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第三十八話 『世界は色めく時を待っている』

本日から後日譚です。


 あの空に一番大きな花火が開いて約一か月。

 競赤祭の活況も夏の終わりと共に静まり返って、空が高く感じられる初秋。あの猛暑も嘘のように去って、赤の国には高山都市らしい冷涼な気候が戻ってきた。

 宿で療養という名の監禁生活を送っていた俺は、今日も口を尖らせていた。


「やっぱり理不尽だ」


「もう諦めなよ」


 他が出払っている中で、ステラはもう聞き飽きたのかつれない態度だ。

 普段なら魔法で赤い髪を乾かす朝風呂上がりの彼女に見惚れていただろうが、今ばかりは誰でも良いから不満の捌け口が欲しかったのだ。

 もう一か月も続く、不満の捌け口が。


「だって獲得した経験値ゼロってさ!」


 そう、なぜか俺は赤の大魔王を倒したことによる経験値を得られなかった。理由は至って単純、割り振りのタイミングで死んでいたからである。

 荒れ模様の俺にステラはさぞ楽しそうに微笑んで。


「その分、ライフゲージゼロでも死なないユニークスキルをゲットできたんだからいいじゃん。経験値はともかく大魔王撃破の称号はちゃっかり貰ってるし」


「あの『ゼロのその先』っていうスキルなら回数制限があったみたいで、もう二度と使えないよ。次は普通に死ぬから。あと称号については知らん」


「ああ、それはお気の毒さまで」


 ステラは茶化すが、実はその件も俺を悩ませる一因である。

 レイファが俺のスキル構成がサクのものと似ていると言ったのを思い出して、ひょっとするとメニューのユニークスキル欄にある最後の『Undelivered』が『ゼロのその先』ではないかと期待したが、結果はその通りだった。

 あの硝煙の香りの中で聞こえてきた謎の少女の声。加えて、獲得経験値はゼロなのに、称号欄には『魔王撃破:炎獄』が新たに増えたという不思議。

 俺のメニューが称号システムとは別系統なのではという疑惑が増す。


 まあサクに会えない以上、こればかりは考えても仕方ない。

 本当に問題なのは――。


「はあ、ステラの方が経験値ゼロだったらなあ」


「――ぅ」


 部屋の隅の冷蔵庫を開けようとしたステラの手が宙でピタリと止まる。その様子を横目に眺めて、俺はやはりなと溜息を溢した。


 ステラがシアンと協力して渓谷の石橋で赤の大魔王と戦ったことはすでに聞き及んでいる。魔王暴走のリミットが近づいたのは確実だ。言いつけを破ったのが気まずいのか当人が中々言い出さないので、俺がこうして鎌を掛けた次第である。


 人格を失って暴走してしまうのは、レベル30に到達した時だ。

 依然として一時停止したままのステラに、片目で尋ねる。


「で、レベル30まで実際どれくらいだ?」


「だ、大丈夫! 今私のレベル29なんだけど、次のレベルまでに必要な経験値をこの湯飲みの大きさで例えたら、水を一杯丸ごと注げるくらいは」


「くらいは?」


「今回で経験値入っちゃったかも」


 つまり、空き容量ギリギリじゃないか。

 これっぽっちも大丈夫ではないようだ。


 正直なところ、彼女が完全に戦えなくなったという状況には不安が大きい。ロブ島への海路で魔獣に襲われることはまずないだろうが、不測の事態に遭遇した時に非戦闘員の俺と最近調子が悪そうなトオルで上手く対処できるだろうか。

 何より、彼女の問題を解決する案はまだないことが問題だ。


「なあ、ステ」


 俺はこの話を少し掘り下げようとして、寸前で止める。

 廊下から、部外者の足音が聞こえてきたからだ。


「――やあ、安静にしていたかな?」


 扉を放って入ってきた眼鏡の男に、俺は顔を顰める。

 彼の名はノエル、今事件解決の影の立役者だ。


 赤の大魔王が火焔で街を焼いたにも拘らず、今事件での死亡者は奇跡的にゼロ人だった。何でも、魔神信仰会の企みを事前に察知していた青の国一団が秘密裏に潜伏し、赤の国自治会と協力して避難活動に尽力したかららしい。

