第十六話 『ゾンビが陽気なはずがない』
※※※ 四か月前
四月の中旬。二週間強の短い不登校からの出口で彷徨っていた俺は、今日も密かにこの場所へ足を運んでいた。
だが、とうとう鼻の利く友人に見つかってしまったらしい。
「――伊吹か?」
「やあ沙智、久しぶりに学校で顔を見たよ」
「学校って言っても付属の図書館だけどな」
「校門を潜ったら似たようなものさ」
椎名伊吹。同級生で俺たちのまとめ役のような男だった。彼の勉強会もサボっていた俺はバツが悪くて視線を逸らした。だが当の本人は気にした様子もなく向かいの席に座って、テーブルに置かれた図書へチラリと視線を遣った。
そして、興味深そうに呟くのだ。
「『1から分かる医学のイ』?」
「――――」
「沙智、医者でも目指すの?」
「見てただけ」
嘘ではない。最初こそ母の事故死をキッカケに医療分野へ興味を持ったが、見つけた本は読んで数分で閉じてしまった。
裏向きにおかれたこの本は知っている。難しい用語ばかりで嫌気が差し、すぐに投げ出した俺が悪いのだということを。
小さく吐息して、伊吹を睨む。
「で、何?」
「今日は来るかい?」
まるでその言葉が俺の口から出るのを待っていたかのように伊吹は笑って、そっと俺へ掌を差し出してきた。
どうやら今日は逃げられなさそうだ。
俺を見ていてくれたのは『霧の怪物』だけではなかった。
そのことに気付くのは、まだもう少しだけ先の話。
§§§ 現在
「左肩、痛みませんか?」
「トオルがタオルを巻いてくれたお陰で大丈夫だよ」
激動の噴水広場戦線は幕を閉じた。ジュエリーの企みやポーションの隠し場所を聞き出すという本来の目的から大きく外れた感は否めないが、その分得られたものも大きいので後悔はない。
それは俺にとってもこの女にとってもだ。
「ああ、何て素晴らしい重みなんだ! 一目見た時からもしやとは思っていたがこれほどとは! このエメラルドグリーンの刀身が陽光をキラキラと散らす美しさは如何ともし難いものがあるぞ! 断言できる! 我が愛刀アレクサンダーと対を為せる存在はお前しかいない! まずはこのはずれの町戦線を一緒に駆け抜けて、お互いを知るところから始めようか! その剥き出しの刃はこれから先何度も大切な誰かを傷つけてしまうかもしれない! だがそれを乗り越えた先に真の――!」
「おいデイジー、手癖が悪いぞ」
「何を言うか! このアイリーンは私の戦利品――否、新しい嫁だ!!」
「擬人化すらされてない刀とゴールインするんじゃねえ!!」
この戦闘凶が大事に大事に抱きかかえ、顔を紅潮させて頬ずりしているのは、ビエールが使っていたエメラルドグリーンの大剣だ。
勝者の権利と言われれば口を噤むしかないのだが、剥き身の刃にキスしようとする変態を前にしては何とも言えない気持ちになる。
トオルなど俺の後ろに隠れてドン引きだ。
「戦力的な意味では申し分ないんだけどなあ」
「レベル32のビエールをまさかの一撃ですからね」
「あれ? でもデイジーのレベル23だよな?」
「多分、レベルの割に攻撃力が高すぎるんですよ」
「本当何なのこの人」
対してレベル19のアリアは無口ではあるが常識的で安心する。果物ナイフ二本の安定した戦い方は踊り子のようだった。
デイジーより安心感を覚えるのはなぜだろうか。
まあいい。とりあえず今後の方針だ。
「で、これからステラと合流か?」
トオルの心配がなくなった以上、俺が今一番に気になるのは、あの賢くて、でもどこか危うい赤毛の少女である。今回の企みの黒幕とも言うべき女の居城へ、この異世界で一番仲良くなった少女が乗り込んでいる最中なのだ。
俺が不安に思うのはある種、当然のことだった。
彼女の笑顔を思い出すと胸騒ぎがしてならない。
尤も、俺とこの場で方針の摺り合わせができる唯一の人間は、俺の心境を理解できるほど繊細ではない。
彼女は刀に涎を垂らしながら「いや」と返した。
「こっちが大騒動になったのにヤマトが来なかったのが気になる」
「そういや様子を見てフォローするって言ってたな」
「向こうも何かあったのかもしれん。――はあ、いいなあ」
恍惚とした表情で心底羨ましそうなデイジー。相変わらずの戦闘凶振りだ。
呆れる俺に、ハッと我に返った彼女はこう言った。
「七瀬、フィスに繋げてくれ」
「はい?」
――繋げるって何だ?
