第十五話 『君の心を知ろうとして(2)』
◇◇ Scene.4 「結界の栽培場」
「副所長。休暇の申請に参りました」
若きダークエルフの青年ハロルドは、護衛隊任務の他にもう一つ、エルフとダークエルフ双方にとって特別な役目を持っていた。
エルフ領とダークエルフ領の境界線の地下には、『結界の栽培場』と呼ばれる重要な施設が存在する。文字通り、里の鏡面結界に関わる施設であった。
エルフとダークエルフの他種族への警戒は、現在も継続中である。人族の迫害に合い、こんな森の奥まで逃げてきた二つの種族の過去を鑑みれば、それはやむを得ないことだった。エルフとダークエルフの仲が驚くほど悪化した今でも、一度作った結界を二つに切り離すことは魔法的に不可能だったため、両種族は不本意ながら協力して維持管理をやっている。――それほどまでに「外の世界」に対する忌避感は、両種族ともに強く根付いているのだ。
結界維持に携わる者は『シープ=ロッド』と呼ばれる。
この『シープ=ロッド』と呼ばれる役職は、エルフ側とダークエルフ側からそれぞれ十二人ずつ選ばれ、三交代制で結界の維持に努める。
誇りある仕事だが、様々な事情から選定条件は厳しい。
一つ目は、魔法適性能力が高いこと。
二つ目は、種族的中立性が評価された人物であること。
特に二つ目は、喧嘩中のエルフとダークエルフが、それでも協力してやろうと言っていることなので、極めて重要な条件だった。幾ら能がある人物でも、ダークエルフのことが憎くて憎くてたまらないというエルフに、自分たちの身を守る結界は任せられない、という話である。
この二つの条件を若くしてクリアしたハロルドは、今日まで懸命に『シープ=ロッド』として頑張ってきたのだが――。
「しばらくはお休みですね」
今日、初の長期休暇の申請を出した。
ダークエルフ副所長室を後にして廊下に出たハロルドは、胸にぽっかり空いた穴を埋めるように独り言を始める。
「仕事に復帰するにはまずアルフさんの件を片付かないと」
「私のー?」
「アルフさんのお仲間が見つかれば肩の荷が一つ下りて」
「みんなまだ迷子なのかー!」
「アイビー様のお目覚めが公表されたらもう一つ下りて」
「そしたら自由ー?」
「はい。僕はお役目御免。晴れてこの職場に復帰できます」
「なるほどー!」
先行きは全く見えないが、どちらも永遠にこのままという訳にはいかないということも護衛隊の先輩方は分かっているはず。そうハロルドは信じている。信じることにした。だってそうしないと、お先真っ暗だもの。
「あの二人、ちゃんと留守番してくれてるのかなあ」
「してくれてるといいねー!」
――本当にそう思いますよ。
自分の不安を聞いてもらえることが嬉しくてハロルドは頬を緩める。
そして、遅ればせながら「あれ?」となった。
先程から、自分の独り言に返事をくれるのは誰なのかと。
ハロルドはひょいっと右隣りへ視線を送って――。
「あんた何でここにいんのッ!?」
「ほえ?」
絶叫。今しがた留守番してくれていたらなと願ったウサ耳女性が、ハロルドの瞳にくっきり映っているではないか。
「――――!」
あまりのことに大声を出してしまったハロルドは、「まずい」と慌てて自分と兎の両方の口を塞ぎ、急いで物陰に避難する。ドアを開けて「何事か」と廊下を見にきた副所長は、誰の姿もないことを確認して、首を傾げて戻っていった。バレなかったようだ。ハロルドはほっと胸を撫で下ろす。
そして、とぼけた顔の兎を強く睨んだ。
――よりによって『結界の栽培場』に!
