第三十二話 『金に至れるかもしれない』
久しぶりの主人公パートです。
『緊急警報発令、巨大なゾンビが西の海域よりロブ島本島に接近中』
『緊急警報発令、巨大なゾンビが西の海域よりロブ島本島に接近中』
『緊急警報発令――』
その日、ロブ島にけたたましく警報が鳴り響いた。
龍神ゾンビが発生して二時間半が経過した午前十時過ぎ、西の海岸では龍神様のシルエットが海上に見えると知識の種族が物見遊山に押し寄せているそうだ。
その一方で、東の浜辺近くにある病院は物静かなものだ。
庭園に出た、白衣の院長は特にそう感じていた。
「結局、誰も看取ってはくれないか」
昨夜から明け方にかけて、ナディアを想って最近彼女と親しくなった少年とアランが口論になった事は院長も聞き及んでいた。その結果がどう折り合いがついたのか知らないが、彼らは危篤のナディアの傍にいない。
これは悲しい事だと院長は溜息を吐く。
丁度その時だった。
病院の黒い柵を脚をかけて乗り越え、玄関口に向かって駆けて来る者がいるではないか。その癖毛と不愛想な顔を見て、院長はすぐに察した。
「ナディアは!?」
「治療室です! ご案内します、アラン様!」
アランは、間に合えと祈りながら決死の思いで走り続ける。
必ず『命の秘宝』を届け、伝えるべき言葉を。
◇◇ 沙智
流れ星大作戦――。
突如発生した龍神ゾンビは、残り三十分で本島西海岸に到達する。
その前に高度を上げて位置エネルギーをふんだんに高めた「空飛ぶ王宮」を、ゾンビにも効くよう俺の能力で聖域化し、ステラの風の操作で対象の脳天目掛けて落下させる。あたかも、空から降る星のように。
これは龍神ゾンビを、海上で、一撃で仕留めるための作戦である。
午前十時七分。
現在俺たちは、空飛ぶ王宮の動力室にいる。
「カロリーネ、目標高度は七千メートルだ!」
「やれやれ、吾輩は別にパイロットではないのだがな」
王宮の中心に位置する動力室には、更に中心に巨大な砂時計のような機械がある。これが宮殿という重い構造物を支えて浮く風船の動力だった。
その動力を弄りながら、金髪で病的な表情のカロリーネは言う。
「この動力で風船内部に電気と熱を同時に送る。ロブ島岩盤の特異電板との斥力だけでは高度七千メートルは実現不可能だからな。それに――」
「電気を流して風船のゴム繊維が強固になれば、高度七千メートルでも気圧差で風船が膨張して破裂することはない。だろ、科学大臣さん?」
言葉を引き継ぐと、彼女は珍しく笑みを浮かべて頷いた。
俺たちが王宮に辿り着いて約十五分。すでに他の風船との間に繋がっていた「滝登り」用のレールは断ち切られ、黄金の風船は上昇を始めている。
龍神ゾンビへ落下させる威力を溜め込んでいる最中である。
この世界一危険な天空遊泳に挑むのは六人。
動力室にいるのが俺とステラに、カロリーネとゴーチエを含む五人。イポリートは別の部屋へ用事を言いつけてある。もう一人は後で紹介しよう。
元々この王宮にいた人間には、危険を伴うので予め降りて貰っている。
「――七千メートルに達したら合図をくれ」
「貴殿の号令で動力のスイッチを落とせばいい訳だな?」
「そういうこと!」
理解の早いカロリーネに俺は得意げにサムズアップする。一方で、頭の固いゴーチエは未だに俺たちが共同で提案した作戦を受け入れ難いようだ。
カロリーネを手伝いながら、彼はボソリと呟く。
「しかし、まさか王宮を捨て駒に使うとは」
「元々は国民の安全を祈って空に打ち上げられたんだろ? なら本望さゴーチエ君。願いは時として葬られることで達成されるのだよ!」
「あんた誰?」
呆れるステラの隣で、俺はしたり顔で高説を飛ばした。
ナレージ大図書館で聞いたシャロンの言葉と態度をそのまま引用したのだが、苦笑いを浮かべるステラにはどうも不評らしい。
もし、理屈を捏ねるのが好きなあの魔女がこの場にいたら――。
「――あれ?」
「沙智、手が止まってるよ!」
ふと違和感を覚えたのだが、ステラに注意をされたので考えるのは後に回そう。因みに俺たちは床に固定された作業台の脚にロープを結んでいる最中だ。
必要なロープは二本。一本はすでに王宮をぐるりと一周させ、外壁に四か所ほど釘で固定して緩く結んある。現在作業中のもう片方が、落下する王宮風船からの脱出に関わるものである。
