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第十三話  『予言は迷信でないかもしれない』

 秋に燃える背景を背にすれば、ドレスの清涼な白藍はより美しい。

 綺麗に整った顔立ちに、気品ある仕草と居住まい。年は俺と大差ないようだがご令嬢のようにお淑やかで、胸元に光る青いバッジから外海の人間であると察せられる。愛想よく微笑みかける少女に大抵の人間は友好的な印象を抱くに違いない。


「差し詰めプロローグはこういう具合だろうか」


 だが、俺は違った。

 心を見透かしたかのような語りが心底恐ろしかったのだ。


「やあ、会いたかったよ、七瀬沙智君」


「――っ」


 改めて気さくに挨拶をする少女に思わず一歩退く。

 記憶を掘り返しても少女と過ごした時間は一秒もなく、確かにこれが少女との初対面である。しかし少女は俺の心情を見事に朗読しただけに飽き足らず、名前まで一致させた。


 狐につままれた気分である。

 感情の遷移をじっくり楽しむかのように、微笑を浮かべて俺の瞳をじっくり見つめる少女。油断ならない相手だと脳が警戒を促し、黄色い信号を声帯に送る。


「……どうして俺の名前を知ってるんだ?」


「その話は後にしよう」


 少女は俺と違って余裕綽々と目を瞑る。

 俺から何らかの反応を引き出せた時点で満足だとでも言いたげに。


「お探しの本はこれかな?」


 少女はテーブルの隅に積み重ねた本の山の頂上から一冊を取り出し、俺側の向かいの席へとスライドさせた。白地の簡素なその本は端がボロボロに破けており、丁寧な管理が長年されなかったのか茶色く染み付いている。


 問題はそこに記された表題だ。

 手書きのシンプルな英単語が俺の心臓を掴む――『diary』。


「まさか『渡りの日記』」


「――の上巻さ。残念なことに下巻は貸し出し中らしい」


 撫でるように、少女は優しく本の表紙を白い指で摩った。

 カウンターでの会話は中二階まで聞こえるほど大声ではなかったし、何より少女に『渡りの日記』を探せるだけの時間があったと思えない。


 話す度に少女への疑問と疑念が膨らむ。

 理解したのは少女が疑いようなく本の虫であることだけ。


 焦りがあったのは事実だろう。

 喉から手が出るほど欲しい資料が目前に用意されたのに、それはまだ得体の知れない不気味な少女の手中にある。激しくなる鼓動に押し出されて声が飛び出す。


「お前は――」


「私の名はシャロン」


 俺の声を人差し指で制した少女は、やはり微笑を崩さなかった。

 まずは名を明かし、心配そうな声でこう続ける。


「聞きたいことは山ほどあるだろうが、なに、急ぐ必要はない。良ければ少しの時間、私の与太話に付き合ってはもらえないだろうか?」


 肩をすくめる少女の向かいには枯れ木色の空席が一つ。

 どうしてか『シャロン』という名に、喉に骨が引っ掛かったような気持ち悪さを覚える。どこかで聞いた覚えがあるのか、それとも胸焼けか。


 少なくとも少女は悪い人間ではなさそうだった。

 椅子を引いてテーブルにつくと、シャロンは大きく息を吐く。


「やれやれ、応じてくれなかったらと思うとドキドキしたよ」


「お前が占い師みたいに人を心配させず、最初から素直に『おはよう』って挨拶してくれたら、与太話とやらにも喜んで応じたんだけどな」


「面白い反応を引き出せるんじゃないかと、ついね」


 行儀悪く椅子に片足を乗せて分かりやすく不満をアピールする俺に、シャロンはそれでも微笑を絶やさない。はっきり言って食えない奴である。


「やっと君と話せる、そう思うと嬉しくて舞い上がってしまったんだ。今日を心待ちにしていたからね……意地悪だったと反省しているさ」


 シャロンは両手をあげて反省を示す。

 性格の悪さを追及しても虚しいだけだろうな、きっと。


「本はあげよう。私には必要のないものだ」


「そりゃどうも」


 目前に差し出された本に右手を被せて、そのまま話の脇にスライドさせる。喉から手が出るほど欲しかった資料が確保できたなら、目の前の存在が生み出す不思議を解消するのが最優先なのだ。椅子の冷たさをお尻で感じながら俺はそっと口を開いた。


