第三十三話 『赤の大魔王は咆哮を上げている』
赤の国、ここは渓谷墓地。
凄まじい燃焼に身を包む黒い巨体は、空に赤い火焔を打ち上げながら、全てを灰にせんという漆黒の衝動に従って進行を続ける。その止まらぬ破壊衝動は人々が押し囲まれた領域を目指し、武器を捨ててなお挑戦者たちを圧倒する。
未だ、赤の大魔王を攻略する突破口は見えないままだ。
それでも、もう無理だと放り出す訳にはいかなかった。
拳を突き合わせて、見栄を張ってしまったのだから。
――大魔王を必ず何とかする、と。
「セリーヌ、威力は気にせんでよいから、初級魔法を放ち続けい。属性毎のダメージを計算したいという沙智からの要望じゃ!」
「ギーズ、俺らは援護に回るぞ!」
「遅れをとるなよ、ヤマト!」
「しっかり囮になってね、『ライトニング』!」
更に後退して墓地の端に並ぶ墓石の陰に隠れた俺は、戦闘の中心地で我らが魔法使いのものと思しき雷が上がったのを見て、始まったのだと悟る。
生憎とメモ用紙は手持ちにないので、レプリカの剣の切先で足元の灰色の石畳を引っ掻いて白い傷をつけ、記したいことを書き残す。
一方、首を捻るのは一緒にいるトオルとステラだ。
「各属性の魔法を放たせて今更何になるというんですか?」
「赤の大魔王に対して一番有効な攻撃方法を探すんだよ。奴の耐久は本当に化け物染みている。だからこそ無駄な攻撃で魔力を浪費する訳にはいかない。この『遅延視』スキルを使えば、ライフゲージの減り具合の差がはっきり見えるんだ!」
「それが分かっても結局ダメージソースが間に合わない! 相手は勇者五人が揃っても一割しかライフポイントを削れなかった、正真正銘の災害なんだよ!」
「んなこたぁ端から分かってる!」
瞳に紫苑の魔力を輝かせて、俺は吐き散らすように怒声を奏でた。
相手のアイデアを否定するだけでは成果は見込めないとよく聞くが、それも極限状態では話が変わってくる。いつ赤の国が巨大な火焔で終焉を迎えるかも分からない状況下で、可能性の低い思考を続けるだけの時間的猶予がないというだけだ。
二人の言い分は尤もだが、俺はまだ可能性低しとは思っていない。
そもそも、一番最初に選べる選択肢は四つ。
退避、交渉、封印、撃破の四つしかない。
守るべきものがある状況で逃げることはできず、交渉が通じる相手ではない。封印する術も持たない以上、撃破しか選択肢は残されていない。
ならば有効な攻撃手段を知っておくのは悪い話ではない。同じ魔力消費でも、風魔法より水魔法の方が多くダメージが与えられると分かれば、可能性は広がる。だからと言って、ステラが指摘したように有効だと分かった魔法を我武者羅に放ち続けるだけではあの耐久は崩せない。更にもう一歩、必要となる。
ヤマトらが陽動する中、セリーヌさんは指先から様々な魔法を繰り出す。火の玉だったり、風の刃だったり、土の弾丸だったり。だが残念なことに有意な差が見つからないまま、特殊を除く七属性が放ち終えられる。
「――く」
俺は下唇を噛んで、地面に突き立てた剣を震わせる。
その時だった。
「『セイクリッド・ライトニング』!」
「何っ!?」
七つの属性による攻撃は使い果たされた。
そう思ったから、俺はセリーヌさんの声に耳を疑った。墓石の陰から顔を覗かせると、今度は彼女が取り出した杖に青い魔力が渦巻いていく。
その先端に模られたのは、紛れもなく雷の初級魔法。
俺が頼んだのは、魔法の相性を知るための試験である。
同じものを試したところで、結果は同じで――。
「――違うのか?」
そう考えたところで、思考回路をピシャリと遮る。
浮かんだのは、淡い、期待のような推測だ。
セリーヌさんは俺の要望の意図を理解していた。
だから、七属性の魔法試験をやり切った。
なのにまだ、初級魔法を放とうとしている。
ならば、違うのだろうか。
今までの七属性の魔法と、違うのだろうか。
俺の推測を証明するように、杖に生じている魔力の奔流は、紫苑の魔力が変換される際に生じる白い光と違って青く発光している。
それまでの七属性と違うなら、とやかく言っていないで俺も集中すべきだ。レプリカの剣を握る右手に力を、瞳に魔力をそれぞれ込め直す。
「『セイクリッド・ダークレーザー』!」
