第十一話 『勇者がハーレムでないはずがない』
少女の衝撃的な話から一夜明け、異世界生活三日目の早朝。町に繰り出て『呪い看破』のスキルを使ってみれば、昨夜の話が真実だと分かる。願わくは何かの間違いであって欲しかったが、はっきりと呪いの黒い靄が見えた。
だが「逃げて欲しい」というあの奴隷の少女の願いは聞けない。それは俺とステラの共通した意思である。
だから、俺たちは相談して賭けることにしたのだ。
『朝ハ鮎ヲ食ベタイノニャ!』
「今は旬だもんな」
『鮎ヲ持テイ! タラフク食ワセルニャ!』
「こんな時にお気楽だな」
「そのセリフ、そのままあんたに返すよだって」
「にゃあ」
町の西入り口。手作り感満載の案内板の傍で、黒猫と小芝居に興じていると、ステラが横から黒猫を奪って、冷めた視線を俺に向ける。
というより、呆れを通り越して絶望的な憐みを感じないか?
ステラは仕方なさそうに頬を緩めると、すっと町の外を指差した。
「ほら、着いたみたいだよ」
「お?」
朝の陽光を浴びた草原が波のように輝く中に、人影が幾つか。それを見つけて嬉しそうなステラの隣で、俺も期待を膨らませる。
昨日、彼は別れ際に告げた。仲間とともに明日また来るだろうと。
二本の剣を腰に据え、五芒星の印を肩に羽織る者。本物の神に愛され、硬直した千年の歴史を動かそうとする群青色の英雄。
そんな彼に、俺とステラは賭けることにしたのだ。
「――よう、まさか出迎えがあるとは思わなかったぜ!」
この町の絶望的状況を神の一手でひっくり返す古典演劇の最終章――デウス・エクス・マキナを引き起こせる唯一の存在。
太陽と若葉の香りが『勇者』ヤマトを連れてきた。
ついでに――。
「おいアリア。その黒猫ハチ公じゃないか?」
「いやそれ犬に付ける名前だろ!」
黒猫の飼い主も連れてきたようである。
§§§
彼らと再会できた喜びを今は抑え込む。事は慎重に運ばなければならない。ここで焦って事情をぶちまけてしまうと、ジュエリーやビエールの耳に思いがけず届いてしまう可能性があるのだ。ここは彼女らのいる町だ。
爽やかに笑って「広場にでも行くか?」と提案するヤマトに、ステラが申し訳なさそうな顔で「そっちじゃなくて」と草原を指差した。
――結局、念には念を入れて南へ徒歩三十分離れました。
そう、俺は警戒心が強い人間である。隣で小さく「無駄に」と呟く声が聞こえた気がしたが、反論するのは後回しだ。
まずは、気になるヤマトの仲間たちである。
ヤマトの仲間はメイリィを除いて、三人いた。
「こんにちわ~! 私は後方支援担当のフィスだよ~! 幼馴染のよしみでヤマトのパーティーに付き合ってるんだ~! よろしくね~!」
一人目はフィスという名の少女。俺と同じ色合いの茶髪で、おかっぱ頭の、とても愛想が良くて雰囲気の柔らかい少女だった。俺の一個下らしい。そのおっとりとした口調も相まって、全体的にほんわかとした印象を受ける。
なぜだろう。頭の中に「お花畑」という単語が浮かんだ。
「アリア」
二人目の少女アリアは件の黒猫の飼い主だ。一言で自己紹介を済ませてしまった彼女は、真っ白な猫耳フードの愛らしさと、瑠璃紺色の髪の美しさの両方を兼ね備えた、いわゆる美少女だった。ただし無表情。驚くほど感情が見えない。フィスの笑顔を分けてあげてと思ってしまうほどだ。
尤もフィス曰く、相棒ハチ公と再会できて今は上機嫌らしい。
そして――。
「お前、レベル1か! いや構わん、誰だって最初はそこから始まるんだ! まずはこのウィルヘン草原でレベリングすると良いぞ! モグラ叩きの容量で、ポップした『白犀』をポンスカポンスカ倒すんだ! 勿論、倒した『白犀』は自分の血肉に錬成することを忘れるな! 美味しく食べるんだ! レベルが伸び悩んだなと感じるようになったら、今度はここから北東のスターツ自然保護区へ向かえ! そこには『ビックリボックス』という経験値を山のようにくれる魔獣がいるぞ! レア魔獣だから見つけるまでの間に森の魔獣に襲われるというVIPなサービスを受けることも多いだろうが、その時は培ってきた自分の筋力と食欲を信じるんだ! 次に向かうのは、そうだな、いっそ『スライム』でも――」