「何で俺のことを知ってるんだ?」


「いきなりだね」


 現状、この女の意図が全く読めない。

 本人は俺と話せる機会を心待ちにしていたと主張しているが、素直にそうですかと納得できる域はとうに超えている。『渡りの日記』を予め用意していたり、心情を見透かしたり……彼女の言動はあまりに不気味で、何か裏があるのではと勘繰らずにはいられない。


「種明かしをしても君が信じられるかどうかは聊か疑問だね」


「どういう意味だよ?」


 ずっと白髪の少女が作り出す独特な世界観に翻弄されているみたいだ。

 不機嫌に頬を膨らませると、あまりに可笑しかったのか少女は弾けるように破顔する。可愛らしいえくぼが消えぬ内にシャロンは改めて口を開く。


「私はね」


 一拍待つと、シャロンの声から遊びの響きがピタリと消えた。

 手を組む少女だけをはっきり残して他の全てが視界から消滅し、図書のプラネタリウムに輝くあらゆる知識を揺るがすほど少女の声は鮮烈に響く。俺にとって少女の告白は、コペルニクスの地動説を始めて耳にした十六世紀の人々に負けないくらい衝撃的だったんだ。


「――未来を読めるんだよ」





 閑散とした図書館に静寂が続く。

 信じてもらえるか疑問と評した少女は俺の反応を静かに楽しんでいる。


「……き、聞き間違えたかな?」


「ユニークスキル『未来予知』の効力で、私は君をずっと前から知っていた」


 淡々と胡散臭い話を続ける少女に俺は唖然とした。

 空間に作用する魔法なら『テレポート』を知っているが、時間に作用する魔法は存在しないと思っていた。サクが俺にそう教えてくれたし、直近にも“力の権化”がその魔法の存在を否定した。


「未来予知なんて馬鹿げた迷信――じゃないのか?」


 船上でのエリナの言葉を借りてシャロンを疑いの視線で睨みつける。

 すると少女は小さな吐息を溢して、白い前髪を耳に掛けた。


「やはり信じていないね。ならば実験をしようか」


「実験?」


 どうやらシャロンは未来予知を実証しようというらしい。

 しかし予知というのは自分の知覚の内側で起きる現象であり、それを第三者に証明するのは極めて難しい。例えばシャロンがたった今持ち上げた右手の掌の虚空に妖精が乗っていると証明するようなものだ。


「私は他にもユニークスキルを持っている」


「それが実証に使えるのか?」


「君も知っている、『テレパシー』というスキルさ」


「それってフィスの――」


 そのスキルの効力を体感したのはすでに二か月前の事だ。

 触れた相手となら、離れた距離でも携帯なしに会話できる優れたユニークスキル『テレパシー』。ヤマトの仲間であるフィスのその能力が、はずれの町の事件解決までずっと縁の下の力持ちだった。


「私のスキルは彼女より強力だろう。何せ伝達できるのは音だけではない。頭に浮かんだイメージや映像も対象範囲だからね」


「つまり?」


「これによって私が『未来予知』で観測した未来を君にも見せよう」


 少女は虚空を乗せていた掌を仰向けのままテーブル上に下ろした。

 スキルの条件は触れること、今から実験を本当に行うかどうかは俺に委ねられているのだと理解した。相変わらずのシャロンの微笑に胸騒ぎを覚える。


 自分の手を被せるのを躊躇ったが、確かめなくては話が進まない。

 少女の白い掌に恐る恐る指先から乗せていくと、意外と掌は温かかった。


「誰かの過去を覗き見ることを『追体験』と呼ぶのなら、未来を先取りすることは何と呼ぼうか?」


「……『未来体験』でいいだろ別に」


 掌と掌の隙間からラベンダーが香るような紫色の霧が溢れ出す。

 視界がその紫苑の花吹雪に包まれる直前、向かいの席で少女の白いポニーテールが物悲しそうに揺れるのが見えた。僅かに動く口元の筋肉――それは俺には絶対に届かない言葉の気がした。





