第三十一話 『世界は灰色かもしれない(3)―後編―』
場所は、北の港町四番通りに移る。
ここで始まるのは第二ラウンドなどではなく、七年を経て交錯した運命を終わらせるエピローグだと、ロベールは勝手に思っていたのだろう。
ならば、運命の悪戯というやつは残酷と言う他ない。
「ふーふふふ、よくぞ来たなノロマめー!」
「獣人だと?」
「ノンノン、私はトオルの友達なのだー!!」
運命は、危険な港町にとんだ異物を連れて来た。いや、正確に述べるなら、異物はこんな運命の輪の中にでも堂々と迷い込んだのだ。
白いウサ耳で友達の声を探して、迷い込んでくれた。
この陽気な兎に少女が救われたのは事実だった。
故に、失念した。
「見せてやる、我がアルフの超必殺技をー!」
「ちょ、ちょっと!?」
嫌な予感を覚えて咄嗟に呼び掛けるが、もう遅い。
アルフは敵の情報を一つも聞かないまま地面に左手をつき、得意の土魔法を発動し始める。すると地面に波紋が生じ、その中心から水色の鉱石が宙に浮き始める。
水色の鉱石は最初は泥のように流動体だった。だが、手前に伸ばした右手から魔力の波動を受けて巨大な拳の形に成形され、固まっていく。
ビリビリと雷を帯びた、第三の水色鉱石の拳。
これは、アルフ唯一の遠距離砲――。
『スーパーアルフズパーンチ!!』
「まずッ!?」
ロベールは防ぎきれないと咄嗟に躱そうとするが、石の拳は兎の制御から外れ、通りの中心をまっすぐに貫いて男のいた場所を吹き飛ばす。
轟音と共に土煙が舞い、遅れて地響きが駆け抜ける。
「――ふっ、やったか」
一仕事終えた、とばかりに兎は満足げな顔で額の汗を拭った。
すぐ隣で、少女が震えているとも気づかずに。
「馬鹿、なんですか?」
「何ですとーっ!?」
「いきなり魔力のほとんど使い果たす馬鹿がどこにいますか!? 阿保なんですか!? 何で敵の情報を先に聞こうとしないんですか!?」
矢継ぎ早に捲し立てると、アルフの目尻に涙が浮かぶ。
しかし、泣きたいのは少女の方だった。折角新たな戦力が加わったと思ったら、秒も立たない内にほぼ残り魔力ゼロのお荷物になったのだから。
さらに苛立たせるのは、攻撃を放った後のドヤ顔である。
ただ、威力は申し分ないようにも思えるのも事実だった。
それがまた、少女には複雑だ。
「今の、土魔法ですよね?」
「地面から岩を引っ張ってきたんだけど、何でビリビリしたんだろーねー?」
「え? ビリビリですか?」
思い返せば、水色の石の拳は電気を帯びていた。
騒がしい兎を無視して、少女は前髪を摘まんで熟考に浸る。土魔法は、水魔法と違ってゼロから質量を生み出すことはできない。通りのアスファルトの下から原料となる岩を補充したと、現にアルフも説明した。
そして、この白い兎に雷魔法の適性はない。
アルフの土魔法が電気を帯びた理由。
水色鉱石の正体は――。
「アルフ、作戦があります」
「ほえ?」
一方、土煙の中でロベールは無事だった。
咄嗟に全身に『武装』スキルを纏わせて対応したが、それでもライフゲージを半分も削った兎の土魔法には感服せざるを得ないと男は感じる。
だからこそ、これで彼女らが「詰み」だとも理解した。
「兎の魔力はほぼゼロ。後一回、魔力を使わせればいつでも倒せる。嬢ちゃんの方は、幾ら魔力が残っていようと俺の防御を突破できん」
ロベールという男は観察眼に優れている。
兎の魔力がほぼ使い果たされたと彼は正しく認識した。
故に、警戒すべきは兎のみ。
なのだが――。
「この期に及んで逃げたか?」
土煙から出ると、もうそこに二人の姿はなくなっていた。
今度は血の足跡すら残されていない。
「いや、アレらは尻尾巻いて逃げるようなタマじゃない」
ロベールはコートを脱ぎ捨て、呼吸を整え直す。
男は彼女らがこのタイミングで必ず何かを仕掛けて来ると確信していた。根拠がある訳ではないが、張り詰めた四番通りの静けさがそう注意を促すのだ。
そして、仕掛けて来るなら、場所は限られる。
男は一歩、また一歩と、通りの南へ歩き出す。
そして、その時はやって来た。
「――ッ!」
「喰らえ、『スモールアルフズパーンチ』!!」
攻撃は男の右方、細い路地を挟んで三番通りから。
先ほどのそこそこ大きな家電サイズの拳に比べれば、ずっと小さなピンポン玉サイズの水色鉱石の拳が男を目掛けてまっすぐに向かってくる。
