、十五時間振りの食事。合間、友人から貰ったお菓子で食い繋いでいたので飢餓を感じるほどではなかったが、やはりお腹は空いていた。ステラの料理が美味しかったのもあるが、少々食べ過ぎたかもしれない。

 泊めて貰ってる身だ。自重しなければ、自重。


 ポニーテールに髪を結って洗い物をしながら、満足感に浸る俺にステラが今後の方針を尋ねてくる。


「それで沙智、あんたこれからどうするの?」


「元の世界に帰る方法を探してみるよ。ステラは何か知らない?」


「うーん。この町の北にジェムニ神国っていう国があるんだけど、そこに教会があるの。古い教会だから附属の図書館に何か異世界に関する資料があるかも」


「それは良いことを聞いた!」


 俺はニヤリと笑って、頭の中にペンを走らせた。


 高校三年生、受験を控えた身としては、世の中の煩雑な事から逃げ遂せる異世界暮らしも悪くないかと考えたことはあった。

 だが、ここは魔神が支配する世界。そしてモンスターが普通にいる世界。そうと分かって、ここに留まる理由は一片もない。


 ――明日にでもジェムニ神国に行ってみるか?


 そう考えた時だった。


「ごほごほっ」


 ステラが、また苦しそうに咳き込んだのだ。


「おいおい、呪いそのままでいいのか?」


「さっきも言ったでしょ。もう遅いから明日の朝一で『解術ポーション』を買いに行くつもりだって。大丈夫だよ」


「まあ、ならいいけど」


 心配して尋ねてみたのだが、ステラは俺のメニューに『呪い看破』を見つけた時と同じセリフを繰り返すだけだった。


 実際、呪いの症状は『解術ポーション』というアイテムを飲めば簡単に治るらしいし、俺も人探しの最中に、町の入り口に荷馬車を改造して移動式店舗を構える商人らしき姿は目撃していた。

 それに、俺よりもこの世界のファンタジーに詳しいステラが大丈夫と言うならという気持ちもあったのかもしれない。


 ――その夜、ステラに異変が起きた。





§§§





「だから大丈夫かって聞いたのにいいいいい!!」


 絶叫しながら、夜を駆け抜ける。


 正直、普段の俺なら走らなかった。やるとしても、近所の人を叩き起こして、対処を全て放り投げる程度だ。この世界にもし病院と電話があるなら、連絡して大丈夫かなとそわそわするくらいだ。

 そうしなかったのは――自分でステラを助けようと思ったのは、彼女に恩義があるからだろうか。それとも、「何をやっているのだろうな、僕は」というローニーの満足げな言葉を耳にしてしまったからだろうか。


 救えるはずの命を救えず、虚無感を抱きながら同じセリフを吐くのが、無性に嫌だと思えたからなのだろうか。

 焦って走る俺には分からなかった。


「はあ、はあ、ここか!!」


 この町の西入り口。開けた通りの脇に柑橘類の実がなる古木と、腰ほどの高さの手作り感溢れる看板があるその場所に馬車は停めてあった。

 荷台の側面は解放され、緑色のカーテンが夜風に揺らぐ。


 カーテンには白字で大きく『ビエール商会』。

 ここで間違いないようだ。


「あの! 誰かいませんか!?」


 俺は息を整えて大声を上げる。夜分に申し訳ないと思う気持ちはあったが、口元に血を滲ませて返事がなかったステラを思い出すと、周りのことなんて考えられなかった。一刻を争う、そんな予感がしたのだ。

 小石を右足でぐりぐり地面に捻じ込みながら逸る気持ちを抑えていると、荷台の奥からごそごそ物音が鳴る。それから一分も経たないうちに、一人の少女がカーテンを捲って現れた。


「どうかされましたか?」


「――――」


 瞬間、瞳に映った少女に全ての意識が奪われる。


 少女の桑色の髪はウェーブがかかり、前髪は綺麗に切り揃えられている。俺よりも身長も低く、細身で、十五歳前後の可憐な少女。その容姿は何だか愛くるしいマスコットのようだ。無理やり叩き起こされたことに対する不満げな雰囲気は一切なく、ただただ目尻を擦って眠そうな少女。

