閑話 『この声は誰にも届かないんだ』
今回はソフィーの話。
ジェムニ神国で別れた彼女の行き先は――。
深い森の緑を掻き分けながら、スターツ自然保護区の奥地へ進む。
ここは青の国の東に位置する広大な森で、大陸の西側と東側を分ける境界でもあるんだ。そして、この森の最奥に、誰にも見つけられない里がある。
そう、ここが私の――小さなエルフ、ソフィーの故郷なのだ。
「やっと帰ってきたなあ!」
里に入るための鍵を懐に仕舞い、私は大きく伸びをした。
薄ら緑の空気も、ところどころに見えるツリーハウスの木の匂いも、遠くに聳える世界樹からの微風も、里に漂う魔法花の香りも、全部を吸い込んで肺に溜め、帰ってきたという実感を得る。
今回の旅は、楽しすぎて意外と長くなっちゃった。
ふと隣に目を遣れば、ルビーが私の真似をして腕を空に伸ばしていた。
彼は、ニ十センチ前後の、ピンク色の熊のぬいぐるみさんだ。
「ルビー、散歩の時間まで小屋で待ってなあ」
腰を屈めて目線を合わせ、小指で彼のおでこを小突いてやる。
すると彼は華麗にお辞儀して、里の入り口の厩舎の一番右端の藁部屋に向かって歩いて行った。お辞儀まではお高く留まってたけど、そこからは早足。
藁の下のオタカラが掃除されてないか、気が気じゃないんだろう。
クスリと微笑んで、私は密かに藁のお掃除を決意した。
さあ、私も――。
家に、帰ろう。
「――――」
地面に足が付く度に、腰で揺れるショルダーバッグ。
遠くで大人たちが囁き合ってる。
「――――」
耳元で、飛びゆく冬蝶とすれ違う。
私の周囲だけ、嫌な静寂。
「――――」
歩きながら、耳元の金髪を弄ってみる。
誰とも言葉を交わさないのは、いつものこと。
「――――」
私は、好きだ。
人間と自然の営みが綺麗に溶け合って、美しい楽曲のように調和が取れているこの里が好きだ。この里で暮らす、世話好きで、不器用な人々が好きだ。
多分、心の底から。
私は、嫌いだ。
この里に流れる時間の全部。
この里を覆い尽くす空気の全部。
多分、心の底から。
「――――」
里の中心から離れた丘の麓。
巨大な水楢の傘の下に、外見だけ異常に立派な古びた赤レンガの家。一人で暮らすには広すぎるこの家が、私がもう五年も一人で暮らしている家だった。
心細くて、寂しい、でも慣れ親しんだ家。
その家の前に、この日は本当に珍しく人がいた。
緑色の短髪の青年の背中があったんだ。
「――バジル?」
「おう、誰かと思えば、趣味はケーキ作り、特技はルビーの汚い小屋を一分以内に片づけること、そしてつい最近、マチルダが珍しく『打突』スキルを教えてやると言ったのに攻撃スキルだからいらないと素気無く断ったソフィーじゃないか!」
ペラペラと軽い口調の彼は、里の青年隊のリーダーを務める男だ。
私が遠足から帰ってきてないか様子でも見に来たんだろう。
「リーナは家にいるう?」
「いや、麗しの姉御ならまだ赤の国で会議中だろう」
「そっかあ」
バジルのお姉さんとは長い付き合いで、帰ったら顔を出そうとずっと考えていたんだけど、思い返せば、五年振りに旧友とお茶会を開くって言っていた気もする。
旅の土産話でもしようと思っていたんだけど、残念だ。
私が肩を落とすと、バジルは腕を組んで何やら考え始めた。
そして一言、「まあいいや」と呟いて。
「俺は忙しい、アレは任せよう」
「アレえ?」
「任せたからな!」
彼は、そそくさと去って行った。
去る前に指差した玄関前には、老人が一人、座っている。
でも、これでバジルが家の前にいた理由に合点がいった。
石段に座ってうたた寝している白髪の小さい老人は、実はエルフの里の重要人物だったりする。最近はボケが進んでいて、里の禁止区域まで徘徊することがあるから、付き人が一人はついていたんだ。
そう、バジルは私に押し付けて、仕事放棄したんだよ。
私は小さく溜息を吐いて、その老人に近寄った。
エルフの里の、一番の長生きさんに。
「ちょーろー、何してるのお?」
「……おお、ソフィーちゃんかい? これから遠足かな?」
「今遠足から帰ってきたのお!」