 その青の国の中心人物、王子こそがこの男ノエルである。


 ダムで倒れていた俺を治療してくれたのも彼らしく、俺にとっては命の恩人に等しい存在なのだが、どうも反りが合わない相手だった。


「ライブのお礼にお菓子貰ってきたー!」


「アルフ、ライブって何?」


「沙智様、身体のお加減は如何ですか?」


「とっくに元気だよ、シンディー」


 ノエルに続いて、アルフと彼の侍女シンディーもやって来る。


 アルフが俺の療養中に迷子になった際は主にステラが面倒を見ていたため、ステラに対するアルフの仲良し度は相当上乗せされている。首を傾げるステラに飛びついて、どこぞで貰ってきたお菓子を咥えさせようとしているのがその証だ。


 一方で、この療養期間中に不思議な関係になったのがシンディーである。

 彼女は俺の布団の隣に正座し、柔らかく微笑んで。


「沙智様、リンゴを剥きましょうか?」


「いや、いいよ」


「沙智様、お背中をお拭きしましょうか?」


「本当にいいから!」


 と、終始こんな具合なのである。


 この茶髪のボブカットの少女とは自治会庁舎で少し事務的な問答を交えたくらいなのだが、一体何が彼女の琴線に触れたのか、大層可愛がられている。それが恋愛感情でないことは分かるのだが、親愛ゲージは不思議かな最初からマックス。

 大抵の人間相手では恐縮する関係だが、シンディーの場合は意外とこの距離感は悪くなく、何だか親しい友人のような枠で収まっている状況である。


「シンディー、俺もう監禁生活飽きたなあ」


「ノエル様、直ちに沙智様に退院許可を」


「君、うちの侍女を顎で使わないでくれるかな!?」


「ちっ、失敗したか」


 こんなやり取りも二人してノリノリである。


 尤も俺の体調が万全であるというのは紛れもない事実である。ノエルがこうも退院許可を渋っているのは、ライフゲージがゼロになってから蘇生した例が過去にないからである。詳しく事の経緯や素性を聞きたがってるようだが、その点も目立ちたくないという俺の要望を受けて、ヤマトが手厚くガードしてくれている。

 要は、退院許可を出す明確な後押しをノエルは欲している訳だ。


「そろそろ渓谷での事を教えてくれる気になったかい?」


「一生ならない」


「君も頑固だねえ」


「そっちこそコリンが捕縛したパジェムの部下から事情聴取は?」


 腕を組んで目を背け、ついでに会話も逸らす。

 これがノエルという男との相見え方だ。


 俺やアルフらが地下墓地に迷い込んでいた際に、ステラらを襲撃したパジェム唯一の腹心と、一連の騒動で拘束した魔神信仰会の連中は、青の国一団に引き渡している。彼らは赤の国へ向かう道中でも何人かの魔神信仰会のメンバーを拘束していたようで、上手く情報を引き出せないかと勇者相手に交渉したらしい。


 ノエルが詳細を答えるとは思わなかったが。


「パジェムの右腕、確かサイラスという名の男だが」


「え?」


 驚くべきことにノエルは口を開いた。

 今後魔神信仰会と関わり合いになる予定はないが、ジュエリーを結局は取り逃がしたこともあるので、一応情報が得られたのであれば聞いておきたい。

 一人テーブルの饅頭をがっついているアルフは置いておいて、俺とステラとシンディーが固唾を呑んで次の言葉を待つ。


 そして、ノエルは。


「――逃げられた」


 本当に碌でもない情報を開示した。


『死んでくださいクソ眼鏡』


「君たち声を揃えないでくれるかな!? 大体ちょっと前から言おうとおもってたけどシンディーちゃんはこっち側だよね!?」


「無能なゾウリムシに仕えた覚えはありません、ねえ沙智様」


「原生生物らしく水溜りでウネウネしてろ、なあシンディー」


「一国の王子に何たる侮辱!?」


 この一か月の間で俺とシンディーは息ピッタリである。


 シンディーの悪乗りに乗せられたというのは勿論あるのだが、ノエルという男にあまり威厳を感じられないのもこの状況を生み出した原因だ。この療養期間で彼が臣下と一緒にいるところを度々見かけたのだが、誠実そうな老紳士も、やや好戦的な女武将も、小太りの大臣も、全員がノエルに対して同じ対応だった。