「ちょっとシャレになりませんってば!」
立ち入り禁止の場所は幾つかあるが、ここは特にいけない。他種族に対する守りの要なのだ。そこに他種族を連れ込んだとなれば責任問題である。それこそハロルドの首が飛ぶレベルの責任問題なのである。
以上のことを、なるべく丁寧に教えると。
「入っちゃダメなとこだったかー! うん分かったー! ハロルんに迷惑かけないように頑張って一人で帰ってみるー!」
「できないことを言わんでください!」
「おざなりぃー!」
「僕が案内しますんで、ここに来たことはヒミツにしといてくださいよ!」
ガッツポーズで絶対に不可能な表明をする兎の指をへし折って、ハロルドはダークエルフ領側の出口へ先導する。無論、凄まじい迷子指数を誇る兎の腕をがっしり掴んで絶対に離さないよう、注意しながらである。
迷子になられたら終わり。見つかっても終わり。
寿命が縮む思いだった。
それでも誰にも見つかることなく、無事に脱出口から外に出て、薄緑色の空を見た時は格別の思いだった。
「やー楽しかったねー!」
「僕はもう勘弁ですよ!」
まあ尤も――。
「――ところでアイビー様は?」
そんな感慨も、すぐ吹き飛んでしまうのだが。
◇◇ 沙智
「真正面から攻めるのは失敗でしたね。お兄さん」
「そのようでしたね。トオルさんや」
エルフの里集会所。薄緑色の光が差し込む大樹の休み場で、俺たちは現在テーブルを囲んで小休止を取っていた。
漂う脱力感。
その理由は先程の一幕である。
「――おのれバジルさんめ」
意を決して「ソフィーの友達」のことを尋ねてみた俺。その情熱的なアタックに対するバジルの返答は「カイルって名前のエルフはここ数百年はいないはずだ。俺の知る限りだがな」という何とも冷めたものだった。
彼は嘘をついている。いないはずないのに。
それも、ソフィーの遠縁であり、ソフィーが家族を失って独り身になってからは後見人を名乗っている彼が、知らないはずないのだ。
腹立たしいのでもう一度。知らないはずないのだ。
「バジルさんは分かりやすいですね。カイルって名前を聞いた時、水場に放り投げられた猫みたいに目が泳いでました」
「ポーカーフェイスが下手なんだな」
「え、それ沙智が言う?」
「え、俺は上手くない?」
トオルに苦笑で返された。解せない。
「まあ沙智の嘘が下手なのはどうでもいいよ。それよりカイルって子のことでちょっと思うことがあるの」
「思うこと、ですか?」
今度トランプで無双して俺のポーカーフェイスがすごいことを思い知らせてやろうなんて考えていると、ステラが気になることを言った。赤い髪を弄って、首を傾げる俺たちに彼女は躊躇いがちに言う。
「ほら、前にここでソフィーが言ったことがあるじゃん。――ひっくり返してみれば今まで見えなかった新しいことが見えてくる。だから苦しい時ほど笑え。そう友達から教わったんだって」
「そんなことあったな」
「その友達がカイルだったんじゃないかな?」
「それはありえますね」
ソフィーのユニークスキル『リコール』で俺の元の世界の記憶を取り戻そうとして失敗した直後の出来事だ。よく覚えている。
この里で他にソフィーが「友達」として接するエルフに心当たりがないことも加味すると、ステラの推察は当たっていそうだ。
――でも、だとしたら。
俺は瞼を下ろして瞳に浮かぶ失望を隠した。
どこかで願っていたのだ。そのカイルという友達がソフィーにとって、実はそんなに親密な間柄ではない可能性を願っていたのだ。
他人であればあるほど、執着が弱ければ弱いほど良い。
あの「戦い」という文字から血の匂いを消してくれと。
でも駄目だった。
ソフィーは、カイルが死んで五年経った今でも、彼がくれた言葉を大切にしていた。それが答えだ。
「やっぱり――」
――恨んでいるんだろうか。
「ここにいたんだあ!」
「あ、ソフィー」
朗らかな声が聞こえて木柵から見下ろすと、大樹の影でソフィーがこちらを見上げて手を振っていた。
「リーナがうちにお菓子持ってきてくれるんだってえー!」
花はやっぱり健気に笑っていた。
§§§
ソフィーに呼ばれて、集会所から彼女の家に帰る道中。前を歩く金髪の少女はトオルと一見楽しそうにお喋りしている。その穏やかな様子からは「戦い」などという物騒な雰囲気は感じられないけれど。だからこそ不安になる。俺の知らないソフィーがいるんじゃないかって不安になる。
トオルは以前「見ておきますよ」と言ってくれた通り、ソフィーと何気ない会話をしてくれている。その一方でステラは、俺の歩調に合わせるように静かに並んでくれていた。その赤い髪は、手を伸ばせば届くけど、手を伸ばさなければ届かない微妙な距離感。相変わらず気遣い上手だ。
その気遣いが有難い。
思わず甘えてしまいたくなるくらいに。
「なあ、ステラ」
目は合わなかった。
「ノートにあった『戦い』ってどういう意味だと思う?」
俺は、足元に咲く魔法花の紫苑を背後へ見送りながら、前を歩くソフィーには聞こえない声量で続ける。
「あの言葉に、実は俺たちが思っているような血生臭い意味はなくて、『時の神様の代わりにエルフとダークエルフを仲直りさせてやる』って決意を言い換えただけの比喩表現だったりしないかな」
「――――」
「それとも」
「――――」
「やっぱりそのまま」
「――――」
「血や痛みが伴う意味なのかな」
思えば、こうして自分の懸念を伝えたのは初めてだったかもしれない。あのノートを見た時、ステラも同じように深刻な顔をしていたから、何となく意見は共有できていると思ってしまっていた。
視界にある小さな後ろ姿を漠然と追っていると、無意識に避けていた疑惑をきっぱりと言われる。
「エルフとダークエルフに復讐したいかってこと?」
「――――」
俺は答えずに明後日を向いた。隣から小さな息が聞こえて、「ホントしょうがないなあ」と苦笑されたのが分かった。
――自覚はあるけども!
