表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
139/193

第二十三話 『ムリカモシレナイ』

◇◇  ステラ





 少しでも気を抜けばきっと真っ逆さまだ。

 ロープを掴む手が滑らないよう気を配り、ゆっくり体を降ろす。この果てしなく深い縦穴は、星の中心のマグマまで続いているよう私に感じさせ不安を煽った。


 本当はこの縦穴は永遠に続いてるんじゃない?

 声が暗闇から響いたのは下唇を噛んだ矢先だったんだ。


「どっかから酒でも湧いてないかしら?」


「さっちー! 返事しないと水飴塗って齧っちゃうぞー!」


 非常時らしくない二人に私の緊張も一瞬でどこへやら。

 慎重に足の指先で地面を確かめると、まずは目を閉じて周囲を感じる。


 まず最初に肌に感じたのは異常な湿度の高さ。

 そして全く流れのない重苦しい空気。


「――いい加減、この石っころも見飽きたわね」


 火球が灯ったのだと分かって瞼を開くと、視界にまた鍾乳石の楽園が広がった。

 それなりに広さのある部屋の中心でエリナは乳白色の足元をつまらなさそうに見下ろし、アルフは珍しく迷子にならずに飴を舐めて大人しくしている。


「沙智たちはどこだろ?」


「ここが迷宮の本当のゴールなのー?」


 環境に馴染むと、各々が内から湧く疑問に首を傾げた。

 アルフは氷のフロアが最奥だというロブ島の言い伝えと現状の齟齬に苦しんで頭から煙を吹いているけど、私としては姿が見えない沙智たちが心配でならない。


 この四角い大部屋から進める道はどうやら二つあるみたい。

 沙智たちの行方を私が辿る一方で、エリナはアルフの疑問に答えた。


「私たちはゴールにいつも一つのご褒美を求めてる」


「それってお宝のことー?」


「あるいは表彰状か賞金かもね」


 その考え方は実に物質主義者のエリナらしい。


 形の無い物には思いを馳せない。

 彼女は鍾乳石の天井に空いた穴を見上げて目を細めた。いや、ひょっとすると彼女の視線の先にあったのは氷のフロアで地底湖を見つけて感動した過去の自分たちなのかもしれない。


「ご褒美を貰えたら私たちは満足して、それ以上の歩みを自ら放棄してしまう。でも掌に掴んだそれは誰かの真実であっても、事実とは限らない」


「――っ」


 確かカロリーネも王宮で似たようなことを言っていた。

 私たちは『命の秘宝』という真実をゴールに求めた。だけど、秘宝という真実が別の存在を――この迷宮に全く別の事実を隠していたとしたら?


