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第十九話  『借り物の瞳には映らないかもしれない』

 ナレージと王宮に訪れて三日後。

 迷宮へ向かう予定の穏やかな朝はこんな会話から始まった。


「エリゼの様子がおかしい?」


 牛乳を飲みながら首を傾げると、トオルは難しい顔でコクリと頷いた。

 この十日ほどでトオルと家族の間にあった時間の壁はガラガラと崩れて僅かにしか残っていないように思える。だからこそ、七年前に慣れ親しんだ感覚の再生とともに生じた違和感を拭い去れないのだろう。


「この数日どうも夜更けに出歩いてるようなんですよ」


「ウミホタルでも見に行ってるのかなー?」


「そんなに自然観察に熱心な子じゃないですよ」


 朝からソファーで転がるアルフの推測に対しては俺もトオルと同意見だ。

 彼が初めてウミホタルが一面に海を覆う“星の絨毯”について教えてくれた時も、自分の知識を披露したいという可愛らしい理由で動いていたように感じた。


 ではエリゼが夜に出歩く理由は何だろう?

 そう考えると確かにトオルが不安に思うのも理解できる。


「変と言えばさっちーも変だよねー?」


「俺のどこが?」


「だって昨日の夜中、ずっと物音立ててたじゃんさー!」


 相変わらず耳が異常に敏感に働く兎である。

 女子組はトオルの部屋で、俺はエリゼの部屋で就寝している。隣の部屋と言えども、布団の中で体勢を整えるようなゴソゴソ音をよく拾い取るものだ。


「本を読んでただけだよ」


「さっちーが寝るのを惜しんで読書ー?」


「お兄さん、悩みごとでもあるんですか?」


「本くらい読むわっ!」


 全く、失礼な奴らである。

 確かに本を読んでいただけという訳ではないが、俺だって興味のある本に没頭するくらい数年に一度くらいはあったような気がしないでもない。


 アルフのせいで話が逸れてしまった。

 今は夜に出歩くエリゼである。


「まあ気になるなら見ててやれよ、お姉ちゃん」


「茶化さないでくださいよ」


 トオルは頬を膨らませるが、テルニケ島の迷宮攻略にそう何日も掛けるつもりはない。『命の秘宝』入手がどうしても行き詰まれば早々に諦め、情報だけをソフィーへの手土産に持ち帰る予定である。


 テルニケ島へ行くには南の港で連絡船の予約をしなければな。

 牛乳をグッと飲み干した俺は用意を済ませようと二階へ――。


「にしても朝から騒がしい」


 行こうとしてリビングの戸から玄関の方を覗く。

 俺が朝食を取り始めてから終わるまでの間、ずっと小さなログハウスの入り口では決死の攻防戦が繰り広げられていた。小さく儚きを愛す同士であるはずなのに、愛し方がまるで違う二人の価値観を賭けた戦いである。


