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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
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第三話   『月夜にささやかな夢を語りたい』

 覗き未遂の代償はアイスの奢りで済んだ。はずれの町たん瘤事件のことを二人がさすがに悪く思っていたことと、未遂で終わったことが主な理由だが、だとすると俺に罰があって主犯のキャロルに罰がないのが非常に解せないところだ。因みに当のキャロルは今日の旅館バイトを終えて悠々と帰宅済みである。

 アイスパーティーを終えると就寝時間だ。俺たちが取った部屋はこの二〇七号室の一室だけである。ステラとは一緒に寝たことがあるが――語弊があると嫌なので補足しておくが同じ部屋で寝たという意味であるが――トオルと一緒の部屋で寝るのは地味に今日が初めてだったりする。なので、その日は少しドキドキしながら俺は自分のベッドに潜り込んだ。


 ところがそんな緊張感よりも眠れない理由があった。枕の質が驚くほど合わないのである。元の世界でも旅行先にマイ枕を持ち込むほど繊細な俺には、この無駄に柔らかくて分厚い枕が全く合わないのである。

 眠れないでいると俺はふと気付いた。


 ――あれ、トオルどこ行った?


 隣のベッドが平たくなっている。特に眠気もなかった俺は起き上がって暗闇をキョロキョロと見渡す。するとバルコニーの方からだ。透明なガラス越しにトオルの小さな背中が「ここですよ」と返事した。

 引き戸を開けて俺もスリッパに履き替える。


「眠れないのか?」


「いえ」


 柵に両腕を乗せて体を預けていたトオルは静かに首を振る。それからまた月夜を仰いで穏やかに微笑んだ。


「少し月を見ていたかったんです」


 息を呑む。自然と心が震え上がった。


 クラシックな音色が似合いそうな夏の夜に、その切なさ混じる言葉選びは幻想的だ。素朴で飾らないその言葉が今は素敵に思えたのだ。月の柔らかな光を浴びるトオルの横顔は優しげで、でもそんな柔らかな光にも呑まれてしまいそうな儚さがあって。あの未完成の月と合わさって神秘的でどこか淡くて切ない。

 俺はこういう雰囲気が好きだった。直近ではステラと一緒に眺めたはずれの町風車塔からの夕方の景色だ。

 素敵な一時を壊してしまわないか少し不安だ。


「この世界の月も綺麗だよな」


 ――なぜだ。似たレベルの単語しか使ってないのに凡庸だ。


 トオルの隣で平然とした顔をしながら、内心でもっと現代文の勉強をしておけばと激しく悶える俺。だがすでに会話のバトンはトオルに手渡された。

 さあこの少女は一体どんなフォローをくれるのか。ワクワクだ。


「お兄さんの世界にも月があるんですね」


 にっこり笑顔だ。フォローはなかった。

 背伸びした大人の時間は終わりらしい。


「次の満月っていつなんだ?」


「十五日ですよ。まだ少し先ですね」


「これが九月なら正真正銘十五夜なんだけどな」


「何ですかそれ?」


「九月の一番綺麗な満月を見上げながらお団子を食べる風習があるんだよ。俺も俺の知り合いも誰もしてなかったけどな」


「それは風習と言えるんですか?」


 俺の話を聞いてトオルはクスクス笑う。背伸びしたロマンチックな雰囲気は消え去って、始まったのは夜更けまで続く等身大のトークタイム。

 これはこれで悪くない。俺の心は躍ったままだった。


「きっと素敵な思い出がたくさん詰まった世界なんでしょうね。それほど強く帰りたいって思えるんですから」


「そのことに気付けたのは最近だけどな」


 少し羨ましそうなトオルに苦笑した。


「てんで駄目だった俺に友達や家族が『立ち上がれ!』『前を向け!』って色んな言葉でエールをくれていた。この異世界で、その声がたくさんの想いや気遣いに満ちていたことにやっと気付けたんだよ」


「――――」


 あの世界は今どうなっている。俺の悪友たちも同じように月夜を見上げていたりするのだろうか。あの家に一人残してきてしまった父は、今日も母の仏壇前に座ってお線香の香りを感じていたりするのだろうか。