「迷宮が秘密にする本当のお宝、一体何かしらね?」


 この未開のエリアに何かがあるかもしれない。

 キラリと目を輝かせて意気揚々と叫んだのはアルフだ。


「古代の失われたキャンディーがお宝だー!」


「いいえ、伝説の蒸留酒に決まってるわ!」


 欲望に忠実な人たちだな、全く。

 西の迷宮に隠された本当のお宝――当然私だって興味を惹かれない訳じゃない。ただ、現状はそれよりも優先すべきことがあるというだけだ。


「まず沙智とアランを探そうよ。どっちの道に進んだと思う?」


 無駄話ばかりしている二人に少々苛立ちながら、私は二つの道を両手で指し示した。穴からの落下点にいないという事は、彼らはどちらかに進んだはずなんだ。


「心配?」


「まあ」


「乙女ねえ」


「そ、そうじゃなくてっ!」


 エリナは息をするように私を揶揄うと、二つの道にそれぞれ視線を遣ってアルフの肩を叩いた。どうやら『人類未踏』様にはどちらが正解か分かっているらしい。


 意地悪な人だな。

 私が腕を組んでエリナを睨む一方、出番を貰ったとはしゃぐアルフは顎に手を当てて考えた。その数秒後、自慢の白い両耳をダウジングのように傾ける。


「アルフセンサーによればこっちだー!」


 兎の少女が選んで向かったのは右の道。

 それを眺めてエリナは満足そうに頷き、もう一つの道へ向かって歩き出した。背中を向けたまま、こんな爆弾発言を残して。


「そっち、ドラゴンの巣よ」


「アルフっ!」


「ほえ?」


 慌ててアルフの手首を掴んだ私には聞こえていない。

 なぜボスフロアより下層に別の魔獣が生息しているのか、エリナが不安を伝染させないよう浮かび上がった一つの疑問を胸にしまったと気づいていない。





§§§





 セオリーを破ったのは私のせいだ。

 誰かが遭難した場合、二次災害を防ぐために一度迷宮を抜け出して助けを呼ぶのが原則だった。知識としては弁えていたけれど、それに頭をどうしても下げられない自分が心の中に潜んでいたんだ。


「別にあんたのために進むと決めた訳じゃないんだからね」


 目敏くエリナは心の中の葛藤を見つけて、今もこう言う。

 この細い鍾乳石の道を一歩、また一歩と歩む度に私たちも遭難する危険が増しているのに、私の罪悪感に気づいて優しくツンデレを発動するんだ。


「そもそも私がいれば迷子にはならないわ」


「どうして?」


「炎で天井を貫けばまっすぐ迷わずに帰れるじゃない?」


 この人は何を言っているんだろう?

 隣で私に手首を掴まれたままのアルフが目を輝かせて賛美の声をあげているけれど、果たして本当にそんな真似ができるかは疑わしいところだ。


「最悪、私の親友の地獄耳にお世話になればいいのよ」


「地獄耳ってなあにー?」


「私の友人、星の彼方からでも誰かの『助けて』が聞こえるのよ」


 おや、どこかで聞き覚えのある話だ。

 私が思い浮かべたのは麦色の町の外に広がる草原で出くわした群青の男。赤の国でお別れを言う間もなく去ってしまった勇者の背中だった。


「もしかしてヤマト?」


「ありゃ、知り合いだった?」


「うん、私の故郷で一悶着あった時にね」


 まさかエリナがヤマトの友人だったとは。

 強い者同士で何らかの繋がりが生まれたのかと最初は思ったけれど、どうも彼女の話を聞いていると違うようだ。それこそ、沙智が聞いたら仰天しそうだよ。


「私とヤマトとフィス、三人が同じ村の出なのよ」


「恐ろしい村だね」


「ミミズのせいで滅んだけどね」


 意味が分からないけれど、エリナも深く語る気はなさそうだった。

 私が思考を諦めた隣で、アルフはなぜか妙に浮ついて耳を直立させている。確か、彼女が沙智を追ってナディアさんの病室に押し掛けた晩も私とトオルに同じような反応を見せた。


「もしかしてヤマトのこと――」


「ええ、好きよ」


「わーお!」


 そう、人の心を土足で踏み荒らす無邪気な兎の反応だよ。

 アルフに呆れる一方で、あくまで淡々と答えたエリナの後ろ姿が私には不思議だった。だって彼女は物質主義者で、精神的な存在を認めないから。


「エリナは『好き』とか興味ないと思ってた」


「そう言えば形ないもんねー?」


 アルフと首を傾げ合う私。

 そんな光景を振り返って、エリナは素朴に笑った。


「形ならあるわ、すっごく傲慢だけどね」


「ほえ?」


「それより、前に面白いものが見えるわよ」


「――っ。」


 雑談に花を咲かせていたところに飛び込んできたのは巨大な肉塊。

 狭い細道にギュウギュウに挟まって硬直する爬虫類のお尻だった。


「まさかドラゴン?」


「ぎゃー! 食われるー!」


 アルフが青褪めて後方に飛び退き、私は短剣を抜いて警戒した。

 でも強大な魔獣が動く様子はなく、すぐに体の異常にも気がついた。


 このドラゴン、尾が切断されている。

 それに体を覆う固い鱗には表面に鋭利な刃物で傷つけたような痕があり、傷が出来て間もないようだった。このドラゴンはつい一時間程前に、何かと戦ったんだ。


「邪魔ね、『ファイアボール』」


「ほえ!?」


「もう死んでるわ」


 呆気らかんとした態度でエリナは人差し指に火炎を生み出すと、躊躇なくドラゴンの体へ移した。通常の『ファイアボール』と火力が違うのか、火のついた場所からドラゴンは炭へと変わっていく。鱗が高く売れるはずだけど、これだけボロボロだと値打ちはないと判断したんだろう。