「だからルイスには髪の毛ほども興味ないっての!」


「ダメ、ロリコンの入場断じて禁止!」


 トオル愛護団体委員長と紳士的な勇者の対峙はそれから数分続いた。

 傍目から一言送らせてもらおう――実にくだらない。





§§§





 南国のような海景色とは対照的に今日は一層と冷え込む。

 ダウンの分厚いポケットに両手を突っ込んで、陽光を燦燦と浴びる澄んだ海辺を南へゆっくり歩いた。珊瑚の砂がシャカシャカと音を奏でて早朝から来客二名を歓迎してくれる。


「お前に一応、経過報告をしておこうと思ってな」


 経過報告と聞き、先日王宮に持ち込んだ懸案事項の事かと納得した。

 ギーズはあの秘密話をしようというのだ、そう――。


「『サバンナプロジェクト』の話だな?」


「何度も言うが大真面目な話だからな」


 真剣な話は総じて眠気を誘う、せめて作戦名くらいはふざけたい。

 ギーズは嘆息すると足元の錆び付いた空き缶を海に蹴り上げた。静かな水面が調和を失ってポチャンと弾け、美しい景色を汚す異物を見えない海底に沈めて隠す。


 彼が『ハイエナ』に執着するのはトオルのためか。

 それとも彼自身が心に引っ掛かる何かを抱えているからか。


「つっても進展があった訳じゃないから気軽に聞け」


「何だよ、ちびっ子に現を抜かしてないで真面目に仕事しろロリコン」


「王宮サボりのお前が言うな新国王!」


 互いに憎まれ口を叩き合って各々の感情の昂ぶりを洗い流す。

 今回の件はトオルという身内の問題を抱えているだけに、問題対処を考える際に感情的になりやすい傾向がある。それを俺もギーズも充分に理解しているため、お互いに冷や水を浴びせることを忘れてはいけない。


 ギーズは小さく息を漏らして呼吸を整える。

 次に口を開く瞬間には冷静な分析力を有する青目の勇者だ。


「モリスに頼んで赤の国に待機してるコリンらに伝書を送った」


「増援に来てくれるのか?」


「いや、ロブ島から敵を逃がさないための包囲網を作るんだ」


 単純に戦力増加を喜んだ俺と違ってギーズは先を見つめているようだ。

 コリンという人物は俺に『鯉のぼりの口』を投げつけて負傷させた張本人である一方で、ギーズが率いる勇者パーティーのナンバーツーの男である。


 ギーズは波打ち際から遠く広がる青い海に臨んだ。

 見つめる先にあるのはやはり過去に逃げられた奴隷船か。


「七年前はロブ島海域の霧で奴らの船を見失ったが同じ轍は踏まない。当然、何人かはロブ島に潜らせるつもりだが、基本的には海上で待機させる」


 決して敵は逃がさない――ギーズの力強い横顔がそう告げた。

 王宮での預かるという宣言通り、彼の準備は詰め将棋のように抜かりない。


 ならば問題は未だ掴めない『ハイエナ』の尻尾か。

 シャロンが予言を下して三日、王宮では外海からの不法入国者がいないか丹念に調べているようだが、依然として敵の全体像が見えないのが現状である。


「俺たちの他にロブ島に入国してるっていう――何だっけ?」


「商船『ソーン』の事か?」


「そう、その搭乗員は本当に怪しくないのか?」


 俺たちと同じく外海の人間なら『ハイエナ』候補ではと疑ったのだが、ギーズの反応は芳しくない。恐らく彼がロブ島政策の内情に精通しているからだろう。


「王宮が厳しい査定の結果、五年前から入港を特別に許可した商船が『ソーン』だ。四半期に一度、搭乗員について細かい調査を代表ロベールが行い、通商大臣のイポリートが念入りに審査している」