 取り立てて残念に思う所以は――。


「兎さん、君の友達容赦ないよ~!」


「ほえ?」


 饅頭で頬をリスみたいに膨らませたアルフに助けを求めるところだ。こういう場面でアルフが空気を読めるはずがないのに。


 滑稽な様子を眺めてシンディーと二人クスクス笑って楽しんでいると、ステラが軽く頭にチョップを入れる。少しオイタが過ぎたようだ。

 ステラは俺のアホ毛の先端を泣き寝入りするノエルに向けて。


「沙智、助けてもらったんだから揶揄うのは程々にね。称号『青』を持つ冒険者なんて、怒らせたら絶対に勝てない人なんだから」


 程々なら揶揄っても良いのか。

 いや、それよりもだ。


「誰が『青』だって?」


「ノエルさんが、だよ」


 ステラの何気ない返答を受けて、改めて青の国の王子に視線を向ける。

 ノエルは俺の視線に気づくと、座布団に座ってテーブルに片手を乗せて間抜けな表情でヒラヒラと手を振った。その目の前の姿が、水魔法を極めし魔法使いのイメージとはかけ離れていて、つい一言。


「アホの間違いじゃなくて?」


「君、シンディーちゃんの影響受けすぎじゃない!?」


「ふぐぐぼッ!」


 俺の不用意な一言は、ノエルに華麗なツッコミの機会を与え、勢いよくテーブルを揺らした衝撃でアルフの喉を詰まらせてしまった。

 布団から起き上がって兎の背中を摩りながら、少し反省。


「これでもレベルだけなら世界でも第三位なんですよ?」


「このゾウリムシが?」


 シンディーが補足説明をくれるが、どうも信用できない。

 無礼を承知で瞳に紫苑の魔力を集めて確認してみると。


「――え、レベル76?」


「ふふふーん、ゾウリムシを舐めないでもらいたい!」


「悪魔よりも上だと!?」


 俺はショックを隠せなかった。

 最強最高と信じて崇拝する大悪魔レイファよりも、目の前でこれ見よがしに鼻を高くする眼鏡の方がレベルが高いだなんて信じたくなかった。

 と、考えかけてふと思い出す。


 確か、悪魔族は経験値効率が相当悪かったはずだ。人族がレベル二つ上がる経験値で、悪魔はレベル一つも上がらなかったりする。そう考えると、ノエルとレベル一つ分しか差がない彼女はやはり大悪魔で、最高で、最強ではないか。


「ふう、さすがレイファ!」


「あれ、私を褒め称えるところじゃ!」


「うるさい、ゾウリムシ」


 ノエル、ここに撃沈。


 しかし、そうなると気になるのはレベル第一位と第二位の存在である。魔神信仰会同様関わり合いになる予定はないのだが、個人的な好奇心が騒ぐ。それに話の一端に触れた限りでは、勇者五人なんて比較にならないほどの高レベル者。

 それを知っていないのは、この世界では常識的にまずい気がして。


「ステラ先生」


「はいはい」


 ソワソワした俺の反応から聞きたいことを察したのだろう。

 さすがステラ、この異世界で一番付き合いが長いだけある。


「このディストピア世界を壊せるかもしれないって期待されてる人たちが『反撃の勇者』以外にもいるの。その中でも各属性の魔法を極めた色の称号を持つ、レベル上位三人はとても有名だよ。――第三位の称号『青』、水の腐食師ノエル」


「第二位の称号『黄』、雷の破壊者クエンテイン」


 ステラとシンディーがそれぞれ一人ずつ紹介する。

 最後の一人を引き継いだのはドヤ顔ノエルだ。


「赤の大魔王が持っていた称号『赤』も持ち主が君らに倒されたことによって、今頃はあのじゃじゃ馬姫に引き継がれたことだろう」


「じゃじゃ馬姫?」


「そうだ。長い歴史においても人類レベル第一位、世界の最先端を走る、最高レベルの者に与えられる称号、『人類未踏』を持つ彼女に――」





◇◇





 ジェムニ神国テスル地区。

 歓楽街の一角に佇むこの酒屋には朝から多くの冒険者たちが集っている。表通りにある電子モニターが起動するまでの間、彼らはいつもここで情報を交換したり談笑したりしていた。朝から酒の匂いに誘われて来た訳ではない。

