7.妖怪の世界
■前回のあらすじ
・クロから出た黒い靄に殺されそうになるも、たま達のおかげ生きていた。
(たま達が来なければそのような状況になることも無かったが……)
・目の前を歩いていたはずのたまが忽然と姿を消した。
「なっ、た、たまがっ!?」
一瞬で消失したたまの所在を探し、見付けられなかった俺は後ろのミケと小次郎に答えを求め振り返った。
「良いから進んでください」
だがミケと小次郎は俺に答えを提示してくれることはなく、ミケが面倒くさそうな顔をしながら俺の背中を押すのだった。
「ちょ、ちょちょ」
状況を掴めずその場に踏ん張ろうとするが、ミケの男顔負けの押す力は衰える事もなく俺の足を無理やり動かす。
俺の抵抗など物ともせずミケは鳥居まで俺を押しやる。
そして、鳥居を潜るというところまで来て少し強めに俺を突き放した。
瞬間、俺を襲ったのは到底気持ちの良いものとは言い難い感触だった。
温かいゲル状の何かに全身を沈めていく、そんな気持ち悪い感覚だった。
「うむ、やはり移動は可能か」
俺が気持ち悪い感触に顔を歪め始めた時、消えたはずのたまが先ほどの消失が嘘かのように目の前に悠然と立っていた。
「え……えっ?」
状況を理解出来ず、たまの姿をまじまじ見ているとたまは横へと歩みを進めた。
「妖狐、かなめはいるか?」
そして、青い炎を灯す石灯篭に話しかけていた。
それを見た瞬間、自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
「…………え? な、何が……」
「人間の空間から妖怪の空間に移動しました」
振り返ると後ろから俺を突き飛ばしたミケが“これが解です”とでも言いたげな顔で立っていた。
「ま、全く意味が分からない……」
ミケはそれ以上教えてはくれないらしく、俺ではなくたまを見ていた。
そのたまの石灯篭に話しかけるという正気を失ったかのような行動が更に恐怖を加速させる。
落ち着け、落ち着け、とりあえず落ち着くんだ。
跳ね上がる心臓を抑え込む。
そんな俺に、俺の感覚器官は無情にも俺が知る森では無い事を確実に伝えて来ていた。
ちらほらと設置されている見慣れない青炎を灯す石灯篭。
鳥居を潜った後からずっと感じる生暖かく粘度のある不快な空気。
先ほどの夏夜の声と打って変って聞こえる何の音か判断つかないザワついた声を上げる森。
俺は全く見覚えの無い森の入口に立っていた。
必死に頭を回し、たまの言葉と意味を並べていく。
“猫又の間”“別の山”“先に入る”“消えるたま”“移動”“人間の空間”“妖怪の空間”“見覚えのない石灯篭”
つまり、人間が生活している空間と妖怪が生活している空間があり、その行き来が今潜った鳥居で出来ると?
たまが一瞬消えたように見えたのは単に妖怪の空間に移動していただけであり、再度見えたのは俺が妖怪の空間に移動してきたからだと?
その証拠が消えたたまであり、潜った際の気持ちの悪い感触であり、今俺が見ている物であると?
その前のいまいち意図の分からなかったたまの“先に入って辺りを探る”というのは、妖怪の空間のこの鳥居の前に何か危険が無いかどうか探るという意味だったと?
そして山というのは、“人間の空間の山”では無く“妖怪の空間の山”という事だと?
