第四十話 『アルフはにっこり笑っている』
◇◇
赤の国西部の星見公園。
宿やカフェから程近い場所にあるこの公園に、日もすっかり暮れて夜空を綺麗な星々が彩る頃合い、猫耳勇者シアンはこの場所を訪れていた。以前訪れた際は異常気象による熱気と、七瀬沙智と会う緊張で、ピリピリしていたのを思い出す。
塀沿いに歩いて、白いベンチの裏側から見つける。
飛び出た長い白耳にシアンはふっと頬を緩めて。
「やっぱりここにいた」
「ほえ!?」
ビクンとアルフの体が跳ねる。
そして、驚きを宿した目が合った。
「街中を彷徨い歩いてたら、沙智か誰かと偶然エンカウントするかもしれないもんね。合いたくないって思ったなら、立ち止まって隠れるしかない。そして隠れるなら、きっとここだろうと思ってた」
「どうしてー?」
「星空が一番綺麗に見えるからよ」
シアンはそう答えたが、本当に確証があった訳ではなかった。アルフの迷子は不規則に思われがちだが、実際には少し異なる。こういう視界に入る情報量が多い街中では、興味を惹かれた方向へと迷いがちなのである。
加えて、以前セシリーがアルフとここで真夜中に会ったという話を当人から聞いていたので、もしかしたらとも思っていた。
結果、アルフはここにいた。
シアンの推測通り。
「沙智たちとのお別れが辛くて逃げたんでしょ?」
「ナ、何ノコトカナー?」
「退院したら出発するって言ってたもんね」
「ソ、ソウダッケー?」
相変わらず分かりやすい反応に、シアンは微笑む。
それがアルフの精一杯の見栄だと知っていた。
「でもね、アルフ」
だからシアンは伝えることを臆さない。
ベンチの後ろから両手を伸ばして、普段は空気を読めない癖に妙なところで気を遣う優しい兎を抱き締める。優しく愛情を込めて。
その耳にしっかり聞こえるように、シアンは語る。
「大切ならちゃんと掴んでおきなさい。それが物でも、人でも、思いでも一緒。私はそれを落っことしたせいで、たくさんの人を傷つけちゃった。だからこそ、あなたは落としちゃいけない。落とさないように、しっかり掴んであげて」
何も言わないアルフの後ろ姿に、出会いの日をダブらせて。
あの日から逃げずに迷い続けたアルフが強いことを知っている。
「大丈夫よ、あなたはもう瓦礫の上で泣いたままじゃない」
「――ぁ」
「あなたの言葉は、沙智とセシリーと、私を救ったんだから」
小さな声が漏れた後、シアンは腕を解いて歩き出す。
ベンチを回って、座っていた一羽の兎の顔を見る。
ほら、また迷っている顔だ。
シアンは思う。あれだけ自分に格好良く啖呵切っておいて、それでもこの兎は迷いやすい。別れが辛いとか、断られたらどうしようとか迷って、折角できた初めての友達と一緒にいたいの一言が言えない。言えなくなった。
でも迷わなくてもいいことに、迷う必要はないのだ。
「ねえアルフ、教えて」
掌を伸ばす。
沙智とセシリー、そしてアルフを真似て。
一匹の猫の衝動を見つけてくれたように。
「あなたは、どうして沙智たちと一緒にいたいの?」
夜空に星が流れて、キラキラと瞬いた。
兎の頬に涙が流れて、頬を緩めて瞬いた。
「シアン、あのね」
半年前、シアンとアルフが初めて出会った日。
故国の獣人国家から遠く離れた地の、奥森の瓦礫の上。焼け焦げた家具が散らばる家屋の残滓の上で、腐った人の遺体の前で少女は泣いていた。
泣いて、泣いて、ずっと泣いていた。
思えば、あの日が始まりだったのだろう。
猫は手を伸ばし、兎は今日。
「私は――」
「ああー! やっと見つけたー!!」
「ほえ!?」
