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第一話   『王が君臨するかもしれない』

 長く続いた霧の海域を抜ける。

 俺が静かに抱いた感動を船首で休む海鳥と分かち合えるだろうか。


 子供なら誰しもが描いたことのある可愛らしい夢を、この世界は本気で実現しようとするのだ。記憶のどれより賑やかで、ファンタスティックな景色――。


「あれがロブ島ですよ」


 海は空色。

 艶やかな無数の巨大風船たちが、今日も島を天高く誘う。


 ここはロブ島。

 青目族が暮らす島――またの名を『風船の国』。





§§§





 恐らく普段は漁港として使われている港に降り立ち、改めて空に浮かぶ巨大風船を観察する。空中で風にも揺られずに静止した風船の下には数本のロープが家屋を丸ごと吊るされていた。家屋の周りには円形の木の板と思しき足場もくっ付いており、確かにそこで誰かが暮らしているのだと実感する。


「俺、異世界で初めてファンタジーしてる町を見たよ」


「島ごと浮いてなくて良かったね、高所恐怖症さん」


「放っとけ」


 ステラは冗談のつもりだったようだが、島の輪郭がくっきり見えるまでドキドキハラハラしていた俺には笑えない話だ。


 異世界転移から約二か月。

 ジェムニ教会でロブ島のナレージ大図書館の話を聞いて以降、この地を踏むまでに紆余曲折を経たが、ただひたすらに今はこう感じるだけである。


「着いたんだな、ロブ島に」


「そうだね」


 トオルが港の先端の係船柱に船のロープを結び、赤の国とはまるで異なる風景にアルフが瞳を輝かせて走り出そうとするのを俺が何とか押し留める。港の正面の地面に脚がついた海小屋から南国風のアフロの男がやって来たのは丁度そんな慌ただしい時だった。


「おー? あんたら外海の人かい?」


「は、はい、そうですけど」


「じゃ、斬新な一発芸を披露してくださーい」


『……はい?』


 このアフロはいきなり何を言い出すんだ?

 俺とステラはきょとんとしたまま顔を合わせる。


 初対面の相手にまさか一発芸を求めたのか?

 あろうことか人見知り気味の俺たち二人に。


 ロブ島は魔境――セシリーさんの声が蘇る。

 謎の踊りで「一発芸、一発芸」と陽気に連呼するアフロ。事情通が助け舟を出したのは、困惑して声も出ない俺たちの様子に彼が船内でしばらく腹を抱えた後だった。


「モリス、そいつらは俺の客人だ」


「ギーズじゃないかっ!」


 相変わらず烏のように黒い衣装と、肩から斜めに流す白いウエストポーチが特徴的な男だ。加えて言うなら、ヤマトと違って意地汚い。船から颯爽と飛び降りて来たのが懐かしき同胞だったからか、アフロはパーッと表情を明るくした。


「何だ帰って来たのかっ! 我が親友のお墨付きなら入国審査は省いてやるよ。ほれ、ロブ島滞在中はこのバッジを目立つ場所につけときな」


「は、はあ」


 受け取った五百円玉サイズのバッジには、デフォルメされた龍が家を吊るす風船に針を刺そうという、何ともおっかない絵柄が施されてあった。ステラがすっと俺の隣に近寄って口に手を当てる。


「び、びっくりしたね」


「入国審査が一発芸って……」


 トオルの故郷を悪く言いたくはないが、俺やステラのような性格の持ち主が適応するのは中々に難しいかもしれない。そう思わずにはいられなかった。


「船のロープ、結び終わりましたよ」


「サンキュートオル……こら、アルフ! 大人しくしてなさい!」


 アフロはこれ以上船員がいないことを確認すると、狭いざらついた波止場の舞台でくるりと一回転して気持ち悪いほど口角を吊り上げる。

 

「では改めて外海の方々、龍が守りしロブ島へようこそ! 私は国の『関守』を務めておりますモリスと申します。簡単に観光の諸注意だけさせて頂きますね」


 まさかの役人だった。

 注意事項があるなら早く済ませて欲しい。でなければ、ものすごい鼻息を立てながら白目を向いて俺の左手の拘束から何とか逃れようとするアルフの衝動をこれ以上抑えきれない。


