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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第一章 はずれの町
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第十四話  『命の選択なんてできるはずがない』

 デイジーに「商品でも見て楽しんどけよ」と言い残して、俺はビエールと噴水を挟んで反対側へと移動した。俺の守り神から離れてしまったが、あの戦闘凶が戦いの予兆を見逃すとは思えないし大丈夫だろう。

 一方のビエールは噴水の縁にズドンと腰を下ろすと、懐から取り出した煙草を燻ぶらせて、ギロリと俺を睨む。


「さて小僧、何を知っている?」


 ――マフィアのボスっぽい雰囲気に早変わりかよ。おっかねえ。


 ドスの効いた声に小さな溜息を溢して、俺は気を引き締め直す。少女の未来を勝ち取るために竦む訳にはいかないのだ。


「何から聞きたい? ポーションの発注主がジュエリーだったってことか? それとも彼女がポーションを集めた理由か? それとも」


「いやもういい。もう充分理解した」


 指を一つずつ折りながら知っている情報を羅列していくと、全て言い切らないうちにビエールは待ったを掛けた。まだまだ話せる情報もあるのに残念だなと、思わず場違いな感想を抱いてしまう。

 意外と心の余裕はありそうだ。


 そうとも知らないビエールは陽気に笑う。


「小僧、お前に商人の真似事はできんよ」


「真似事?」


「大方、情報を取引材料にあのガキを買い取ろうとしたんだろうが、俺が取引に応じる前にお前は赤裸々に吐いちまった。代金を受け取る前に商品という宝を譲り渡したのと同義さ。お前は結局、情報の使い方が下手すぎるんだよ」


 要するに踏み倒せると下に見られている訳だ。

 だとすれば、決定的に――。


「宝の入ってないパンドラの箱に価値はねえ」


「――勘違いしている」


「つまり、ここでお前を消せば!」


「自己紹介を聞いておくべきだったな!」


 勝ち誇ったかのような煩わしい声を、俺は低く響き渡るような重量感ある声で掻き消した。怪訝に眉を顰めるビエールの姿は滑稽だ。

 そして彼は「あぁ?」という唸り声と一緒に、ポーションを仮購入した時に書いた簡易契約書を取り出すのだから、猶更滑稽だった。


「お前のことなら知ってるさ。七瀬沙智、旅人。十八歳で現在はこの町のステラという女の家に居候中で――」


「デイジー」


「――っ!」


「今店の前にいる女の名前だよ」


 ビエールの余裕に満ちた表情が一変する。

 さすが有名人。名前は知られていた様子。


 彼女はビエールとの顔合わせの時に名乗らなかった。この場面を予期した訳ではないだろうが、名乗らなかったのが事実だ。

 そして、その事実は今ここで力になる。


「お前は勘違いしている。俺が取引材料に利用したのは情報じゃない。この情報を彼女らに秘密にしておくという誓約書のサインだ!」


 ハッタリをかます時は満面の笑みで。

 瞬き一つ分の躊躇すら命取りになる。


「加えて警告するが、踏み倒しは認めない。もし俺を殺せば、不審に思った彼女らは必ずお前の悪逆に辿り着くだろう。だってそうだろ?」


「――――」


「空の箱には、何かが入っていたんだと期待するもんだ」


 ビエールの言葉を拾って俺は人差し指を突き付ける。彼が真っ当な商人なら信用がどうこうという思考に行き着くだろうが、それを乗り切れば俺の勝ちだ。

 あと少し、ほんの少しで、少女は自由の身となるのだ。


 息の詰まるような睨み合いが続いた。

 それを耐えて、耐えて、耐えて。


 ようやく――。


「しゃあねえな! 分かったよチクショウ!」


「じゃあ!」


「ああ、坊主の望み通りに」


 堰き止めていた息を吹き出して、豪快に頭を掻き毟りながら遂にビエールが白旗を振った。あまり追及がなかったことには正直拍子抜けだが、そんなことはどうでも良かった。この時の達成感と言ったら最高だった。


 ――やり切ったんだ!