§§§





『……何も起きないけど?』


 静寂の図書館に変化はない。

 精々、俺の冷たい指がシャロンの掌から僅かに熱を奪ったくらい。


 シャロンは微笑み顔のまま瞼を閉じてひたすらに待っている。こうして静かにしていると本当にお淑やかで気品溢れるように錯覚するが、根は無類の悪戯好き。これから先に起きることを事前に知って秘密にし、俺の反応を耳で楽しんでいるに違いないのだ。

 

『なあ――』


『――』


 やきもきして説明を求めようとした瞬間だった。

 ずっと緊張が続いていた俺には心臓が止まるかと思うほどの、張り裂けるようなアラーム音が館内に鳴り響いたのだ。本当に驚いて周囲を見渡すと、中央階段脇の棚上にある白い卵のような物体が音源だったらしい。赤いランプが明滅してなおも俺たちに何かを知らせている。


『どうやらやっとお湯が沸けたようだね』


『電気ケトルかよっ!?』


 誰だこの異世界に文明の利器を持ち込んだのはっ!

 よく棚を観察すれば、電気ケトルの隣にはコーヒー豆のような茶色い粒で満たされた瓶も置いてある。コーヒーでも嗜みながら読書してねという図書館備え付けのサービスらしい。


『ふふっ』


 振り返ればシャロンが目を閉じたまま、必死に笑いを堪えている。

 電気ケトルが鳴ったくらいで大袈裟とでも言いたげな様子。恥ずかしさのあまり耳まで赤くなり、抗議しようとすると、不意に嗅覚が寄り道を始める。


 嗅ぎ取ったのは、香ばしい肉の焼ける匂い。

 一階の騒がしさから察するに、問題児がアホをしでかしているようだ。


『アルフ、エリゼ、何やってるのっ!?』


『あのね、あのね、ハムサンドイッチの定理を調べるためにね!』


『まずはハムサンドイッチを作ろうと思ったのですー!』


『図書館でハムを焼くなっ!』


 これ以上は毒だと思って耳を塞いでしまった。

 一階の読書スペースに網を広げて嬉々としてハムを並べるアルフとエリゼの姿が目に浮かぶ。ハムサンドイッチの定理を調べてくれと依頼したのが元凶かもしれないが、だからと言って図書館で料理を開始する馬鹿兎らを擁護するつもりもない。


 呆れて物も言えず、深く溜息。

 するとシャロンがようやく瞼を開き、楽しそうに頬を吊り上げるのだ。


『溜息ばかりしていると幸せが逃げてしまうよ?』


『元々幸せの量が人より多いから別にいいんだよ』


『それはまた、随分と傲慢な考え方だね』


『余計なお世話だよ』


 言葉勝負では敵いそうにないと、また溜息。

 俺を疲れさせる原因の一端に少女自身があると理解してもらいたいものだ。


『ところでさ』





§§§





「……何も起きないけど?」


 図書館は再び静寂に包まれた。

 変化は精々、数度の溜息が体内から熱を逃がしたくらい。


 不満を露わにする俺の向かいで、シャロンはいつの間にか微笑のまま、また瞳を閉じていた。澄んだ少女の雰囲気は一見清楚と勘違いしそうになるが、こうして実験結果を焦らす様子は何だか子供みたいだ。無論、それは少女の体を見て言っている訳ではない。