『――――』
「『セイクリッド・ホワイトブレス』!」
『――――』
闇魔法、光魔法、それらに類似する攻撃を見ながら、大魔王の頭上にあるライフゲージの減り具合を『遅延視』で確かめ、同じだけ石畳を引っ掻く。途中攻撃を食らった大魔王が何かをほざいていた気もするが、集中の外側の声は聞こえない。
更に、水魔法、火魔法、風魔法、土魔法と続け、セリーヌさんはレイファへ視線を送った。その視線を、レイファが俺へ横流しにする。
試験終了の、合図だ。
俺はレプリカの剣を放り捨てて、地面に描いた引っ掻き傷に視線を落とす。縦列が魔法の七属性、横列が普通の魔法と特別な魔法だ。そこに線の長さで示したダメージ量を、たった一ミリの違いすら見逃すまいと、穴が開くほど睨んで。
睨んで、睨んで、睨んで、睨んで、睨んで、睨んで。
――そして、遂に見つけた。
「あの『セイクリッド』ってやつ何だ?」
「多分、聖属性の魔力を組み込んだ魔法にシフトしたんだと思う。普通は紫苑の魔力しか人は魔法に変換できないんだけど、セリーヌさんはそれを聖属性の魔力で初めて成功した人として有名だから」
「聖属性の魔力を使った、魔法?」
小指を抓んで、ステラの説明を深く咀嚼する。
そこから、可能性を感じるまでは劇的だった。
「――ッ」
「あ、ちょっと!」
突如墓石の陰から飛び出した俺に、ステラの制止は届かない。
戦場に飛び出した無防備な俺に、レイファやヤマトたちが目を引ん剥き、大魔王が眉を寄せて怪訝な表情を浮かべるが、全てどうだっていい。
今は、身体を支配する、この浮ついた感覚に従うだけだ。
人間は、簡単にゼロからイチを生み出せる生き物ではない。
使えるのは、培ってきた経験値だけ。
自分のライフゲージ一本分だけ。
この感覚も久しぶりだ。
例えば、膨大な量の色とりどりのビーズが落ちている。それらは経験や伝聞が生み出した無尽蔵の知見の欠片であり、目の前の壁を突破するのに役に立つ色もあれば、全く無意味な色もある。でも色は、真っ暗闇に覆われて見えない。
ところが暗闇の中で手探りでビーズを探していると、突然、正解の色だけが光って見える時があるのだ。それはまるで、膨大な色の中を、正解一色だけ迷わず選んで速やかに貫いていく、細い糸に自分がなったようで。
そんな感覚が、思考をオーバーヒートさせるのだ。
「――――」
目の前の暗闇に、白いビーズが転がり落ちた。
ビーズは、過去から引っ張り出したレイファの声。
――この世界には『聖水』と呼ばれるアイテムが存在する。
目の前の暗闇に、白いビーズが転がり落ちた。
ビーズは、馬車の足音をカタコトと鳴らして。
――ダムは百年前までは実際に使われていたものです。
目の前の暗闇に、白いビーズが転がり落ちた。
ビーズは、川のせせらぎの中で微笑むメイド服のセシリーさん。
――この石橋はダムの放水時には沈んでしまいます。
目の前の暗闇に、白いビーズが転がり落ちた。
ビーズは、切羽詰まったステラの声。
――正真正銘の災害なんだよ!
魔法のダメージ計算結果から猛烈に始まった糸の加速は、ユニークスキルやこの渓谷の地形など、様々な条件を記憶した白いビーズを次々に射抜き、やがてヒャクある選択肢からたった一つの答えを模って、その手に強く握り締められる。
誰も思いつかないような、でも思えばこれしかないような、答えを。
「――――」
たった一人を屠るには、あまりにも大規模だ。
だが、奇跡のように全てが望んだ場所にある。
思考の海の底で沈んでいた俺は、勇者たちの焦った叫びに気づけなくて。墓石の裏から涙を浮かべて飛び出そうとするステラに気づけなくて。
王が二つの赤い瞳に捉えた、俺の無防備な姿に気づかなくて。
『――ゴミムシ如きが、先刻から鬱陶しいわ!』
仲間の絶叫の中、仰げば差し迫る火炎の拳。
そして、俺は無意識に読んだ。
「レベル、147」
『――――!!』
強い衝撃と熱風が、身体の背後に駆け抜ける。
物質的な重量は特に感じなかった。思考のオーバーヒートの結果、感情の起伏が乏しくなって茫然としている俺の目と鼻の先に、炎の拳は止まっていた。
改めて視界に映ったのは、僅かに震えた困惑だけ。
瞬間、内側で理解が爆発的に広がった。
