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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第一章 はずれの町
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第二十話  『――何かが為せるはずがない』

『――ち!』


 ――人の精神活動を綱引きのようだと思うことがある。


 頑張らないとと奮起する自分。

 面倒だと投げ出したがる自分。


 それは第二の人格と言えるほど自己のアイデンティティから分離している訳ではない。だが確かにいるのだ。二つの自分が魂の主導権とも言うべきものを巡って綱引きをしている。そして俺の場合、面倒だと投げ出したがる自分に軍配が上がることがほとんどだった。

 頑張りたいと思う自分は――『霧の怪物』は負け続けてきた。今ちょっと楽をしたからって世界が滅ぶ訳でもないんだからと。


 そんな俺がここにきて頑張りたいという衝動を受け入れた。

 だが綱引きならば甚く当然ではないか。


『――きろ!』


 薄暗い暗闇。何も見えない。何も感じない。それなのにそいつの声だけははっきりと聞こえてくる。


 声は冷たかった。「届くはずないのにって言っただろ」と軽蔑の音色を乗せている。俺はそれが誰なのか分かった。顔を見るまでもなかった。やらなければならないことから逃げて、逃げて、逃げ続けて。

 そして最後には決まってそいつは言うのだ。


 ――何やってんだろうな俺は、と。


『――るんだ!』


 雨が降る。灰色の墓地を背景に『彼』は立っていた。何もかもが面倒といったような顔で俺を見下している。

 冷たい。溺れそうだ。


 誰か――。


『――――起きろ沙智!!』


 冷たい何かが、喉を。





§§§





「――――ぶッ!」


 喉の奥に妙な甘さを感じて俺は目を覚ました。糖度がすごく高いイチゴをべっとりと咽頭に塗ったような感じだ。頭もぼんやりとしている。ただ最初に感じたのがそんな甘ったるさと、小さな床の振動だけだった。

 俺をヤマトの安心した顔が覗き込んでいる。


「お、やっと起きたか」


「あれ?」


「手持ちの『解術ポーション』があって助かった。口を酸っぱくして持っとけって言ってくれたメイリィに感謝だな」


 ――酸っぱいんじゃなくて甘いんだが。


 微笑む彼の右手には空の褐色瓶が握られていた。安堵の顔のあとに「にしてもジュエリーめ、俺たちに触れずにどうやって呪いを?」と意味の分からないことを続けるヤマトを傍目に、俺は呆然と周囲の様子を見渡す。


 青灰色の壁と揺らぐ炎。

 散らばる瓦礫。

 ポーションの瓶。

 そして、いなくなったジュエリー。


「――――!」


 瞬間、意識がはっきり肉体に繋がる音がした。


「そうだ! 天井の魔法陣! ヤマト、早く壊さないと! 壊さないとこれを出口に魔神が降りてくる!!」


 俺は慌てて視点を天井へと移した。意識を失う直前の曖昧性に全てを置き忘れてこれたら良かったのだが、残念なことに俺の視界で魔法陣は光っていた。予備として天井に描かれていた巨大な魔法陣が白く光っていた。