きょとんと俺は首を傾げる。フィスとは昨夜少し話したが、正直、ほとんどその内容は覚えていない。眠かったので。
むむむと俺が唸り声をあげたのと同じタイミングで、トオルが「少し繋げるのは待ってください」と手を上げて割り込む。
この少女は意味が分かるのか。俺は分からないのに。
「それより先に確認したいことがあるんです。お兄さんたちは、ここに来る前に住民をどこかへ移動させたんですか?」
「いや、してないよな?」
「ああ。ジュエリーに勘付かれる訳にもいかんからな。何かあった時のために避難経路の確認だけはしてるはずだが」
確か「地下シェルター」なるものがあるはずだ。そんなことを思いながら、俺は唐突なトオルの質問にデイジーと答える。
するとトオルは途端に難しい表情になった。
どうしたのだろうか?
「これだけ騒いだのに静かすぎませんか?」
「――――!」
ハッと俺たちは顔を見合わせる。
確かに変だ。普段は風が大地を撫でる優しい音しかないこの町に、あれだけ奇声が上がったのに誰も様子を見に来ない。そんなことがあるのか。
眉をハの字にして腕を抱える。嫌な予感がした。
その予感を裏付けるように――。
『――――』
その音は静かに広場に放られた。
乾いた大地に弾む音へ皆の視線が集まる。一度跳ねたあとカタカタ数秒揺れて止まったソレは、使い古されて底が凹んだ調理道具。
誰もが見たことのある調理道具。
「フ、フライパン?」
なぜこんなものが。
不思議と「当たったら危ないじゃないか!」という苛立ちの声は出なかった。それはやはり予感があったからなのだろうか。
あるいは、そういう世界なのだと知っていたからだろうか。
「――――」
顔を上げる。瞬間、意識が奪われる。
――ソイツらは、そこにいた。
噴水広場の四つある出入口の東口。グミノキの緑を両側に挟んだ麦色通路に、人影が三つ立っていた。軸のない駒のように不安定。葡萄ジュースで染められたような青黒い腕をガタガタと伸ばして、焦点の合わない瞳をこちらに向けている。見るだけで痛々しい角度に曲がった関節から黒い血をドロドロ流し、腕を、首を、脚を振り回しながら、狂ったように近付いてくる――人型の何か。
善なる者でないとすぐに分かった。見た目のせいではない。そいつらが足を進めるにつれ、何か息苦しさが増していくように感じたのだ。
息を呑む俺の隣で、デイジーの黄色い声が上がった。
「何と『ゾンビ』ではないか!!」
「えええ!?」
ゾンビ。当然ながらその名は俺も知っていた。
ファンタジーやホラーに登場するアンデッド系の化け物。未練を持っていたり正しく葬られなかったりした者が蘇り、腐った死肉を動かしながら、生者の生命エネルギーを求めて彷徨うという非常におっかない存在。
直ちにUターンして欲しい。個人的にホラー系はNGなのだ。
――というより!
「おい、あの格好ってまさか!」
「はずれの町の住民、だろうな」
最初は戦闘凶らしい笑みを浮かべたデイジーも『ゾンビ』の正体に気付くと、さすがに苦々しい表情になる。
彼らが墓場から現れた訳ではないことは明白だ。あの日常感溢れる服装の主が長年棺桶の中で眠っていたとは思えない。
俺はすっと青褪める。つまりはこういうことか?
彼らは、俺たちが知らぬ間に一度死んで――。
『アテンションプリーズゥゥ?』
『アイキャンフラアアイ!』
『カノジョデキタノオオオ!?』
「って陽気か! 俺のしんみりした気持ち返せ!」
思いの外『ゾンビ』たちのテンションが高くて思わずツッコミ。そこまで余裕のある状況ではないのだが、我慢できなかった。
叫んだあと息を整えて気を引き締め直す。『ゾンビ』共のレベルは一律で10。大したことはなかった。デイジーやアリアで充分対応できるレベル帯だ。
差し迫った危機ではない。そう判断した俺はトオルと向き合う。
まずはこの状況を整理したいのだ。
「トオル、お前はどう見る?」
「間に合わなかったということだと思います」
「え、それって?」
トオルの声はいつもより小さく震えていた。恐怖が理由ではない。怒りだ。少女の瞳の奥に凄絶なる怒りが宿っていた。
その気迫に思わず声が上擦る。
少女は怒りを乗せた静かな声で続けた。
「呪いですよ。ある時刻になると死に至るという時限式の呪いで町に死体の山を作り出し、それを特殊なスキルを用いて『ゾンビ』へと転生させたんです。はずれの町の住民はすでに呪いの影響で全滅したのだと思われます。つまり、今から『解術ポーション』を頑張って奪還しても、もう意味がないってことですよ」
「なっ!?」
――もうポーションを奪還しても意味がない。
指の隙間から何かが零れ落ちるような喪失感があった。これまでもニュースなどで誰かの訃報を目にしたことはあったが、これほど沈痛な気持ちになるのは初めてのことだった。
それは多分、頑張りたいと願う自分を自覚してしまったからで。
それは多分、頑張って助けたかったという思いがあったからで。
拳を握り締める。その時だった。
『――コロ、コロシ、テ』
背後で声が。
「おい、まさか」
「これは参ったな」
「嘘でしょう?」
俺とデイジーとトオルがそれぞれ嫌な顔で呟いて背後を見た。アリアも言葉こそなかったが、ニヒルな視線を後方へと飛ばす。
そうだ。ビエールの亡骸があった場所だ。
『コロシテ、ヤル』
本当に嫌になる。これが閻魔の采配だと言うのならば、即刻その座を降りてもらいたい。閻魔は俺たちが最も嫌悪する存在を地獄から突き返したのだ。
肌を青黒く変色させ、息が詰まるような黒い靄を被って。
ビエールがゾンビになって復活した。
『ゴロジテヤル小僧ォオ!』
「しつこい! お前はデイジーの一刀で終わってんだろーが! 大人しく負けを認めて眠ってろよ!」
俺は無意識にトオルを背中に隠して叫び声を上げる。
叫ばずにはいられなかった。
目の前にレベル32のまま復活した『ビエールゾンビ』。
広場の東入り口に通常『ゾンビ』が三体。
更に北、西、南入り口にも『ゾンビ』共は現れる。
――本当、何でこんなことに!?
