第二話 『異世界転移なんてあるはずがない(2)』
「悪いけれど、ハンナって名前に心当たりはないわ」
「ローニーの話だと、三年前までは確かにこの町に住んでいたらしいんですけど」
「なら私は知らないでしょうね。この町に来たのが二年前だもの」
俺たちは分担して一時間ほど人探しを始めることになった。この町はとても小さな町である上に、中心部には目立つ噴水広場がある。
再集合するのは、そんなに難しいことじゃない。
間もなく集合時間ということで、俺は一応、この異世界で出会った人間第二号が営む情報屋にも足を運んでみたのだ。
だが、どうも無駄骨になりそうだ。
「調べて欲しいっていうなら調べてもいいのだけれど」
そう言って、親指と人差し指で輪っかを作る美人店主。
彼女が愛してやまない、情報料の請求である。
「相変わらず一文無しだから遠慮しときます」
「首を突っ込むなら、自分のことが片付いてからにすればいいのに」
「貴重な助言ありがとうございます。ジュエリーさん、じゃあ」
「渡り人さん。次こそはコレ落としていってね」
店を出る際、金に汚れた厭らしい笑顔がチラリと見えたので、俺は嫌になって勢いよくバタンと戸を閉じた。
なるべく、今後とも彼女の世話にはなりたくないものである。あとから馬鹿高い請求書が届いて腰を抜かすことになりそうだ。
情報屋を出ると、丁度集合時間だったので噴水広場に向かう。
ものの数分で到着だ。本当に狭い町である。
「どうだったのだ? お婆は見つかったのだ?」
「私がいつもお世話になってる八百屋さんや素材屋さんに聞いてみたんだけど、やっぱり誰もハンナさんのこと知らなかったみたい。嘘つきさんはどう?」
「うーん、もしかしたら人付き合いの苦手な人だったのかもな」
もしそうなのだとしたら、同じ人見知りとして親近感を抱く。同時にそっとしておいてやりたいという気持ちが芽生えるのは、俺だったらそっとしていて欲しいと思ってしまうからだろうか。
だから人見知りのままなんだよと聞こえた気がしたが、無視。
いや待て。そもそもだ。
「――何でナチュラルに人探し手伝ってんだ俺は!?」
「遅いよ」
「良い人だなと思ってたのだ!」
さっと顔色を変えて頭を抱える俺に、赤毛さんは呆れた視線を向け、ローニーは花開くような満面の笑みで微笑んだ。
人探しなんて面倒なもの断るつもりだったのに、いつの間にかローニーの図々しさで押し切られていたではないか。
正直、この図々しさは見習いたいところではあるが。
「ところで、ハンナさんってどんな人なの?」
勝手に難しい顔をしている俺を放って、赤毛さんがベンチに腰掛けてローニーに話を振る。俺の相手で手一杯と断っていた少女は、どうやら見事に彼の押切作戦にしてやられたようである。情けない。
ローニーは赤毛さんの隣に「よっこらしょ」と年寄り臭く座ると、懐かしい思い出を探るようにゆっくり目を細めた。
「お婆ははずれの町の隅っこで暮らしていたのだ。僕が時折見つけた河原の綺麗な平たい石に釣った魚を乗っけて持っていくと、それは大層喜んでくれたのだ。その顔を見ていると僕もなんだかうれしくてな。ついつい、大きくなったら僕も陶芸家になって、自信作のお皿を届けるよって約束しちゃったのだ」
「そっか」
「ちゃんと陶芸家にはなれたのだぞ? まあ今はお仕事をサボってるから、お婆に会ったら怒られちゃうかもしれないのだ。――ごふ」
「何だ、お前も呪いか?」
「しつこいよ嘘つきさん」
話の最後にローニーが重々しく咳き込んだので、まさかと思って尋ねると、赤毛さんに思い切りアホ毛を引っ張られた。
段々遠慮がなくなりつつある気がするのだが。
それにしても、この年でもう働いているのか。世界が違うのであり得ることなのだろう。それでも、勉強も人間関係もずっと中途半端なまま放っておいて、いつか勝手に変わるだろうと甘く考えていた俺には、重く突き刺さる。何だか急にローニーが大人びて見えた。正直、居心地が悪い。
だがそんな感慨も、少し沈んだローニーの声を聞いて離散する。
「この町で風邪が流行ってると聞いたのだ。お婆、腰が悪かったからお仕事できなくなってるかもしれないのだ」
「え?」
「長い間お仕事できないと大変なことになるのは知ってると思うのだ。だから、早くお婆に会いたい。会って顔が見たいのだ」