「一つ、今お渡ししたバッジは入国許可証です。無くした場合は所定の手続きで再発行できますので、あの緑と白の縞々模様の風船まで」


 ほーう、意外と親切である。

 アンテナの飾りにしたらとステラに揶揄われる前に、このバッジは胸ポケット辺りにでもつけておこう。


「二つ、ロブ島は繊維産業が盛んです。でも許可なくあの赤い風船の工場に立ち入ると我々怒っちゃうので悪しからず」


 具体的に言え、具体的に。

 とりあえず赤い風船は危険っと。


「三つ、これは注意ではないですが、まだ見ぬ知識を我々――んふっ!」


「へ!?」


 テンポ良く進めていたアフロの説明を遮ったのはギーズだった。いきなり口を押さえ込んだ彼の理解不能な行動に俺もステラも目を見張るが、どうしてかトオルはホッと安堵するかのように溜息。


「俺は王宮に用があるからここまでだが、お前らに一つ忠告しておく」


 何だ改まって?

 固唾を飲んで待っていると、ギーズは簡略に一言。


「知識は渋れ、それだけだ」


「……はい?」


 よく意味が分からない。

 彼の真剣な表情と低いトーンから察するに、それはロブ島に滞在する上で最も重大な不文法なのだろうが、この時の俺はどうしてもその意図するところが理解できなかった。


「んん! んんん~っ!!」


「じゃあな、探し物が見つかると良いな」


 抗議するアフロを押さえたまま、彼は町中へと消えていく。

 結局詳しい話を聞けず仕舞いだった。


「知識は渋れって一体……?」


 左手に力を込めたまま、海風を全身に浴びて思考を深めようとする。

 ところが、それはいとも簡単に遮られた。


「ねえ沙智」


「今ちょっと考え中だから後に……」


「アルフは……?」


「アルフなら俺の左手が――」


 そこで気づく。

 彼女の腕にしてはやたらと柔らかいような……。


「――っ!」


 迷子から目を離してはならない、それが真理である。

 なぜ俺の左手がアルフの代わりに彼女のポーチを掴んでいるかなど分からなくてもいい。問題は、いつの間にか拘束を逃れて彼女が好奇心のままに走り出し――迷子になったことである。


「あのアホ兎ーっ!!」


 直ちに『探知』と『第三の目』を発動。

 顔面蒼白になって俺は彗星の如く駆けだした。


 それをトオルが一瞬慌てて止めようとしたように見えたが、絶妙なタイミングで咳き込んでしまい、手を伸ばすことができない。代わりに駆けて十数メートル離れてからようやく、背後から彼女の叫びが耳に届いた。


「興味をそそられるような行動はしちゃ駄目ですからねー!」


 トオルの精一杯の警告。

 頭のメモにしっかりと綴ってさえいれば悲劇は起きなかったかもしれない。しかし、この時の俺はどうしても迷子になった兎への苛立ちと焦りで一杯で、彼女の言葉が入り込む隙間はなかったんだ。





§§§





「目を離すとすぐこれだ、ったくあの馬鹿兎!」


 彼女の腕を掴む左手を緩めたつもりはなかったが、現にアルフが消えた以上は目で見ていなかった俺の責任である。ロブ島の人口密度はそれほど高くないせいか、アルフの障害物となる物が少ない。これは、たったの数分で地平線の彼方まで跳んでいった可能性も考慮しなくてはならないということだ。『探知』はすでに圏外なのか彼女の居場所を指し示さず、『探知』よりも範囲の狭い『第三の目』に陽気な兎の背中が映るはずもない。


 しばらく当てもなく走って辿り着いたのは大きな櫓が目立つ広場。

 太鼓の音頭と、なぜか集まっている住民の声で賑やかなこの場所はアルフが好みそうな雰囲気だが、やはり『探知』のアンテナに彼女の魔力は引っ掛からない。


「何で無駄に身体能力だけ高いんだよっ!」


 膝に手をついて呼吸を整えながら、また文句を一つ。

 すると陽気な雰囲気に包まれる広場で俺は目立ったのだろう。胸ポケットに光るバッジを見てひそひそと話す人混みの中から、大柄の茶髪の男性とショートヘアの女性が寄って来る。