 決して、そう、決して、彼らはのん兵衛ではないのだ。


「メル、昨晩のニュースは見た?」


「見た見た、信じられないよね!」


「まさかあの神獣『白虎』を倒すなんて、さすが『人類未踏』様!」


「アタシ、エリナ様の隠れファンなんだ!」


 普段は様々な情報で色彩豊かな酒屋だが、今日は特別一色だった。

 それは昨晩舞い込んだ一大ニュースが原因である。


 このディストピア世界には神獣と呼ばれる魔獣がいた。

 長年討伐されない魔獣が一帯の『主』に成長するケースはしばし見られるが、その単位が百年、千年となると、もはやそれらは他の『主』とは一線を画する。こうした強力な魔獣をこの世界では『神獣』と呼ぶ習わしがあった。

 討伐レベルは『魔王』を遥かに凌ぎ、実質不可能だ。


「――マスター、次はカシスで」


 だが、この女はその偉業を成し遂げた。

 五体の神獣の一角に挑み、打ち勝ったのである。


「お客さん、朝から一体何杯飲むつもりだい?」


「私はお酒を心から愛してるの、ほら早く寄越しなさい」


「今日の冒険に響いても知らないよ?」


 店主の忠告も聞かずに黒髪ツインテールの女は酒を流し込む。

 背後のテーブル席で自分の話題を取り上げて楽しんでいる冒険者たちがいるのも一切気にせずに、一人カウンター席で、酒、酒、酒。

 我関せずと、脇に空のグラスを増やし続ける。


 世界は、一心に待ち望んでいた。

 この女がディストピアへ挑戦を始める瞬間を。

 

「次は何にしようかな?」


「まだ飲むのかい?」


「違うけど、奢ってくれるなら別よ?」


 強い標的を狙う際、女は決まって敵にネームを与えてきた。

 前回の冒険でも神獣『白虎』に『リチョウ』と名付け、尊敬の念を抱いて相対して打ち滅ぼした。彼女が虚ろな目で、空のグラスの底を指先に宿した火魔法で炙っているのも、次の標的にどんな名を与えるかを思い悩んでいるからである。


 女の次なる標的は、炎の化身と謳われた『赤の大魔王』だ。

 ずっと火魔法を使う時は質を抑え続けてきたのだ。出会いと同時に、赤の大魔王からその象徴たる称号『赤』を劇的に奪い取る、その快感のために。

 例えば、周りの命を侮り燃やしてきた愚か者が、より強力な炎の登場によって全てを失ってしまうストーリー。そんな奴をモチーフに名付けたい。


 女はガラスにニヤリと笑みを映し、ほんの少しだけ。

 そう、ほんの少しだけ高揚して火魔法を強めて。


「――っ」


「お客さん?」


 不意に、凄まじい衝撃を受けたように目を見開いた。


 店主が首を傾げる中、女はグラスを放って宙に四角形をなぞる。まるで突然何かに操られたように、自身のメニューに刻まれた文字列を上から確認し始めた。

 そして、その鋭い視線が称号欄のある場所で止まって。


 瞬間、内なる感情に引火して爆発した。


「おいみんな、とんでもないニュースが――ひッ!?」


 表で電子モニターが映す情報を確認してきた冒険者が店の扉を開け放って、飛び込んできた途端に言葉を失う。いや、彼だけではない。楽しそうにテーブルを囲って談笑していた女性たちも、皿を足元に落とした店主も、声が出せない。

 勢いよく立ち上がった女から、怯えて、視線を外せない。


「――面白いじゃん」


 人の強さがレベルという指標で測られるようになって早千年。

 女は二十一歳。人類では歴史上最年少で世界最高のレベルに到達した。ユニークスキルは一切持たず、純粋な剣と魔法の腕だけでのし上がった。

 そんな人類最強が今、余すことなく高揚した殺気を放つ。


「誰だ?」


 拳を体の両側に添えて仁王立ちし、抑え切れぬ感情を無意識に威圧感として解き放つ。瞳を光らせ、黒いツインテールを龍のように棚引かせて。

 世界が待ち望んでいた炎が、予期せぬ形で動き始める。


「私の獲物を横取りしたのは!?」


 女の名はエリナ。称号『人類未踏』にして『赤』。

 この世界の最果てを走る者。


【『白虎』】

 ウィルヘン草原に生息する魔獣の一体が『主』クラスまで成長したもので、五体の神獣の内の一体だね。歴史上倒されたことのない神獣の討伐、『人類未踏』エリナが為した偉業のお蔭で、沙智の大魔王討伐のニュースへの注目が二分されてるみたい。このタイミングで発表してくれたセリーヌさんに感謝だよ、沙智。



※加筆・修正しました

2020年7月23日  加筆・修正

         表記の変更

         サブタイトルの変更


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