大方、男の予想通り。
「――っ」
第六感とも言うべきセンスで、男は小さな拳を見切った。迫る石の彫刻を、男は体を背後に倒して、寸前で見事に躱してみせる。
同時に、兎の体に魔力切れの電流を確認した。
もう、彼女らに打つ手は残されていない。
「終わりだ」
「――ええ、終わりです」
男は、背後から聞こえた声に目を見張った。
あるはずがない。あの少女に『武装』スキルを突破できる威力の攻撃手段があるはずがない。急所を狙おうが、全ては無意味に防がれるだろう。
そう思うなら、なぜ少女の声を自分は恐れるのか。
あるはずがない。
そう信じながら、男は声に顔を向けた。
「――ぅぅうッ!!」
左方、同じく細い路地を挟んで五番通り。
少女は口に緑色の布束の一端を咥え、水平に伸ばした左手で布束の反対側の端を押さえていた。ピンと張った細長い布は、まるで弓の弦。
歯を食いしばり、少女は男が躱した小さな魔法の拳を――。
『砲撃!!』
「何ィィィイッ!?」
急所を狙って、跳ね返す。
§§§
少女が持っていた布束は「イノリ七号」という商品だ。これはロブ島の風船に用いられているゴム繊維で、電気を帯びると強い弾性を誇る代物である。
アルフが地下から引っ張り出した水色鉱石が、ロブ島特有の電気を帯びる岩盤「特異電板」の一部ならば、これに触れた瞬間、布束は強い弾性を得る。
破れずに、跳ね返せるという訳である。
「――というのが詳しい説明なんですが」
「全てを理解したー!」
「何も分かってませんね、これは」
咄嗟の事だったので、少女はアルフに指示だけを下した。三番通りの物陰から、ロベールが見えたら残りの魔力を全部使って土魔法を放って欲しいと。
後で説明を求められたら、この様である。
だが少女は、そんな兎にそれ以上不満は垂れなかった。
まだ為すべき後始末が残っているからだ。
「さて――」
「ほえ?」
少女の声音が変わった事に気づいて兎が耳を傾ける。
一方、少女の視線の先には、通りの中心で少女らに足を向けて仰向けに倒れているロベールの姿があった。あのような攻撃の仕方は初めてだったので、さすがに急所は外れたようだ。
それでも胸部は血で赤く滲み、ロベールは虫の息だった。
少女に、男へ向ける憐みだけはない。
足元の小石を少女が拾う素振りを見せると、兎は耳をピンと張る。
「タ、タンマだよー!」
「何ですか?」
少女がしようとしている事が何か分かり、アルフは慌てて少女の前に両手を広げて立ち塞がった。少女がしようとしているのは、男への止めだ。
慌てる兎に対し、少女は淡々とした様子で受け答えした。
「邪魔しないでください」
「だからタンマだってばー!」
無視してロベールに近づこうとする少女に、アルフは声を荒げる。
ここは異世界だ。七瀬沙智の世界と違って、仇討ちを禁じる法は存在しない。それどころか、倒した罪人を一般人が裁くのは良くあることだ。
そんなことは、アルフも承知済みである。
それでもアルフが止めようとするのは別の理由だ。
譲れないものが、あるからだ。
「別に殺すのがどうこうは言わないよー?」
「なら――」
「だけどねーっ!」
少女の声に被せて、アルフの声が寂れた四番通りに木霊する。
アルフは、真剣に問うた。
「殺した後で、ちゃんと帰って来れるー?」
「――――」
少女は答えない。
その後も、答えようとしない。
「今まで通り、笑ってくれるー?」
「――――」
「トオルのままで、いてくれるー?」
「――――」
「別の誰かに、なっちゃわないー?」
「――――」
少女はやはり兎の問いに答えない。
嘘でも当たり障りのない返事は幾らでも思いついたろうに、少女は視線を落とすだけだった。潮風が少女の桑色の前髪を突いて、少女の顔に影を揺らす。
灰色の空と地面に挟まれて、少女は口を閉ざす。
だが兎は、同情などでこの場を譲らない。
昨晩、沙智が少女らに言い聞かせていた事を、ソファーでアルフも毛布に包まって聞いていた。沙智は、知っていた人が別人みたいになるのは怖いと語った。
その言葉は、兎の心を思わぬ方向から強く叩きつけたのだ。
そして今、少女がそうではないか。
復讐心を当たり前のように受け入れる瞳がそうではないか。