 唐突に始まった火葬の背後でアルフは縮こまって戦々恐々としていた。

 きっと沙智がいても同じ反応だっただろうな。


「何も焼かなくてもー?」


「ダメなんだ。ドラゴンが死後に高確率で転生するドラゴンゾンビはすごく危険だから、アルフがポーチにしまってる美味しい飴をぜーんぶ食べられちゃうよ?」


「どんどん焼こー! 髭の一ミリも残さず焼こー!」


 ドラゴンへの畏怖も大好物の飴には及ばないらしいね。

 さっきの大部屋でエリナが巣について言及していたからドラゴン自体にはさほど驚かないけど、これが目の前で死骸になっているのは不思議だった。


「何でこんな場所で死んでるんだろ?」


 深く考えずに疑問を吐露する。

 そこへ厭らしい笑みを投げかけたのはエリナだ。


「例えば、誰かが倒したとか」


「――っ」


 その瞬間、頭に電流が迸った。

 狭い道に誘い込んで倒すという地形を利用した戦闘方法、実に沙智らしいじゃないか。あの大部屋でドラゴンと出くわし、この道に逃げ込んだ過程で作戦を思いつき、実行したとするなら筋も通る。


 数分待って、肉は炭になった。

 白い骨のアーチを潜って段差を降り、急いで進むと開かれた扉。

 その奥で煌びやかに光る何か。


「そう、これが事実なのね」


 光を呆然と見つめてエリナが物憂げに言い放つ。

 だけど私は周りなんて気にせずに無心に走った。


「――」


 だって、幻想的に輝く景色の奥に見つけたから。

 やっと、やっと……。


「――何とか言えよ、キュリロス!」


 やっと見つけた沙智は悔しそうに俯いて無言だった。

 声を掛けようとして、手を伸ばせない。


「『命の秘宝』がないなんて嘘なんだろ、なあ!」


 迷宮の最果てに眠る本当のお宝。

 その輝きに包まれて、八つ当たりを受ける椅子の悲鳴が虚しく轟いた。





§§§





 それからは誰も何も喋らなかった。

 黄金の地底湖には誰も目もくれず、ただ意思のないカラクリのように魔獣を切り捨てて帰路を進んだ。未練があっても何も掴めない――亡霊にそっくりだ。


 迷宮を抜けると、空は悔しさのあまり鼻頭を赤く染めていた。

 もぬけの殻たちを励ます言葉が、きっと見つからなかったんだろう。


「……沙智?」


「頼むから少し一人にしてくれ」


 私もどこか侘しい夕焼け空と同じだった。

 思い詰めた表情で広場の入り口へ歩く沙智に掛ける言葉が見つからない。『命の秘宝』はとっくに、ソフィーへの手土産以上の意味を彼に与えていたんだ。


 時計台は肌寒い夕焼けの終わりを刻々と加速させた。

 望んでも、その秒針は止められない。


「あんたは月苔が発端となった歴史的事件を知ってる?」


「九百年前にあったっていう“毒の三か月”でしょ」


「さすがは『歩く辞書』ね」


 エリナは私の回答に満足そうに頷くと、ベンチに両腕を伸ばして寛いだ。

 今攻略の結果に落胆する私たちと違って彼女は平然とした様子。すぐに割り切って淡々と背景を確認する彼女を恨めしく思ってしまうのは私が未熟だからかな。


「迷宮に自生する月苔を食すと不死性が得られる。そんな神話を信じて当時、挙って冒険者共が多額の資金を費やして装備を整え、迷宮攻略に励んだわ」


「でも望んだ不死性は得られない。大金をドブに捨てたと気づいた彼らは、損失分を少しでも回収しようと月苔を薬草と偽って市場に流した。その結果――」


「たった三か月で何千という人間が中毒で死んだのよ」


 この事件をきっかけに月苔の毒性は広く知られるようになった。

 だけど神話を信じる者もまだ少なからず存在したから、西の迷宮にも月苔があると知ったキュリロスは龍と共謀し、悲劇を繰り返さないための決断をした。


 氷のフロアに命の秘宝眠る。

 青き龍神それを守る。