 なぜ、俺はこれに気付けなかったのか。

 後悔してもしきれない。


「ヤマト!」


「無理だ。一度発動した魔法陣はその機能を終えるまでは壊せない」


「そんな!」


 思わず大きな声が出る。しかし彼の言っていることが真実であると、彼の悔しそうな横顔を見れば嫌でも理解できた。

 もう魔神が落ちてくるのは止められないのだと。


 その時、また床が小さく振動した。


「とにかくここを出るぞ。さっきから嫌な振動が続いてる。もしかしたらここも崩壊するかもしれない」


「ステラたちは?」


「もう行かせたさ。強情だったけどな」


 ヤマトの苦笑を見るに一悶着あったらしい。だが彼女らが脱出をちゃんと始めているなら一先ず安心だ。


 ジュエリーの陰謀を止められなかった。

 魔神が落ちてくる。

 誰も救えなかった。

 もう逃げるしかない――。


 ならばせめて逃げ切らなければならない。絶望的な状況だからこそ、今自分がやるべきことを考えて、考え抜くのだ。

 俺とヤマトはコクリと頷き合う。


「風車に通じる出口があったはずだ!」


「よし、行こう!」


 ――ずっと心に燻ぶっていた感情があったんだ。


 青灰色の地下シェルター通路を俺とヤマトは必死に走った。地響きは次第に激しくなり、激しい衝撃音と共に行く道を瓦礫が落下する。

 地上で一体何が起きているのか。不安が全身を支配する。


 ――ずっと何かやらなきゃという焦燥感があったんだ。


 原動力は死にたくないという単純な気持ち。

 出口の扉を見つけて、ヤマトが蹴り壊す。


 ――でも俺の時間はずっと止まったままだった。


 蹴りで空いた穴から腕を通して閂を外すと、俺たちはすぐに驚愕した。以前は何もなかった真っ白な風車塔に大量の生ける屍が待ち構えていたのだ。

 命の香りを嗅ぎ付けてきたのか。如何せん数が多すぎた。突破不可能と判断したヤマトは張り詰めた声で俺に、先に上のバルコニーを目指せと。


 ――今日、やっと気づけたんだ。


 雲のように白い螺旋階段を全力で駆け上がる。

 その間にもこの風車塔は激しく揺れた。


 ――頑張りたいと思えた。


 また何気ない会話をしたい。

 ステラにまた会いたい。


 ――守りたいと思えた。


 また笑顔で夢を語ってほしい。

 トオルにまた会いたい。


 ――そう思えたことが本当に嬉しかったんだよ。


 きっと会えると思っていた。

 もう停滞していたあの頃とは違う。何もせず終わっていく一日を仰いで「何やってんだろうな」と呟いていたあの頃とは違う。

 頑張れば、届くはずなのだ。


 ――何かを目指して必死になる。


 頑張れば。頑張りさえすれば。

 きっと憧れた主人公のように。


 ――そんな感覚は久しくて。


 視界の先で光が差す。バルコニーへの出口だ。その陽だまりを希望へと続く道のように感じて、俺の頬が緩む。

 これで逃げ切れる。生きてみんなに会える。


 これで、やっと――。


 ――だから。


「やっと、出口だ――!!」


 ――都合よく忘れていたんだ。





§§§





 脇目も振らずにバルコニーへと飛び出す。希望を見つけた喜びは数歩足を進めただけで瞬く間に離散した。

 目の前に広がる光景を前に、俺は――。


「――――あ」


 それしか、言えなかった。


 どれほど頭が痛くなるような懸念材料が重なっても明るく微笑みかけてくれた空の青さが失われていた。代わりに広がるのは、見るだけで人を陰鬱な気分にさせるような、どんよりとした分厚い灰色雲。その雲には南北に引き裂くような巨大な亀裂があって、その狭間からソレはゆっくりと地上を目指していた。

 真っ黒な腕。魔力の腕。人間の何百倍もあるような巨大な片腕がその指先を地上へと向けているのだ。禍々しく神々しい。


 魔神の片腕だ。


 ゆっくりと降臨するその強烈な波動を災害たちは歓迎した。

 雷が鳴る。迸る白い閃光が川のように分岐してこの空の灰色背景を貫いた。その幾つかは大地まで到達し、激しい轟音と共に自然や文明を黒焦げにする。平屋の家屋は呆気なく黒墨になって消えていった。

 炎が降る。まるで流星群のようだ。這い出そうとする魔神の腕が灰色雲との間に摩擦を起こし、火花を散らしている。それが炎となって降ってくる。炎は大地を焼き尽くす。そこが我が主の舞台だと言わんばかりに。

 大地が叫ぶ。脆い場所から壊れていく。


 痛烈に感じた。逃げるとかそういう次元の話ではなかった。

 目の前に広がる絶望は、儚い希望を許さない。


「沙智、待たせ、て――」


 遅れてやってきたヤマトもすぐに口を閉ざした。

 勇者である彼でさえ、閉ざすよりなかった。


 風車の黒い羽根が回る。言葉なくただその光景を眺め続ける。この世の終わりとも言うべき地獄を前に、ヤマトは悔しそうに瞳を伏せた。その隣で、俺の心は驚くほどに凪いでいる。穏やかだった。