 あるいは時差があって今は朝の忙しい時間かもしれない。


「気付けたらどうしても伝えたくなっちゃったんだ」


「――――」


「たくさんのエールをありがとうって」


「――――」


 遠い月に想いを馳せながら俺は素直な感情を吐露した。普段なら照れて隠す感情が自然と零れたのは、きっとこの雰囲気に当てられたせいだ。

 トオルは何も言わない。ただ微笑を浮かべて月を見ている。こっちを向かないのが彼女なりの気遣いと分かってしまうから余計に恥ずかしい。


「おいこらなんか言え」


「なんか」


「小学生みたいな返しするな!」


「ふふふ冗談です」


 揶揄われた。これは悪いトオルだ。ブラックトオルだ。

 不貞腐れて口を尖らせると、彼女は優しく微笑んだ。


「――素敵な夢だと思いますよ」


「なら茶化すなよ」


 今ばかりは月の涼しさが恨めしい。もし空にあるのが暖かい光で肌を焦がす炎なら言い訳ができるのだが。

 この熱を帯びた頬は太陽のせいだって。


「トオルはどうなんだ?」


 恥ずかしさに耐えかねた俺は話題を逸らす。するとトオルは照れ臭そうに笑って柵を支えに体を揺らした。嬉しそうに月を仰ぐその瞳は仄かに青みを帯び、初めて山頂から大自然を見下ろした少年少女のようにキラキラ輝くのだ。


「今日は夢が少し叶いました!」


「え、今日!?」


 そんな壮大なことが今日の一日にあっただろうか。全身で嬉しさを表現してるのを目の当たりにすると事実なのだろうが、思い当たる節はない。

 眉をハの字にして「何があった?」と一日を振り返る俺。その姿がトオルにはよほどおかしく見えたのか一人楽しそうに笑っている。


 ――何なんだ?


「誰かと一緒にはしゃぎながら通りを歩いたり、財布と相談しながら洋服を選んでは自分に似合うのかなって頭を悩ませたり、美味しそうな匂いのする料理が運ばれてくるのを今か今かと待ち望んだりと。――全部が私の夢だったんですよ」


「――――」


「何か言ってくださいよ」


「あ、ああ」


 今度は俺が黙ってしまった。意識的に相槌を抑えていたトオルとは違って、本当に上手く言葉が出てこなかったのだ。

 幸い少女は先程の俺の言葉を借りてまだ楽しそうだ。


「――――」


 トオルの生い立ちには分からない点が多い。はずれの町でジュエリーに加担した男の話を鵜呑みにするなら、この少女は少なくとも七年間は『奴隷』として暮らしていたことになる。称号の強制力に囚われていたことになる。

 ささやかな夢を涙ながらに語った少女の姿が忘れられない。それまでの暮らしはどれほど過酷だったのだろうか。

 良い暮らしでなかったのは間違いない。


 知りたい気持ちはある。でもそれはきっと駄目なのだ。

 そこに踏み込めるほどの関係性は築けていないはずだ。


「他には何かないのか?」


 ――だから今は夢の続きで我慢しよう。


「まだまだたくさんありますよ。みんなで世界中のカフェを巡ったり、海に泳ぎに行ったり、いつか大きくなってチェロでも弾きながら旅をするのもいいですね。あるいは科学者や医者になるのもいいかもしれません。あとは――」


「ストップストップ!」


「何ですか?」


「多い多いビックリしたわ!」


 このままでは夜明けまで続くと危惧した俺は慌てて手を振る。若者が夢から離れつつある時代で見上げたものだ。

 尊敬と呆れが混じった俺の視線にトオルは小さく微笑む。それから僅かに逸らした瞳には淡い灰が浮かんでいた。


 その灰を月の光芒のせいだと判断して俺は続ける。


「ゆっくり一つずつ叶えていけばいいさ。――でもそのことで俺に恩を感じる必要なんてないからな」


「どういうことでしょう?」


 これは前々から言いたかったことである。

 この律儀な少女は「恩返しがしたい」と同行を受け入れてくれたが、恩を感じているのは寧ろ俺なのである。

 自分を見つめ直すキッカケをもらった。


 それに、だ。


「やっと『奴隷』の称号から解放されたのに『恩』って見えない鎖で縛りたくないってことだ。そんなの気にせず好きにしたらいいんだ」


 俺が新しい主人になってしまっては本末転倒だ。


 バルコニーの柵から左手を離して少女を見据える。応じるように俺を見上げるトオルの栗色の瞳はしばらくの間、呆然と差し込む月光を映した。やがて少女は頬を綻ばせ少しだけ残念そうに笑うのだ。

