第七話 『魔法を使ってみたい』
大図書館ナレージがあるというロブ島まで片道一週間。予想よりも遠い場所でないとは言え、それなりの長旅となる。魔獣と遭遇することもあるだろう。そんな時ステラたちに守ってもらうばかりでは申し訳ない。これは俺が元の世界へ戻るための旅なのだから。当然、自分も自衛の手段を身につけるべきである。
という大義名分を得た今なら臆することなく言える。
「――魔法を覚えたいんだ!」
元々臆していなかったというツッコミはいらない。
ただ今回は少しばかり本気なのである。
熱意のこもった目でステラを見つめる。
「じゃあ水辺で遊んでおいで」
「またその理論!?」
「冗談冗談。魔法はこれじゃ無理だよ」
楽しそうに俺のアホ毛を突くステラ。やはり彼女の弄りはキャロルのそれと違って周囲に悪影響を与えないので良い。
だが安堵の吐息だけで引き下がる訳にはいかない。
じっと見つめ続けるとさすがに俺の熱意も伝わったらしい。
「あれ、もしかして本気だったり?」
「当然!」
「魔法は才能勝負だからダメかもだけど?」
「お願いしますステラ先生!」
床に正座して勢いよく手を挙げる俺。その姿がよほど可笑しかったのかステラは笑い声を漏らした。その柔らかな態度だけでも彼女の返答が分かってしまい、俺の心の中には自然とワクワクが広がっていった。
邪魔な本がテーブルから退かされる。ステラは俺を正面の席に座らせると、可愛らしく先生を振舞うのだ。
こんなセリフを合図にして。
「じゃあ今から魔法講座を始めまーす!」
「いえーい!!」
その瞳の小豆色は俺にも負けないくらい生き生きしているように見えた。
§§§
「――あらら、探し物は中断ですか?」
講義が始まってしばらくすると、今日のバイトを終えたキャロルが図書館に様子を見にやってきた。今日のお仕事は洋菓子店の客寄せだったようで、美味しそうなマカロンを差し入れに持ってきてくれたようだ。
資料探しを止めてテーブルに集まっている俺たちを見てきょとんとしているキャロル。彼女への説明はトオルに任せよう。
というか邪魔するな。良いところなのだ。
「魔法には八つの属性があるの。火、風、水、土、雷、光、闇、のメジャーな七つの属性と、特殊っていうマイナーな属性。これで八つね」
「特殊ってイメージしにくいな」
「他の属性と違ってできることの範囲が広いからね。沙智が知ってるのだとフィスが使ってた回復魔法の『ヒール』が特殊属性だよ」
「いろいろできるって訳か。羨ましい」
属性は全部で八つと頭に書き込んで、ふと疑問。
疑問が生まれたら、その都度質問して解消する。
「でも聖属性ってなかったっけ?」
「ヤマトが使ってた青い魔力のことだね。あれも属性ってあるからややこしく感じるかもしれないけど、魔力だから魔法とは違うよ。――えーっとね。魔法になる前のエネルギーにも種類があるって言ったら分かる?」
「オーケー。豆と醤油の関係だな!」
「ごめんその理解の仕方は分からない!」
これ以上ないほど的確に言い表せたと俺が胸を張る一方、ステラは目の前でちんぷんかんぷんといった表情になる。
何が分からないというのだろうか。
要するにこういうことだろう。
自然界には「魔力」というものが存在する。魔力は大きく三種類。一般人が持っている紫苑色の魔力、勇者だけが持つ聖属性の魔力、そして魔王やアンデッドが持つ瘴気。それらを変換して火や水といった別のエネルギーに作り変える超常的な技術をこの異世界では「魔法」と呼ぶのだ。
豆から醤油や味噌を作るのが魔法なら、原材料の豆が魔力であり、それ自体にも種類があるということだ。
完璧な理解。さすが俺だ。
「――な、豆と醤油の関係だろ?」
以上のことをつらつらと語るとなぜか呆れられる。
「お兄さんも変な覚え方しますね」
「そうか?」
「変ですよ」
トオルが目を細めて一部を強調する。
まあ良い。少し話が逸れてしまったが、今取り上げるべきは魔力から魔法への返還方法であり魔力そのものではない。
魔力にどんな種類があるか、エンドウ豆やサヤインゲンなどでも醤油や味噌らしきものが作れるのかは些末なことだ。
「――話を戻すね」
ステラも掌を鳴らして本題に戻す。
「そんな八つの属性が魔法にはある訳だけど、どの属性の魔法を使えるかは生まれながらに決まってるの。いわゆる適性ってやつだね。火や水の適性がある人は火魔法や水魔法を使えるけど、風魔法や雷魔法は使えないってこと。――さて、そんな人がどうしても風魔法を使いたいと思ったらどうしたらいいでしょう?」
「異世界転生して特典で貰う!」
「ヒント。あんたが血眼になって手に入れようとしてたのはなーんだ?」
「なるほど『オーブ』か!」
俺が思い至るとステラは小さく笑って右手に丸を作る。
その可愛い所作に少しドキドキしていると――。
「だから『オーブ』を手に入れる時には、先に自分にはどんな魔法適性があるのかを調べておく必要があるんだよ。火の適性があるのに『火のオーブ』を手に入れても何の役にも立たないからね。分かった?」
「以降暴走しないよう気をつけます」
俺から満足な返答が得られたのかステラはほっこり顔だ。
あとは俺が魔法を覚えてほっこりすれば大団円である。
だが魔法適性を調べる方法について俺が尋ねるより先に、マカロンに添える紅茶を運んできたキャロルが尋ねる。
「ステラさんはどの魔法適性を持っているんですか?」
「私は風だよ」
そう言うと、ステラは掌にそよ風を起こした。
変換されずに残った紫苑の魔力が僅かに光る。
「ずっと空を飛んでみたいって思ってたから私は風でよかったよ。もしかしたら飛空魔法を覚えられるかもしれないからね」
――そんな可愛らしい魔法だったっけ?