「非常脱出用の気球の準備ができました、国王様!」
「国王言うな」
「じゃあイポリートさん、気球を外に出してこのロープで繋いで!」
「了解です、ステラさん!」
イポリートに任せた脱出準備は万全のようだ。カロリーネとゴーチエも風船に送る熱の量を調整しながら、空飛ぶ王宮の高度を確認してくれている。
カロリーネの計算によると、高度七千メートルからこの王宮が落下した場合、約八十二秒で地上に達するらしい。『聖剣作製』には効力二分という制限があるので、俺の役目は最高高度に達する直前までない。
つまり、全ての準備が完了したという訳だ。
俺はすっと立ち上がり、伸びをしながら呟いた。
「後は、コイツを落とすだけか」
龍神ゾンビの逆鱗へ、落下させるだけ。
ハイエナ船を出てからこの作業を終えるまでずっと気を張っていた事もあり、少し肩を解しただけで一気に重荷が下りたように感じた。
一方で、ステラは床に座り込んで掌で風を操る練習をしている。
このステラの感じには覚えがある。
関節が錆び付いたかのように動作が鈍く、言葉数も少ない。でも表情は何かに怯えている訳じゃなく、一見緊張して見えるが、そんな単純でもない。
赤い髪の尻尾を風に揺らして、瞳はどこか遠くを見つめる。
ファート島で魔王制御の作戦を行う直前の彼女とそっくりだ。
あの時は、俺は伝える言葉を間違った。だが、繰り返しはしない。
「ステラ」
「何?」
「信じてる」
親指を上げた拳を彼女に向けて、伝えたい言葉を恐れずに。
すると彼女の表情がパッと明るくなり、親指を同じように上げた拳を向ける。自信に溢れた、この屈託のない笑顔が、やっぱり俺は好きだ。
「だから、俺たちならやれる!」
「――当然でしょ!」
きっと今までもそうだったのだろう。
こうやって見えない祈りを、何度も、何度も、空に打ち上げてきたんだ。
現在高度は四千メートル。
後は王宮風船が最高高度に達するのを待つだけと言えども、気がかりは幾つかある。ハイエナ船に残ったエリナの事や、未だ消息を掴めない頭目ロベール、昨夜から消息不明のギーズ、今朝から恐らく迷子中のアルフ。
指を折って数えれば、もう枚挙に暇がない。
そんな中でも最大級の不安要素は、勿論この男だろう。
準備を終え、やっと彼に視線を移せる。
「さて、と」
先にも言及したが、この王宮風船の搭乗員は六名。
王宮勤めの衛兵等が挙って降りた中、彼だけはこの白いドーム状の動力室の隅に放置されていた。より正確に言うと、動けないようロープで拘束されていた。
滑らかな灰色の髪の、剽軽な声の若い男だ。
曰く、王宮で清掃係として雇われている者。
曰く、週末に町でバラの造花を売るピエロ。
そして曰く、ハイエナの一人。
「お前、始末に困るなあ」
「――まあ、そう口を尖らせないで欲しいのです」
身動きが取れないというのに、男は余裕そうに金の瞳を覗かせる。
喚くでもなく、怒るでもなく、叫ぶでもなく、まるでこの非日常を楽しんでいるかのように平然と微笑む男の不気味さに、皆が顔を顰めていた。
彼は、昨日ギーズとハイエナ代表ロベールを仲介した男である。
もしやと思って、王宮で悠々と窓拭きをしていた彼に尋ねてみると、全く抵抗せず自身がハイエナの新参者だと自白したため、急遽拘束した次第である。
なぜ彼が王宮に清掃員として潜伏していたのか、そもそも他のハイエナが行動を起こしたのに我関せずと清掃業務を続けているのはなぜか、疑問は絶えない。
龍神ゾンビを討つ一世一代の作戦の最中、突如として露呈した不確定要素。そういう意味で、この男の扱いが非常に難しいのだ。
そんな俺の苦悩を知ってか知らずか、男は平然と笑いかける。
「始末に困るなら、降ろした衛兵たちに任せれば良かったのです」
「それは吾輩が止めた」
片手を上げて割って入ったのはカロリーネだ。
乱れた長い金髪を掻き毟りながら、彼女は微笑の男を見下ろす。
「タダのハイエナ構成員ならば一向に構わなかった。が――」
そこで、カロリーネは言葉を区切り、右手を持ち上げる。
俺に、彼を下船させるべきだとする意見を直ちに引っ込めさせた、犬も顔負けの鋭い知覚。魔力に混じる悪しき毒に、女は騙されない。
気怠げな表情でカロリーネは、自慢の鼻に指先を置く。
「貴殿、どうも臭うぞ?」
「――」
「何者だ?」
白タイルの半球部屋に動力の稼働音だけがジジジと響く。