 その桑色の髪の毛を夜風に揺らして。


「――――。ふふ、お兄さんは損する性分ですね」


「面倒事が嫌なだけさ」


「安心してください。私は今は何にも縛られていませんよ。確かにお兄さんのお願いにはちょっと弱いかもしれませんけどね」


「そりゃいいこと聞いた!」


 なぜ恥ずかしい話を避けてまた恥ずかしい話をしているのだろうか。そのことに気付くと無性に痒くて、俺はわざと大きく笑った。

 トオルも笑っていたので多分同じような気分だったのだと思う。


 それからも俺たちはしばらく喋り続けた。一度パッチリ瞼が開いてしまうと寝るに寝れなかったのだ。それに「こうして夜更かしするのも悪くないですね」とトオルが可愛らしく笑うものだから気分も良かった。自分がコミュ障であることも忘れて俺は淡い月光の中で言葉を生み出し続けた。

 トオルが特に興味を持ったのは俺の世界の話だ。世界の風習文化は勿論、俺のその世界での暮らしにもその栗色の瞳を輝かせる。俺も自分の世界のことを知って欲しかった。自分の微妙なエピソードは知って欲しくないが。

 思い出すのに苦労しながら俺は語っていく。


「ではお兄さんは父親と二人暮らしだったんですね」


「兄弟でもいれば魔法を使いたいって感情を分かち合えたのになあ。友達にもファンタジー好きはいなかったからさあ」


「元の世界に帰るまでに使えたらいいですね」


「せっかくの異世界なんだから魔法くらいはな!」


 本当に聞き上手な少女である。

 朗らかな気分でいると――。


「――ところでその世界に好きな人はいるんですか?」


 突如として変わる場の雰囲気。


「お前、まさか俺のこと!」

「いえ違います」


「即答しなくても!」


 ノリノリで反応してみたというのにトオルに真顔で素っ気なく否定された。冷たすぎる。お兄さん悲しくなってしまうぞ?

 ガックリ項垂れる横でトオルは肩を竦める。


「お兄さんはどこまで煮詰めてもお兄さんですよ。素直に事情を説明してロッカーから出てくればいいのに、ステラ風に言うなら『妙なところでスイッチが入りそうじゃない?』って感じのお兄さんです」


「お前まだ根に持ってるだろ」


「ふふ、あれはあれで稀有な体験でしたよ。私も今度お兄さんが温泉に浸かっている時に覗いてみようと思います」


「えー」


 男湯を覗くトオル。そんなの嫌だ。嫌すぎる。見られるのが恥ずかしいという問題ではなくそんなトオルを見たくない。

 教育を考えるならリトライは中止の方がいいかもしれない。


「それでいるんですか、恋人?」


「今はいないよ」


「ほーう今はですか!」


 声を出してから俺は激しく後悔。

 馬鹿。俺の見栄っ張りめ。


「そりが合って付き合うことになったんだけど、俺の色々大変だった時期に別れて友達の関係に戻ったんだよ。付き合ってた期間は二か月ほどだ。結局デートの一回もしなくて。――あれ、何でだ名前が出てこないぞ?」