知ってると思う、と言われても、異世界転移してきたばかりの俺には何のことだか分からない。
だが、一緒に聞いていた赤毛さんの顔は確かに強張った。その深刻そうな雰囲気に思わず俺はたじろぐ。
赤毛さんは、ゆっくりとこう尋ねた。
「ローニーはどれくらい仕事を休んでるの?」
「実は結構長いからそろそろお婆を見つけたいのだ。だから手と口と耳と目と、あるなら羽も貸して欲しいのだ!」
「ふ、羽だけは赤毛さんに借りてくれ」
「いや、私も羽は生えてないんだけど」
俺と赤毛さんの切れのあるコントにローニーはにっこり笑うと、慕うお婆を探すため、またこの小さな町へと駆け出した。
その後ろ姿を眺めながら、俺はやれやれと首を振る。この図々しいお願いを叶えない限りは、どうも宿探しには戻れなさそうだ。
それに存外、人助けも悪くない。
「さてと、俺たちも探すか!」
人の良い赤毛さんのことだ。このままローニーを放っておくことはできまい。そう思って振り返ると、赤毛さんの顔色が悪い。
細い左肩を掴んで苦しそうな顔をしていた。
「やっぱり呪いの症状が酷いんだろ? 早く病院行けよ」
「――――。嘘つきさん、あのね」
ローニーの話を聞いた後でもきょとんとしている俺に、赤毛さんは丁寧に、無知な俺にも分かるように、この世界のことを話し始めた。
その話が終わる頃には、胸の中に生まれている小さな灰色雲。
「おーい、早く探しに行くのだー!」
広場の入り口で手を振って叫んだ少年が、また咳き込んだ。
赤毛さんの話はこうだった。
この世界は今、魔神という化け物が支配しているらしい。数多の神々や勇者を退けて千年以上も続く強大な支配。
その要となっているのが『称号システム』。
称号には幾つか種類があり、中には職業名を冠する称号もあるらしい。赤毛さんの話では、ローニーやハンナというお婆さんは『陶芸家』という称号を持っているのだそうだ。この称号は、ローニーのように望んで得られる場合もあれば、望まぬ者に勝手に与えられる場合もあるという。
問題は、この称号が特殊な効果を有しているということ。何と一定期間に一定時間の職務を熟さなければ、魔神から称号を介して罰が与えられるというのだ。例えそれが、病気で作業ができなくなったという理由であったとしても。
ローニーも仕事を放棄しているが、まだ罰はそれほど重くない。しかし、もしもハンナお婆さんが風邪で作業ができなくて、その状態が長く続いたら――。
その話を聞いた途端、俺は無心でローニーを追っていた。
夕方になる頃、ハンナというお婆さんは見つかった。
墓石に、その名前だけを刻んで、見つかった。
「称号なんて、なかったら良かったのに」
心底恨めしそうに赤毛さんが呟く。だが彼女の思いに共感するよりも、俺には目の前で佇むローニーの思いに共感する方が容易かった。
会いたいと願って探しに来た結果が、これだなんて。
「二人とも、ありがとうなのだ」
「ローニー?」
勝手に心境を推し量って下唇を噛んでいた俺に対し、ローニーの声は想像したよりもずっと落ち着き払っていた。
入り口で佇む俺たちに礼を言って、彼は慕っていたお婆の墓前に座る。
「お婆、帰るのが遅くなって悪いのだ」
俺たちが見守る中、独白は穏やかに始まった。
「お婆のお陰で、僕はやりたいことを見つけたのだ。本当に感謝してる。このお皿も、もっと早く自慢しにくれば良かったのだ」
その落ち着いた態度に、もしかしたらと俺は思う。
もしかしたら、ローニーはハンナお婆さんがすでに亡くなっているかもしれないと最初から分かっていたのではないだろうか。彼が「会いたい」と言った時の、手の届かないものを願うような横顔を今思い出して、そう感じた。
ローニーは泣かない。やはり温かい声音で、独白を続ける。
「何をやってるのだろうな、僕は」
「――――ッ」
そこに込められた感情は、いつも俺が虚無感と一緒に吐き出しているものとは明らかに違っていた。胸が激しく鳴る。
虚無感を許す自分が、責められたように感じて。
その満ち足りた声が、俺には、きつくて。
ローニーはハンナお婆さんへの独白を終えて立ち上がり、歩いてくる。
そのすっきりとした笑顔から、俺は思わず目を逸らしてしまった。
「二人のお陰でお婆に言いたいことが言えたのだ。ありがとうなのだ」
