第十三話 『夢が輝かないはずがない』
異世界生活四日目、つまるところ決戦の朝。呪いに感染したはずれの町住民を救うために俺たちは行動を開始した。異世界転移当初は、こんなことになるなど一体誰が予想しただろうか。いや、まあ予想できるくらいアクシデントの連続であったことは認めるが、儚い希望を抱いていたかった。
作戦は二か所同時攻略。ステラとフィスがジュエリーに探りを入れ、俺とデイジーとアリアがビエールの探りを入れる。ヤマトはいざという時のために、両方にヘルプに入れる位置で待機中らしい。相変わらずの超人っぷり。
とにかく、ポーション奪取を目標に頑張ってもらおう!
――俺の役目は、基本的に顔繋ぎで終わりなんでな。
「髪の毛一本寿命一年、アホ毛を大事に!」
ステラと交わした約束を復唱しながら、なるべく平常心を心掛けて、俺は標石を横切って噴水広場へと踏み込む。
問題の男は、桶一杯の藁に鼻を突っ込む馬を片目に、ベンチを広々と陣取って煙草をふかしているところだった。
「ようおっさん、朝から暇そうだな」
「おう来たか坊主。そちらさんが金蔓――こほん、ご友人かな?」
「今、金蔓って言わなかった?」
細かいことは気にするなとゲラゲラ笑うビエール。なるほど、金の亡者ジュエリーとこの男が組んだのは必然だったのかもしれない。
思わぬ共通点にげんなりとする中、今回の主役が俺の隣に並び立った。
「すまないな店主殿。自己紹介をさせてもらおう」
長い黒髪と分厚い布で覆われた大剣を背負う、長身の女。勇者ヤマトのパーティーでは彼に次ぐ実力者であり、ある東の国には彼女が一人で数百にも及ぶ魔獣の群れを殲滅したという逸話さえ残る、知る人ぞ知る超有名人。
異名は『戦鬼』。姫ではなく鬼である。
そう、彼女の名は――。
「何か良い武器は売ってないか!?」
「自己紹介はどうした!」
七瀬沙智、異世界に来て渾身のツッコミ。
荒ぶるデイジーには、効果がないようだ。
ナレーションさんが完璧な前振りをしてくれたと言うのに、見事に流れを無視して鼻息を荒くする戦闘凶。そう言えば俺たちと初めて顔を合わせた時もこの女だけ名乗りがなかったことを思い出して、嘆息する。
この女、本当に上手く情報を引き出せるのだろうか。
――アリアさんは、あれ?
不安になって、アリアが隠れているグミノキの生垣へと視線を送る。あの無口な少女は緊急時に颯爽と現れる切り札なのだ。
なのだが、あれハチ公と遊んでないだろうか?
「ステラ、こっちは駄目かもしれない」
不安材料が盛り沢山だ。
まあ頭を抱えていても何かが変わる訳ではない。少なくとも情報収集と戦闘準備はデイジーとアリアの領分なのだ。信じて任せて、顔繋ぎの役目を無事に終わらせてフリーになった俺は、勝手気ままに時間を使えばいい。
そう、例えばだ。
「――――」
俺はその場から離れて、桑色髪の少女と向かい合った。
こうして視線だけのやり取りをするのは何度目だろう。
ポーションを譲ってくれようとした時。
話があると伝えてくれた時。
俺の甘えに笑って応じた時。
どうしてまだ町にいるのかと怒った時。
今、目の前に立つ少女は、そのいずれとも違った反応だった。何かを訴えようと口を開いて、しかし結局は何も言えずに閉じてしまう。一旦は居た堪れなくなって俺から視線を逸らそうとしたものの、数秒も経たないうちに、また俺へと視線を戻すのだ。今度は瞬きすらせず、まっすぐに。
「よ」
「はい」
お互いに、言葉数は少なかった。
アリアと喋る時より少なかった。
それでも、音の微かな震えだけで、お互いの不安や怯え、焦り、緊張といった様々な感情を俺たちは分かち合えた。
少女の複雑な感情の揺らぎを受け取って、改めて実感する。かつての俺は一体どうして、この少女を、自己犠牲すら厭わないキャラのような超人だと勘違いすることができたのだろうか。
本当に当時の自分が腹立たしい。
この場に立てばヒリヒリ感じる。これがこの子を救える最後のチャンス。
なのに、その術を俺はまだ持っていなくて。
「――――」
しばらくの間、お互いに何を話せばいいのか分からなくて沈黙が続いた。
茹だるような暑さ。
突き抜けるような晴天。
噴水に飛沫もなく。
風だけが続いていく。
声は俺からだった。
「何で、頑張りたいと思ったんだ?」
特別な妙案に繋がるような問いかけなどではなかった。沈黙に耐え切れなくなって出ただけの虚しい響きだ。
しかし返答は鮮明だ。青空に輝く陽光よりも。
「きっと輝けるからです」
「は?」
――輝けるから?