 この美しい地獄の前で凪いでいた。


「――悪い、沙智」


 長い沈黙を経てヤマトが声を絞り出す。


「お前を守るって約束、果たせそうにない。悪い」


「いいよ」


「――――」


「いいんだ」


 やはり俺の心は穏やかだ。波立たない。俺の返答はあっさりとしていて、ヤマトの悔しさに満ちた声とは酷く対照的だ。


 その理由を俺は分かっていた。


 当然だと思ってしまったのだ。俺は今日一日頑張っただけ。努力することをずっと放棄してきたのだから、届かない。

 ヤマトのように悔しがれるほど何かをした訳ではないのだ。嘆きや涙に変えられるほどの何かが、自分の中にはない。


「寧ろお前には感謝してる。ヤマト、色々ありがとな」


「そんなこと、言ってくれるな」


 次第にヤマトの肩からも震えは消えていった。今はもう、この見晴らしの良い風車塔のバルコニーから世界の終わりを眺めるだけ。

 自分の命なんてもう諦めていた。足掻くだけ無駄だ。

 そう思わせるほどの力が目の前にはある。


 ――みんなは、無事に逃げ切れただろうか?


 ふと浮かんだのはステラとトオルの顔だ。そしてすぐに俺は首を横に振った。この規模の大災害から逃げるのは無理だろう。

 二人もこの空を見上げて諦めていることだろう。そうに違いない。


「――――」


 言ってやれば良かったな。ありがとうを。

 たくさんの、ありがとうを。


「沙智、飲むか?」


「ん?」


 隣に座り込んでいたヤマトが不意にそんなことを言って、ポーチから割れにくそうなカップ二つと瓶を取り出した。

 騒いでも無駄と悟ったのか、彼ももう随分と落ち着いている。


「ここから北の赤の国で作られてる高級ワインだ。この前、偶然再会した悪友に貰ってな。結構いけるらしい」


「お前もまだ未成年じゃなかったっけ?」


「どうせ最後なんだ」


「――――」


「こんなことを言うのも何だが、誰かが隣にいてくれてよかったよ」


「やめろよ、恥ずかしい」


 本当はその誰かが自分の仲間たちならと思っているのではないだろうか。そのことは口に出さずに俺はヤマトからカップを受け取った。

 紫色の湖面に風車の黒い羽根が映る。


 また、炎が空から落ちた。


「――どうせ最後、か」


 またステラとトオルの顔が浮かぶ。

 すると、どうだろうか。


 無性に聞いてもらいたくなってしまったのだ。


「なあ、ヤマト」


「何だ?」


「俺さ、この異世界に来た時は泣きそうだったんだ。言葉も通じないし、変な生き物はいるし、不安で仕方なかった。でも心のどこかでこうも思ってた。もしかしたら漫画やラノベに登場するような主人公のように、格好良くて、困ってる人を助けられて、世界のピンチさえ救えるような、そんなヒーローになれるんじゃないかって。幼い頃に憧れた、そんなヒーローにさ」


 元の世界にいた時、俺には目指したいものが何もなかった。将来の夢とかなりたい自分とか考えようともしなかった。

 本気にならず、妥協を繰り返して、始める前から諦めて、友人には「ポテンシャルはあるのに勿体ない」と嘆かれる始末。


 ――そんな俺でもこの異世界ならと思ってしまった。


 守りたいものができた。見たい光景があった。そのために頑張りたいと願う自分の本心にも気付くことができた。嬉しかった。

 だから勘違いしてしまったのだ。頑張れば何かに届くはずだと。


 憧れたヒーローのようになれるはずだと――。


「なれるはずないのにな」


 そこで俺はふっと自嘲した。


「当たり前だ。今更後悔したって遅いんだよ。頑張りたいって思う自分を心に見つけても、俺は頑張るための武器を何一つ磨いてこなかった」


 振り返れば酷いものだ。俺に一体何ができた?