 お手上げである。

 そう残念そうにギーズは肩をすくめた。


「奴らは限りなく白くて丸い連中さ」


「『ソーン』は“棘”って意味なのにな」


 結局は一筋縄ではいかないという感覚を共有し合っただけに終わった。

 シャロンの予言という実証可能な根拠が微塵にもない土台の上で始まった捜査である以上、進展がないのはある種仕方なく想像もできた事ではある。


 しかし耐え切れぬ徒労感は確かにあった。

 嘆息する俺の隣で、波打ち際から戻ってきたギーズが「精々分かっている事と言えば――」と苛立ち混じりに素っ気なく吐き捨てる。


「ロブ島が『ハイエナ』北軍の担当区域ってことくらいだな」


「北軍って?」


「おいおい知らないのか?」


 首を傾げると、ギーズがギョッと目を引ん剥く。

 俺の『ハイエナ』についての知識はギーズから赤の国で教わった情報で成り立っていると言っていい。ギーズが話していないことを知っているはずがない。


 無知を踏ん反り返る俺にギーズは呆れて溜息をつく。

 そして俺の胸に指を突き刺して面倒そうに説明を始めるのだ。このささくれ立った様子を目の当たりにすると、懇切丁寧に教えてくれるステラはやはり特殊だと改めて実感する。


「『ハイエナ』は東西南北の四つの組織で商売地域を分割してる。各軍に特色があって、北軍は奴隷事業の他に貴重なアイテムの違法売買で有名なんだ」


 なるほど、資金稼ぎに手段は問わないタイプか。

 もしかすると『ハイエナ』がロブ島に拘るのには西の迷宮でのアイテム狙いも視野に収めているからだろうか。これから迷宮に赴く身としては不安が過る。


 そんな緊張の中、拳は強く模られた。

 確固たる決意の再表明である。


「――まあ北軍は俺たちが一匹残らず潰すがな」


 ヤマトが澄んだ群青の力を体現するなら、ギーズは他の色を寄せ付けない漆黒の意思。睨んだ獲物をひたむきに狙う烏にも確かに五芒星が輝いているのだ。


「ところでお前……」


 だが不意にギーズは固く刻まれた決意の表情を揺らがせた。

 不安に揺らぐ光を、俺は三日前にもステラの瞳に見つけたばかり。


「ルイ――いや、トオルにこの話はしたのか?」


「『ハイエナ』が潜伏してるかもしれないって話をか?」


 俺たちの間にしばらくの気まずい沈黙が生まれた。

 トオルが七年前の事件を払拭できていないというのは俺たちの共通の認識である。しかし少女を考えると、お互いに「言うべき」か「言わないべき」かの選択肢を持ち合わせていないのだ。


「言える訳ないだろ」


 ようやく振り絞るように発した言葉がそれだった。

 そして次の瞬間、心臓が凍り付く。


「――何が言えないんですか、お兄さん?」


『おわっ!?』


 背後から響く聞き慣れた声に二人して驚き、慌てて飛び退いた。

 その小柄な少女が桑色の髪を潮風に揺らしながら、秋の落ち葉のような色合いの衣装を白い浜辺に映していた。クリっとした瞳は純粋な疑問に満ちている。


「ル、ルイスっ!?」


「トオルですって。二人して悪巧みでもしてるんですか?」


 例に漏れず訂正してトオルは首を傾げる。

 俺たちは緊張して息を呑んだが、この様子だと直前の会話は聞かれていないようだ。ホッと安堵するギーズの隣で俺は急いで嘘を組み立てる。


「迷宮でもトオルはきっと活躍するって話をギーズにしてたんだよ。でも話し相手がロリコンだったと思い出して慌てて仲間自慢を喉に留めたところだ」


「私の何を自慢しようとしたんですか?」


「そりゃ灰目で暴走しても『砲撃』一発で的確に魔獣を仕留める雄姿を――」


「お、お兄さんっ!!」


 我ながらスムーズに嘘を並べられるものだと感心しながら舌を回していると、不意に何かの文言が引っ掛かったのかトオルが慌てて声を荒げた。


 一体どうしたのか?

 苦虫を噛んだような少女の視線を追うと、驚愕に満ちるギーズの顔。


「お前、まさか青目をコントロールできてないのかっ!?」


「……うぅ」


 俺の嘘はどうやらトオルが隠していた爆弾を発掘してしまったらしい。

 ま、直前の話を有耶無耶にできたからいいか。





§§§





 一つの人間には一つのメニューが与えられる。

 その称号システムの大原則の唯一の例外こそが青目族である。


 青目族は一つの体に対してメニューを二つも有し、その切り替えによって瞳の色が美しい青へと変貌する。通常モード『ファス』と青い瞳モード『デルニエール』では、扱えるスキルの種類や自身のレベルが別人のように異なり、それが青目族最大の特徴と言えるだろう。


 問題は『デルニエール』の制御にコツが必要だという一点に尽きる。

 制御が不十分だった場合、青目族はどっちつかずの“灰目”となって暴走する。この状態では他人に迷惑を掛ける恐れがあり、ロブ島ではコツを習得するまで出国してはならないという決まりがあるそうだ。


