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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第一章 はずれの町
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第九話   『これがデートなはずがない』

※※※  一年前





 その少女の顔を見るのは約一日ぶりだった。


「あ、七瀬君! 昨日は大丈夫だった?」


 名前は三島明菜、同級生だ。後にデートする仲になったり、一緒に椎名伊吹の勉強会に放り込まれることになったりと、色々と縁のある少女なのだが、この時の俺と少女はまだ知り合って二日目である。

 そんな少女を学校帰りに見つけて、俺が抱いた感情は深い安堵だった。


 柄の悪い他校の生徒に追われたのがつい昨日の出来事。俺は、少女の安全を確認しないまま逃げ出してしまった。

 その後悔が心に棘として残っていたのだ。


「三島さんこそ大丈夫だった?」


「うん! 私は逃げ足だけは早いからね!」


 だが、安堵は一瞬だった。


 ビニール傘を左肩に乗せ、右手でピースサインを掲げる無邪気な少女。その袖口が少し捲れて、大きな絆創膏が見えたのだ。

 昨日の別れ際にはなかった絆創膏が。


 見えたのは一瞬。そして心の棘が――罪悪感が蘇るのも一瞬。


「じゃあね!」


 少女は逃げ出した俺を最後まで糾弾することなく、手を振って、笑顔で雨上がりの道を歩いて行った。

 掠れた声で「ああ」と返事をするなり俺も背を向ける。唇を固く結び、道中の水溜りをパシャリと踏みつけた。


 そこに映った何かを、見ないで済むように。





§§§  現在





「ヤマト、良い人だったね」


「だな。困ったらいつでも助けてもらおう」


「そうだね。――あれ?」


 ヤマトらと別れてから、俺とステラは町の中央で時間を潰していた。こんなに時間が余るとは思いもよらなかったのだ。


 ステラに異世界転移ストーリーを聞かせて、ジュエリーの情報屋を訪ね、怖い魔獣と駆けっこして、更にヤマトらと交流もした。

 それで現在時刻はまだ午後三時という衝撃。店主のビエールに代金を持ち込むと約束したのが夕刻なので、端的に言うと暇なのだ。


 ――尤も、この暇を俺は心から歓迎するが。


「久しぶりにまったりできるにゃあ」


「にゃあ!」


「おお、お前もそう思うか黒猫君よ!」


 俺に同意するように、ベンチの傍にいた黒猫が愛想良く返事をした。ご褒美に撫でてやると気持ち良さそうに目を細めて寄り掛かってくる。可愛い奴だ。

 随分と人懐っこいが、誰かの飼い猫だろうか。


 一方、この黒猫と違って可愛くない奴が一人。


「暇なら町でも案内しようか?」


 少し弾んだ声で、とんでもなくアクティブな提案をするステラ。

 俺は思わず顰めっ面で「うぇえ」と声を漏らした。


「はずれの町探索ツアーならローニーが終わらせたからもういいよ! 疲れるほど歩き回った! 今更目新しいものなんてない!」


「うーん、それもそっか」


 残念そうなステラには悪いが、そろそろ脚を休めてやらないと、ブラック労働反対と仕事をボイコットしかねないのだ。いわゆる筋肉痛である。


 それに実際、この町はすでに歩き尽くした。

 娯楽施設は一切なく、生活に必要な店が各種一件ずつある程度。町の中央――つまりここには噴水広場があり、町の南東に小川があるが、それ以外は麦色一色で変わり映えのない景色が続くのだ。

 何分小さな町なので、一日歩けば充分だった。


 俺の面倒そうな返答に、ステラはしばらく考えて。


「じゃあ、とっておきの場所でも行ってみる?」


「とっておきの場所?」


「うん。楽しいかは分からないけど涼しい場所だよ」


 そう言って可愛らしく微笑むステラの赤色に何となく惹かれて、俺は明後日の方向へ視線を逸らして徐にベンチから立ち上がった。





 とっておきの場所へ向かう道中では、地理的な話を聞いた。

 ステラの話を大雑把にまとめると、このディストピア世界には二つの大陸と呼べる陸地があるそうだ。特に俺たちがいる大きな大陸は、巨大な運河を挟んで東方と西方に分かれているらしい。