「さっちーやステラの所には胸張って帰れなきゃダメだー! それが他の誰かにもできる事なら、私は今のトオルにはやらせたくないんだー!」
沙智とステラと少女、三人との日常が兎は何よりも好きだった。
しかし少女が復讐を遂げてしまえば、少女ももう二度と笑顔になってくれないだろう。少女がお兄さんと慕う七瀬沙智という少年は、そういう憎しみだけに起因した殺しを嫌がるからだ。
それを知る少女が、果たして今まで通りに接してくれるか。
アルフは、大好きな日常を守る働きをする。
そのためならば、戸惑わない。
「なら誰が?」
「勿論、私がやるよー!」
「それはっ!」
止めは私が刺すと真剣に訴える兎に、少女の声がついに跳ねた。
兎の言い分も理解できるとこれまでは沈黙を選んでいた少女だが、獲物を奪うという発言だけは聞き逃せなかった。それだけは耐え難い。
激情を瞳に揺らして、少女は兎に言葉を続けようとする。
だが、言葉の続きは奪い取られた。
少女の意としない、否定をも込められて。
「ああ駄目だ。それは兎の役目でもお前の役目でもない」
突然、声は強く揺らぎない使命感を響かせる。
慌てて振り返った少女の視線の先には、全身を真っ黒に染め上げた男がいた。靴からモコモコとした上着まで、真っ黒な烏のような男だ。
潮風に騒ぐ通りの全てが男の登場を歓迎する。
美しく異彩を放つ翡翠の聖剣を、歓迎する。
「――俺たち勇者の役目だ」
男の名はギーズ。
この世の調停を務めんとする、五人の勇者の一人である。
ギーズは状況を直ちに理解し、目を細めた。
邪魔をするなと厳しく睨む少女に、ポカンと口を開けて耳を傾げる兎、そして朦朧とした意識の中、「なぜここに?」と言いたげな仰向けの男。
音を出せない疑問に、ギーズは答えてやることにした。
「東の浜から入江の灯台まで見えない矢印を幾つも書いていたのさ。未明に浜で合流はずだった部下にしか見えない、矢印をな」
ユニークスキル『メッセージ』。
魔力で書いた文字や記号は、特定の相手にしか認識できない。昨日、沙智と別れた後、ギーズは灯台までの道の至る場所に矢印を書き残した。
部下が、ギーズの足取りを追えるように。
「灯台地下の監禁場所はすぐに見つけてくれたよ」
「――――」
「因みに、攫われていた青目の子供もその部下に回収させておいた」
少女はギーズの説明に思い当たる節があった。
ハイエナの帆船に忍び込んだ際、どうしても弟エリゼや攫われたと思しき子供の姿が見当たらなかったのは、彼が影から糸を引いていたからか。
同じく納得したロベールも目を伏せる。
「そういう訳で、悪いがあんたは俺が殺すぜ?」
「――ッ」
剣の鞘を握る拳に力を入れ、ギーズは一歩踏み出す。
それに焦ったのは少女だ。
「横槍を入れないでください! こいつは私の獲物です!」
「いいや、お前には裁かせない」
「何でっ!? みんなして邪魔をするんですかっ!?」
心配そうに瞳を揺らすアルフに、真剣な表情で見つめるギーズに、少女は拳を宙に振るい、腹の底から金切り声を振り絞った。
奥歯を噛んで、少女はひしひしと肩を震わせる。
手の届く距離に、貫けば怒りを終わらせる心臓があるのだ。
そんな少女を、ギーズはあくまで冷静に呼び掛ける。
「なら、そこの兎をぶっ倒してみせろよ」
「ほえ?」
「そいつを殺すことがお前の至上の願いって言うなら、お前を想ってお前を止めようとしてくれている友達の願いを踏み躙ってでもやってみろよ」
ギーズに指差されて兎は最初こそ耳を傾けたが、彼の言い分を理解すると少女に向けてファイティングポーズを取った。その眼差しは、力強い。
大切な友達だからここは譲らないと、自分を信じて疑わない。
無性に腹が立ち、少女は黒い渦に呑まれていく。
いっそ本当に戦ってやろうかと叫びそうになった、その時だった。
「お前はッ! もうルイスじゃないんだろうッ!!」
「――っ」
初めて、少女が知る中で初めて、ギーズが声を荒げた。
驚いて顔をあげると、彼は悔しそうに叫ぶのだ。
「お前が何でトオルって名前に拘るのかは知らねえ! だがお前がそう名乗るのは、沙智が名前に込めた想いに強く恋焦がれたからじゃねーのか!?」
そして、声は決定的な一言を告げる。
「お前は、沙智らの色に憧れたからじゃねーのかっ!?」
ルイスは、過去に対する怒りと贖罪を望んだ。
ならばトオルは何を望んだ?