 結果、偽物のゴールテープに冒険者たちは満足した。

 月苔を隠し続けることができた。


「迷宮のゴールと誤認させられれば『命の秘宝』が本物でも偽物でもどっちでも良かったのね。結果、事実は彼らにとって最悪だったけど」


 あの黄金の水では誰の命も救えない。

 それが受け止めなきゃいけない事実だった。


 でも、悪夢はまだ終わらないんだ。


「――アラン、やっと帰ってきたか!」


 駆けて来たのはアランと口論していた迷宮管理局の老人だった。

 膝に手をついて息を荒くし、切羽詰まった表情を向ける彼に嫌な予感はした。白い便箋を持った左腕をぶるぶる振るわせて、老人は口から悪夢を告げるんだ。


「すぐに戻れ、ナディアの病態が悪化した」


「――っ」


 直後、沙智の顔が強張り、アランの握り拳が解けた。

 老人の荒い息だけが続く夕焼けにボソリと生気なく声が生まれる。


「知ってたのかじじい」


 アランのそれは悪夢に対する返答じゃなかった。

 老人は最初は意味が分からない様子だったけれど、俯いたままの彼の雰囲気から察したんだろう。納得から憐みへ表情が移り変わるのはすぐだった。


「言ったろう、雲は掴めんと」


 ギシシと鈍く歯が擦れる音が最後だった。

 それ以来アランは感情を失って、完全に抜け殻になった。





◇◇





 空になった白いマグカップが卓上から零れてギーズの後悔は始まった。

 強い警戒を巡らせるロブ島から商業許可証を獲得した商船『ソーン』は白だ。ギーズらがそう油断する未来を、彼らはただ直向きに待ち続けたのだ。


 同じ国で再びビジネスを行うのはハイリスク。

 その常識に囚われず、七年前から背中に槍を突き刺す瞬間を狙ってた。


「気づかなんだな、俺らが『ハイエナ』だ」


 その点、彼の向かいの男――ロベールは慎重に事を運んだ。

 新入りの部下を利用して『ハイエナ』に執着する勇者を誘き出し、彼が求めた肝心の意見交換には妙な間を何度も作った。結果、最も作戦の邪魔になり得る人物の無力化に成功したのである。


「私が王宮の人間と勘違いしたのです?」


 マグカップが割れた音を合図に灰色髪の男が入室する。

 彼こそが商人の目線で『ハイエナ』を辿ってみてはとギーズに提言した張本人であり、約三週間前に『ハイエナ』の一員となった男である。


「下手に出された紅茶を飲むからいけないのです」


 青い花びらの造花を片手でクルクル回しながら、彼は卓上に突っ伏して動かなくなったギーズを見下ろして嘲笑する。彼のその態度をロベールは気に食わない。


「本当に殺さなくていいのです?」


「それより『命の秘宝』の方はどうなってる?」


「……首尾は上々なのですよ」


 露骨に話を逸らされて複雑そうな灰色髪の男を放って、ロベールは窓から入江を眺めた。数珠繋ぎに並んだ木船が出航する時、彼もまた戦わなくてはならない。


「なら明日の未明、二つのプランを実行する」


 ロベールは断腸の思いで部下の顔を見ずにそう告げた。

 卑しき猛獣の頭を断ち切るために、全てを犠牲にする覚悟はできている。


 灰色髪の男が敬礼して去った後、ロベールは勇者の向かいに再び立った。


「勇者殿、また会う機会があれば聞かせてくれ」


 ここはロブ島北の入江の寂れた灯台の一室。

 海は、今日も穏やか。





「――あんたは、なぜ戦っている?」


【命の秘宝】

 ロブ島西の迷宮最奥に眠るとされているアイテムで、『世界樹の涙』と同じものだと思われてた。でも実際は月苔を隠すために用意された偽物で、この水は誰も癒せない。ねえ、もしも初めから『命の秘宝』が偽物だって分かってたら――。



※2019年12月24日投稿


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