レベルのエラー表示。
魔神は、遥かに力量差がある者のレベルの認識を不可能とした。そのバグ表示こそが、格上の存在を絶対に倒せないという証明だった。だがそのバグ表示が解かれたのであれば、それが意味することは一つ。
浮かんだ答えが花丸という、逆説的な証明だ。
目に飛び込んできたのは三桁にもなる恐ろしい数値。しかし負の感情は決してなかった。激しい思考の余熱が丁度良い具合に全身に行き渡り、脳の感情回路が徐々に再生する。もう歯止めの効かぬ高揚感が、俺の口角を吊り上げた。
あったのは喜びだ。俺でも、その壁を、越えていけるのだと。
『小僧、今、何と言った?』
聞こえてきた声もまた、拳と一緒に震えていた。
その灼熱の奥に光る赤い瞳は、信じられないものを見るかのように見開かれていて、先刻の俺とは全く別の理由で無防備に固まっていた。
しばらくの間、停止世界で固まっていた。
だが、時計の針は唐突に動き出す。
そして、二人は覚醒した。
『――――!』
「レイファ!」
一直線に並んだ黒い第二関節が不意に速度を得るが、危機を察知して上がった大声に同じく覚醒したレイファが瞬時に『テレポート』を発動して俺を逃がす。
大魔王も、俺たちを簡単には逃がしてはくれなかった。大地を抉った拳を、俺が元いた場所から、『テレポート』で現れた場所へ向かって撫でるように動かす。
飛んできたのは、火を帯びた無数の瓦礫だ。
「なッ!?」
「もう一度飛ぶぞ!」
無数の瓦礫は凄まじい速度で一直線に宙に浮いた獲物を狙う。もうぶつかると怖くて目を瞑った瞬間、レイファ二回目の『テレポート』が発動した。
渓谷墓地を大きく脱して、飛び降りたのは火焔の流星によって焦土と化した森の出口だ。煤の匂いを感じながら辛うじて目を開けると、俺は嫌気が差して唾を吐き捨てた。大魔王の火炎の瞳からは、まだ逃れられていないと分かったからだ。
視界に映ったのは、太陽のような巨大な火球を空に掴む王の姿。
最悪最強の生物が、俺の命だけを狙っている。
俺は地面に手を付き、心の底から恐怖した。
「アレ、まさか『ファイアボール』じゃないだろうな! 大きすぎるだろ! 俺が作るのの一体、何倍あるってんだッ!」
明らかに大魔王の魔法は常軌を逸している。
折角作戦が思い浮かんだというのに、共有する余裕を王が与えない。否、彼がそれを狙って猛攻を仕掛けたとは考えにくい。
本能で、隙を与えてはならないと判断したのだろう。
叫んだ拍子に、灼熱を孕んだ空気を吸い込んでしまい、激しく咳き込む俺。そんな俺に、消耗した様子で息の荒いレイファが掠れた声を掛ける。
「お主、火耐性は持っとるのか?」
「え、額が何だって!?」
「セリーヌ!」
「はいはい、『ファイアレジスト』!」
いつの間にか隣に来ていたセリーヌさんが俺の背に触れて、何らかの支援魔法を発動した。驚いて顔を上げると、彼女は和やかな微笑みを向ける。
今受けたスキルの説明を聞こうとしたのだが、やはり余裕はなかった。
感じたのは、凄絶なる力の奔流。
それも、二つである。
「セリーヌさん、屈んで!!」
「キャ!!」
咄嗟にセリーヌさんの背中を掴んで、地面に押し当てる。
この感覚、以前にも覚えがある。
最強悪魔の、あの――。
『――――ッ!!』
「『エクスプロージョン』!!」
大魔王の巨大な火球と、レイファの七色の爆炎が真正面から衝突し、壮絶な轟音と衝撃の余波を周囲に散らしながら、あらゆる物質を巻き込んでいく。俺とセリーヌさんの前でレイファは右手を伸ばして、懸命に業火の勢いに耐えていた。
込められた魔力量が、シアンへの威嚇射撃に使った時の比ではない。それは有難い反面、今後を踏まえると非常に不味い。
やがて爆炎は、唸るような地響きとともに煙へと変わった。
耳鳴りに苦しむ俺たちに、レイファは片目を瞑って。
「大丈夫か?」
「ゲホッ、え、ええ、お陰様で」
「レイファ、魔力を温存しろ!」
「何じゃと?」
立て続けに『テレポート』二回と『エクスプロージョン』一回。ただでさえ、発展途上にある勇者たちのフォローをしながら魔力を酷使しているレイファだ。このまま彼女の魔力が尽きれば、折角思い浮かんだ作戦が実行に移せない。
口に入り込んだ煤を吐き、俺は今度こそ共有しようとして。