はずれの町で、一歩前へ踏み出そうとした沙智。
震えながらも、何かを変えようとする少年が眩しかったのではないか。
――光に向かって手を伸ばしたいと。
「お前は、トオルを犠牲にはできねーよ」
肩に手を置いて横切るギーズを、少女はもう止められなかった。
自分が巻き込んで死なせた五人の友人のために怒りと贖罪を誓って生きてきたはずなのに、やはり運命とは残酷なものだと少女は切に恨む。
偶々運命が交錯して、生まれてしまった少女の分身。
友達と過ごす、少女の別の生き方。
トオルという生き方を、いつしか少女は気に入っていたらしい。
怒りや贖罪と、天秤に掛けられるほどに。
「ねえ、トオルー?」
すっかり覇気を喪失して唇を震わせる少女に、兎が寄り添う。
温かく、兎はその肩を抱いて。
「私は、ルイスがどんなの子だったのか全く知らない。でもね、トオルにはトオルでいて欲しいよー」
「――ぁあ」
「私たちの友達の、トオルでいて欲しいよー」
アルフの穏やかな笑顔は最後の一押しには充分過ぎた。
その温かさを認めてしまえば、少女はもう怒りと贖罪を誓ったルイスには戻れない。無意識に認め、無意識に否定した、トオルを少女は犠牲にできない。
未来を夢見た時にだけ、涙が零れたのだと気づいたから。
「ぁあぁああ」
だから、少女はアルフの胸の中で涙を流す。
罪滅ぼしはもうできないと、泣いて、泣いて。
「あぁああぁぁあああああああーーーー!!」
声が枯れるまで、泣き喚いた。
少女は、トオルだった。
その場に崩れ落ちて涙するトオルを横目に見て、ギーズは固く拳を握り締める。幸せの代償に放棄させた彼女の怒りを、請け負う義務がある。
それが自分の役目だと自負する勇者は、瀕死の男に向き合った。
「ロベール、何で戦ってるのかってお前は聞いたな?」
「――――」
「答えよう」
また会う機会があればと男は灯台で告げた。
だから、ギーズは足を進めながら解答を口にする。
「英雄なんて碌なもんじゃねえ。誰かが救われる物語には、救われない誰かが必ずいる。英雄ってのは、表裏一体の表しか語らろうとしねえ。でも犠牲になった誰かを偲んだり、敵としか扱われなかった奴らを一途に想っていたりする奴らの、行き場のない憎しみってのは絶対にあるんだ」
前を向きたくても、向けない者がいる。
沙智らとの幸せを見つけたのに、怒りを捨て切れなかったトオルのように。
だからこそ――。
「語られない物語の裏を、全部俺が引き受ける」
「――――」
「そいつらが今度は望む未来へ歩き出せるよう、人の憎しみを受け止められる、傲慢で、ワガママな奴に俺はなりたい!」
ギーズが五芒星を掲げる際に唯一守ると誓った制約だ。
守ると誓った、ギーズの夢だ。
「それが俺の戦う理由で、目指すべき勇者像だ――!」
そう格好つけると、瀕死の男の脇でギーズは鞘から翡翠を聖剣を引き抜く。
剣の扱いが苦手な彼でも、勇者としての使命を果たす時は聖剣を抜く。それが勇者としての、礼節だ。その様子を仰いで、ロベールの口元が僅かに動く。
「――ふ、青いな」
今にも消え入りそうな声は、命の灯火が今にも失われることを予感させた。だが彼に止めを刺す事だけが、トオルの怒りを受け止める方法だ。
「枯れて焦げ茶色に拉げてるよりマシだろ?」
「それでも、殺させるべきだった」
ギーズは青く光る聖剣を空に掲げ、一気に振り下ろす。
だが大地から空へ放たれた光は、別の色だった。
瘴気は禍々しく、全てを台無しにする。
瀕死の男の体を改造し、望みも、誓いも、黒く染める。
その暗黒の渦の中で、ナニカが呟いた。
「――手遅れに、なる前に」
【灰目】
青目族が種族名の由来ともなる「デルニエール」と呼ばれる青目状態になる際、制御が不十分だと、どっちつかずの「灰目」となって暴走しちゃうんだって。トオルのお母さんに聞いた話だと、自分の本当の願いを認めてあげると制御できるようになるらしいけど……トオルの本当の願いって、何なんだろう?
※2020年4月5日に投稿




