照らされた道
楽土の外の世界では、第二次世界大戦以降、主に戦争過激派国・BRPと、非戦促進派国・NWPが対立関係を築き続けている。
BRPの先駆国として知られるヨーロッパ連合国。その国内の幻想的な草原が広がる場所で、リュアは生まれた。
だが、その当時から戦争過激派であったヨーロッパ連合国は、世界中の子供達を強制的に収集し、戦争兵器の研究道具としてリュア達を利用したのである。
非人道的な人体改造を繰り返す中で、周りの同じ子供達が目の前で死ぬ事は日常茶飯事だった。外に出れば他の研究者に身体を狙われることも、同じ貧困者には化け物呼ばわりされることもあった。
それでも、リュアは感情を押し殺し、涙を飲みながら実験に耐え続ける。
結果、被験者一号として紫姫の力を手に入れ現在に至る。
人体実験の唯一の生き残りとして……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「ん、ぅ……?あ、れ……?ここは……」
今まで経験したことがない柔らかく暖かい布団の中で、リュアはふと目が覚める。
頭を振りながら、ゆっくりと身体を起こすと、見覚えのない部屋の中に居ることが分かった。目立った家具もない殺風景な部屋で、外からは夕焼けの光が差し込んできている。
それよりも気になったのは、布団から漂ってくる香りだ。
何故かは分からないが、どこか安心するような、不思議な温かさを感じさせてくれる。
まるで気付かない内に、長い間身体全体で感じていたもののような気がした。
「お、気付いたか?」
男の声がして部屋の入り口に目をやる。
そこに居たのは、鳴継琉星。
そう、ほんの数時間前に死闘を繰り広げた決闘相手だった。
彼は器が乗せられたお盆を持って、リュアに近づいてくる。
「えっと……あ……」
「お前は負けたんだ。条件通り偉華坂との主従関係は破棄されている。だからもう話すことを気にする必要もないだろ?ほら、味は保証出来ないけど、食べるか?」
そう言ってリュアの膝の上に置かれたのは、湯気が立つ真っ白なお粥だった。
「あ、ありがとう、ございま……あ……!鳴継さん、目が……!」
動揺しつつも彼を近くで見て、ようやく気付いた。
琉星の左目が包帯でぐるぐる巻きに塞がれていたのだ。
あれはリュアの手で負わせてしまった傷痕。
あの時は完全に無我夢中で、最早自分の感情を制御出来ていなかった。だから、何を言われても仕方がないと、自分に言い聞かせるが……。
「あぁ、これか。もうどうしようもないみたいだけど、普段どうしておこうか迷ってんだよな。眼帯か、包帯のままか、それとも野晒しにしとくか……あんたはどれがいいと思う?」
「……え?」
的が外れた質問に、リュアは自分の耳を疑った。
「いや、別に難しくないだろ?眼帯か、包帯か、それとも何も付けないか、どれが良いと……」
「そうじゃなくて!!」
「……!」
今まで故意に話すことを禁じてきた為、自分の出した大声に自分で驚いてしまった。
だが、感情を押し殺して、どうしても納得出来ない現実を自ら口にした。
「どうして、どうしてそんな目になっているのに、私を恨む素振りすら見せないんですか?私は、あなたを一度殺そうとまでした敵ですよ!?それなのに、何でわざわざ私を介護までしているんですか!?何で、まるで、こんな────何故本当に私を助けてくれたんですか……?」
権力が相手では誰もが跪き、権力者に絶対的服従を誓う。楽土だけに限らず、外の世界でも全く同じだ。
リュアはそういう場面を何度も何度も、絶望する程に見てきたのだ。
だからこそ、理解出来ない。
恐らく、今回の決闘を見た誰もが同じ考えを持った筈だ。
琉星は自分の潰れた目をそっと触りながら、口を開いた。
「何故、か……多分お前の中に、俺の忘れていた大切な何かを見たから、かも知れないな」
「大切な、何か……?」
その後、リュアは初めて琉星の過去の事情を聞かされた。
楽土にやってくる前の記憶がないこと、楽土脱出を果たして外の世界を見ることが夢だったことを。
「お前の言う通り、この楽土では他人のことを考える奴なんて一人も居ない。誰もが自分のことで精一杯で、それに疲れた奴は死んだ様に毎日を過ごす。そんな奴らばかりが映る中で、お前に出会った。誰よりも他人と、命を思いやって戦う、紫姫に」
「それは……どうしても、人を殺すのは……嫌でしたから……」
人が無残に命を散らしていく姿はこれ以上見たくはない。
その一心だった。
