変わり始めた日常
運命の混血決闘から二ヶ月後。
鳴継琉星は、露店や商店が連なる北亀エリア11で、掲示板を眺めていた。そこには通称“全楽報”の新聞が掲示されており、楽土内のありとあらゆる情報が掲載されているのである。
「通り魔が西虎エリアに出没、北亀エリアの総督会が現状に懸念……エリア95に大型研究施設建設予定……懸賞金ランク再度更新、新人戦隷士が異例の速さで“兆クラス”へ。超越ゾーンへ突入も時間の問題か……戦隷士の新しい目安が出来て確かに分かりやすくなったけど、覚えることも逆に増えてきた気がすんな……」
掲示板の前で独り言をしている琉星だったが、道行く人が彼を見ると、誰もが早足でその場から去っていく。
「……おい、あいつ……」
「あぁ、噂の裏切りもんだ……」
二ヶ月前の決闘から、楽土内ではある噂が広がっていた。
隻眼の傷男は、奴隷でありながら最悪の悪魔に成り代わった。あの男は我々奴隷の前代未聞の裏切り者だ、と。
まさに真実と殆ど変わりない噂が広まり、右目を白い包帯で塞いでいる琉星は外に出る度に邪険な視線を浴びかせられる様になった。時には本気で命を狙われることも少なくはなかったが、当の本人は全く気にする様子もなく、こうやって外をブラブラと出歩いている。
だが、あまりにも多い視線を相手にしては流石に居心地の悪さを感じざるを得ない。
「人が集まってきたな……そろそろ、帰るか」
頬を掻いて溜息を吐くと、 その場から早足で離れていった。
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琉星が奴隷から主人になったとしても、楽土での大きな変化はない。今日も沢山の戦隷士が賞金稼ぎの為に命を削り合い、主人達は娯楽を好きな様に観戦している。
そんな中で大きく変わったのは、琉星を取り巻く環境だろう。
南雀エリア通称住居区と呼ばれる、楽土の住人達の殆どが生活している地点。最近、そのエリア60の一戸建ての住居に席を移したのである。
この一番の要因と言えば……。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
やはり、彼女の存在が大きいだろう。
玄関を開けると、出迎えてくれたのはエプロン姿のリュアだ。
男女が同じ場所で暮らすとなると、前のアパートのような1LDKでは少し狭苦しく、何かと不便な点が多かったのである。
「ご主人様、お食事にしますか?お風呂にしますか?それとも……わ、わた、私…………わぁぁぁぁぁぁぁッ!!駄目です!!やっぱり恥ずかしいですぅぅッ!!」
「いやだから毎度毎度無理して色気振りまかなくて良くね?ていうか、さも俺が強制してやらせてるみたいな言い方すんの辞めてくれない?」
「いえ!奴隷が主人に尽くすのは主従関係の一般的理論です!これはあくまで自然なことの筈なのです!恥ずかしくて胸が張り裂けそうですけども!!」
堂々とガッツポーズをするリュアだが、言ってる事はズレているとしか言いようがない。
「その知識一体どこから学んだんだよ……お父さんはお前をそんな風に育てた覚えはありません!!」
「実は最近興味深い資料を万右衛門さんから譲り受けまして。題名は、えぇっと……『男の性欲はこうやって引き出……』……あ」
取り敢えず、リュアが興味深げに手にしている薄い冊子を引ったくってから、縦に二回引き裂いておく。
「あの野郎ぉ……今度会ったらセメント固めにして海に沈めてやらぁ……」
何はともあれ、あの気さく腐れ商人は生き地獄行きに決定だ。勝手に人の奴隷をあらぬ方向に導こうとした罪は万死に値する。
そんな琉星の内心に気付く訳もなく、リュアは難しそうな顔で唸っていた。
「うぅん、やはりご奉仕とは難しいんですね……とっても恥ずかしいですけど、いつかはご主人様が満足いくご奉仕をして差し上げますとも!