そこまで考えて俺はたまらず鳥居へと腕を伸ばしていた。
「っ!」
その伸ばした腕が肘あたり消え去る。
痛みは無い。
肘から先に感じるのは不快感の無い軽い空気の感触だった。
腕を戻すと徐々に見え始める肘と、その腕に再度感じる不快感。
あぁ、これは夢ではないのだな。
目の前に愛猫だったクロが猫又となって現れたとか、同じ種族の猫又達が現れたとか、黒い靄に殺されそうになったとか、そういうのでは正直理解しきれてなかった。
だがここまで現実離れした現象を目にすると頑固な頭もようやく現状を理解する。
俺は今、人ならぬ者と出会い、未だ誰も経験したことのない事態に巻き込まれている。
「恭介、遊んでないで行くぞ」
石灯篭との会話が終わったのか、たまがこちらを呼ぶ。
まだ現実を受け入れきれていない俺が茫然とたまの後を追うと、ミケと小次郎が鳥居を入る時と同様に俺達の後ろへ回り込んでいた。
どうやらこの妖怪の空間では引き続きこの陣形で進むようだ。
不意に腕に感じる圧迫感に、少し存在を忘れていたクロが家の中にいる時とは異なり大人しくしていた。
ただ警戒は怠っていないようで、猫耳はピンと立ちピコピコと忙しなく動いている。
「僕達が住む妖怪の空間の森には知性を持たぬ妖怪もおるからのう。死にたくなければ離れぬ事だ」
その言葉を最後にたまは無言で山の中を進んでいく。
そのたまの背を全身に感じる不快な空気に耐えながら遅れないように付いていく。
妖怪の空間の中にあるという山は、あちこちに置かれた石灯篭や、時たま見かける狐の石造を祀った祠を除けば俺が知っている山とさほど違いは無いように見えた。
少しばかり整備された道も、俺が知っている場所にあり、配置されている物は異なるが地形自体は俺が記憶しているものと相違ない。
ただ、少し異なっているからこそ違和感と不安を感じる。
記憶している景色と微妙に異なることで、脳で記憶の不一致が起こる。
それが記憶を疑うことになり、自分の記憶が正しいのか不安になってしまう。
ここは別の山だと分かっているはずなのに、あまりにも似ているため感情が不安定になってしまう。
「……」
たまはそんな俺の事など気にせず、山の森の広場へと続く道を進んでいく。
森の広場とは、森の中のちょっと開けた場所で、昔はキノコや森の中ならではの作物を栽培したりと比較的出入りが多かった場所だ。
今は熊の出現と村民の高齢化による森林整備人材の不足により、本当に最低限の者しか出入りしなくなってしまっている。
そのため俺もこの道を通るのは久しぶりで、妖怪の空間であるのにも関わらず懐かしく思ってしまう。
……ただ、ここでも見慣れない物があり、そんな懐かしさなど消え去ってしまった。
「……なんでこんなところに鳥居があるんだ?」
懐かしいはずの道を進んだ先に待ち受けていたのは、見覚えのない石で造られた鳥居だった。
道と森の広場の境にその石造りの鳥居はあり、それは見るからに古びている。
古びた石造りの鳥居は月光で微かに見えるだけであったため、何も知らず森の中でこんなものを見つけてしまったら恐怖で逃げ出してしまうだろう。
「この鳥居を潜れば僕達猫又の間だ。おそらく問題ないと思うからそのまま潜ってみよ」
「わ、分かった」
たまに言われるがまま腕にしがみ付いているクロと共に鳥居を潜る。
潜る際、体が無意識に後ろにのけ反っていたようで、初めに下半身が猫又の間へと沈んでいくのを感じる。
感じるのは熱。
クロがやって来た時に感じた生ぬるい空気だった。
それともう一つ、上半身が鳥居を潜るほどに感じるチリチリとした熱。
近くに火があるような、そんな――
「あっちぃ!」
鳥居を完全に潜ると直ぐ横に青炎を灯す石灯篭があった。
先ほどの妖怪の空間で見た石灯篭とは少し異なり、石灯篭の傘となっているはずの上部が無く、代わりに大きな青炎を灯している。
「あぶ――うおぉ……」
近くにあった炎の危険性よりも、目に入ってきた光景に意識が移る。
横にあったその石灯篭は一つだけではなかった。
その石灯篭達は、芝生よりも少し高い程度に生い茂る森の広場全体を囲うように等間隔に設置されていた。
設置されていた石灯篭全てに青炎は灯っており、その青炎は森の広場にある全てを薄暗く照らしている。
それだけでも十分に幻想的ではあったが、更にもう一つの現象が幻想感を強くさせる。
等間隔に設置された石灯篭を境にその向こう側の景色が揺らいでいたのだ。