俺は一人首を捻る。風魔法で近所の危険生物全部駆除してみた、みたいな動画をインターネット上にアップロードするようなことを目指しているようにしか思えなかったのだが。少なくとも可愛い雰囲気はなかった。風の刃で次々と魔獣を薙ぎ倒す様には、嬉々として大剣を振るうデイジー様と何ら変わらない狂気があった。
尤もそれを指摘して藪蛇を喰らうほど俺は馬鹿ではない。
「キャロルは?」
「私は雷と光の二つを」
「二つもだと!」
嫉妬の炎で狂ってしまいそうだ。
キャロルは箱入り娘に見えるがきっと相当な実力者である。魔法適性を二つも持っていることもそうだが、ステラと一緒で彼女もレベルを隠しているのである。レベルを隠すのは実力者だと相場が決まっている。
アホ毛がピコピコ反応しているので間違いない。
「お客さん雷魔法はオススメですよ! 使い切った電池を何度でも充電して再利用することができるんです!」
「しょっぱい使い方だな!」
「トオルさんはどうなんですか?」
キャロルは俺に雷魔法を勧めると今度はトオルへ話題を振る。すると、一度「変ですよ」とツッコミを入れただけで会話に混ざらず読書していたトオルは、そっと本から目を離してこちらを見上げるのだ。
その表情が妙に生温かくて思わず身構える。
「私は魔法は使えませんよ。ですからお兄さんも、適性がなくても落ち込まないでくださいね」
「どうしてそんなこと言うんだ、トオルさんや」
嫌なフラグを立てられた気がするが、心からファンタジーに恋焦がれている俺ならばへし折ることもできるはず。
というよりもう限界なのだ。ワクワクとドキドキがシーソーみたいに上昇下降を繰り返してこれ以上は耐えられそうにない。溢れ出す感情に押されて俺は前のめりになり、ステラへ語気を荒げた。
「で、適性はどうやって調べるの!?」
「掌に魔力を集めてみて」
「うおおおおおおおお!」
「ちょっと! ちょっとでいいから!」
意識を卓上に置いた右手の掌に集中させる。実際にスキルを発動している訳ではないので紫苑の光は目視できないが、ほんのり熱が帯びているのが分かる。不思議なエネルギーで徐々に満たされていくのを感じる。
そこへステラが「調べるね」と人差し指を乗せて。
「――『鑑定』」
鼓動が共鳴する――。
§§§
異世界転生物の主人公には大きく二つのルートがある。
全ての魔法属性に愛された「スーパー魔法使いルート」と、全ての魔法適性に嫌われた「魔法使えない一般人Aルート」。
さて俺がどちらだったのかと言えば――。
「ああああああああ!!」
敢えて報告する必要はないだろう。
この虚ろな叫びが全てである。
「いつまで騒いでるの?」
「だってだって!」
「最初にダメかもって言ったじゃん」
ジェムニ神国四日目もいよいよ終わろうかという夕暮れ前。教会から通りに出てなおむくれる俺にステラは呆れ顔だ。
この時間帯にもなると世界一の商店街と言えど寂しくなってくる。通りを歩く人の足音は減ってセールスの声も聞こえなくなる。何とも言えない哀愁がある。普段は昼間の喧騒を鬱陶しく思う俺だが、今ばかりはあの賑わいを願った。
騒ぎの中でなら掻き消されるから思い切り叫べるのにと。
「世界中から魔法使いという魔法使いを殲滅して、誰も魔法の使えない世界を作ったら、みんな幸せになれるのにな」
「沙智、笑おうにも笑えないよ」
「そうですよ。身近な魔法使いへの嫌がらせ程度で済ませてください」
「仕方ない。それで妥協しよう」
「ねえ何で私を見るの?」
身近な魔法使いが戦慄する横で俺は溜息を溢した。
思い出して欲しいのだが、何もファンタジー気分を味わいたいからという理由だけで魔法を覚えようとした訳ではないのだ。
魔法を覚えようとしたのは当面の問題に備えるためだった。
「――はあ、ロブ島への道中どうしよっか」
俺が呟くとステラが軽く目を見張る。
「あんたが今日魔法覚えたいって言い出したのって?」
「それが二割くらいかね」
「で、残り八割は魔法使いへの憧れですか」
「さすがトオル大正解!」