 有頂天。達成感とちょっとの疲労を全身で感じて、心底ホッとしたとばかりに溜息を溢す。その様は前回と全く同じだ。

 成し遂げたという達成感しか見えていない。


 だから――。


「――痛み分けで手を打とう!」


「へ?」


 振り下ろされる銀色の輝きに気付けない。


 油断し切った俺の脳天目掛け、ビエールが悪意に目を血走らせて包丁を振り下ろす。銀色の軌跡を青空に見て、俺の思考は死んでいた。真っ白。空白だ。どうしてという疑問すら抱く余裕もなく。


 しかし、刃はギリギリで防がれた。


「チィ! やっぱり隠れてやがったか!」


「ア、アリア?」


 生垣からクナイのように投げられた果物ナイフが、キンと音を鳴らしてビエールの包丁を遠くへと弾き飛ばす。そして苛立たしそうなビエールとへたり込む俺の間にシュタっと猫耳フードの少女が立って現れた。

 気付けば、デイジーも俺の背後に堂々と立っている。幾重もの布束から大剣を解き放って敵を見据えている。すでに臨戦態勢だ。


 窮地に一生を救われた。二人のお蔭でまだ鼓動が続いているのだということは辛うじて理解できた。

 だが、それ以外がごちゃごちゃだ。


 ――何で? 何でこうなってる!?


 取引は成功したのではないのか。ビエールは白旗を振ったのではないのか。少女はこれで自由の身になったのではないのか。

 夢と現実の境界線が分からなくなるほど混乱して、上手く言葉が出せない。視界に映る現実を脳が受け入れまいとしていた。


 唇をわなわな震わせる俺にビエールは言う。


「正直大したハッタリと度胸だったぜ。俺が欲しがるもんより、俺が余所にやりたくないもんを交渉材料に選んだのは見事だったよ。けどな小僧、怖がりなら怖がりらしく家でビクビク震えてりゃあ良かったんだ!」


「――ぇ?」


「チラチラ生垣の方へ目を遣ってるのがバレバレだったぜ」


 すっと顔の血が引いていく。


 俺の不自然な目の動きで、ビエールは成り行きを陰から見守る何者かの存在に気付いた。腐っても商人。視線の動きには鋭敏だ。そして、そんな不審な行動を目の前にすれば、何か企んでいると感じて当然だ。

 後悔に意味はない。取り繕っても手遅れだ。


 俺は、致命的なミスを犯してしまったのだ。


「この俺を騙そうとした罪は重いぜ。まあお前への怒りはそこまでじゃねえが。俺が誰に対して一番怒ってるかと言やあ――」


「あ!」


 無力感に沈む俺の背後で、桑色髪の少女の息を呑む音が聞こえた。だが振り向けやしない。合わせる顔なんてない。

 少なくともこの失敗は俺の中だけで完結させるべきだった。俺の失敗が、俺の犠牲だけで幕引きとなれば良かった。


 ――もしもバレたら死ぬよ――


 でも、そうならなかった。

 失敗した。絶対に駄目な。


「お兄さん――!」


「小娘てめえだああああ!!」


 どす黒く激しい憎悪に満ちた悪意が叫ぶ。


 俺の肩に手を添えた少女が、ビクンと足元から波立つように震えた。小さな指先から少女の緊張が伝わる。

 その緊張へ、悪意は叫んだ。


「俺とジュエリーのことを小僧に話したのはてめえだな! とんだ誤算だ! てめえのせいで、こうして痛みを伴う道を選ばざるを得なくなった!」


「いかん!」


「二人まとめて、代償は払えよ!」


 その先の言葉を予想したのか、デイジーが奥歯を噛んで陽光を浴びて銀色に煌めく大剣を放つ。しかしそれよりも早くビエールは「『召喚』!」と叫び、どこからともなくエメラルドグリーンの大剣を掴み取った。

 結果、踏み込みの浅いデイジーの一撃は封じられる。


 そして、狂気の勅令は放たれた。


「小娘、その小僧を殺せ!」


「ぁ」


 ――あの子はビエールの命令には絶対に逆らえない――


 脳裏にまた一昨日のステラの言葉が過る。俺は恐る恐る、すぐ真後ろに立っている少女へと視線を遣った。

 小さく呻いた少女の身体には紫苑の稲妻。魔力だ。称号の強制力を前に抗うことも許されず、震えていた。


 ――『奴隷』という称号のせいで――


 頭が真っ白になる。自分の犯したミスの重さがのしかかる。

 こうなったら、もうどうしようもない。


「お兄さん、逃げてくださ――!」


「ぁああ」


 少女がガクガクと震えた手で懐からナイフを取り出す。震える銀白は夏の燦燦とした光を四方へ反射し、少女の意思を無視して妖しく煌めく。

 その輝きに俺が抱いた感情は一つだけだった。


 ――怖い。


 ――怖い。


 ――怖い。


「逃げ、て」


 ――殺される!