 確かに危険性がある点は否めない。

 だが頑固者トオルを説得できるかは別次元の話だ。


「迷宮に行くなんて無理だからやめろ」


「断ります」


 浜辺に仁王立ちしてトオルはギーズの意見を即刻退ける。

 そこまで迷宮に興味がある訳ではないのだろうが、ファート島の一件以降、俺が単独で無茶しそうな事柄にはトオルは特に首を突っ込みたがる傾向にある。


「俺が瞳の制御方法を教えてやるから、な?」


「……警察呼びますよ?」


「瞳の制御方法つってんだろーが!」


 正直、俺も今スマホを持ってたら直ちに警察を呼んでいた。

 ギーズは親切で提案しているのだろうが、どうも懐柔の仕方が手慣れている。これが幼子をお菓子で誑かした経験の結果とは思いたくないものだ。


「私が抜けると迷宮で戦えるのがステラだけになるじゃないですか」


「こいつとあの兎は?」


「兎は迷子、お兄さんはその尻拭いで手一杯です」


 うむ、トオルの冷静な分析はきっと間違っていない。

 迷宮攻略組の人数削減は厳しいが、一方でトオルに実りのある時間を与えたいという親心もある。この対立する問題を解消する術はただ一つ。


「――よし、エリナへの“お願い”を行使しよう」


 これしかないとばかりに俺は手を打った。

 するとトオルの表情が引き攣り、ギーズが西に向かって手を合わせる。


「お、お兄さん、さすがに過剰戦力では?」


「安らかに眠れ、迷宮の魔獣ども」

 

 エリナ、化け物か何かと勘違いされてないか?

 本人がいたら泣きそうな光景である。





 かくしてトオルのお留守番が決定した。

 当人は少し不満げに頬を膨らませて一足先に自宅に帰っていく。

 その後ろ姿を眺めながら、ギーズは「しかし」としみじみ溢した。


「このタイミングで迷宮とは、“龍神様”の居ぬ間に洗濯って訳か?」


「どうしても欲しいもんがあってな」


 まさに『命の秘宝』は引く手数多である。

 俺たち以外にアランも狙っているというし、『ハイエナ』も目をつけている可能性がある。あらゆる傷や病を治す万能薬と謳われているなら当然ではあるが――。


「そう言えばギーズも『命の秘宝』の噂は知ってるんだろ?」


「そりゃ俺もロブ島育ちだからな」


「欲しいって思わないのか?」


 不意に不思議に思ったのだ。

 反撃を掲げる勇者として対魔王戦を想定するなら、『命の秘宝』は喉から手が出るほど欲しいアイテムではなかろうか。彼のパーティー戦力を駆使すれば西の迷宮攻略だって夢ではないはず。


 だが予想に反してギーズは呆れたように肩をすくめた。

 その態度が俺には不思議でならない。


「お前、『命の秘宝』なんて――」


『ギーズさん、ロベール氏と連絡が取れたのです!』


「おっと悪い。商船『ソーン』の代表の男に、『ハイエナ』に関して意見交換をしに向かう予定なんだ。その話はまた今度な」


 病院の正面ゲート前から手を振る男にギーズは左手を上げて応じると、会釈だけ残して浜辺から走り去ってしまった。話の途中で残された俺は、何だか上手く消化できない小石を飲み込んだように後味が悪かった。





◇◇  トオル





 海は七年前と何も変わりません。

 ウミホタルの青色が大嫌いになったあの日からずっと。


「奴らがこの国にいるんですね」


 お兄さんから距離を取った波打ち際で拳が震えるのを抑えられません。

 ええ分かってますよ、繰り返すつもりはありません。


 夢なんていりません、どうせ借り物です。

 瞳が何一つ映さない灰色になっても私は――。


【商船『ソーン』】

 ロブ島では七年前のハイエナの事件から鎖国体制を一層強化したんだって。厳しい審査を経て唯一商業許可証が発布されたのが商船『ソーン』なんだ。あんたの頭のそれってもしかしてソーンだったり?「アンテ――違った、アホ毛だ!」



※加筆・修正しました

2019年12月7日  加筆・修正

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