「兄ちゃんどうした?」


「疲れてるみたいね、お水でも飲む?」


 親切な人たちである。

 胸に手を当てて荒れた呼吸を整え切ると、手短に事情を話した。


「迷子を捜してるんです。兎の獣人の……馬鹿」


「まあ、それは大変! ロブ島で人捜しとなると骨が折れるわよ?」


 そう言って女性が人差し指を上に向けるので俺もつられて仰ぐと、薄っすら夜が侵食し始めた空には幾つもの巨大な風船たち。そう言えばアルフ、船の上で風船に興味を持っていたな。


 捜索範囲が無限に広がったことに俺は絶望の色を浮かべる。

 二人が妙な提案をしたのはまさにその時だった。


「兄ちゃん、ちょこっとだけこの祭りに参加してみないか?」


「一人で捜すのには限界があるわ、とっても良い考えがあるのよ」


「え?」


 後になって思う。

 もっと冷静だったら、二人の妙に浮ついた表情に気づけたのに。





『さぁー! 皆の衆ー! 盛り上がってるかー!』


『今度の挑戦者は何とっ! 外海からの来訪者だっーー!』


 櫓から響く熱狂的な叫び。

 司会の男性のスキル『拡声』で広場は猛烈に盛り上がりを見せる。なぜ俺が祭りの参加用紙に名を記し、この櫓の舞台に上がることになったのか――要するに彼らの良い考えとはこういう事なのだろう。


『挑戦者の七瀬沙智さん、目下のところ迷子を捜索中らしいっ! 彼が勝利した暁には、王に従う臣民が如く、広場にいるみんなで探しに行こー!』


 また熱狂的に騒ぎ立てる住民たち。

 なるほど、確かに人海戦術であればアルフも見つけられるかもしれない。

 ならば是が非でもこの勝負は負けられないな。


『さぁー、両者、試合の内容を決めてくださいっ』


 櫓の舞台には司会の男性の他に、腕を組んで堂々と仁王立ちする見るからに屈強な男が一人。筋骨隆々とした腕の持ち主で武闘派という印象を受けるが、ともかくその佇まいには威圧感があった。彼が俺の戦う相手で間違いなさそうだ。


「どうする? お前が決めていいぞ」


「あんまり祭りの主旨が分かってないんですけど……何でもいいんですか?」


「ああ、面白ければな!」


 何と適当な祭りなのだろうか。

 きっと地域のルールもよく定められていない小規模な祭りに違いない。


 雑な進行に苦笑する一方で、いきなり拳で殴り合えと言われずに安堵もした。あまり時間を食ってもアルフが問題を起こすだけだろうし、シンプルかつベストな勝負にしよう。


「じゃあジャンケンで」


「……ジャンケン? まあいいが」


 男は明らかに落胆していた。

 いや、男だけではない。広場の住民たちも、司会も溜息が止まらない様子だ。

 さすがに祭りの大会で選ぶような遊びではなかったか。


「一回勝負で」


「ああ、分かった。じゃ、行くぞ、ジャンケ――」


「待って待って」


 条件は、面白いこと、だよな。

 なら少しだけ観衆を楽しませてみよう。


「俺はパーしか出しませんから」


「……は?」


 グーを突き出そうとしたまま男が硬直する。

 つまらない遊びだと思っていたものに、心理的な要素が突然絡んだのだ。ジャンケンを面白くするにしては唐辛子や胡椒のようにありふれた調味料ではあったが、白けそうになった広場はまた一気に騒めき立つ。