 大陸西方で最大の国は次の目的地たるジェムニ神国だ。ただ発展する国には、その発展について行けない者も当然いる。税を払えなかった者、追い出されてしまった者、そういった貧しい人たちがジェムニ神国の南に作った集落が、この「はずれの町」らしい。道理でボロっちい家屋が並ぶ訳である。


 ――当たり外れのハズレじゃなくて、辺境って意味の方だったか。


 そんなことを思いながら歩いていると、すれ違った町の人間からこほこほ咳き込んでいるのが聞こえた。

 昨日もこの掠れた音をよく聞いた。


「そう言えば、風邪が流行ってるってローニーが言ってたな」


「この時期になると毎年だね」


「ステラの咳が呪いの症状だったのを思うと、不安になるな」


「まあ、ちょっとはね」


 この時の俺は、特別スキルを使って確認しようとは思わなかったのだ。

 まだこの異世界のファンタジーに慣れていなかったから。


 それに、だ。


「それより着いたよ」


「ああ」


 今は目の前に聳える町一番の建物が興味の的だった。


「じゃーん! これがはずれの町のシンボル『黒十字の風車』です!」


 殺風景な世界の中で、堂々と存在感を放つオランダ風車。塔はずんぐりとした六角推型で、悠斗が見れば齧りつきそうなほど甘く香ばしいチョコレート色。恐らくは名の由来であろう四枚の黒い羽根が十字に飾られて、ゆったりと風を送り出している。日射を浴びて羽の縁が銀色に輝く様は、確かに美しい。


「この風車の近くはまだ来たことなかったでしょ?」


 くるりと振り返ったステラは後ろに手を組んで、ドッキリ大成功と言ったような清々しい笑顔で笑いかけた。

 確かにこの風車は近くで見ると壮観だ。


 だが。


「――――」


 そう、ここで「だが」と続くところが俺の残念なところである。

 決して風車に不満がある訳ではないが、ソファーでゴロゴロしたかったなあという本音を塗り潰せるほど感動的な情景ではなかっただけだ。

 多分俺の心の造りは、景色だけで動かされるほど柔くない。


 そんな冷めた雰囲気をステラは察したのだろう。

 苦笑いを浮かべ、彼女は切り出した。


「この風車は中に入れるんだ。中の階段を上ったら、羽根の真裏にあるバルコニーに出られるの。そこが私のお気に入りなんだ!」


「本命はそこか。ならば評価は後回しにしてやろう!」


「あんた、何様?」


 俺の名前は七瀬沙智。

 調子に乗りやすい男である。


 風車の入り口は、その外観も相まって大きなチョコ版の欠片のようだった。その扉の脇には黒く輝く石碑があって、『冒険者ノエルとその仲間たちへの感謝をここに記す、はずれの町一同』と簡潔に刻まれていた。

 俺は何となく石碑を眺めながら、ボソっと呟く。


「へえ、誰でも中に入っていいんだな」


「うん。でも町の人はわざわざ風車には用なんてないし、旅人はまずこの入り口に気付かないから、いつも独り占めできるんだけどね」


「それは秘密基地みたいでいいな!」


 風車一つを独り占めとはきっと最高な気分だろう。羨ましい。


 ステラに続いて塔の中へ入ると、俺はまず外観とは対極の印象を受ける。床も壁も壁沿いに渦を巻く螺旋階段も、何もかも真っ白だったのだ。

 それでいて、発電用の精密な機械はまるで見当たらない。


 ――白い空洞が広がっている。


「何だか雲の中にいるみたいだな。平衡感覚が狂いそうだ」


 正面の壁に『この先地下シェルター』と立札が掛けられた閂の扉があるが、空中に扉が浮かんでいるみたいで中々に滑稽だ。

 これで足の裏に床の反発を感じなければ、俺は高い所だと錯覚して、間違いなく高所恐怖症を発動していたことだろう。


 周囲をキョロキョロ見渡す俺に、ステラは笑いかける。


「階段も白一色だから、境目を見失って踏み外さないでね。落ちそうになったら慌てて掴んじゃうかもしれないから」


「ん? 腕を?」


「ううん、アホ毛を」


 無意識に跳ねた前髪を手で押さえる。それを見たステラは楽しそうに笑い、俺の拗ねた顔を見てから舌を出して誤魔化した。

 意外と愛嬌のある奴だ。ドキリとはしないが。


 階段は風車塔の高さから想像できる以上に長かった。まあ螺旋状である分距離を稼いでいるから当然ではあるのだが。

 疲れを感じさせる俺の足音と違って、前を歩くステラの足取りは軽い。狭い段上をるんるんと跳ねながら、時折楽しそうに振り返るのだ。まっさらな世界に、肩ほどの鮮やかな赤い髪を弾ませて。