最初は熱で揺らいでいるのかと思ったが、真上も同様に揺らいでいたため鳥居と同じく俺には想像も出来ない何かなのだろうと私考する。
そこはまるでゲームの世界に迷い込んだような感覚に陥るような神秘的な空間であった。
だが熱い。
神秘的な空間ではあるが、生ぬるい空気で満たされてしまっているが故に酔いしれることは出来なそうだ。
「んにゃ?」
そんな幻想空間を眺めていると、今まで静かだったクロが鳴いた。
どうしたのかとクロの方を見れば、森の広場の一点を見つめている。
そちらに目を向け、目を凝らすと薄暗い中に何やら白い物体があることに気付く。
そしてその白い物体はゆっくりとこちらに近寄ってきていた。
思わず後ずさりするが、腕にしがみ付いていたクロが微動だにしない。
「にゃーにゃ?」
クロは警戒するのでもなく、その白い物体に何やら話しかけていた。
白い物体は草木を踏み締めカサカサと音を立てながら尚も近づいてくるが、薄暗いためそれが何なのか分からない。
正体が分からない分、たまとかよりよっぽど恐怖を掻き立て、動機を早くする。
たまが家に来てからというもの、こんなのばかりだ。
もう勘弁してほしい。
「なんだ、シロも来ていたのか」
正体が分かりそうになる距離まであと少しというところで急に背後から声をかけられた。
お恥ずかしながら、少し粗相をしてしまいました。
「はいにゃ。クロが猫又ににゃったと聞いたので、会いに来ましたのにゃ」
続いて正体不明の白い物体からも声が聞こえた。
また粗相をしてしまいました。
「にゃーにゃ! んにゃう~!」
「そうにゃ。クロは猫又ににゃったのに相変わらず甘々にゃー」
クロと話している白い物体は白猫であった。
その白猫は成猫よりも一回りも小さく見える。
一見普通の子猫に見えるが、尾が二つ本生えているし日本語を話しているしこの子も猫又なのだろう。
「にゃにゃ、にゃうにゃ~」
「汚いし、いらないにゃ」
クロが何やら嬉しそうに白猫に頬ずりを続けている。
尾がピンと立ち、行動でも尾で感情を表していた。
対する白猫は照れ隠しかのように二つの尾をパタパタと動かしている。
「どうせサキはもう少し経たないと来ないだろうから、いくつか話そうかのう」
そう言うとたまは森の広場にあった大きな岩に腰を下ろした。
俺も空間に充満する生ぬるい熱で立っているのが楽ではなかったため、たまの正面の地面に座り込む。
座ったことにより少し楽になり少しは回りが見え始めたのか、また違和感に気付く。
たまが何気なく座っている岩に見覚えが無く、逆に森の広場にあるはずの栗の木が無かった。
またこの不安になる感覚だ。
「まずは空間に関して、恭介が考えている事に補足せねばいかぬのだが……ふわぁ~……しかし、眠いのう」
補足?
まるで俺が想像している内容を知っているような口ぶりだ。
「にゃにゃ、ではシロが説明しますにゃ」
「んー……じゃあ、任せた」
俺がたまの言葉に疑問を思っていると、たまはいつの間にか横に座っていたミケの膝に頭を乗せ、眠りこけてしまった。
ミケの膝の上で眠るたまと、そのたまの頭を撫でるミケはどう見ても姉妹そのものだ。
言わずもながらミケが姉である。
「説明するにゃ」
シロと呼ばれた白猫の猫又の説明はこうだった。
この世界には食物連鎖の頂点に人間が立つ空間、妖怪が立つ空間の大きく分けて二つの空間が存在する。
山の入り口にあった鳥居には“転移門”と呼ばれる物が付与されており、それを介して妖怪のみが二つの空間を行き来が可能。
正確には通る者の身に妖気が宿っていれば行き来が可能らしく、妖怪でない人間でもその身に妖気を宿していれば転移門を潜れるとの事だ。
妖気は基本的に妖怪に宿る物であるが、稀に人間の身にも自然に宿る場合があるらしい。
それを聞いて、霊感があるというのはそういった人物なのだろうと私考する。
また、妖気を宿さない人間でも妖怪から出る妖気を一時的にその身に留めることが可能だそうで、俺はこちらに該当するらしい。
俺が妖怪の空間に入れたのは、クロの垂れ流しの妖気が俺の体に留まっているからだそうだ。
この猫又の間にも本来は猫又しか入る事が出来ないらしいが、俺の中にはクロの猫又の妖気が留まっているからとの事だ。
■登場人物紹介
【猫又のシロ】
・小柄で猫の形をした猫又。
・全身白色の毛並みをしており、二本の尾を持つ。
・器用に日本語を話すが故か、時折猫の顔に見えない事がある。
■種族紹介
【猫又】
・人型、猫型と二つの姿に分かれる妖怪。
姿が分かれるのは、妖怪共通の条件がある。