感心しかけたステラが俺の中の割合を聞いて額を押さえる。落胆させたところ申し訳ないが俺はそんなものだ。
そんな風に思っていると隣から声。
「まあ大丈夫ですよ、お兄さん。ここからロブ島までの道のりに魔獣地帯と呼べるような場所はありませんから」
声は愛らしく振り向いて。
「それにいざって時は私やステラもいますよ」
「――――」
何よりも優しく――。
ここは厳しい異世界だ。俺に魔法の才能がなかった以上、ロブ島へ辿り着くにはステラとトオルの協力が必要不可欠だったのだ。しかし、ジェムニ教会に元の世界へ戻るためのヒントがあると思っていた二人は、この先の旅には付いて来てくれないかもしれない。そんな不安がどこかにあって。
図々しく今後も頼むなんて安易に言えなくて。
まだ友達でもない俺のために。
「――――」
でも杞憂だった。
「――――」
赤く染まる通りで「さあ帰ろ」「その前にニュースを見るんでしょ?」「十八時だったね」と雑談するステラとトオル二人の背中。
それを見つめながら俺の身体は静かに熱を帯びる。
「良い人たちですね」
「そうだな」
きっと二人は知らないのだろうな。ロブ島まで一緒に来てくれると分かった俺がどれだけ嬉しかったのかを。
心の熱を確かめるよう俺は掌を胸に乗せた。
そんな充足感の中で問いかけは突然だった。
「――お客さんはカッコウという鳥をご存知ですか?」
「え?」
急に何の話だろうか。
言葉を詰まらせる俺。
「カッコウはモズのような別の鳥の巣に卵を産んでその鳥に育てさせるんです。生まれたモズの雛たちは兄弟たちの中にカッコウがいることに気付きません。いつか自分たちの種族を脅かす存在を愚かにも同じ巣の仲間として接し、一緒にピーピー鳴いているんですよ。姿も鳴き声も違うというのに何を見ているんでしょうね」
「キャロル?」
「いきなりすみません」
俺を置いてけぼりにしていたと気付いたキャロルは小さく謝る。何だか一瞬らしくない彼女が見えた気がした。
気になった俺は目を細める。夕焼けに伸びるステラたちの影を、静かに眺めるキャロルの横顔からは上手く感情が読めなくて。
だけど何かを疎むかのようで――。
「私みたいに大人になると他人がみんな打算で近付いてくるカッコウのように思えてしまうんです。だからこそ、あなたたちのように等身大でお付き合いされている方々がキラキラして見えるんですよ」
「もしかして褒められてる?」
「ええ心から。きっと長い時間をかけて信頼関係を培ってきたんでしょうね」
「――――」
――そう、だったろうか?
羨ましそうなキャロルの微笑みに俺は何も答えられなかった。だってステラもトオルも最初から俺に優しくしてくれたから。出会ってまだ半月も経っていない。信頼関係をしっかり構築できるような時間など費やしてはいないのだ。
それでも無条件の優しさがそこにはあった。
なぜか優しくしてくれた。
「最初から優しい人なんて慈善家か詐欺師ですから」
「――――。そうだな」
もしかしたら無条件ではなかったのではないか。
何か打算があって俺に優しくしたのではないか。
キャロルに空返事をしながら俺はそんなことを思う。だが二人にそれを直接尋ねるのは怖かった。尋ねるのはせめて二人と友達になってからだ。あとで笑い話にできるような関係になってからが良い。
浮き沈みする影を前にこの小さな不安を――。
「――――」
今ばかりは呑み干すことにした。
【Last Scream:最後の叫び】
沙智「日頃から溜まってるストレス、皆さんどう発散しますか?」
ステラ「沙智、アンテナ邪魔」
沙智「昔は海に向かって叫んだそうです。今はカラオケボックスとかが穴場ですかね」
ステラ「あんた、そのアンテナ邪魔じゃないの?」
沙智「俺も倣いたいと思います」
ステラ「今度切ってあげよっか、そのアンテナ」
沙智「アホ毛だって言ってんだろーがあああ!」
※2022年1月8日
加筆修正
・沙智とキャロルの会話シーン(第三話)をこちらに移動
表記の変更