 そんな少女の、その首にギラギラと。


 ――鈍く光る金属光沢。


「この世界、奴隷もいるのかよ」


 元の世界に帰りたい理由が増えた瞬間だった。


「あの?」


 俺の独り言は幸い聞こえていなかったようで、用件を言わない俺に、少女はきょとんとした目で首を傾けた。

 その反応に、俺も優先すべきことがあったと思い出して、言葉を急ぐ。


「ああえっと、夜分遅くにごめんなさい。知り合いが呪いで倒れてしまって、すぐに『解術ポーション』? というのが必要らしいんです。えっと、それでしか治せないって聞いて、だから、あの、えっと!」


 焦ってしまっては伝わらない。そう思いなるべく丁寧に話そうとしたのだが、勝手に感情が言葉に乗って暴れ狂う。

 制御できない、暴れ馬のようだった。


 伝わってるだろうかと、少女を見ると。


「――呪い、本当ですか?」


 少女は、虚を突かれたように顔を強張らせていた。


 その反応に、俺は妙な違和感を覚える。俺は人見知りだが、人見知りというのは大抵人の反応を人よりも気にするものである。俺はそうだった。つまり人間観察には慣れているのだ。この違和感は、間違いない。

 どうしたのか尋ねようとすると、丁度同じタイミングで、また荷台の奥から物音がしてカーテンが開かれた。店主らしき男の登場だ。


「どうした?」


「緊急事態とのことで『解術ポーション』が必要らしいです」


「ああ『解術ポーション』か。むー、あるにはあるんだがな」


「何か問題でも?」


 嫌な予感がして、俺は眉を顰める。

 すると店主はやはりと言うべきか、渋い声でこう答えた。


「全部売約済みなんだよ。俺らはジェムニ神国の方から大量注文を受けてやって来たんだが、まず呪いってもんがレアだ。そんなレアな症状を癒せる『解術ポーション』だって流通量が多くないから、掻き集めるのに苦労したよ」


「ええええ!? 一瓶も駄目なんですか!?」


 これはマズい事態である。店主の言いようだと、ここを諦めて他の店を訪ねたとしても『解術ポーション』を入手できる可能性は低い。

 ここで手に入れられなければ、ステラは――。


 俺は必死に頭を回した。そして考えが浮かぶ。

 それと同時に、奴隷の少女が店主に一言。


「ビエール様」


「ま、一瓶くらいいいか!」


「いいんかい!」


「人命第一ですからね」


 あまりにあっさりと融通を利かせてくれたので、思わず叫ぶ。頼むから、人を怖がらせないで欲しい。


「危うく『盗賊』にクラスチェンジするか検討するとこだった」


「おっかねえこと考えてんじゃねえぞ坊主! まあ代わりに多少値が張るのは許せよ。そうさな、六百トピアってところだな」


「む、六百トピアですか」


 店主がさっと商人顔になって売値を提示したのに対し、一度は明るくなった俺の顔色がまた悪くなる。一難去ってまた一難だ。


 トピアというのはこの世界の通貨単位だそうだ。一概には言えないのだが、大体一トピアで一円の価値があると考えて良い。だからこの店主が提示した六百トピアというのも、通常の価格がどれほどか分からない点を考慮しても、決して足元を見た価格設定ではないと分かる。きっと人命第一ということで、利益をほとんど無視して売ってくれているのだろう。怖い髭面の割に良い人だ。

 問題は、その六百トピアすら払えない、俺の財布の寂しさだ。


 繰り返すが、俺の財布にあるのは二千円のみ。しかも驚くことに二千円紙幣。珍しいと取っておいたが、日本でも一部地域では遠慮されるその紙幣が、異世界で使えるはずがなかった。