その言葉の意味が俺には分からない。どれだけ良い未来に飛び立とうと這い上がっても、少女の終着点は焼けるような大地しかないのに。
なのにどうしてお前は今、そんな穏やかな表情でいられるのか?
悔しさを噛み殺して俯くと、灼熱の砂地に小さな命の終焉を見る。空を目指したはずの命の終わりを。
「輝けるって何だよ?」
「昔話を聞いてくれませんか?」
少女は優しい口調で語り始める。
「私には仲の良い友達がいたんです。でも私の好奇心に付き合わせてしまったせいで彼らは『奴隷』にされ、みんな殺されてしまいました。自分だけが生き残ったと知った時、これは罰なんだと思いました。私はこれから『奴隷』として生きる。何も望まず、何も願わず、向けられる全てを受け入れて生きていく」
「――――」
「目の前でビエールが悪事に手を伸ばした時もそうでした。このままじゃダメと思っても、私が何かを望んじゃいけないんだって思ったんですよ」
口調は穏やかなのに、その言葉の数々には荒れ狂う嵐のような激しさがある。そこに少女の人生が詰まっている。
少女は一度目を閉じてまた開く。その瞳には、今日夢に見たセーラー服の少女と同じような悲壮な輝きを感じた。
苦しくて震えていると、少女が不意に表情を和らげるではないか。
「そんな時にお兄さんと出会いました」
「俺に?」
驚いて顔を上げると、少女はおかしそうにクスクス笑った。
「お金も知恵もないのに、苦しんでいる友達のためにどうにかポーションを手に入れようと足掻くお兄さんの必死さが、私には輝いて見えたんですよ。同時に罰だからって言い訳ばかりしている自分が恥ずかしくなりました」
少女は大事そうに両手を胸に重ねる。
そして、その片方を俺へと伸ばした。
「今度こそ、この掌で誰かを助けたい」
「――――」
「光に向かって、手を伸ばしたいんです」
「――ぁあ」
少女の真剣な想いが胸に溶け込んで、ドクンと脈を打つ。
心に様々な感情が生まれて混じり合って、衝撃となった。
今、ようやく分かった気がする。あの夜、少女の話を聞き終えた俺が、海に溺れたみたいに息苦しかったのはどうしてなのか。
過去の甘えを咎められた気がして? 違うそれだけではない。
――少女が、夢を諦める話をしにきたからだったのだ。
それが何よりも悔しくて悲しかったのだ。
「お、お前は――」
「お兄さん?」
湧き上がる感情をもはや抑えきれない。心配そうに桑色髪を耳から溢して首を傾げる少女に俺は尋ねる。
「何か、やりたいことはないのか?」
「え?」
「何かなりたいものはないのか?」
「わ、私は」
誰かの心を動かすのは、いつだって本気で何かを成し遂げようと努力を続けてきた人間の言葉だろう。
だとしたら、この空っぽの声が行き着く先は、夢の中で「誰か」が発した無様な叫びと同じ場所になるかもしれない。
それでもだ。
「どうなんだ?」
声を一段強く震わせると、少女は数秒あわあわと唇を動かしたあと、今にも消え入りそうな小さな声で返答する。
初めて『霧の怪物』の吐息に靡いた瞬間だった。
「私は『奴隷』で……」
やはりと俺は目を細める。将来の夢や自分の名を呼ぶ人がいる未来――俺が過去の甘えを隠してきたなら、少女は自分の未来への渇望を肌の下に隠すのだ。
ならば、俺が同じくメスを突き立てることを厭うものか。
「甘えるな」
「――――」
低い声を被せると、少女は咄嗟に口を噤む。
そこへ前のめりに問いかけを重ねる。
「ないのか?」
いつしか俺の方が少女よりずっと感情的になっていたようだ。奥歯を噛み、俯いてしまった少女の願いを切望した。
しばらく経って少女が顔を上げる。俺は息を呑む。そこにあった表情は、不安や怯えとはまるで無縁の、すっきりした表情だった。