ちょーろーは明るくて、元気で、時折変な人だ。
この様子からすると、今回の遠足中にもしっかりボケが進行しちゃったみたいである。体力だけは本当に有り余ってて、里の結界がなければ、地平線の彼方まで徘徊してしまう人なのだ。
そんな人が、どうして私の家の前でうたた寝なんてしてたんだろう。
疑問に思って首を捻ると、ちょーろーは懐からくしゃくしゃに萎れた茶封筒を取り出した。それを一目見た瞬間、遠い記憶が花火のように蘇る。
忘れるかもと心配したあの日から、忘れた日は一日もなかった。
「ほれ」
「なあに、賄賂お?」
「ラブレター」
冗談に返されたのは、皮肉交じりの冗談かタダのボケか。
この茶封筒は今日から約五年前に、私がちょーろーに預けた物だった。中に入っているのは、当然札束じゃないし、誰かへの情熱的な恋文でもない。
過去の私から、今日の私へのメッセージだ。
ちょーろーに預けておいた、私への手紙だった。
「覚えてたんだあ」
「当り前じゃ、今日がシチューの日だってことくらい知っとるわい」
「いやあ、それは知らない」
またボケるちょーろーに呆れて手を横に振る。
茶封筒はそのまま開けずに脇に挟んで、丘の上に目立つ一本木を何気なく仰いだ。読まなくたって、五年前の私が何を書いたか覚えてる。
後で、家の中を引っ掻き回してスコップを探さなきゃな。
お礼を言おうと思ったら、ちょーろーは玄関口にはいなかった。
いつもの山彦が、始まった。
「――ほっ、ほっ、ほっ、サっちゃんはどこか~?」
日に数度は繰り返される、誰も意味の分からない山彦。
ちょーろーは背中に手を添えて、里の中心に向かって歩きながら、まるで一向に返答をくれない向かいの霊峰にムキになって叫び続ける子供のように、何度も、何度も、自分で山彦を繰り返した。
§§§
スターツの森は複雑に入り組んだ天然の迷路だ。様々な種類の魔獣が生息しているし、中には非常に強力な毒を持っている個体も存在する。
だけど、エルフは経験上、みんな安全ルートを知っている。
「そんなにお散歩が嬉しい?」
『ブォ』
私を固い鱗の背中に乗せて、幼い白犀はご機嫌な様子だった。
この若い白犀はよく人慣れしていて、魔獣どころかもう野生動物としての本能すら忘れてるんじゃないかと思わず疑っちゃうくらい従順だ。
この子は顔つきは結構、間抜けな方なんだけどね。
彼とこの散歩道を通るのは、もう半年振りだろうか。
懐かしい道に、ふと昔よく遊んだ友達の後ろ姿が浮かんだ気がした。
「――よし、止まれえ」
『ブォ』
里から大分離れた、里と同じくらい巨大な大岩。
私が降りて苔むした大岩へ向かうと、白犀の彼は陽だまりに屈んで小さく欠伸をした。彼の白い鱗の上には、小鳥たちが羽を休めにやってくる。
私は大岩に背を預けて、深く深呼吸をした。
やっぱり、この場所は懐かしい。
いつの間にか、私は歌を口ずさんでいた。
『手と手合わせて、アヤメは開いた』
『みんなで育てた、鮮やかなメモリーズ』
『だけど、零れ落ちたのは何だったろう』
『花は、散って枯れた』
綺麗な紫色の花たちが、木漏れ日の中で肩を揺らす。
苔むした大岩は、静かに耳を澄ませていた。
「――ふふっ」
本当に短い歌だと作った自分でも思うだから、笑えてしまう。
悲しいことがあった時に、何とか気分を紛らわせようと作った歌だったけど、結局は歌詞の中で花が枯れてしまう切ない歌になってしまった。
そんな歌でも、心が落ち着くのだから不思議だった。
ここで、何年も歌ったからだろうか。
私は、ふっと頬のえくぼを消した。
声は、一段と低く。
「ごめんね。何でも治せる『世界樹の涙』、見つけられなかったよお」
小さな謝罪の声に、背中の大岩は何も答えない。
何も答えないけれど、聞いてくれる。
「――私、独りぼっちでも戦ってみせるからあ」
もうこの声は誰にも響かないんだ。
そう諦めて、一人で戦う決意を新たにした私を、大岩は無言で見つめていた。巨大な亀の形をした苔の大岩はずっと、見つめていた。
エルフらの聖獣は、今日も岩になったまま、動かない。
※加筆・修正しました
2020年8月21日 封筒を渡す日の変更