 どうしたものか、一文無しだと悟られないような顔で考えていると――。


「――――?」


 店主の陰で、妙な動きをする奴隷の少女の姿が目に入った。

 順番に指し示される指先から解読するに、「私が」「荷台のボーション」「あなたに」ということだろうか。

 呪いという単語を聞いた時の少女の反応から察するに、何か思うところがあるのかもしれない。


 有難いと思う反面、恐ろしくもある提案だ。

 この世界の奴隷がどういったものか詳しく知らないが、それが店主にバレて無事で済むとは思えない。

 ここはちょっぴり一人で頑張ってみるべきだろう。


「おっさん、後払いでいいですか?」


「何言ってんだお前?」


 店主は間髪入れずに嫌な顔をし、少女は荷台に指を向けたまま固まって目を丸くした。予想通りの反応で少し面白い。

 俺は小さく笑みを浮かべて、背負っていたリュックを手前に回した。


「このリュック、質として預けるんで、明日の夕方に返せなかったら好きにしてください。俺にとっては故郷に帰った時に必要な、大切なものなんですよ」


 お金がなかった時代、人間は物々交換をしていたという。トレードは普通等価値の物同士で行われるので、相手の物の価値が分からない場合は、どんどん相手に足元を見られることになる。しかし、店主は『解術ポーション』を六百トピアだと言ってしまった。価値の吊り上げはもうできない。

 こちらに六百円以上の価値の物があれば、トレードは成立する。


 ――俺の土俵に乗ったな?


 ドヤ顔で笑っている俺だが、トレードに乗ってこない可能性を全く考慮していない。浅知恵にも程があった。

 が、そんなことには当然気づかない。


 幸い、リュックの中には店主の気を引けるものがあったようだ。


「しゃあねえな。明日の夕方までだぞ」


「ありがとうございます!」


「おい、『ポーション』持ってこい!」


 明日ジェムニ神国に向かうという予定は狂ったが、まあ仕方ないだろう。


 念のため名前と、ステラの家の位置だけ書き記し、褐色の瓶を少女から受け取った。褐色瓶ということは光を当てると酸化してしまうのかもしれない。

 ともかく、これで無事に任務達成だ。正直、夜中に叩き起こされて不機嫌になるであろう店主から目的の品を入手できるか不安だったのだ。


 だが、その不安からも解放された!


「あー! 頑張ったご褒美に温泉に浸かりたい!」


「早く飲ませてやれ!」

「早く飲ませてあげてください!」


「あ、そうでした」


 教訓、家に帰るまで気は抜かないように!





§§§





 その後、俺が人生最速を更新するほどの見事な走りを見せたお陰かどうかは定かではないが、無事にステラを助けることができた。

 窓から差し込む日の光が優しく朝を告げ、激動の異世界生活一日目を終えた俺をほんわかと包み込む。やり切ったという達成感はあったが、同時にこんな疲れる一日は二度と来ないでくれと言いたくなるような、そんな朝。


 テーブルを挟んで座るステラは、少しバツが悪そうだった。


「ありがと」


「ご飯のお礼だ」


 素直にお礼を受け取るのが恥ずかしくて、そっぽを向いて誤魔化す。それに楽しそうな笑顔で返すステラを見て、ふと頭に過ること。

 ステラは、どうして呪いの対処にはこんな後手後手だったのだろうか。この世界の基本的な事情には相当詳しいと思ったのに。


 そのことだけが、どうも解せなくて――。


「――ねえ、聞いてる?」


「え?」


「だから、聞かせてよ」


 疑問は――。


「これまでのあなたのことをさ」


 何かを察して話題を変えたような、少女の笑顔の中に消えていった。


【解術ポーション】

ステラ「『解術ポーション』は呪いの症状に効果がある薬。何種類かの薬草をスキルで調合して作られたものなんだ」

沙智「今度からは命を大事にするように!」

ステラ「はいはい」

沙智「分かればよろしい」

ステラ「ところで沙智、あんたこれ飲み薬なんだけど、どうやって私に飲ませたの?」

沙智「そりゃ童話のように……嘘です。目薬差すみたいに頑張りました」



※加筆・修正しました(2021年5月21日)

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