声を、失う。
『――小僧、ワシのレベルが見えたというのか』
煙が少しずつ晴れて、その奥に黒い巨体は再び姿を現した。その周囲に先ほどと同格の太陽のような火球を五つも侍らせた状態で。
火魔法を極めし称号『赤』を冠する大魔王。その誇りを火炎に宿し、もはや原型を留めぬ大地を強靭な足で踏み抜いた。
その地響きを揺れる度に、心臓を引き抜かれそうな錯覚に支配される。
無意識に右手に込めた聖属性の魔力を見て、赤き王は目を見開いた。
『ほう、タダの雑魚かと思えば』
「――――」
『小僧、よく見れば『勇者』ではないか』
俺の正体を見破って、大魔王は胸糞悪そうに鼻息を立てる。
それに悪寒を感じて震える俺の前で、掌を空へ突き上げて。
『しかしレベルはたった21の遥か下等種。なぜ小僧のようなゴミムシ如きにワシを測れたのか疑問でしかないわッ!』
大魔王は格下だと思っていた相手に自分の底を暴かれたことが、よっぽど不服と見える。癇癪を起こし、五つの火球を大地に激しく流し込んだ。
すると、足場が更に激しくぐらつき、先ほどまでの勇者たちと大魔王の壮絶な舞踏会にも辛うじて耐え残っていた木々や墓石が支えを失って一斉に跪いた。それはまるで、荒ぶる大魔王への最大限の降伏と畏怖を示すように。
直後、大地が裂け、そこから火炎の柱が立ち上る。
熱水噴出孔のように、何重にも、驚きの高さまで。
「――ぅぐ!」
「伸ばせ、『アメノハバキリ』!」
「剣を掴んで!」
足場を次々に奪う火炎の柱を縫って、伸びてきたのはヤマトの聖剣だ。少し熱を帯びて熱くなっている鋼をレイファらと掴んだ瞬間、それを確認したヤマトが一気に収縮させてマグマの危険ゾーンから俺たちを救出する。
そこには都合の良いことに、ギーズやステラたちもいて。
――思いついた、全てを伝え切るのは不可能だ。
背後で火炎の音を聞きながら、俺は静かにそう判断した。
鼻に感じた煤の匂いも、すぐに灼熱の風が攫って行く。背後の灰色の墓地は壮絶な戦禍に見舞われて完全に焼き尽くされた。周囲から自然が織り成すハーモニーは聞こえず、耳に居座るのは、何かが焼け焦げて、崩れ落ちる音だけ。空には未だ大魔王の黒い身体から放たれる火焔が、幾筋にも尾を引いて飛び交っている。
それでも、苦しいが息もできるし、誰の目も死んでいない。
だから、俺は一度大きく息を吸ってから。
「レイファ、ここにいる全員をダムの堤高と同じくらいの距離を『テレポート』させる分と、『エクスプロージョン』一発分の魔力を残しておいてくれ」
「何じゃと?」
「ヤマト、ギーズ、セリーヌさん。あんたら仮にも反撃の勇者だろう? なら、あのデカブツの足くらい止めてみせろ。絶対に、石橋を渡らせるな!」
「――。石橋?」
「ステラとトオルは無理しないように勇者たちのサポート頼む!」
「ええ、分かってますよ」
返ってきた反応はそれぞれだが、この期に及んで勝率とか、根拠とか、野暮な説明をする必要は一切ない。六人には俺の考えの全部は伝わっていないだろうが、俺の本気度合いと、それぞれの為すべき事が伝われば、充分だ。
そして、それを言わずして伝わることの、嬉しさよ。
俺は静かな感動を胸に仕舞って、覚悟を決める。
まずは振り向いて、巨像に拳を掲げることから。
「おい、赤の大魔王!!」
『む?』
「俺がお前を倒してやる! 宣言しよう! 歴史上最も多くの勇者を滅ぼしたお前は、今日、歴史上初めて勇者に討伐された大魔王になる!」
小さな宣誓に、赤の大魔王は怒りに奮い立つ。
だが、俺の瞳に彼の姿は映っていない。
「――その炎、俺が消してやるよ!」
この場を仲間に任せて、俺は走り出す。
少し窮屈な常識を、壊すために。
【赤の国渓谷】
赤の国の北部の渓谷は、隣国青の国から東西に流れる川によってできた地形なんだ。渓谷っていうより、どちらかと言えば峡谷に近くて、谷底を流れる川はそのまま西の海へ流れ出るの。川上の方には今は使われていない観光ダムが、川を越えた先には渓谷墓地があって、更に奥へゆったり傾斜を下って行けば、ロブ島へと続く岬があるんだ。
※加筆・修正しました
2020年7月11日 加筆・修正
表記の変更
ストーリーの順序変更・分割