「な、ならばチョキを出すだけだっ!」


「俺は宣言通りパーを出します」


「……と見せかけてグーを出すとか? そうなんだろ?」


 冷汗をかきながら頬を歪ませる男に俺は敢えて何も答えない。

 鏡があれば自分でも引くほど強烈に口角をあげてみせただけだ。

 すると観客はまた騒めき出す。


 グーを出してカウンターを狙う気だ。

 裏をかいて宣言通りパーを出すのでは。

 いや、秘奥義「一度に全部出す」作戦だろう。


 様々な推測がシャトルのように飛び交い、盛り上がりが最高潮に達した瞬間、勝負開始の太鼓の合図が轟いた。


『最初は――』





 結局、ジャンケンにおける宣言は大抵の場合は役に立たない。

 裏を読み、裏の裏を読み……その先に待ってるのは果てしない運の世界である。


「グー……あれ?」


 しかし、幼稚な人間は宣言通り勝ってしまう可能性がある。

 ジャンケン冒頭の掛け声の段階で例えば、悪びれもせずに五本全ての指を開くような、意地の汚い人間が良い例である。尤も、グーに対してパーを出したという事実だけを書き出して勝利と満足する実に子供らしい発想ではあるが。


 司会も、住民たちも開いた口が塞がらない。

 対戦相手の男なんて、おかしな顔で俺の掌を呆然と眺めていた。


「なーんちゃって。あはははは」


 少し悪乗りしすぎたかもしれない。

 この国に着いて何度も面白い事をしろと要求されるものだから調子に乗ってしまったが、さすがにこれは反則負け以外の判定は――。


「――負けたぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「ええっ!?」


 いきなり男が頭を抱えてその場に蹲り叫んだのだから俺は驚いた。

 文句を言われるかもしれないと内心戦々恐々としていたのだが、彼はこれを真っ当な勝負と認めて負けを受け入れたのである。それどころか、周囲から湧き上がったのはブーイングではなく絶え間ない拍手である。



 ――おう、新しいぞ!


 ――そうか、そのタイミングで勝敗を決するのか。


 ――知識だ、新しいジャンケンの知識だ!


 ――腐ってないわ、外海からの新鮮なズルの知識よっ!



「え、今の有効なの!?」


 口々に送られる賛辞に面を喰らったのは俺の方である。

 勝利――というよりも青目族からすれば見慣れない新しいズルの手法への、全面的な支持。すぐ背後で耳が痛くなるほど激しく太鼓が叩かれる。


『勝者は挑戦者、七瀬沙智っ! いないかっ! 他に挑む者はいないかっ!?』


 上がるのは歓声ばかりで、新たな挑戦を示す手を掲げる者は見当たらない。

 ふと騒ぎの中にステラやトオルの声が聞こえた気がしたが、その感覚も次の瞬間には太鼓の轟音にふわっと掻き消された。


『これにて締め切り!』


 まさか一試合勝つどころか、大会で優勝してしまったらしい。

 あちこちでクラッカーが鳴らされるのを見ていると、ひょっとすると何か商品でも貰えるのではないかとワクワクしてきた。

 

『見事に青王祭を制した挑戦者、七瀬沙智を――』


 うんうん、俺を?


『記念すべき第二百代ロブ島国王として歓迎いたしますっ!』

 

『うぉぉぉぉぉぉぉぉ!』





◇◇





 ここはロブ島。

 国が鎖国体制を取るのは、外の世界のあらゆる知識を集め尽くしたからである。通商の対価として利益ではなく知識を求める青目族にとって、それは他国との貿易の終わりを意味した。


 最も知識を尊ぶ種族、青目族は“未知の事象”を何よりも欲する。

 国を導く者は、新たな知恵を青目に授けん者であれ、と。


 汝、知識を渋れ――。

 然らずんば、価値ある血肉を失い白骨になり果てん。


「……え?」


 この男のように。


【ロブ島】

 ディストピア世界の最北端にして最西端の島国、別名「風船の国」。神獣の一体、青龍の結界によって国には魔獣が生息できないロブ島には、繊維技術で作られた幾つもの風船が浮いているの。空に舞う龍に望み、龍に願い、青目族は今日も知識を欲するんだ。



※加筆・修正しました

2019年9月29日  加筆・修正

         表記の変更

         ストーリーの一部削除・追加


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