 俺の衝動は死んだ。願いを叶えさせてあげたいと、守りたいと、そう思っていた少女に対して抱く感情は、もはや恐怖一色だった。

 それ以外は、あり得なかった。


「あ、あぁああ!」


 俺は悲鳴と一緒に逃げ始める。覚束ない足取りで盛大に転び、左肩を地面に強烈にぶつけて血を流す。それでも留まることも痛む肩を押さえることもなく、尻込みしながら地面を這いずって逃げ続けた。みっともなく。

 真っ白。何も考えられないのだ。


 ――死にたくない!


 立ち上がることもできず、俺は一心不乱に後退り続ける。すると不意に背中にチクリと柔らかい痛みを感じた。この広場をぐるりと囲う生垣のグミノキの葉だ。もう逃げ場はないのかと、俺は表情を歪ませる。

 デイジーとアリアはビエールに足止めを喰らっている。

 先程から足元で鳴く黒猫ハチ公は役に立たない。


 ――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。


 ナイフを両手で支えて、少女がまた一歩前へ。


「――――!」


 どうすれば良いのか分からなかった。

 ショートした思考に答えは出せない。


 だからだろうか。


「あ」


 瞳に映ったソレが強く輝いて見えたんだ。


 汚れた左手薬指の指先から僅か数センチ。手を伸ばせば簡単に届く距離に突き刺さっていたのは、アリアが弾いた「初撃」だった。

 ソレを目にして思わず口から飛び出た音は不快で醜悪だった。それでもなお手を伸ばしたくなるような妖しい魅力がソレにはある。


 白銀に煌めく、一本の包丁。


 その凶器に俺は釘付けになる。何たる偶然か。何たる奇跡か。それを手に取れば助かる道が開ける。それが分かってしまった。

 刃物の冷たい輝きが、ショートした思考を代行した。


「――――」


 黒い霧が立ち昇る。俺以外の誰にも見えない黒い霧は、焼ける大地に突き刺さる包丁のすぐ後ろに立ち込めて、やがて人の形になった。――『霧の怪物』だ。怪物は赤い両目を見開き、吐息の荒い俺を見つめている。

 日々の生活の中に生まれた幾多もの甘え。それが集まって生まれた怪物が、自分を構成する雫が生まれる瞬間を待っている。

 新しい甘えが生まれるのを待っている。


 こうするしかないのだ。仕方ないのだ。

 これで少女を殺すしか助かる道はないのだ。

 仕方ない。仕方ない。仕方ない。


「――――ッ」


 グッと奥歯を噛んで怪物が放つ臆病風に堪える。そんなのは駄目だと。俺はこの少女を助けたかったのではないのかと。

 理性を保て。倫理観を捨てるなと。


 そんな葛藤が伝わったのだろう。


「お兄さん」


 少女から発せられた声は場違いなほど優しかった。その穏やかな音色に確かな前兆が感じられて俺は唇を噛んだ。

 次の言葉を耳に入れてはならない。そう思うのに、手は灼熱の大地に縛られたように持ち上げることができない。


 そして、予兆は――。


「お兄さん、私を殺してください」


 俺の心を見透かした少女によって音となった。


 心臓が鷲掴みにされたような痛みが走る。何とか振り払おうとした選択肢が、少女が明確に言葉にしたことで現実味を帯びたのだ。

 苦しい。胸が痛い。選びたくない。もう嫌だ。


 なのに、少女は言葉を紡ぎ続ける。


「お願、いします」


「――――」


「お願いし、ます」


「――――」


 その時になってようやく俺は視界を押し上げた。恐怖の対象だったナイフから視線を外して、少女の顔を見た。

 幼子をあやすような優しい声。なのに。


 目尻に大きな涙粒を浮かべていて。


「――――」


 選択肢は未だに脳裏にある。消えていない。それでも、苦悶の表情で優しい声を出そうと気遣う少女を前にすれば駄目だ。

 地面に刺さる包丁に妖しい魅力を感じられなかった。


 もうどうすれば良いか分からない。


「お、おお、俺は」


「これで――ッ!」


 地面に向かって声を震わせたその時、少女の叫びは俺の迷いを断ち切るかのように鋭く響き渡った。

 ハッと顔を上げて俺はやっと理解した。


 ――ああ、この子を救える手立ては本当にないんだ。


 少女の目尻で耐えていた涙がとうとう頬を伝う。


「これでいいんです! 私はずっと……色々な未来を……諦めて……罰だから仕方ないんだって諦めてきました。だけど……お兄さんに出会えて……ほんの少しの間だけでしたが……私らしい生き方ができました。未来を……書き換えることは……できませんでしたけど……光に手を伸ばそうと戦うことができました」