一心に視線を集める灰色髪の男は、やはり微笑を浮かべていた。脱力して緊張とは無縁の様子で、俺たちから背けない金色の視線が、不気味だった。
その視線を見ると、こちら側から何かもっと踏み込んだ言葉を続けなければと焦燥感に駆られる。まるで、俺たちが逆に尋問されているかのようだ。
そんな重い空気に耐え続けること一分弱。
男は、口を開いた。
「――私は、金色が知りたいのです」
「は?」
彼の返答は、何者かという問いに対して答えていない。
だが確かにそれが聞き逃せない重大な言葉のように思え、俺たちの誰も彼の声にストップを突き付けなかった。
いや、正確には誰も突き付けられなかった。
俺たちは皆、とっくに彼の異常な雰囲気に呑まれていた。
「誰でも構わないのです。人の血肉を喰らうハイエナの誰かでも、反撃を告げる黒き勇者でも、復讐心に身を委ねる小娘でも、格の低い魔王でも、何なら炎獄王を倒した貴方でも……アァ、この口調はもうウンザリだ!」
灰色髪の男から微笑が消え、清廉な声の質が野太く変わる。
彼の胴を固く拘束していた縄は独りでに千切れ、男は何事もなかったかのように立ち上がった。裾の汚れを叩き、男は部屋の扉へ悠然と歩き出す。
誰一人として、突然の予想外の出来事に反応できない。
皮を自ら脱ぎ捨てた男は、今度は歩きながら扉の前でボソリと呟く。
何かしらのスキルを解除する声である。
『――――』
声に呼応して黒い魔力が迸り、灰色髪の男に掛かっていた縮小の魔法が解ける。細い身体の至る場所が膨張を始め、一般の人間とさして変わらなかった背丈は二倍以上も跳ね上がった。滑らかだった灰色の毛先は蛇のようにうねり、瞳はより一層明るく煌めく。
その玉の降臨を、俺も、皆も、黙って見ていた。
溢れんばかりの威圧感に気押しされ、黙って見ていた。
お前は何者か。
その問いに、男は言葉を使わずに答えていたのだ。
『――人間という無駄な色を捨て去り、一にして完全無欠の価値を示した者が金色に至る。そんな者こそ、私たちの末席<アルカイド>に相応しい!』
赤の大魔王など比べ物にならないほどの圧力。化け物の言っている意味はほとんど理解できなかったが、これは直ちに倒すべき敵だとだけ理解する。
異世界に渡ってからの短期間で場数を踏んできたからか。
俺が一番最初に、正気を取り戻した。
「ス、ステラッ!」
俺の金切り声で、恐怖で固まっていたステラもハッと我に返る。求められた役目も理解したようで、俺とステラは、化け物にほぼ同時に魔法を放った。
「『ウィンドカッター』!」
「『ファイアボール』!」
風の刃と小さな火球は、同時に化け物の背中に直撃した。
しかし――。
「き、効いてないだと!?」
直撃した魔法は背中の衣服を僅かに破って焦がしただけで、ダメージがない。慌てて瞳に魔力を集め、男のレベルを確認すると、また表示はエラーを起こす。
自分の力量では測れない敵の実力は、数値でも測れない。
少なくとも、俺が過去に観測した最高レベル。
赤の大魔王のレベル147を、間違いなく上回っている。
「まさか、無敵、なのか?」
「違うッ!」
気後れして退いた俺に、今度はステラが声を張り上げる。
しかし、その瞳に宿るのは希望を訴える光ではない。俺よりも状況を正しく認識し、俺よりも目の前の化け物に正しく絶望しただけの事だ。
その証拠に、ステラの肩は今も震えたまま。
「あいつ、食らった瞬間に再生したんだ!」
「はあ!?」
「圧倒的な再生能力を有し、赤の大魔王を上回る高濃度の瘴気を漂わせる。そんな化け物のような存在を、私は歴史の中で一人しか知らない!」
ステラの叫びに、興味を持ったのか灰色髪の化け物が動きを止める。
少女は、怯えたまま化け物を、こう呼ぶ。
「――最古の再生の大魔王、『再生王』!!」
化け物は、ステラの断言に金色の目を細めた。
化け物は、目を細めるだけで否定はしなかった。
俺はかつて、その名をナレージ大図書館で耳にしていた。
原初の時代、魔神がまだ神々と剣を交えていた時代、彼は始まりの魔王として、魔神が支配するディストピア世界の幕開けを告げた。神々の首を刎ねること、その数何と驚愕の十四度。手足は千切れても、数分で元通りになる再生の能力者。
シャロンの話では、どこかの迷宮に眠っているという噂で。
「あ?」
その時、俺は不意に思い出したのだ。