「なあ――」


『――』


 さすがに苛立ちを覚えて急かそうとした瞬間だった。

 鼓膜が張り裂けるような甲高いアラーム音……が……待て、おかしい。

 この音はさっき聞いたはずじゃないか。


 白髪の少女の口角が僅かに上がり、振り返ってみればいいと無言で提案する。

 心臓が凍る思いでそっと背後を確認すると、白い楕円のシルエットに赤い瞳が明滅しているのが見えた。時の迷い子に明滅して嘲笑っている。


「どうやらやっとお湯が沸けたようだね」


「いや……だってさっき……!」


 電気ケトルなら数分前にお湯が沸けたと知らせたじゃないか。

 故障で二度目のアラームが鳴ったならシャロンのセリフが矛盾する。


「ふふっ」


 振り返れば、口に手を当てて必死に笑いを堪えるシャロンの姿。

 しかし、俺にはどうしても少女が先ほどと同じ理由で笑っているようには思えない。動揺する俺を嘲笑っているようにしか思えなかった。


 説明を求める間もなく、次の証明がやって来て鼻孔を刺激する。

 肉の――いや、ハムの香ばしく焼ける匂いだ。


『アルフ、エリゼ、何やってるのっ!?』


『あのね、あのね、ハムサンドイッチの定理を調べるためにね!』


『まずはハムサンドイッチを作ろうと思ったのですー!』


『図書館でハムを焼くなっ!』


 一言一句違うことなく繰り返される音の響き。

 声のトーンも込められた感情も録音したビデオテープを再生したかのように機械的で、デジャヴよりも鮮明に記憶に焼き増しされる。呼吸を整えて落ち着かなくては狂ってしまいそうだ。


 深く息を吐いてから、これも同じ行為だと気づく。

 ほら、シャロンはもう瞼を開いてる。


「溜息ばかりしていると幸せが――」


「どういうことだっ!?」


 ついに堪らなくなって俺は声を荒げる。

 これ以上の再現は御免被るのだ。神経をカンナでジョリジョリ擦り削っていくような恐ろしい時間の渦にこれ以上は囚われたくなかった。


 少女は肩をすくめて鼻を鳴らす。

 記憶にない行為――どうやら再現は終わりのようだ。


「最初に説明したじゃないか、私が『未来予知』で観測した未来を君にも見せると。君は一つの未来を観測し、実際に予知された未来が現実となる奇跡を目の当たりにした――至って単純明快な出来事だよ」


 まずは胸に手を置いて荒ぶる鼓動を鎮めよう。

 混乱を収め、少女の言葉の意味するところをじっくり吟味する。


「一度目は『テレパシー』で送られた感覚、二度目は本物の現実?」


「それが正解さ」


 つまりはそういう事か。

 シャロンが『未来予知』によって観測した未来を『テレパシー』で俺に繋いだために、送られてきた知覚をあたかも現実のように錯覚して“未来体験”した。そして『テレパシー』の効果が切れ、本物の現実が後から追いかけてやって来たと。


「でも、時魔法はこの世界にはないんじゃ?」


「実際に時間を操っている訳じゃない。単なる知覚魔法の一端に過ぎないよ」


 彼女は正確に、はっきりと俺の疑念を潰していく。

 効果こそ絶大であれども、『未来予知』はあくまで知覚魔法の延長線状にある――確かにタイムトラベルと違って時間軸に干渉している訳ではないのか。


 シャロンに抱いた疑念の数々が確実に晴らされていく。

 最後の心の中心に残ったのは、この意地悪な少女への純粋な不満である。


「私はずっと前から君を知っていた。君と話してみたかった」


 少女は再び俺に手を伸ばす。

 繰り返された行為は今度こそ現実の意図的な再現であり、少女の本心を強調するための必要手順であり、同時に未来体験で困惑した俺への悪戯だ。


「改めて名乗ろう、私はシャロン。『預言者』や『氷晶の魔法使い』などと巷で呼ばれる者だ」

 

 預言者? 氷晶の魔法使い?

 そんな異名よりこの白髪の少女には『超危険な悪霊』の方がよっぽど似合う。尤もそう口にしても上手く切り返されそうな気がしたので、俺は黙ってその手を握ることにした。


【パラレルワールド】

 例えば帰りに電車に乗るか、歩いて帰るかで未来には二つの可能性が生まれる。実際に選んだ現在とは別の、あったかもしれない今をパラレルワールド、つまり平行世界って呼ぶんだって。作者曰く、ストーリーに深く掘り下げるつもりはないらしいから補足しといてねって事でした。



※加筆・修正しました

2019年11月2日  加筆・修正

         表記の変更

         ストーリーの補強

         ストーリーの順序変更


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