「――――」


「お兄さんを……殺したくありません。……だから……だから……戦わせてください……私にぃ……最後までえっ」


 何度も途切れる声で少女は必死に言葉を紡いでいく。ナイフを持った手をもう片方の手で無理やり押さえつけて、その姿はとても苦しそうなのに、俺が罪悪感を抱かずに済むように健気に笑顔を作ろうとしている。


 全身から一気に力が抜け落ちていくのを感じた。

 これまでの少女の言葉を思い出し、痛烈に思う。


 ――せめてこの最後の願いだけは。


 迷いが晴れたとは言い難い心境だ。胸が苦しくて張り裂けそうだ。それでもこの少女にこれ以上は辛い思いをさせる訳にはいかなかった。

 重かった左手を地面から離して、包丁の錆びついた柄を掴む。それを見て涙顔の少女は口元を緩め、逆に俺は奥歯を軋ませた。輝く銀白の中に俺は『霧の怪物』を見る。じっと睨む赤い両目が、金属の確かな重みが、頬を伝う冷たさが、左肩から流れる命の脈動が、俺に金切り声で叫んでいる。


 これで本当に良いのかって。


「――――」


 安らかな少女の涙を遮るように、俺は目の前に包丁を立てる。その銀白に自分の情けない表情が映って、ふと思い出す。


 ――あなたには罰を受けてもらいます――


 なあ、女神様。

 罰なんて嘘なんだろ?

 嘘だと言えよ。

 でなければ重すぎる。

 こんな、こんな。


「お兄さん――ッ!!」


「――――ッ」


 叫びは晴天を突き破ってタイムリミットを告げる。





 ――決断の時は来た。





「ごめんな」


「ありがとうございました」





§§§





 小さな一滴が赤く瞬いて、灼熱の大地へと落下した。

 その一滴を追うように、ポタポタと雫は零れ続ける。


「お、お前はっ!」


 どこからか、声が聞こえた気がした。


 得体のしれないものへの恐怖と驚き。先程まで下劣に嘲笑っていた男の声とは思えないほど不安定な叫び。その音に続く者はなく、世界は死んだような静寂に包まれた。そして同時に、あらゆる温度を失う。

 俺はそこに何の色も感じなかった。感じたくもなかった。


 左手から零れた包丁は重力に逆らうことなく落下し、砂の大地に赤く染み付いた命の痕をまっすぐ貫いた。

 陽光に照らされてなお灰色の刀身に、鮮血が伝う。ドクドクと脈動しながら、細く分岐して流れていく命。


「――――」


 もう、いらない。

 命は、解き放たれた。


「――――」


 静寂に包まれた灰色の世界に音が鳴る。

 カキンと音を鳴らして、重く響き渡る。


 その音を背後にしながら、俺はぎゅっと拳を握り締めた。この世を焼き尽くさんばかりの怒りと使命感を瞳に燃やし、諸悪の根源を見据える。

 整然と息を吸い込んだら、あとはこの拳を向けて宣告するだけだ。


「――ぶっ飛ばされる覚悟くらい、あるよな?」


 その瞬間、世界が一斉に自分たちの色を取り戻す。

 音になった感情に触れ、忘れていた色を思い出す。


 声はやはり続かなかった。ビエールも、デイジーも、アリアも、黒猫ハチ公でさえ未だ驚愕と衝撃で空いた口を動かせないでいた。

 震えの止まった俺と、その隣に座り込む命。


 首輪から解放された桑色髪の少女――トオルを前にしては。


【『奴隷』】

ステラ「この称号があると主人契約した相手の命令は絶対に逆らえない」

沙智「主人が死ぬ時は道連れなんだろ。酷いよな」

ステラ「『奴隷の首輪』に対応して称号も与えられるみたい。主人が決まっていない子が拾われて勝手に登録されちゃうケースもあるんだって」

沙智「でも称号を介して強制力与えられるなら何で首輪がいるんだろうな?」

ステラ「そう言えば何でだろう?」



※加筆修正しました(2021年5月21日)

表記の変更

ストーリーの変更


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