問題の三人目、名前はデイジー。自己紹介という自己紹介もせず、メイリィに口を押さえられるまで爆走し続けた戦闘凶である。
フィスやアリアよりも年長者のようで、腰付近まである長い黒髪と、背負っている巨大な大剣が特徴的な長身の女性だった。この人も美人ではあるのだが、如何せん、ファーストタッチが強烈過ぎた。
異世界版ヤバい人ランキングダントツ一位である。
――マイペースと無口と戦闘凶か。
「こ、個性的な仲間たちだね」
「激しく同意」
よくもまあこれだけ色の濃いメンツを揃えたものだ。あのステラが反応に困っているではないか。
だが、俺のヤマトへの反応はもう決まっている。
「ちっ、ハーレム野郎だったか」
「待て、ゆっくり話し合おう!」
俺の名前は七瀬沙智。
言うべきことは言う男である。
「七瀬さん、そんな悍ましい想像はやめてください」
「悍ましいんだ」
「そんなことより、何か用件があってここまで来たのでしょう? ――人目が多い町では話せないような重大な要件が」
「ああ、そうだった!」
俺はポンと手を打った。ステラが呆れた表情で額を押さえる。危うく、本題を忘れてしまうところだった。
メイリィが冷静に状況を推し量れる人で助かった。そう思うと同時に、きっとパーティー内ではいつも苦労してるんだろうなと思ってしまうのは、このゴーイングマイウェイな三人を見てしまったからだろうか。
いや、もう一人いた。ゴーイングマイウェイな奴。
「俺も気になってたところだ。なーに、赤の国での会談まで時間はたっぷりとある。手を貸せることなら協力するぜ!」
「バカヤマト、それも機密事項でしょ!」
――頑張れメイリィさん、俺は応援してる!
とは言え、今のヤマトの姿は俺には非常に頼もしく見えた。いつものように爽やかな笑みだが、雰囲気は変わった。そのマントの青きを瞳に映し、まっすぐに俺たちを見据える姿は、まさしく歴戦の中で生きる『勇者』だった。
俺はステラに目配せして、話を任せた。
「実はね――」
風が、騒めき始める。
少女の去り際の笑顔が、忘れられなかった。
揺らぎない決意の瞳が、忘れられなかった。
――奴隷だから仕方ないんだと、甘えて逃げたくないんです――
少女の声が消えない。
妥協や甘えが必ずしも悪い訳ではないとは思う。だが、それはあくまで、行き過ぎなければの話である。
俺は完全に駄目だった。勉強も、人間関係も、妥協して堕落して、どうにでもなると投げ捨ててきた。
少女の言葉を聞いた時、俺はそれを咎められたような感覚に陥ったのだ。
だからあの時、数々の甘えが『霧の怪物』を模って現れた。
違う。俺は逃げてなんかない。
嘘でも何でもそう反論したかった。一刻も早く、俺に過去の甘えを突き付ける怪物の赤目を塞いで、全部忘れたかった。
だから、ちゃんとしていると、ポーズでも良いから――。
風が、騒めき続ける。
「――何だとっ!?」
「それは本当か!?」
空気が破れるようなヤマトとデイジーの驚き声で、俺はステラの説明が終わったのを察した。並んだ渋い顔を見るに、事態が勇者一行からしても芳しくないものだと容易に推察できる。
若干名表情が変わらぬ者もいるが。主にアリアとか。
「この話を教えてくれた女の子が無茶しそうで怖いの。でも、私たちだけじゃどうしたらいいか分からなかった。だからお願い。手伝って欲しい」
さっとステラが頭を下げ、俺も慌てて追随する。
「お願い!」
あの少女の身をただただ案じる真摯な想い。すぐ隣からひしひしと伝わってくる真剣な感情に、ヂクヂクと胸が痛んだ。ポーズだけの俺を、また『霧の怪物』が見つめている気がする。あの赤い両目を見開いて。