「これで、良かったの?」
「うん、きっと良かったのだ!」
赤毛さんの気遣うような声に、ローニーの声は明るい。
そして彼はチラリとこちらを見て、まるで俺の複雑な心を見透かしたように親指を立てて笑うのだ。
「始めるのはいつだって自由なのだぜ、少年!」
「――――。はは、生意気な奴だな」
にっこり笑う少年に、俺も仕方なく苦笑した。
この時、本当にローニーを先達のように感じたのは秘密である。
§§§
「――じゃあなのだ! 手伝ってくれてありがとうなのだ!」
目的を果たしたのだから、ローニーは早く仕事に戻らなければならない。仕事のサボりすぎで彼まで魔神の罰を受けてしまうのは、きっと天国にいるハンナお婆さんが許さないだろう。
というか、俺も赤毛さんも許さない。
走り去っていく元気な後ろ姿を見て、俺は溜息を溢す。
「全く、少しは年寄りっぽくする努力をだな」
「ふふふ、多分ローニーには無理だよ」
「やっぱり赤毛さんもそう思う?」
「うん。あの図々しさは見習いたいけどね」
意外と赤毛さんとは気が合うかもしれない。笑い合ってそう思った。
さてと、昼過ぎに情報屋で合わせた腕時計を見る限り現在時刻は午後八時前。周囲はすでに真っ暗で、街灯にも明かりが点いている。
魔神が称号で支配する嫌なこの世界から帰還する方策を明日以降じっくり考えるために、まずはこの疲れた体を休めたいのだが――。
「あーあ、もうすっかり日が暮れた。今晩どうするんだよ!」
宿の予約が、まだ完了しておりません。
ローニーの人探しに付き合っていたせいだとは言え、途中からその懸念をすっかり忘れていた俺にも非はある。だから言うほどローニーに対する怒りは湧いてこないのだが、それとこれとは話が別なのだ。
モンスターが平然といる場所で野営なんて、嫌だぞ俺は。
悩ましい声を上げながら路地を歩く俺に、背後から赤毛さんが尋ねる。
「ねえあんた、自分が困ってるのにどうして手伝ってあげたの?」
「はあ? 成り行きだろ完全に!」
振り返って八つ当たり気味に叫ぶと、赤毛さんは小豆色の瞳をしばらく丸くしてから、不意に口元に指を当てて破顔した。
何が面白かったのか。ちっとも面白くない状況なのに。
「こうなったらローニーを見習って、どこかの民家に突撃してやろうか。泊めてくださいと頭を下げるだけの亡霊になりきれば……いや、無理だ! そんな勇気とコミュ力に溢れた作戦は、俺にはまだハードルが高すぎる!」
出会った当初とは逆。俺が一人ぶつぶつ喋りながら、その後を赤毛さんが微妙な距離感で付いて来る。もしも昼間なら、丁度今歩いている場所が、赤毛さんと初めて出会った場所だと気づくことができただろうか。
その答えは、俺には分からなかったけれど、でも。
街灯は、ちかちかと明滅して――。
「ねえ」
「何?」
「うち、来る?」
一瞬、何を言われたのかすぐには理解できなかった。その言葉がゆっくりと頭の中で溶けて、理解に達した時、俺は振り返る。
そして、目を見開いた。
明滅する街灯が作り出す、仄かに明るい暗闇のスポットライト。その光に照らされて、鮮やかで綺麗な赤髪が淡く印象的に浮かび上がる。
初めて見せてくれたその温かい微笑みから、目が離せなくて。数畳ほどの淡いステージが一生忘れられないほど、幻想的に思えて。
「いいの?」
きっとその声は、相当間抜けな顔で放っていたのだと思う。それでも優しく微笑み返してくれる赤毛さんに、胸が熱くなるのを感じた。
そうだ。まずは名前を知りたい。ちゃんと呼べるように。
「お、俺は七瀬沙智。その、異世界人です!」
「ふふっ、私はステラ。よろしく」
これは、長い長い物語のほんのちょっとしたプロローグ。
俺の物語は、少し不器用で優しいステラとの出会いとともに動き出した。
――別に動き出さなくてもいいんだけどな。
【ディストピア】
ステラ「この異世界の名前はディストピアと言います」
沙智「何て未来のない名前にするんだ」
ステラ「じゃあ沙智だったら何て名前にするの?」
沙智「エターナルフォーチュンランド」
ステラ「ちなみにこの世界のお金の単位はここから採られてるんだ」
沙智「スルーしないで! 恥ずかしい!」
※割り込み投稿しました(2021年5月21日)
ストーリーの分割
ローニーの変更