奥歯を噛む。震える拳をトオルが心配そうに握り締めた。そんな絶妙なタイミングを計ったように声は響いた。
<沙智く~ん!>
「おわっ!?」
<驚きすぎだよ~!>
突然響いたそのマイペースな笑い声に俺は目を引ん剥く。周囲の「何をしてるんだこいつ?」みたいな顔を見るに、俺にしか聞こえていないらしい。また頭に直接言葉を送られているようだった。
まずは右耳か左耳を通してもらいたいものだが。
冗談はさて置き、このほんわかとした口調は知っている。
「お前フィスか。姿が見えないけどどこにいるんだ?」
虚空に向かって問うとデイジーの顔に納得が浮かぶ。
「やっと繋がったか。フィスの『テレパシー』だな?」
「何それ?」
<私のユニークスキルだよ~。昨日の夜言ったじゃん~。パスを繋げたから困ったことが起きたら連絡してね~ってさ~!>
要するにお電話スキルという訳か。ならばパスというのは差し詰め電波とか回線とかそういう感じか。何と便利なスキルだろうか。
ようやく「繋げる」の意味が分かった。しかしフィスとそんな話をしたかどうかはやはり思い出せなかった。当時は眠かったので。
それよりも本題である。
<潮目が変わったから合流して欲しいんだよね~!>
「合流?」
スマホを必要としない遠隔電話で右手が手持無沙汰だ。耳元で空気をニギニギしながらフィスの言葉をオウム返しする。それを拾い取ったデイジーとアリアが顔を見合わせてコクリと頷き合った。
どうやら方針が決まったらしい。
『逃ガサ――ッ!』
アリアがハチ公の背に掌を置いて西入り口を指差す。
目指すは情報屋だ。
「ゴーハチ公」
「にゃあ!」
アリアの澄んだ声。本当に久しぶりに耳にした彼女の声に呆れながら、俺たちの不死者共からの逃走劇は始まった。
◇◇
刻限を迎えた。呪いのタイムリミットだ。
はずれの町に、死体が量産されていく。
「青い薔薇」
ここは情報屋。カウンターの扉の奥にある、普段は依頼人を入れないジュエリー専門の資料室である。接客用の大部屋は、赤毛の少女と彼女の仲間を追い払うために爆薬を使ったせいでボロボロになったが、ジュエリーには悔いはなかった。このしみったれた町で生計を立てる必要はなくなったからだ。
彼女らが瓦礫を退かせて追いかけてくる前に終わらせなくては――。彼女は笑みを口元に浮かべ、掌に黒い炎を宿す。
「不可能を実現する神の祝福よ」
足元の魔法陣へ落ちていく炎。
それを見る女の目は愛おしく。
「やっと花開くのね」
呪いの発動で出来上がった死体へ女の魔法は干渉する。女一人の力では本来為し得ない奇跡を、魔法陣の手助けを借りて行使する。
生まれるは『ゾンビ』。意思を持たぬ雑兵。
それらは、瘴気を放ち――。
「人は息絶え人成らざる者へと生まれ変わり、町は黒い魔力に包まれる。そうしたらあなた様は、ここを見つけられるでしょう?」
両手を握り合わせて、女は祈るように天井を仰ぐ。
頬を紅潮させ、ここにはいない誰かへ向けて。
「私はここにいます」
狂気は呼ぶ。
「魔神様」
――これが七瀬沙智らが知らない数分前の出来事である。
【ゾンビ】
ステラ「アンデッドで広義では魔獣だね」
沙智「怖いの嫌あああ!」
ステラ「上位個体は生前のレベルと記憶も引き継ぐらしいよ」
沙智「噛まれたら終わりだああ!」
ステラ「倒すには『聖水』ってアイテムか魔法がないとね」
沙智「感染しちゃうー!」
ステラ「――感染するって何?」
※加筆修正しました(2021年5月21日)
表記の変更
ストーリーの分割
 