悔しくて自然と視界が落ちる。全て見当違いではないかと疑うほど晴れやかな少女の表情に、俺は不安で押し潰されそうになった。
だけど、次の言葉は劇的だった。
「――ありますよ」
慌てて顔を上げる。視界に映る少女は、溢れ出さんばかりの涙粒を目頭に必死に繋ぎ止めて優しく微笑んでいた。
その笑みは、小指で軽く突くだけで崩れそうなほど脆く。
「たくさんありますよ。可愛らしい柄の蝶々を探すことに一日使ったり、途中で見つけた美味しそうなケーキに見惚れたり、偶然出会った人と何気ない話で盛り上がって、友達になったり、他にも色々たくさん」
「――――」
「言葉にしきれないくらい、ありますよ」
出口を見つけた願いにもはや遮るものはいらない。もう見て見ぬ振りをすることなんて誰にもできない。
言葉にしてしまったら抑えられないものだと知っている。
「そっか」
空気を抜いたように全身から張り詰めていた力が抜けていく。固く強張っていた表情筋も緩み、祈りにも似た想いの発芽を俺は自覚する。
――俺は、この子が夢を叶えるところを見たいんだ。
拳をもう一度握り直す。文字の世界に存在する英雄などでなく、俺たちと何も変わらず夢を持ち、変わらず自分には分不相応だって諦めて、変わらず陰で涙を流す少女がいた。心の底から尊敬する少女がいた。
その願いを見届けるためにリスクを負って良いはずだ。
「だったらそれを全部、叶えに行こう!」
「え?」
何の憂いもない晴れやかな笑顔で俺はそう言い切ると、思いがけない返答に戸惑う少女に背を向けて歩き出す。早まる心拍に呼応してか足取りも早く、掌が真っ白になるくらい力の入った拳を前後に振る。
力強く足を止めた場所で「おっさん」と声を発して。
「――やっぱりあの子、売ってくれないか?」
俺とビエールの第二ラウンドが始まる。
§§§
まさか第一ラウンドのポーション戦に続いて、自称コミュ障の俺が二度も話術を武器に選ぶとはな。
自分で自分に呆れながら、俺はビエールがデイジーにセールストークを披露しているところへ割り込んだ。
「何だ藪から棒に――でもないか。二度目だもんな」
ビエールは片目を吊り上げるも、昨日の夕方の俺の行動を思い出して、納得と同時にやれやれと首を横に振った。
予定にない行動だったが、デイジーも目を見張るだけで動かない。昨夜の恥ずかしい宣言は無駄ではなかったようだ。有難い。
そうなると、必然的に取り残されるのは少女だ。
「お兄さん、私はそういうつもりで言ったんじゃ――!」
「頼むよ」
「そうは言ってもなあ」
少女の慌てた叫びを力ずくで上書きして、焼き焦がさんばかりの熱視線をビエールの横っ面に叩きつける。
バクバク喧しい心音は視線を強めて誤魔化せ。
やることはポーションの時と同じだ。
商品が陳列される瞬間を待ち――。
「こいつは七年前に偶然拾ったんだが、それなりに良い働きをするんでな。まあ百万トピア積まれたら俺も考えるかもしれねーが」
値札が付けられたら――。
「良いじゃんか」
あとは等価の物を提示するだけで良い。
「大切なショーに必要なポーションだって譲ってくれたろ?」
「小僧、今のは!」
「まあまあ少し裏で話さないか?」
――敢えて繰り返そう。俺の土俵に乗ったな?
所詮世の中は物々交換。物でも情報でも価値が付く世界。通貨社会の礎となったトレード社会の恐ろしさを思い知るがいい。
俺は怖い顔のビエールに、してやったり顔で笑ってやった。
【アンテナ】
ステラ「しかしあんたのアホ毛は立派だよねえ」
沙智「出たアホ毛弄り!」
ステラ「切ってみてもいい?」
沙智「別に」
ステラ「いやアイデンティティくらい守ろうよ!」
沙智「どうせ翌日には元通りだしな」
ステラ「???」
※加筆・修正しました(2021年5月21日)
表記の変更