そんな感覚を強引に押し潰して、ヤマトを見る。
「メイリィ、うちのポーションの備蓄はどれくらいだったか?」
俺はハッとステラと顔を見合わせた。
「残念だけど三本しかないわ。町中の人々が呪いに感染しているとなると、とても賄える量じゃないわね」
「お花にあげる肥料みたいに水に溶いて増やせないかな~?」
「無理よフィス。知ってるでしょ?」
「ってかお前、そんな貧乏臭いことしてたのかよ」
能天気なフィスの提案にメイリィがゆるゆると首を振り、ヤマトが仲間の懐事情を初めて知って思わず涙する。
そんな漫才のような光景を呆然と眺める俺たちに、ヤマトは笑った。
「その『奴隷』の女の子に無茶させたくないんだろ?」
「ヤマト、じゃあ!」
「心配すんなって。手を貸せることなら協力するって言っただろ? それとも、もうボケて全部忘れちまったか?」
冗談交じりに親指を立てて微笑むヤマト。その表情は、見るだけで人を安心させるような頼もしさがあった。
すうっと目の前が開けていくような感覚。同時に心から思う。
――ああ、お前が勇者で良かったよ。
「ありがとう」
俺の隣で嬉しそうに破顔したステラに一度微笑むと、ヤマトはくるりと向き直った。その視線の先には彼の四人の仲間たち。
誰の目にも、戸惑いはなかった。
「お前ら、ポーションを押さえるぞ!」
「了解~!」
「よし、討ち入りだな!」
昨夜の少女の結論と同じ。しかし、少女の時には無謀だと思えた宣言でも、この男が口にすると頼もしく思えるのは何でだろう。
自然と口元に笑みが浮かぶ。この喜びを分かち合いたくて隣を見ると、ステラも瞳に光を宿して「やったね」と小さく微笑んだ。
そのことが、何だか俺には無性に嬉しかったのだ。
「問題の二人に探りを入れてみましょ。もしかしたらポーションの隠し場所や企みについてボロを出してくれるかもしれないわ」
「それが駄目だった時は我が愛刀アレクサンダーの出番という訳だな! ああ、腕が鳴る! ヤマト、戦闘準備に一日貰うぞ!」
「明日」
「そうだなアリア。呪いがいつ重症化するか分からない以上、あまり時間を掛け過ぎる訳にもいかない。明日、その二人に接触してみよう!」
メイリィとデイジーが提言し、アリアの言葉足らずの奮起をヤマトが爽やかな笑顔で補足する。まさに阿吽の呼吸。
どうやら俺の出る幕はないようだ。素晴らしい。
このままステラと二人地蔵に徹して――。
「ジュエリーに会うなら私が取り持つよ。明日は丁度、頼んでた呪いの調査の経過報告を聞く日だったから、怪しまれないと思う」
「ほうほう」
「ビエールの方は沙智に任せるね!」
「勿論、任されないさ!」
キラリと決め顔で返答するとステラが「え?」といった表情になるが、何を驚いているのだろうか。当たり前ではないか。
俺の役目は百十番まで。通報したら、あとはヤマトらに問題を託してアディオスが理想なのだ。それで充分だろう。
そもそも、だ。
「もし怪しまれてバトル開始ってなったら、俺なんて真っ先に踏み潰される蟻んこなんだぞ? 知ってるだろ? 戦闘系のスキルは一切なし。ユニークスキルは使い方が全く分からない『編集』とかいうのと、バグか何かは知らんが文字が真っ黄色に染まってる『キャラ依存』とかいうのだけだ。これでどう戦えと?」
ついでにメニューのユニークスキル欄には他にも『Undelivered』なるものが二つほど並んでいるが、直訳すると「届けられていない」――要するに、未解禁ということだろう。使えないことに変わりはない。
俺は蟻粒だ。踏まれて終わりだ。
不貞腐れて、自分が如何に役に立たないかを主張。ところが、ヤマトが食いついたのは俺の意図しない部分だった。
「文字が真っ黄色か?」
「そうだけど?」
「それ、現在発動中って意味だぞ?」
「――。――――。嘘ん?」
目を見開き、思わず自分の掌を見つめる。
――『キャラ依存』が発動中だと?