アルフが涙を堪えて何かを言おうとした時、夜の静寂に声が響き渡る。
兎は慌てて涙を拭い、驚いて振り向くと。
「お、取り込み中だったか?」
公園の入り口に、七瀬沙智が立っていた。
久しぶりに歩き回ったからか腿の筋肉痛に顔を顰めて、七瀬沙智は頼りない足取りで近づいて来る。ようやく探し人に辿り着いた沙智は不満でも漏らしたい気分を何とか閉じ込めて足を進め、その姿にシアンは安心したかのように微笑んで。
取り残されたアルフは、少し不安げに少年を見つめ返していた。
「どうしてー?」
「ここが一番星空が綺麗だったからだ」
シアンと同じことを言う少年に、アルフは思わず息を呑む。
実際、アルフに星への興味はさほどないのだが――。
「お前、星を金平糖みたいって思ったろ?」
「ギクー!!」
七瀬沙智やシアンには、兎の考えが手に取るように分かるらしい。
言い当てられて挙動不審になるアルフ。その様子にどうしたものかと七瀬沙智が考えていると、代わるようにシアンが前へ出た。
「沙智、あなたはアルフをどうしたい?」
「迷子の世話焼くのはもう御免だ」
その一言に、胸に突き刺さるような痛みを覚えて、アルフは声にならない悲鳴を発する。その返答を聞きたくなかったら、こうして別れの日まで迷子になろうと決めたのに、全部が無意味だと。
断られた時の辛さを考えたらもう駄目だった。以前のように気軽に付いていくと言えないほどに、大事な友達になってしまっていた。
だから、アルフは――。
「でも」
「ほえ?」
「拾ったペットの責任くらい最後まで持つさ」
顔を上げると、少年は照れ臭そうに笑っていた。
その意味を、アルフは徐々に理解して。
「い、いいのー?」
その質問に、否定の言葉が続かないと分かったら。
花開くように、満面の笑顔を咲かせて。
「じゅ、準備してくるー!!」
「あ、おい!」
心を弾ませて、駆け出した。
若干素直でないやり取りだったが、伝わったのなら少年は満足だった。尤も詳しい出発の日取りも聞かずに駆け出した兎に一抹の不安を覚えないでもないが。
公園に残った沙智とシアンはお互いに顔を見合わせて。
「ははっ」
「ふふっ」
同時に笑みを溢した。
色々と衝突のあった二人。
しかし、今の二人の間に軋轢はもうない。
「追い付いてみせる!」
「期待してる!」
お互いに勝手に憧れて、勝手に支えにして、認め合ったからこそ、シアンもアルフを少年に預けることができるし、少年もシアンと笑うことができる。
崩れた聖剣カーテナの柄を握り締めて拳を向けてきた笑顔のシアンに、沙智も聖剣エクスカリバーの破片のレジンが入ったお守りで応じた。
これで七瀬沙智の夏のやり残しの課題は終わりだ。
それから、二日後の朝――。
◇◇ 沙智
赤の国最北端は、渚の岬。
今日はいよいよ出航の日だ。
「――何じゃ、見送りはわしだけか?」
「セシリーは超仕事人間だし、勇者連中は早くも次の魔王退治へ向かってもういないよ。それよりレイファ、例のプロジェクトの方は頼むぞ?」
「あれか、繋がり次第届けるからのう」
意味ありげな会話をした後、二人して破顔する。
この愉快でお世話焼きな悪魔ともしばしのお別れだ。
脇に視線を遣ると、波止場に留められた一隻の小舟。小さくも頑丈そうで小型のエンジンまで搭載している木造の小型船を俺たちは借りた。
この世界では馬車が一般的な移動手段である事から分かるように、あまりエンジンなどの動力が普及していないため、このレンタル小舟は高価だった。それを赤の国の自治会が密かな感謝の印として、無償で提供してくれたのだ。お蔭で通常は丸二日掛かる航路を、半日で行ける。大変有難い話だ。