「お兄さん」


 トオルが蔑むような視線を向ける。おかしい。彼女の面立ちも陽気な声もすぐに思い出せるのに名前だけが出てこない。

 焦って何とか「向日葵リボン」「ポニテ」「ビニール傘」「三馬鹿」と関連情報を掻き集めても、その名前は雲の中で。

 分厚い、分厚い、雲の中で――。


「お兄さん最低ですね」


「待ってタイム! 思い出す! 思い出すから!」


「おやすみなさい」


「もう何で出てこないんだー!!」


 冷めた表情になったトオルが室内へと帰っていく一方、俺はそのままバルコニーで頭を抱え続けた。


 これは観天望気である。「夕焼けは晴れ」とか「燕が低く飛べば雨」とかと同じことだ。この記憶の消失は予兆だったのである。

 避けることのできない未来への予兆だったのである。


「ああもやもやするー!!」


 そのことに俺はまだ気付かないのだ。





§§§





 ジェムニ神国滞在二日目の朝。


「おはよう。眠そうだね」


「まあな」


 俺は大きな欠伸と一緒に旅館のロビーへと降りた。背中には荷物を置いて軽くしたリュックを背負ってである。ロビーでは先に準備を済ませてステラとトオルが待っていて、ひらひら手を振って俺を出迎えてくれる。

 二人は今日の買い物が楽しみで待てないようだ。


「でも付いてくるなんて意外だったな」


「何で?」


「あんたは部屋でゴロゴロしてるかと思ってた」


「たまには出歩こうかと思う時もあるんだよ」


 昨日買ったばかりの黒地のシャツを着た俺は、悪さを誤魔化すように視線を逸らした。「みんなと通りを歩くのも夢だった」と楽しそうに語ったトオルに感化された訳では決してない。気まぐれだ。

 聞けばジェムニ教会もジャンブルドストリートのどこかにあるらしい。その所在地でも把握できれば今日は満足だ。


 そんなことを話しているとエントランスに女将さんの姿が見えた。

 何やら難しい顔で手元の紙束を眺めているではないか。


「おはようございます女将さん」


「あら皆さん、昨日はよく眠れましたか?」


「実は夜更かししちゃいました」


 女将さんは「まあ」と口に手を当てて微笑む。

 それから俺の視線に気付いて困った顔をする。


「ああこれですか? 旅館の周りにイタズラで貼られていたのを回収してきたところなんですよ。よろしければどうぞ」


 別にいりませんと断る前に一枚受け取ってしまった。どうも覗きの一件で俺は親しみやすい人物だと思われたようだ。

 自称コミュ障としては何とも複雑な気分。


 それはともかくこのポスターだ。


「随分カラフルですね」

「何て書いてあるの?」


 ステラとトオルも気になるようで俺の後ろから顔を出す。子供が色鉛筆で描いたような可愛らしいポスターだ。

 この筆跡からするに女の子だろうか。


 ポスターの表題はこうだ。


『――世界樹の涙の情報を求む』


 まるでクエストの依頼書のようだと俺は感じた。しかもこの依頼主はたかが情報に対してアイテム三つも報酬として差し出すつもりらしい。「以下の品から三点お選びください」との一文の下に謎の単語の羅列がずっと続いていた。というよりポスターの半分以上をそのアイテムの羅列が埋めているのだ。


 超太っ腹な依頼主がいたものだ。

 呆れ半分で読み流そうとして。


「――――っ!」


 不意に視点が固定される。


「やっぱりイタズラだろうね」

「私もそう思います」


 ステラとトオルの声はもう耳に届かない。なぜならその単語を見た瞬間、どうしようもなく暴れ出したからだ。心の奥底で叶えたいという衝動が。せっかく異世界に来たのだから掴みたいという願いが。

 それは誰もが幼少の頃に夢見た泡沫の未来だ。


「――『火のオーブ』!!」


 人は、魔法使いに憧れる。


【オーブ】

ステラ「魔法が使えるかどうかは才能次第」

トオル「その才能を増やせるのがオーブなんですよね」

ステラ「そう。火魔法の適性がない人でも火のオーブさえあれば」

トオル「簡単に薪でも何でも燃やせるようになると」

ステラ「――ところで沙智は?」

トオル「あっちです」


沙智「うおおおおおおお! オーブどこじゃあああああ!」



※2022年1月8日

加筆修正

・キャロルと沙智の会話を第七話に移動

・トオルとの会話を増量

表記の変更


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