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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第五章 スターツ自然保護区
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第十八話  『ブォ』

 襲撃犯を撃退したステラの功績で、俺たちの疑いはほぼ晴れたらしい。

 真夜中の基地を歩いていると、何度か青年隊員と思しきエルフと鉢合わせることがあったが、傷の具合を心配される程度で、特段外出は咎められなかった。

 ただ、基地内だというのに青年隊員の数が少なすぎる。アルフとダークエルフのハロルド氏に簡単に侵入を許したのも頷けるほど、閑散としていた。


 恐らく、彼らの最大の関心事は二度目の襲撃にはないのだろう。

 大半は、『均衡ライン』付近で衝突に備えて緊張しているはずだ。


「――ソフィーは、どこにいるかな」


 漆黒の夜空を仰いで何となく呟いてみるが、生憎とまだあの少女に会いに行くつもりはなかった。会っても、伝えられる言葉がまだない。


 踏み荒らされた魔法花の紫苑の光を辿って、俺は夜半の里に歩き出る。

 炎に焼かれたツリーハウスの消火は完全に終わっているようで、しかし暗闇には野焼きの後のような、仄かな焦げ臭さが居座っていた。

 幾つかの被害に遭っていない家屋の脇も通ったが、里にエルフらが生活している気配はまるでない。無論夜中だから人気がないのは当然なのだが、それ以上に、人がそこにいる時に感じられる温もりというのが一切なかった。


「はあ」


 俺は時折溜息を溢しながら、一人で考えられる場所を求めて彷徨う。


 青年隊の基地を出て、まずは洞の家がある大樹の集会所に向かった。だがそこには数人の青年隊員という先客がいたので、軽く挨拶だけして諦める。

 次に向かったのはソフィー宅。気軽に使っても良いと言われていたので、当人がいるかもしれない点だけが気がかりだったが、一応向かう。しかし少女の家は『均衡ライン』付近にあるため、対峙している青年隊と護衛隊の緊張が伝わってきて集中できなかった。同様の理由で、裏手の丘へ行く案も退けた。


 夜中の風と花の香りに触れながら、時間だけが過ぎていく。

 そして最終的には、自分に呆れたように呟いた。


「――まさか、ここが一番落ち着ける場所とはな」


 散々エルフの里内を歩き回った挙句、一番心置きなく考え事ができそうだと感じた場所は、青年隊の基地の向かいにある小さなかやぶき屋根の厩舎だった。

 泥が染み付いた古いドアを押し開き、馬が四頭ほど並ぶ部屋の前を歩いて、ゆっくりと腰を下ろしたのは、右端の藁が敷かれた部屋の前。


 ルビーは白い鱗が目立つ魔獣姿で藁の上に丸まっていた。てっきり愛すべき主人の傍にいると思っていたのだが、意外と薄情な犀である。


「はあ、どうするかな」


 厩舎のボロボロの内壁に背中を預け、目を閉じて思考を開始する。


 全ては、エルフとダークエルフが聖獣様と崇める神獣『玄武』が、何者かの魔法で石化したことから始まる。他に容疑者が見当たらない状況下で、エルフとダークエルフはお互いを犯人と決めつけ、以来八百年に渡る諍いに繋がった。

 その最たる例が、元は一つだった里を二分する『均衡ライン』だ。お互いに信用できない種族だと猜疑心を強め、一本の白線で一切の交流を絶った。


 ところが五年前、越境事件なる大きな問題が発生した。


 両種族の交流を禁じた『均衡ライン』を何度も越えて、幼きエルフの少女とダークエルフの少年が遊んでいたことが発覚したのである。小さな子供が少しルールを破ったくらいで何をと俺も思ったが、当時の情勢はそこまで寛大ではなかった。

 幅五十センチの白線を踏み越えることは、当時のエルフとダークエルフにとっては侵略行為と同義だった。エルフの少女を使ってダークエルフの少年をエルフ領に越境させ、それを侵略行為と見なしてエルフの大人たちが戦争を仕掛けようとしているのではとダークエルフは疑った。同じ疑いをエルフも持った。だからエルフもダークエルフも、先に越境したのはどちらかという点に拘った。


