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第五話   『願いを込めて必ず叫ぶ』

 その日の始まりは驚くほど穏やかだった。

 俺とステラは朝食を作る奥さんの可笑しな話に相槌を打ち、トオルとアルフは朝食ができるまでの間、遊びたいからと浜辺に出たエリゼの相手をする。とにかく、それぞれがリラックスできるような過ごし方をした。


 日が昇り始め、林の方からハチクマが笛を鳴らす。

 それを合図とするかのように、四人並んで南の港に向けて出立した。





 波が白く煌めき、ウミホタルの夜とは一風変わってなお美しい。

 まずは本島に次ぐ面積を誇る西のテルニケ島まで船旅だ。

 俺たちが乗り込んだのは赤の国とロブ島を結んでいた小舟と比べ物にならないほど大きな連絡船で、テルニケ島へ向かう青目族はそれなりに多いようだ。心なしか体格が良い人が多く乗っている気がする。


 テルニケ島までおよそ二時間。

 この間何をするかと言えば決まっている。


「玉結びも分からなかったなら早く言ってくださいよ、もう」


「上手く結べた……あれ?」


「糸が上手く捻じれてないんですよ」


 デッキのベンチに座って絶賛裁縫中である。

 赤の国で半ば強引に押し付けられたステラへのお守り作り。そろそろ形にしたいので刺繍は済みましたかとトオルが昨日の夜に尋ねた段階で、桃色の布地は新品のまま。理由は今しがた彼女が呆れた通りだ。


 トオルの指導の下縫い進めて数分、デッキを探検してくると能天気に騒いでいた兎が帰ってきたようだ。左耳だけまっすぐに立てて腕をわちゃわちゃさせているのは何かに驚いた証拠である。


「ねえ、この船ファート島行きじゃないってー!!」


「直行でいけないんだよ、昨日話したろ」


「ほえ? そだっけー?」


 この兎は一大作戦の数時間前でもこんな具合である。

 唯一デッキにいないステラは客室で今一人。気分転換に潮風を浴びたらどうかと提案してみたのだが、緊張しているからか断られてしまった。


「それにしてもお兄さん、随分と思い切りましたね」


「何が?」


「ステラの事ですよ」


 針孔に白い糸を通そうとするのを一端やめて隣にちらりと視線を移すと、膝の上で組まれた少女の細い指が微かに震えているのが見えた。


「お兄さん、何だか急いでませんか?」


 トオルは作戦が成功するか不安なのだろう。

 確かにステラの称号を何とかすると提案したのは決行の二日前で、今回の作戦も昨日の就寝ギリギリまで議論して導き出した。お湯が沸けるほど一瞬の作戦会議の結果をトオルが不安に思うのも無理はない。


「ステラがシアンと組んで赤の大魔王に挑んだのが予想外だったんだ。その分割り振られた経験値の影響でステラのレベルアップは秒読み段階だ。『魔王』の力がいつ何の拍子で爆発するか分からない」


 『魔王』はレベル30になると「羽化」し、絶大な力を手に入れる。

 同時に魔神の意思に従わなければ人格を失い、無秩序な暴走を開始する。

 

「…………」


 トオルはそれでも咀嚼しきれない様子で俯いた。

 理論上は成功するはずだと確認した作戦。成功か否かは俺の腕に懸かっていて、無意識に抱いた不安がひょっとすると隣の彼女に伝染したのかもしれない。


 あるいは、もっと別の不安が伝わったのだろうか。

 一昨日の夜から感じるもやもや。



『今の自分には――が欠けている』



 この言い知れない、でも大事な何か。


「さっちぃー、トオルぅー」


 胸に手を置いて考え込んでいると、不意に前方から細々とした声が響くのだから驚いた。顔をあげるとアルフが船首の方を指差して、数分前までの騒ぎ様が嘘のようにガクンと両耳を前に倒している。


「向こうの海、魚が一杯死んで浮いてるー」


 彼女に連れられて船首方向の海に目を細めたのだが、魚の死骸がどれか全く分からない。それはトオルも同じようで、眉を顰めてアルフに尋ねるのだ。


「え? どこですか?」


「ほら、あそこだよー」


 意味もなく背伸びして繰り返しアルフが指を差す。

 しかし薄っすら周囲の海水と比べて黒ずんで見えるだけで、やはり魚の死骸を見つけることはできなかった。頭の馬鹿さばかり目立つが、身体の基礎能力が平均より高いアルフが言うのだから、きっとあの遠い海には不思議に思うほどたくさん魚が浮いているのだろう。