恐らくは自称女神サクが、俺の希望に対する答えとしてくれた祝福。俺の希望を完全に無視したかのような字面のユニークスキル。
それが、俺の知らぬところで発動し続けていたとでもいうのか。
「ステラさん?」
「あれ? 言わなかったっけ?」
「初耳ですけど」
そっと視線を逸らすステラ。睨む俺。
「まあ戦闘面についてはデイジーとアリアに任せてくれりゃあいいさ。ステラの方にもフィスをつけるよ」
「それなら」
渋々と頷いた俺の視界に、好戦的な笑みを浮かべているデイジーと、相変わらず無表情なアリアが映る。
なぜだろう、そこはかとなく不安である。
「メイリィ、お前は万が一を考えてジェムニ神国へ応援要請を」
「分かってるわ。ヘマしないでよね」
こうして大まかな役割分担は終了した。
色々と思うところはあるが、俺はそんなに悪い気はしていなかった。寧ろ、晴れ晴れした気持ちだったと言ってもいい。
それは、自分が何かをちゃんとしたのだ。何かをちゃんとするのだ。そういう達成感や使命感に燃えていたからだろう。
こんな気持ちになるのはいつ以来だろうか。
だから、なのかもしれない。
「それで、お前らどうするんだ?」
「え?」
「その『奴隷』の女の子のことさ」
足元の細い葉っぱを一生懸命登っていた天道虫が、脚を滑らせてコロコロと地面に落ちていく。
脚を縮めてひっくり返る小さき命を見ると。
――奴隷だから仕方ないんだと、甘えて逃げたくないんです――
また、心の中にあの声が木霊した気がした。
※※※ 半年前
高校生活もいよいよ大詰め。間もなく三年生へ進級しようという春。玄関から入ってすぐ左手の畳の部屋に、小さな仏壇が姿を現した。
買い物帰りに、交通事故で母が亡くなったのだ。
ショックだった。何のやる気も起きなくなった。
そう言える、鉄の言い訳を手にしてしまったんだ。
今は一番辛い時期だから仕方ないんだ。何もしなくたって許される。
部活や勉強、様々な生活の中に、とうの昔に生まれていた「甘え」を保護するための鉄の瘡蓋だった。俺を案じて「大丈夫?」と声を掛けてくれる優しさでは、突き破るどころか傷つけることもできない鉄の皮膚だった。
結局、新学級が始まっても、俺は高校へ行かなかった。
今は仕方がないんだ。今は仕方がないんだ。
玄関口の壁に埋め込まれていた、霞んだ鏡に映る自分。
そこから見つめる二つの赤目に乾いた声で繰り返した。
――背後の仏壇から凛とお鈴が鳴る。
【ヤマトの仲間】
ステラ「今日はヤマトの仲間を紹介するよ!」
A「CはBを飼ってる無口な子ですね」
B「にゃあ(Dハ絶対ボロ出スニャ)」
C「リーダー」
D「おいアリア、指差したらバレる!」
E「そんなことより私と勝負だ!」
F「ほとんどバレバレだね~!」
沙智「ややこしい紹介の仕方すんなー!」
※加筆修正しました(2021年5月21日)
メイリィの変更