でも色々考えてしまうではないか。ソフィーが抱えていた悩みが突然やってきた俺たちを「戦い」に巻き込むか否かだったとしたら辻褄が合うし、里の大半のエルフと距離を置いているあの少女の行動でさえ、血を伴う「戦い」の準備のように見えてならない。そういうことを一度考え始めれば、どんどん懸念が膨らんでしまうのだ。破裂する前に話せてよかった。
やけっぱちな感じで「聞いてくれてありがとう」と溢す俺に、ステラは優しい表情で「ねえ沙智」と話し出す。
「確かに、大切な友達が死んだのに対立を続けるエルフとダークエルフに、何も思わないなんてことはないんだと思う。悔しかったと思うし、何でまだ喧嘩をやめてくれないのって叫びたくもなると思う。そういった感情が、いつしか殺意に変わることだってあるかもしれない」
「ああ」
「でも、私はソフィーがそうだとは思わないよ?」
「それは何で?」
ステラは明るく笑った。
「だって魔獣のルビーや魔王の私とも友達になっちゃうような子なんだよ。憎しみとか、怒りに囚われないで、本質を見据える目があの子にはあると思う。エルフとダークエルフの争いで死んじゃった友達がどれほど大切だったとしても、きっと自棄になるような子じゃない」
「――――」
――そう、だろうか。
ステラの言い分は感情論だ。頷いてしまいたいけど、それは、ソフィーは優しい子であって欲しいという、俺たちの身勝手な願いを押し付けるのと同じではないかと疑ってしまう。ソフィーの心中を見ることができているかなんて、外側からでは分からないではないか。
俺の浮かない顔にステラは赤毛を指に巻いて「うーん」と考えたあと、人差し指を持ち上げて補足した。
「こう考えるのはどう。ソフィーってセリーヌさんを『リーナ』って、尊敬する名前で呼んでるでしょ?」
「ああ」
「セリーヌさんとしては、勇者としてエルフとダークエルフの問題を平和的に解決したいところだろうし、そんな人を、唯一の尊敬の名前で呼んでいるうちは、大丈夫なんじゃないかな?」
「――――」
目から鱗が落ちる思いだった。
「そっか。そうだよな」
感情論だけでは満足できない空白に、すとんと嵌った感じがした。そうしたら自然と心が軽くなった。
「うん」
――信じてみよう。
俺は自分の胸に拳を当てる。
勇者セリーヌの勇者らしさを見てきたソフィーなら、きっと平和的な「戦い」を選ぶはずだ。エルフとダークエルフの長年の争いを、みんなが納得できる形でどうにか解決できないか考えるはずだ。難しい。それがどうした。そんな無謀に真正面から向かっていくのがソフィーという少女だったはず。
むしろ、たまに出る、あの歯に衣着せぬ毒舌が、喧嘩中のエルフとダークエルフの心をぐっさり刺さないかだけを心配するべきだろう。
そう思うと元気が出た。
「ステラ、ありがとう」
「どういたしまして!」
にっこり微笑むステラ。
――やっぱり可愛い。
「お兄さん、ステラ」
「すみません自重します!」
「急に何ですか!?」
トオルの声に俺は条件反射で姿勢を正す。てっきり、まただらしない顔になったのがバレて「時と場所を選んでください」と窘められるかと思ったのだが、目の前で驚いているトオルを見ると違ったようだ。
桑色髪の少女は、ソフィーと顔を見合わせると、それはもう困った顔でそっと行く手を指し示した。
「ん?」
エルフの領域とダークエルフの領域を隔てる白線『均衡ライン』。普段は人なんてほとんど見られないその場所に、五、六人のエルフが集まって、何やら騒いでいるみたいだった。全員が黄色い羽織を背負っているので、恐らくは青年隊。よく見ると隊長バジルの姿もある。
「何の騒ぎかな?」
「さあ」
気のない返事をしたこの時の俺は知らなかったのである。
左肩に流す品矢かな紺色の髪。
特徴的な尖った耳。
露出度の高い目に毒な服。
投げキッスする手は小麦色で。
女は、ダークエルフだった。
「――私の名前はアイビー、媚薬工場を作りに来たわ!!」
俺はまだ知らないのである。この変質者との出会いが、二度目の千年前の物語との交錯になろうとは。
【シープ=ロッド】
アルフ「『ハロルんにAsk!』のコーナーだ―! いえーい! 乗っ取りだー!」
ハロルド「あの、アルフさん?」
アルフ「ということで何で『シープ=ロッド』なのー?」
ハロルド「諸説ありますが収穫祭が由来ですかね」
アルフ「ほえ?」
ハロルド「一番大きなメルポイを育てた人に羊の角を送る風習がありまして」
アイビー「ウサちゃん飴食べる?」
アルフ「わーい飴だー!」
ハロルド「最後まで聞かんかい!」
※2022年4月21日
加筆修正
ストーリーの分割