「不吉の前兆ー?」


「嫌なこと言うなっ!」


 ステラ笑顔作戦を控えているだけにアルフの発言は間が悪い。

 でも嫌な予感を覚えたのはアルフだけではないのも事実だった。





§§§  昨日





 エリゼから借りた本のタイトルは『魔王とは何か』。

 称号研究の第一人者キュリロスの記述は一行目から俺たちを驚かせた。


『『魔王』という称号そのものに有害性は認められない』


 定説を覆す研究結果の連続。

 彼は称号『魔王』の役割について最後にこう記した。


『――ただの鎖である』


 その一節が視界に飛び込んだ瞬間、可能性は生まれた。

 しかし本当に為せるかどうか、一番に不安を感じたのは他でもなく俺だった。





§§§  現在





 テルニケ島、この国の古い言葉で「龍のへそ」という意味らしい。

 埠頭に連絡船が停泊して数分後、繋がれたタラップを利用して続々と青目族たちが島へ降り立っていく。その表情が何やら興奮しているように見えるのは気のせいだろうか。


『龍神様の迷宮島、テルニケへようこそ!』


 埠頭の先には青い蜷局を巻いた龍を模した顔出し看板があり、可愛らしいフォントの文字で来客を歓迎している。俺はその看板の前で足を止め、前々から気になっていたことをトオルに尋ねてみた。

 

「なあ、龍神様って誰だ?」


「龍神様というのは神獣『青龍』の事ですよ」


「神獣?」


「強大な五つの魔獣をそう呼んでいるんです」


 また恐ろしい生き物が生息しているものだ、この世界は。

 俺が表情を歪めると「そんなに恐ろしいものじゃないですよ」とトオルはクスクス笑う。むしろロブ島にとって『青龍』は欠かせない存在らしい。


「ロブ島海域には『青龍』が昔張った結界があります。結界の内側にあるロブ島を魔獣から守ってくれているんですよ。青目族は安全に暮らせることを感謝し、『青龍』を龍神様として祭ってるんです」


「なるほど、そういう経緯が……あ」


 胸ポケットにつけたバッジにある龍の絵柄から青目族が龍に抱く信仰のようなものを感じ取っていると、不意に脳に電撃が走った。「ファート島送り」についてナディアさんが説明した意味が今になって分かったのである。


「だから結界から外れたファート島にだけ魔獣が生息してるんだなっ!」


「分かってて提案したんじゃないんですかっ!?」


 俺が興奮して腕をバタつかせると、トオルが目を見開いて同じ動きをする。

 弱い魔獣のみが生息している無人島という理由がファート島の決め手だったのだが、特段その背景を分かって提案した訳ではない。


「因みに龍はこの島にある迷宮の最下層にいるって話ですよ?」


「そうか、じゃあ迷宮には近づかないでおこう」


「触らぬ神に祟りなしってことですね、ふふっ」


 ステラたちはまだファート島行きの船を取り付けるのに苦労している様子だ。ジェスチャーで先に昼食の用意をしておいてと指示を貰った俺たちは、一足先に島の深くへ入っていった。





 テルニケ島にあるのは冒険者への支援施設や武器屋、薬屋ばかりで迷宮産業に特化している様子だった。船にがたいの良い青目族が多く搭乗していた理由も納得である。小さな町の一角で香ばしい匂いのするパンを幾つか買い込み、町から少し離れた丘で腰を休めた。


「予定がなければ昼寝したくなるくらい良い陽だまりですね」

 

「海の風も涼しいしな」


 この丘を覆う背丈の低い芝のような草が潮風を浴びて波のように揺らめく光景は、はずれの町の周辺の草原の懐かしい景色を思い出させた。同時に自然と拳を作り、この旅を終わらせなければならないという思いが一層強くなる。