西の迷宮の最奥の最奥にあった、乳白色の扉の奥にある月苔が繁茂する謎の部屋。秘宝の真実が刻まれた大理石の巨大椅子のサイズは、丁度――。
それが事実なら、彼が地上に現れる際に必ず通ったはずである。
迷宮のボスが、鎮座していたはずの、あのフロアも。
「――まさか、龍神様もお前が!?」
『つまらぬ事だ、人間』
またしても、化け物は否定しない。
代わりにこの動力室の扉を握り壊して、感慨深げに呟いた。
『この龍の狭い籠の中では良い者は見繕えんと思っていたが、存外この現世は捨てたものじゃないようだ。誰が、人間としての限界を越えられるか?』
化け物は左手を掲げ、どす黒い魔力を鈍く光らせる。
彼を見ていられたのは、それが最後だった。
『さあ、挑め――<汝自らを知れ>!』
◇◇
北の入江近く、港町の四番通り。
トオルは傷だらけで涙を流し、アルフは泥だらけで優しく彼女を包む。ギーズは少女から奪い取った怒りと贖罪を全うするために、聖剣を掲げる。
それで、七年に及ぶ因縁に終止符が打たれるはずだった。
「――ッ! 兎、トオルを守れ!」
「ほえ?」
だが試練は、人の望みや誓いが金に至れるかを強引に試す。
剣を突き立てられて途絶えるはずだった命は黒い魔力を得て吹き返し、男の意識も悲願も呑み込んで、男を構成するデータの全てを書き換えていく。
古の大魔王の力で、強制的に化け物へと書き換えられる。
黒い光の柱は、すでに灰色の空を醜く突き破った。
果たして、誰かが金に至れるか。
§§§
西の海域、ハイエナの赤い木造船。
進行中の龍神ゾンビに並走する船の中では、縄を解いて脱走したハイエナ北軍副代表のランドンを、エリナが猟犬のように追い詰めている最中だった。
この角を曲がって、二時間半に及ぶ逃走劇に終演を。
「ありゃ? 追い詰め過ぎたかな?」
「ア、アアゥアゴオ!」
だが試練は、人の欲望や才覚が金に至れるかを唐突に試す。
炎の剣技に為す術なく散るはずだった命は古王からの祝福を歓迎し、黒い光柱の中で重々しい瘴気にその身を委ねる。
この力が、『人類未踏』を跪かせる力であらん事を望む。
フクロウは見ていた。白き魔女は見ていた。
果たして、誰かが金に至れるか。
§§§
東の白浜沿い、薄桃色の風船が浮かぶ病院。
称号病で苦しむ幼馴染が、息途絶える前に秘宝を届け、今度こそ必ず自分の気持ちを伝える。その一心でアランは走り、遂に病室のドアに手を掛けた。
二年分の勝負と、五年分の好きを、伝えるはずだった。
「ナディア! はぁはぁ、俺は――ッ!」
「――――」
だが試練は、人の約束や恋心が金に至れるかを嘲笑い試す。
称号の罰則で死を迎えるはずだった女性は、新たな称号で命を取り留め、代わりに他の全てを失った。もうこの世界の色は見えない。
もう、好きな人の顔も分からない。
光柱の脇で、コリウスに背を向け風車は回る。
果たして、誰かが金に至れるか。
◇◇ 沙智
空飛ぶ王宮、現在高度は五千五百メートル。
金の瞳の化け物は動力室と王宮正面の二つの扉を開いて、すでに立ち去った後だ。だが三人の大臣も、俺も、彼を、誰も彼を追おうとはしない。
誰も、目の前の信じられない光景から目を離せない。
ナレージ大図書館でシャロンはこうも言った。
再生王は、触れた相手を無理やり、ある存在に昇華させられると。
「ス、テラ?」
動力室に白いタイルとは対照的に迸る黒い光の柱の中で、少女の瞳は今再び真紅を映す。少女を守るように渦巻く黒い風塵が、冷酷に絶望を告げる。
試練が、人の絆が金に至れるかを醜く試そうとしているのだ。
動力の傍で静かに暴走を開始したステラに、俺は呆気に取られて震えていた。苦難を乗り越え辛うじて手に入れた日常が、いとも容易く壊される。
俺と、ステラと、みんなの願いが、望まぬ形で壊される。
――君なら、大切な人が『魔王』に変えられたらどうする?
魔女の過去の問いが、俺の耳で鳴った気がした。
『挑め』
『挑め』
『挑め』
『さあ、挑め――!』
【『汝自らを知れ』】
古の大魔王『再生王』が持っているユニークスキルだよ。触れた相手に『魔王』の称号を与え、その人の魔力の質を瘴気に変えて暴走させてしまうんだって。再生王は魔神以外に称号システムに干渉できる唯一の存在として知られていたんだよ。――沙智が現れちゃったけどね。
※2020年4月7日に投稿