すでに荷積みも終わり、後は出航を待つだけ。
そう、その待つだけに相当肝を冷やしている。
「アルフ、迷わずに来れるかな?」
「シアンさんが送り届けてくれるそうですが」
「あやつ何を用意しとるんじゃ?」
ステラとトオルが小舟の操縦室の前に座り込んで心配しているところへ、俺との悪巧みを話し終えたレイファも飛び乗って混ざる。
丁度、そんなタイミングだった。
「――ぇほ」
会話に不自然な間を作る小さなノイズ。
この一か月は度々聞こえてきたトオルの咳き込む音。これをレイファとは入れ違いで小舟から降りてきた、この黒い男は初めて聞いたのだろう。
埠頭に立っていた俺の隣に来て、彼は問いかける。
「何だ、ルイスは風邪か?」
「この一か月の間に気温がグッと下がったからな。ギーズ、俺やお前らみたいに元々体調が良い方でもなかったし、響いたんだろ」
「昔からそんな病弱キャラだったっけか?」
遠い過去を偲ぶような単語が出て、俺は目を細める。
思い返せば、その話は保留のままだった。
ギーズとトオルは同郷の知り合いだった。彼は俺が名付ける前のトオルの名前を知っており、それ以外にも色々と知っている風だった。以前自治会庁舎でその事が露見した際は、トオルの頑なな抵抗もあり詳しく話すことができなかったのだ。
「――――」
だがギーズは今からその話を続けるつもりのようだ。チラリと片目でトオルの様子を確認すると、埠頭の先端へ歩き出す。
三歩ほど進んでから振り返り、俺に手招き。
「少し離れるぞ」
「ああ」
二人、ヒソヒソ話をしに向かった。
波は穏やかで、憎らしいほど天気も良い。
旅立ちには絶好の日和なのに、目的地を見据えるギーズの表情は暗い。いや、暗いというより真剣だった。この波では揺らがないほど真剣だった。
彼は、トオルに関わる遠い昔話をこんな風に始める。
「――今から七年前にロブ島で一つの事件が起きた」
何となく分かっていたが、出だしから重い。
俺が渋い表情で首を傾げると、彼は尋ねる。
「お前、『ハイエナ』って知ってるか?」
「サバンナの肉食獣か?」
「なるほど、六人目が世情に疎いってのは本当らしい」
「喧嘩売ってんのか、このロリコン!」
俺が拳を作ると、ギーズは腰に手を当ててへらへら笑った。
それから、また少し真剣な表情に戻って説明を続ける。
「『ハイエナ』ってのは違法な商業集団だ。他人の命を啜って金を稼ぐやり方からそう呼ばれるんだが、問題はソイツらが扱っている商品だ」
「何を扱ってる?」
「――奴隷さ」
「――――!」
その一言で、俺はピタリと固まった。
記憶の中で何かが、繋がる音がした。
「七年前、奴らは突如としてロブ島に現れた。海岸付近でよく遊んでいた当時の青目族の子供たち六人を攫っていった。ロブ島王宮が事態に気づいた頃には、奴らは国の周囲に広がる霧の海域に紛れてトンズラだ」
「その六人の中に、トオルが?」
ギーズは悔しそうに奥歯を噛んで、拳を震わせる。
そう言えば、昔はそれなりの付き合いがあったのだ。
「で、その後は?」
「ハイエナの敵船なら、二年後に赤の国沖合で座礁しているのが見つかった。嵐にあった訳でもないのに、まるで襲撃でも受けたような有様だったよ。船から見つかった子供の白骨遺体は五人分、つまり、一人は足りなかった訳だ」
彼の話を聞いて、俺は思考をまとめる。
トオルははずれの町で出会った元『奴隷』で、今は亡き主人ビエールは七年前に偶然拾った奴隷だと主張していた。「買った」ではなく「拾った」だ。