「うん、出来れば頑張らないでくれな?」
「それと、丁度お昼ご飯の準備が出来たところなんです。もし時間が宜しければ、お早めにお召し上がりになって下さい」
中に向かって丁重に手招きすると、急ぎ足で部屋へと入って行った。
「……出来れば、奉仕って言葉から離れて欲しいんだけどねぇ」
ここ二ヶ月間でリュアは驚くほどに明るさを取り戻し、活発的な一面も見せる様になっていた。
ある意味、これこそがリュアという少女の本来の姿なのだろう。奴隷として何もかも縛られた時は、無理に自分を押し殺すしかなかった。その束縛から開放され、ようやく普通の女の子としての姿を取り戻したのかもしれない。
それは構わないのだが、何かと奉仕奉仕と言って、主人に尽くそうとするのは出来るだけ控えて貰いたいものだった。
リュアに促されるままに食卓に着くと、ご飯に味噌汁、焼き魚といった和風な食事が出迎えてくれる。初めは料理などしたことないと言っていたが、相当の上達ぶりだ。
少し感心してから食事を口に運ぶと、味もまた見事な物だった。
「へぇ、また上手くなったんじゃないか?」
「えっ……!本当ですか!?やった……あ、えっと……勿体無いお言葉です!ありがとうございます!」
琉星の隣で緊張な面持ちのまま立っていたリュアは、口元が綻ぶ寸前で、口に手を当てて改めて丁寧に頭を下げる。
主人相手に緊張感がない姿勢を見せる訳にはいかない、という自制が未だに働いているのだろう。活発的になったとはいえ、リュアがはしゃぐ姿は未だに見たことがない。
「やっぱり、長年染み付いた習性を無くすのは難しいんだな……」
最近は新たに楽土脱出を目標に、手頃な戦隷士と決闘を繰り返し、コツコツと賞金を集める毎日だ。
二ヶ月前の負けを除けば、今のところ全戦全勝。賞金も一億まで貯まって、一見順風満帆かのように思えた。
しかし、いつまでも同じ波に乗っていられる訳ではなかった。
「ところでリュア。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
食事が終わり、食器を洗っているリュアにメモを見ながら声を掛ける。
「……?なんでございますか、ご主人様?」
「最近お前、調子でも悪いのか?」
その言葉に、リュアの肩が一瞬動いた様に見えた。水の流れる音だけが響く中、リュアは少し強張った顔で口を開いた。
「……やはり、隠すことは出来ませんね」
「お前を責める訳じゃないけど、最近の混血決闘の戦況を見る限り、余裕の無さが妙に目立つよな?二ヶ月前までは超越ゾーンの那由多クラスとも言われていたお前が、百万クラスに苦戦するなんて……総督会の目線からすればあり得ないことなんじゃないか?」
二ヶ月前の運命の決闘が終わった直後、戦隷士全員に『懸賞金ランク』が一斉に定められた。これは戦隷士の様々な能力値を数値化し総合的にまとめた、強さ序列の目安である。
一番下である楽土新参者には“百万クラス”のランクが与えられており、戦隷士の殆どがこれにあたる
その次は“十億クラス”、楽土脱出が充分に可能と取れる者を現す
更にその上に行くのが“兆クラス”、楽土きっての歴戦者達に与えられるランクだ。
そして、それらを完全に越えた超人の領域は、超越ゾーンと呼ばれ、その中には下から三つの階級が存在する。これが“極クラス”、“那由多クラス”、“不可思議クラス”。楽土内でも指で数える程しか存在しておらず、中には無限を超える賞金を稼いでいる者が存在しているとも言われている。
二ヶ月までリュアは那由多クラスだと言われていたが、ここ最近の戦闘状況が芳しくない。その為、保留としてランクの任命を停滞しているのだ。
「……自分でも、よく分かりません。戦いの勘が衰えている訳ではないんですが、いざ決闘の場に出てしまうと、上手く能力を使えなくなってしまうんです。まるで、自分の意思が無視されている様で……何だか変な感じがして……」
楽土内での売買は主に自身の賞金を使って取引される。
戦い、勝てば勝つほど、楽土内でのみ猶予ある生活が出来るようになるので、生きる為にはやはり決闘で勝つ必要が出てくるのだ。
「このまま放っておくと、今後に支障が出てくるかも知れないな……もしかしたら、血束器に問題がある可能性もあるし、どうせだったら一番詳しい奴に聞きに行ってみるか」