 隣でトオルは船の上にいた時と同じ顔だ。

 不満を隠せず、ちょっぴり口を尖らせている。


「本当に二人きりで行くんですか?」


 そう、ファート島での作戦は俺とステラの二人で行う。

 これにはアルフの迷子属性やトオルの灰目による暴走の可能性など、切実な問題が幾つかあるのも事実だが、俺に決断させた最も大きな理由は別にあった。


「トオルの家族を思ったんだよ」


「何をですか?」


「ありがとうって涙を流せる場所でも、やったよって自慢できる場所でも良いんだ。お帰りを言ってくれる人さえいれば頑張れる、俺もステラもきっと」


 エリゼや両親が笑顔で戸を開けたとき、トオルの口元が僅かに綻んだ。

 心から生じる嬉しさを噛みしめるような横顔が今でも印象深く残ってる。

 だったら、ステラだってきっと――。



『今の自分には――が欠けている』



 頑張るにはお帰りを言ってくれる人が必要だ。

 この考えは間違ってないと自信を持って頷けるからこそ、真っ黒の色紙に描かれた白い円が目立つように、胸にぽっかり空いた感覚が一層鮮明になる。


「はぁ、分かりましたよ」


 隣に座ったトオルはそう溜息をつくと、仕方なさそうに笑う。

 どうやらやっと納得してくれたようだ。


「私たちの目を盗んで好きに乳繰り合って来たらいいですよ、もう」


「言い方っ!」


 ファート島へは一世一代の戦いをしに行くんだっての。

 俺が立ち上がってわしゃわしゃ腕を振って抗議すると、今度は背後から陽気な声が響く。どうやらファート島行きの船を取り付けることに成功した模様で――。


「おっきな風船買ってきたよー!!」


「相変わらず呑気だなアルフっ!」


「違うよー!」


 アルフは耳をピンと張って否定するが、何も違わない。

 彼女の白い右手には待ち切れなかったのかすでに包装を解いた赤い風船ががっちり握られている。ステラも一緒にいてこの様かと呆れて物も言えないでいると、アルフは右手を前に突き出してにっこり笑うのだ。


「あのね、ロブ島にはね、願いを込めた風船を空に打ち上げると龍神様が叶えてくれる言い伝えがあるんだってー! 家が風船に吊るされてたくさん浮いてるのも家内安全とかを祈っての事らしいよー」


 隣に視線を遣るとトオルは静かに頷く。

 なるほど、そういう風習があるのは事実らしい。


「要するに?」


「打ち上げようよー! 私たちの願いもー!」


 風船を買ってきたのはアルフなりの考えがあっての事だったか。

 真剣な雰囲気に水を差すのではと頷くことを躊躇ったが、アルフの背後でステラが久しぶりに微笑んでいるのが見えて、その瞬間――。



『今の自分には――』



 欠けていた何かが、束の間だけ息を吹き返したように感じたんだ。

 その温かい感覚に流されて自然と顎が引ける。


「しょうがないな」


 俺がそう溢すとアルフが満面の笑みを浮かべ、一呼吸で高さ六十センチにも及ぶ風船を完成させる。その肺活量に驚かされた後、風船の紐は俺の手に渡された。


「ささっ、さっちーが代表してー!」


「俺がっ!?」


 皆が温かい表情で見守っている、参ったなあ。

 一体どんな言葉なら今の複雑な思いを表すことができるだろうか。


 指先から空の赤い風船へ視線を動かして、いつかの筆を思い出す。

 自分が『魔王』であることを隠し、仮面を被って誰かと繋がろうと必死に笑顔を作っていたステラ。バレるかもしれないと不安を抱きながらも傍にいたいと願ってくれたことが嬉しかった。


 だけど、俺が見たいのはやっぱり――。

 

「見せかけの笑顔なんかじゃなくて、絶対に一番の笑顔を」


 胸の前からそっと風船を輪の中心へ伸ばす。

 願いのついでに宣言を一つ添えて。


「約束する、今日は帰ってバーベキューだっ!」


 紐を掴む俺の拳を包むように二つ。

 繊細で頼もしい掌が寄り添うように、白くて元気な掌が容赦なく。


「私は最高級の脂がのったクラウンサーモンの刺身で」


「スーパーかっちょいい職人のウルトラキャンディー!」


 最後はステラだ。

 胸に拳を置いた彼女は目を閉じ、潮風に赤い髪を揺らして。

 

「絶対……絶対に笑顔で帰って来るから」


 強くその言葉を自分の中に刻み込んだら手を伸ばす。

 誰かと繋がりたいと心の底から願う、少女の掌が少し冷たく。


「イチゴがたっぷり乗ったショートケーキで!」


 全く、どいつもこいつも食い意地が張った連中だ。

 バーベキューにしては変なラインナップだが、何だかそれも俺たちらしい。


 幾重にも重なった掌を見つめ、俺は思い切り歯を見せて笑った。

 願いと約束は今、空へと打ち上げられる。


「いいぜ、全部奢ってやらぁ!!」


 優しく、重く、固く、美しく空へ旅に出た赤い想い。

 今回ばかりは「かもしれない」では決して許されない、だから――。


 みんなの願いを込めて必ず叫ぶ。

 声が枯れても、君の名を叫ぶ。


【称号の応答性】

 『称号システムが始まって以来、この世界は無数の称号で溢れている。『魔王撃破』や『赤』など、単に名誉を文字で記した称号が大半である一方で、『認識外の存在』や『店員』など、その者に特殊な効果や制約を与える称号も確認されている。称号のオンオフの切り替えであったり、あるいは何らかの条件を満たした時にシステムを介して魔神から間接的に影響を被るのである。私はこれを『称号の応答』と呼んだ。』(キュリロス、『魔王とは何か』より)



※加筆・修正しました

2019年10月17日  加筆・修正

         表記の変更

         ストーリーの順序変更(詳しくは活動報告に記載しています)

         ストーリーの補強


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