 体力のない俺はさぞ足手纏いだったことだろう。それは俺が部活動を投げ出して運動能力を磨いてこなかったからだ。

 作戦会議で俺は何の提案も出せなかった。それは俺が勉強を投げ出して、知識を磨いてこなかったからだ。


「馬鹿だよな」


 トオルを偶然助けることができて勘違いしてしまったのだ。

 でもそうだ。そうだった。


「――何もしてこなかった奴に何かが為せるわけがない」


 それが当たり前の答えだ。


 白い鳥が二羽連なって遠くの西の空へと消えていく。魔神の黒い腕から逃げるように飛び立つ鳥たちの翼を羨ましく思った。

 そんな俺の横でヤマトがやっと声を出した。俺のつまらない独白を最後まで聞いてくれた友人が、小さく声を発する。


「俺も似たようなもんさ」


「ヤマト?」


「あの時もっと頑張れたなら、もっと違う選択肢だって掴めたんじゃないか。ずっとその繰り返しだよ」


「そっか」


 深くは追及しなかった。追及する必要のないくらいお互い理解できたから。

 ヤマトがワイン瓶の蓋を開けながら、そっと茶色の瞳を揺らした。


「いつも思うよ。いっそ人間性なんていらないから、物語に登場するキャラのような完璧な存在になれたらなって」


 恐れも失敗も怠惰もない完璧超人。それは奇しくも俺がかつてトオルに間違って映した人物像だった。心と人間性を明け渡す。そんな代償を払ってでも弱さや甘えの生じない絶対的な存在に縋りたいのだ。

 そうすればきっと救えたはずだから――。


 それは聞くだけで悲しくなるような願いだ。

 でも、今の俺の心は波立たない。


 その願いの切なさよりも強く触れたものがあったから。


「――キャラに、なれたら?」


「沙智?」


 ハッと目を見開き、俺は目の前に魔力でできたメニューを呼んだ。

 騒動で忘れていたもう一つのユニークスキルを思い出したのだ。


 ユニークスキル『キャラ依存』。


 俺が「ゲームのプレイヤーみたいに実際に怪我をせず、その世界を俯瞰するような立場でありたい」という要求をすると、自称女神サクが祝福としてくれた、正体不明のユニークスキル。メニューでその文字は黄色く光り、こうしている最中にも発動していることが分かる。


「――――」


 最初は、俺の支離滅裂な要求をサクが無視したのだと思っていた。字面から受ける印象が俺の要求と正反対のようだったからだ。

 だが正反対とは、つまり裏表ということでもある。


 ならばと今になって思う。

 このスキルを――。


 ――()()()()()()()()()()


「――――」


 鼓動が早くなる。ユニークスキル『編集』を発動した時と同じだ。どうすれば良いのかは感覚が知っていた。

 右手の人差し指に紫苑の魔力を集める。


 どうかしたのかと問い続けるヤマトの声は耳に入らない。

 火焔の織りなす爆音も、雷の迸る衝撃音も聞こえない。


「――――」


 ただ無心で指を伸ばした。分かっている。この推測が正しいからと言って、世界の終わりを終わらせられる訳ではない。

 それでも、その場所を目指さずにはいられなかった。


 そして――。


『――――』


 あの時と同じ、始まりを告げる音が鳴る。





§§§





 世界が瞬く間に凍り付いた。


 あの時と一緒だ。世界の活動が停止する。音が、温度が、匂いが、光が、あらゆるものが蒸発して消えてゆく。そして瞳との間に青いフィルターを通したかのように世界は青く色づいた。

 生き物の気配ももうない。隣に座っていたヤマトの姿はなく、空のカップが二つ静かに並んでいる。


 この感覚も、もはや懐かしい。

 だが懐かしむ余裕はなかった。


「――どうして」


 小さく喉を震わせる。


 地下シェルターを駆け抜けた時にできた擦り傷の痛みも、足腰に溜まった疲労もこの青い世界にいる間は感じない。

 俺がそれを望んだのだから当然だ。


「どうしてなんだよ」


 ここは、プレイヤーの世界。

 自分のゲームキャラクターが画面の中で怪我をしてもプレイヤーが痛みを感じるはずがない。


 なのに――。


「どうしてだ」


 なのに痛い。苦しい。叫ばずにいられない。

 だから振り返り、答えを欲する。


「どうして俺をこんな世界に送った!?」


 風車の青十字の影で涙ながらに叫ぶ。その声をバルコニーの出入り口で聞く少女が一人。艶やかな黒髪に青い紗彩の着物の女神様。

 何も答えずに女神サクは微笑んでいた。


 ただ、微笑んでいた。


【黒十字の風車】

ステラ「はずれの町のシンボルです!」

沙智「たまたま訪れた冒険者が建てたんだっけ?」

ステラ「私は会ってないんだけどね」

沙智「お金持ちなんだろうな」

ステラ「あんたはどんな人だと思う?」

沙智「天へと羽ばたきたい人(雲のような風車内部を見ながら)」



※加筆修正しました(2021年5月21日)

表記の変更

ストーリーの一部削除


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