メモを閉じると、頭を掻きながら立ち上がる。
「一番詳しい人、ですか……?」
「あぁ、東龍エリア44の無法地帯に住み込む、血束器の開発者のところだよ」
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楽土に住み込む戦隷士が戦うことを諦めるか、総督会によって決闘において『価値なし(ヨクド)』のラッテルを貼られてしまうと、決闘の機会が失われてまう。
そういった者達は、東龍エリアに移り住み、まるでスラムのような生活を送る羽目になるのだ。
日に日に増えるヨクドは犯罪スレスレの行為に手を染めるようになり、今日もやって来た獲物を狩る為に目を光らせていた。
「獲物だぁぁ……」
「金ぇぇ……飯を寄越せぇぇ……」
まるでゾンビの様にフラついた足取りを見せるヨクド達。
その行く先に立つのは、やむを得なくエリア44にやってきた琉星とリュアだった。
「んげっ……流石は無法地帯、つうかめっちゃデジャブ。足を踏み入れた途端にコレかよ」
楽土では意味のない騒動を起こすことや、殺しは御法度とされている。一度問題を起こせば即座に総督会が駆けつけ、何らかの処分が下されてしまう。
しかし、物を強奪したり、喧嘩程度の暴行では、総督会がやって来ることはない。ヨクドはそれを理解した上でやっているのだから、尚たちが悪い。
何とも無責任な話だが、規律を重んじるのならば、まずはこの無法者自体を何とかしてほしいものだ。
「リュア、楽土で騒動を起こすと五月蝿いのが駆けつけてくるからな?さっき言った通りに、ここは全速力で逃げる…………ぞ?」
迫り来るヨクド達を警戒しながら横目でリュアを見ると、彼女は一歩前に踏み出していた。
それも何故か無駄に強張った表情を浮かべながら。
「獲物……今獲物、と言いましたか……?この方は私の恩人なんですよ?この方を獲物等とふざけた形で呼称するのは……」
リュアの右手が動く。
握り拳を後ろへ引き、大きく開いて前へと突き出した。
「『灼線』……!絶対に許しませんッ!!」
紫色のバーナーがヨクドの集団の足元へ飛来。
ボゴォォォンッ!!地面に達した直後、凄まじい轟音と共に火柱が地を大きく抉り、ヨクド達がポップコーンが弾けるように吹き飛んだ。
響き渡る悲鳴が断末魔の様に聞こえて、血の気が引いてしまう。
「ちょ~い、ちょいちょいちょい、あのリュアさん?気持ちは嬉しいけど二秒前に俺逃げるっつたよね?なんで言った傍から臨戦態勢なの?何できっちり先制攻撃繰り出してくれちゃってんの?え?てか始めっから逃げる気なんぞなかったりするわけ?」
冷や汗を流しながら、リュアの肩を掴んで制止しようとするが、どうやらヨクド達の怒りを買ってしまった様子である。元々戦隷士である血束器持ちが前に出て、指輪や腕輪等の血束器を輝かせ始めた。
これ以上事をあら出せたくない琉星が、事態収拾の為に声を上げる。
「お前ら!頼むから見逃してくれねぇ!?俺たちは戦いをしにここに来たんじゃねぇんだよ!」
「売られた喧嘩は買う……それがこの楽土のルール、なんですよね?」
「お前が聞く耳持たずぅッ!?」
ヤバい……これでは収拾が付かない。リュアまでもが何故か熱くなってしまってる。
「貴方達に好き勝手はさせません……!ご主人様の何やらを狩……守るのは私の役目で……きゃ!?」
いい加減言葉ではどうしようもないことを悟った琉星はリュアを抱え上げて、ヨクドに背を向けて全力疾走で逃亡を始めた。
「今狩るっつったなお前!?どんなつもりで言ったんだか知らねぇけど、どこでそんな言葉知ったのか後でキッチリ話して貰うからな!?今は逃げるのが専決だぁぁ!!」
「は……はひっ!?」
顔を赤らめて固まっているリュアだったが、それに気遣う余裕はない。
後ろからは血気盛んなヨクド達が足音を鳴らしながら追いかけてきている。
「持てや金よこせやぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「うぇへへぇッ!!エモノエモノエモノエモノエモノエモノエモノエモノエモノエモノォォォッ!!」
何処かで聞いたことがある、鳥肌が立つ罵声を背に全力で走り続ける。
結局、ヨクドの大群を撒いたのはそれから約二十分後のことだった。