それと今の話と合わせて考えられる可能性は一つだけだ。
七年前、『ハイエナ』なる者たちがトオルを攫い、奴隷の首輪を嵌めた。しかし主人の契約をまだ済ませていない段階で不測の事態が発生し、トオルは奴隷船から辛くも脱走。その脱走先で偶然ビエールに見つかり、契約をさせられた。
そして以降、七年もの間、少女は『奴隷』として過ごした。
「ぇほ、えほ」
「――――」
それが、きっと真実だ。
遠くからまたトオルの咳き込む音が聞こえて、俺は俯く。
そんな俺の肩を掴んで、ギーズは少し厳しめに言った。
「――まあそういう訳で、ロブ島にはアイツにとって嫌な思い出がたくさん詰まっているかもしれない。大図書館ナレージに用があるみたいだが、お前は、ルイスをそういう場所に連れて行こうとしているって認識はちゃんとあるか?」
それは彼なりの老婆心なのだろう。
ギーズが危惧していることも分かるし、それがトオルへの気遣いに満ちていることも伝わってくる。性癖はともかく、これでいて誠実な男だ。
しかし彼は、俺たちが知らないルイスをギーズが知っていたように、ギーズが知らないトオルを俺たちは知っている。
だから、迷わずに言える。
「ギーズ、俺はそう悲観はしない」
「何でだ?」
「トオルの夢を知っているからだ」
俺は、少女が涙ながらに語った抑えきれない衝動を知っている。月夜に語り合った幾つものささやかな夢を知っている。あの夢がちゃんとある限り、そしてあの夢を一緒に叶えてくれる友達が少女の傍にいる限り、トオルは大丈夫だ。
そして、トオルと一緒に夢を見てくれる友達はまた増えた。
笑顔で我が事のように自慢してやると、ギーズは苦笑してそれ以降は何も言わなかった。旅立ちの日に、これ以上湿っぽい話は無用だ。
「で、お前も本当に乗るの?」
「なーに、邪魔はしねーよ」
手を振って船に戻っていくギーズに、俺は呆れる。
次なる目的地はロブ島。
大図書館ナレージに、元の世界へ戻るヒントを求めて。
同行者にギーズを加え、ステラとトオルと。
あと、もう一人。
「――にしても遅いなあ」
来ると言っていたものの遅すぎる。
まさか本当に迷子かと思ったその時。
「おーまたー!!」
渓谷出口の方から声が聞こえて、俺たちは思わず笑顔で顔を見合わせる。
白い耳を揺らして、一生懸命走って来るあの人影は――。
あれ?
「あのねあのねー! 持ってきたい物が多すぎてポーチに入りきらなかったから風呂敷に包んできたよー! 飴とか飴とか飴とか飴とか飴とか入れ過ぎてすっごく重くなっちゃったけど、ちゃんと大型船借りてることを期待してるのだーぜ!」
「全部置いてけぇぇぇええ!!」
「おざなりぃ~!」
騒がしい旅路になりそうだ。
【レッドドレッドキャンディー】
赤の国の名産品レッドドレッドキャンディーは、ドレッドヘアみたいな形のリンゴ飴なんだー! その独特な形とボリューム感、子供でもお手頃なお値段で大人気―! いっぱいいーっぱい買って荷物に入れたから、色んな国に布教しに行「だから全部置いてけって行ってんだろうが!」
※加筆・修正しました
2020年7月26日 加筆・修正
表記の変更
ストーリーの順序変更
※18年12月12日筆
これにて第三章終わりです。
評価やブクマの方をしていただけると大変励みになります。また、感想や質問もお待ちしておりますのでぜひお願いします。
「七瀬桜雲2@小説家になろう」でTwitterもしておりますのでお暇でしたら「@koreha_story」で探してみてください。よろしくお願いします。
 