 エルフの大人たちは少女に言った。

 先に越境したのはダークエルフの少年だと言えと。

 自分側の非を認める訳にはいかない。


 ダークエルフの大人たちは少年に言った。

 先に越境したのはエルフの少女だと言えと。

 自分側の非を認める訳にはいかない。


 そんな猜疑心の強い大人たちの足元で、子供たちは純粋だった。

 実際に触れ合って友達になった少女と少年は、大人たちに必死に主張した。境界を越えてはならない禁を破ったのは悪いと思っている、しかし出会えたことを悪いとは思わないと。少年は、少女は、信頼できるただの友達なのだと。そこに戦争を引き起こそうという思惑なんて、欠片も介在しないのだと。


 だが、猜疑心の強い大人たちは認めなかった。

 そして、ダークエルフの少年は自殺した。


「――――」


 取り残された少女は、何を考えたのだろう。


 ダークエルフの少年が自殺したのは、エルフとダークエルフの軋轢が解消されなかったからだ。彼らへの不信感を拭い去ることができなかったからだ。

 大切な友達を自殺に追い込んだ両種族を恨み、復讐しようと考えたのか。それとも、両種族の諍いをどうにかして解消できないかと願ったのか。


 どちらなのかは、俺には分からなかった。


 ただ少女は、エルフとダークエルフが主体的に問題を解決する可能性を絶望視していた。時間は何も解決してくれない、だから最後の猶予は五年だけだと。

 そうノートに記して、五年後の自分に解法を預けた。


 ――戦って全部ひっくり返せ、と。


「――――」


 少女が記した戦いは、犯罪組織を巻き込んで行われた。

 だが、あの時、あの花畑で、少女は泣いていた。


 少女が望んでいた結末は得られなかったはずだ。

 目指したものが復讐なのか、はたまた別の何かなのかは分からない。だが少女はまだ笑っていなかった。記憶の最後に残っていたのは、辛そうな涙だった。

 どうしたらいいのか分からない表情で、泣いていた。


「――っ!」


 だったら、助けてって叫んでくれたらいいじゃないか。

 その一言で喜んで手を貸すのに。駆け付けるのに。


 どうして、まだ独りぼっちで戦おうとするんだ。


「馬鹿ソフィー」


 そう呟いて、目を瞑ったまま俺は固まっていた拳を解いた。


 問題を最初から辿ってみたが、俺が助けに入り込める隙がないか手探りで探そうとする度に、記憶の中の少女の意志の強さが、部外者の介入を拒んだ。

 少女は、独りで戦うことに特別な意味を見出しているようにさえ感じた。


 結局、俺は待つしかないのだろうか。

 来るかも分からない、助けてを。


 そんな結論に達しそうになった、まさにその時だった。


「ん?」


 不意に目の前に強い圧迫感を覚えて、俺は瞼を開く。

 考えがずっと堂々巡りしていたせいだろう。いつの間にか夜は明けて、開けた視界に仄かな光の粒子が粉雪のようにキラキラと迷い込んだ。

 その光の中心で、赤い目がじろりと俺を見つめている。


 それが何かを理解するのに、時間は掛からなかった。


「ルビー?」


 厩舎の廊下に四足で佇んでいたのは、一頭の『白犀』だった。白い鱗に覆われた体の後方に視線を遣れば、藁部屋の柵の施錠を抉じ開けた跡があった。

 まずい、脱走を許したか、と俺は冷汗を流して内心で慌てる。


 しかし、ルビーの挙動は脱走を企てるようなものではなかった。

 俺と目が合ったのを確認すると、ルビーは向きを百八十度変え、のっそりとした足を動かして元の藁部屋へと帰っていく。そして奥の壁際の、藁が盛り上がった場所に鼻先突っ込んで何かを咥えた後、ゆるりと振り向いて戻ってくるのだ。

 俺の目前に咥えていた物を置いてから、また目を合わせて。


『ブォ』


 何かを訴えるように、間抜けな泣き声を上げた。

 運ばれたのは、小さな木製のマグカップだった。


 喉が渇いたから飲み物を寄越せという意思表示だろうか。当然、その鳴き声の意味は人間たる俺には伝わらない。目を細める俺に特に気にした様子もなく、ルビーは廊下と藁部屋を往復して、次の物を運んできて、また鳴いた。