 ――この観光もそんなに悪くなかったかな。


 そんな気分になるのは、もしや俺が単純だからだろうか?


 しばらく階段を上ると、ようやく天辺が見えてきた。視界の先の光が漏れ出す踊り場へとステラがタタタと駆けていく。

 明るみに飛び込み、彼女は靡く赤髪を押さえて光の源流を指差した。


「ほら、ここだよ」


 その眩しさに目を細めていると、ステラが手すりから手を離して、光の中へと歩いて消えていく。この真っ白な世界に取り残されると妙な不安を抱いた俺は、慌てて彼女の赤色を追って、光の踊り場へと駆け出した。

 そして、風車塔の中から、風そよぐ世界へと踏み出して。


 瞬間、心が動かされた。


「――ぁ」


「どう?」


 バルコニーの手すりに片手を乗せて、優しい眼差しを向けるステラ。そこには難しいセリフで飾る必要なんてないでしょという声があった。風を感じ、瞳に飛び込んでくる光の粒子を受け入れるだけで、この光景の素晴らしさを実感できる。そう伝えるかのような澄んだ眼差しで俺を見ていた。

 実際、彼女の眼差しが告げる通りだった。


 先の発言を撤回しよう。脆かった。俺の心は意外と。


 特別、大層な景色が広がっている訳ではないのだ。

 噴水広場を中心に放射状に広がる麦色の街並みと、地平線まで続く薄緑色の大地があって、視線を少し上げれば、水色の世界の遥か向こうに、茜色に染まった雲海のような空が、昼と夕方の狭間で揺らいでいた。時折、風車の黒い羽根が心地よい風と一緒にやって来るが、それも含めての景色があった。

 綺麗だけど特別な情景では決してない。ベネチアの美しい水の都でも、アフリカの壮大な大自然でもない。思い浮かべようとすれば、誰でも思い浮かべることができそうな、ありふれた景色。ありふれた色合い。


 そんな平凡な景色にこうも心を打たれるのはどうしてか。


 分からない。でも分からなくていいとも思った。

 ただ、この景色を感じるままに感じ続ければ。


「――――」


 結局、空が完全に赤く染まり切るまで俺たちはここにいた。

 その間、ほとんど会話はなかった。


 ただ、そろそろ帰ろうかという時に、この狭い町を眺めて思ったことを、俺はステラに聞いてみたのだ。


「ステラはこの町から出たことあるのか?」


「ううん、生まれてずっとこの町暮らしだよ」


「出たいとは思わないのか?」


「私には、ここが合ってるから」


 夕日で赤く染まった横顔が少し寂しげだったのは気のせいだろうか。


 気を惹く鮮やかな赤髪に整った容姿。なのに少し視線を落とせば、この町のボロっちさに合わせたような貧相な服。

 彼女の腕ならば、魔獣を狩って生計を立てるのは容易いだろう。あの狭いアパートのような家に拘る必要はないはずだ。


 なのにこの赤い鳥は、こうして真っ白な雲の隙間から遠い水平線を眺めるだけで満足なのだろうか?

 それを聞けるほどの関係を築けた訳ではないのだ。


「私がいなくなったら寂しいなーとか思ってたり?」


「違う! 全然寂しくなんかない!」


 ステラが不意に顔を覗き込んで揶揄ってきたので慌てて反論すると、彼女は「あはは」と笑った。俺の気持ちも知らずに楽しそうなものだ。

 拗ねた子供のように、俺は口を尖らせて顔を背けた。


 ただ、彼女に町から出る気がないなら確かにここでお別れなのか。


 そう思うと、無性にこれからが心配になってきた。この異世界での二日間、度重なる苦節を乗り越えられた部分には、ステラの存在が大きすぎたのだ。

 この世界のことを色々と教えて貰ったし、ご馳走にもなった。安心して眠れる場所も貸してくれた。


 何よりもステラは――。


「大丈夫だよ」


「え?」


「きっと、あなたを助けてくれる人はたくさんいるから」


 俺の表情から不安を読み取ったのか、ステラは優しく微笑んだ。そして、俺は昼の草原での言葉を思い出す。


 ――手を貸してくれる人は一人でも多い方がいいよ――


 あれは、そういうことだったのではないだろうか?

 自分は町から出る気はないから、今後一人で行動することになる俺を案じて、小さな繋がりを取り持とうとしてくれたのではないだろうか。

 だとしたら、本当にお人好しだ。


 自然と口元が緩む。


「そろそろ帰ろっか。どうせ今日も家に泊まるんでしょ?」


「――――。お願いしてもよろしいでしょうか?」


「五百トピアになります!」


「あ、お前! それを言ったら!」


「ふふふ冗談だよ。恩人からお金は取りません」


 ステラが頬に朱色を浮かべて、くるりと楽しそうに踵を返す。その様子を後ろから見ながら、俺はやれやれと吐息を溢した。

 彼女のこんな姿を見るのも、きっと後少しだ。


 分かっている。ステラが優しく繋いでくれた縁を、一人は不安だという情けない理由で切ってしまってはいけない。明日には出発しよう。

 そう思った時、真っ白で何もない風車塔の中へと歩いていく彼女の後ろ姿と、先程思い浮かんだ彼女の言葉がしみじみと共鳴して、疑問。


 あれ、ならあの時の表情に陰りがあったのはどうしてだ?


「なあ、ひょっとしてステラも――」


「私も何?」


「いや、何でもない」


 ――ステラも、別れを寂しく思ってくれているんじゃないだろうか?


 そう口にするのは傲慢な気がして、俺は無理やり塞いだ。

 俺の頬が赤くなっているのはきっと夕日のせいだ。





§§§





 空の綺麗な夕焼け色が薄っすらと夜を帯び始めた頃、町の噴水広場に戻ると、風車のバルコニーから見た通りビエール商会の移動販売所はあった。

 店主のビエールと、奴隷の少女と、そしてそこにはもう一人。


「ジュエリーじゃない」


「あら、デートの帰りかしら?」


「違いますけど?」


 ジュエリーはどうやらビエールと世間話をしていたらしい。情報屋にとって、あちこちを旅する商人は良い情報源なのだろう。

 ふっくら頬を膨らませているステラを放っておいて、俺はメイリィから貰った麻布財布から六枚のトピア硬貨を取り出す。


 そして、髭面のビエールへと手渡した。


「しっかり六百トピアだな。今度からは気を付けろよ」


 豪快な笑い声と一緒に、俺の手へと戻ってくる愛しのリュック。


 思えば苦節五年、俺の背中にはいつもこのリュックがあった。学校の教材に飽き足らず、買った食材やら、遠出用のレジャー用品やら、色んな物を入れた。時には福神漬けの袋が破れて、赤い染みが付いたこともあった。

 それでも、それでも変わらず、こいつは俺の背中にいてくれた。


「おおおおお帰りー! 俺のリュックー!!」


「おい小僧、すんごい顔してるぞ」


 俺を気持ち悪がったビエールは、引き攣った顔でステラとジュエリーの会話の輪の中へと逃げていく。だがあんな髭面どうでも良かった。

 今はこの至福の瞬間を享受するだけで良いのだ。


 そう、それだけで良かったはずだったのだが。


「――――!」


 強烈な視線。歓喜に震える俺でも気づけるほどの熱量に声が詰まる。

 振り向けば、奴隷の少女が無言で何か懸命に訴えようとしていた。


 異世界生活二日目はまだ、終わらない――。


【はずれの町】

ステラ「ジェムニ神国の南にある小さな貧しい町なんです」

沙智「八話にきてようやく町案内」

ステラ「これでも数年前よりは住みやすくなったんだよ?」

沙智「まあ風車からの景色だけは認める」

ステラ「ならあんたももうはずれの町マスターだね!」

沙智「それだけで!?」



※加筆修正しました(2021年5月21日)


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