『ブォ』


 今度は、錆び付いた弓矢の刃先だった。

 また一往復して、頓狂な鳴き声。


『ブォ』


 今度は、ツリーハウスに使う留め具だ。


 その一貫性のないラインナップを見て、ふと気づく。


「――オタカラ?」


 ルビーが散歩の途中で気に入った物を拾って、自分の部屋の藁の中に隠してオタカラにしているという話を聞いた覚えがあった。廊下の硬い砂地の上に無造作に置かれたマグカップも、弓矢の刃先も、留め具も、恐らく彼のオタカラだろう。

 だが、それが分かったところで、ルビーの意図は読めない。


 眉を顰めて顔を上げると、ルビーは次のオタカラを咥えてきた。

 そしてまた、間抜けな低い唸り声を繰り返す。


『ブォ』


 壊れた洗濯ばさみ。


『ブォ』


 掌サイズの松ぼっくり。


『ブォ』


 落とし物のストラップ。


『ブォ』


 手持ちサイズの塵取り。


『ブォ』


 空になった醤油の瓶。


『ブォ』


 綺麗な花柄リボン。


 その後もルビーはゆっくりとしたペースで往復を繰り返して、腑抜けた鳴き声と一緒にオタカラを並べ続けた。可愛らしい猫の消しゴムに、欠けた馬の蹄鉄、二つに裂けそうな靴紐に、ガラスが壊れた腕時計――。いつしか部屋の壁際の藁は凹んで平らになり、俺の前には、視線の高さに迫り得るガラクタの山が出来ていた。


 そして、ルビーは俺の目を見て鳴いて、また踵を返す。


「――――」


 ここまで繰り返されると、魔獣語が分からない俺にだって分かる。どんな時に相手に大事な物を渡すのか。それは、人でも一緒じゃないか。


 相手を喜ばせたい時。

 礼節上の慣習に従う時。


 ――あるいは、何かお願いをしたい時。


「ルビー、お前」


 この利口な魔獣は、初めから人間との言葉の壁など理解していたのだ。

 それでも意図が伝わると信じて、俺の前に大事なオタカラを積み上げ続けた。自分が持っている物の中で、何か相手のお気に召す物はないか。これでも駄目か、これでも駄目かと、しょげることなく、次々にオタカラを運び続けた。

 代わりに、たった一つ、お願いを俺にしたかったから。


『ブォ』


 また間抜けな鳴き声が響く。


 ガラクタの山に被せられたのは、懐かしい張り紙だった。ソフィーがジェムニ神国に来た時に、『世界樹の涙』の情報を集めようと作った張り紙だ。

 そのくしゃくしゃの紙を見て、俺の口が独りでに動き出す。


「――何で、ソフィーは聖獣様を起こそうとしたんだ?」


 それは、以前にも発した疑問だった。


 聖獣様の石化を解く秘薬として、少女は伝説級のアイテム『世界樹の涙』を探し求めていた。しかし石化を解きたい理由については、笑顔で誤魔化された。

 少女が里で浮いている状況を見て、聖獣様に思い入れがある訳ではないのではと俺は考えていた。ただ居心地の悪い里から離れるための口実だったのではと。


『ブォ』


 だが、本当にそうだったのだろうか。


 両種族の諍いの始まりは聖獣様が石化したことである。

 それを解こうとしたということは、つまり――。


「――あ」


 もしそうだとしたら、俺は放っておけるのだろうか。

 そんな心優しい少女が、独りで戦わなきゃいけないと思い込んで、押し潰されそうになっているのを、黙って見続けられるのだろうか。

 気丈に振舞った笑顔が本物だと、踏み込んではいけないのか。


『ブォ』


 その鳴き声を最後に、ルビーは踵を返すのを止めた。

 彼が渡せるようなオタカラは、それで最後だ。


「――――」


 助けては、ついぞ聞こえない。


 だが代わりに、腑抜けた鳴き声が何度も耳に響いた。厩舎の廊下に座り込む俺の目の前に、ルビーがせっせと往復して積み上げたガラクタの山が。

 その一番上で朝焼けの光を浴びる、メルポイの果実が。


『ブォ』


 ――助けてあげてと、泣いていた。


【オタカラ】

 ルビーが散歩の度にどこかから拾ってくるガラクタだよ。厩舎の壁沿いの藁の中に隠してるみたいで、ソフィーが掃除しようとすると牙を見せて威嚇してくるそう。そんな大事なオタカラを使ってでも、沙智にお願いしたいことがあったんだね。ねえ沙智、何かあなたが受け取っても良いって思えるガラクタはあったかな?


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