「過去に何があったのかは知らないけど、あんたはきっと自分の為に戦うより、誰かを守る為に戦うことを意識するようになった。それがどれだけ難しいことなのか、あんたなら何となく分かるんじゃないか?俺は、極限な状況でも意地でも目的を実行する、そんなお前に惹かれたんだと思う」
「私が……人を守ることを……?え……?」
従うことが自分にとって当たり前のこと。だがその行為に隠された真意は抗いだった。
それは正しくはない。
間違ったことだ。
奴隷は主人に従うことが当然。
だからいつも苦悩の中で、自分に問い掛けていた。
“私は何の為に抗っているのか”、と。
「だから、これからは俺の奴隷なって、俺に誰かの為に生きる手助けをさせてくれないか?お前の望む道はきっと、断ち切ってはいけない大切なものなんだって感じることが出来た。それを、俺は信じてみたい」
「自分の、望む道……?私が、望む道ですか……?」
途端に胸の内が熱くなってきた。
自分にいつも投げかけていた問答に、彼が答えを指し示してくれたのだ。
抗っていたのではない。
自分は守る為に戦えていたのだ、と。
「……あれ?俺の奴隷って、何の話ですか?」
聞き覚えのない話に、首を傾げると、琉星は飄々とした態度で答えた。
「あ、そうか。あんたは気を失ってたから知らないのか。今日から、俺があんたの主人だ。これから宜しくな」
「はっ……?」
「そうだな、改めてここで言っておく。リュア、今からお前は形式上、俺の物だ。主人の命令は絶対、反論は決して許さない。いいな?」
「……!」
いつの間にか主従関係を結ばれていたことには驚いたが、琉星の主人紛いの物言いに息を呑んだ。
だが、次に彼が発した命令から、琉星は今までの主人とは明らかに違うことを確信する。
「お前が生きるこの世界で、お前が望むやり方で、自由に生きろ。以上だ」
「えっ……」
彼はリュアを縛るつもりなど毛頭ない。
命を張って戦うことで、リュアの自由を掴み取ってくれたのだ。
全てを敵に回し、自身の信念を最後まで信じ切ることで。
「あ~、でも主従関係を結んだ以上、あまり好き勝手されるのも逆にマズイか……よし!なら俺の目が届く範囲でならオッケーにしよう。いいか?お前が俺の奴隷である限りは、この楽土で辛い目には合わせたりしない。だから、お前も変に難しく考えないで、あの時みたいな笑顔を見せることを心がけて欲しい。それが、俺からお前への命令だ」
こんなにまで暖かい人が、他に、いやこの世界に居るのだろうか。
今まで感じたことがない感覚に、リュアは言葉を失っていた。
「ほら、お粥冷めたら勿体無いぞ?」
琉星の指差す先には、膝の上のお粥。
そう言えば、マトモな料理すらも、最後に食べたのはどれくらい前だろう。
食べ物とはこんなに温かったのだろうか。こんなに美味しそうに見えるものだったのだろうか。
少しだけ震える手で、スプーンを手に取り、お粥を口の中に運ぶ。
「……おい、しい……」
口の中に広がる、ほのかな塩味と柔らかい米の食感。
それが余りにも愛おしくて、今まで押し殺してきたあらゆる感情が混じり合って……とめどない涙がリュアの目尻から溢れ落ちていた。
「美味しい、です……うっ、ぐすっ……とっても、温かくて……美味しい、です……う、あぅっ……」
「……そっか。それは良かった」
琉星は満足げに微笑み、リュアの頭を撫でる。
その日、リュアは初めて感情を剥き出しにして、心の限りに泣いた。
きっとそれは世界にとってはとても小さな変化に過ぎなかったかも知れない。だが間違いなく、小さな少女の心は、今までの苦悩から救われた。
一人の少年の、非常識な行動によって。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「やっほほーい、琉星クン。ちょっと二人きりで話さないかい?」
「主人……」
リュアを宥め、お風呂でスッキリするようにと言って部屋から出ると、入り口の前には車椅子に乗ったレジダプアが待ち構えていた。
今回の件は琉星の独断だった。
いずれ何か言われると覚悟をしていた為、琉星は黙ってレジダプアの車椅子を押して、彼女の指定した近場の展望台へと向かう。
もう外は暗くなり、星々が輝く夜空が大きく広がっていた。
「さて、何か弁論はあるかな?」
レジダプアがニッコリと微笑みながら、意地悪そうに尋ねてくる。
「勝手なことしてスミマセン」
「誠意が感じられないなぁ」
変に適当な返事を返しては、どうなるか分からない。
琉星は一度だけ溜息を吐いてから、覚悟を決めた。
「……勝手、だったよな。本当ならあんたの助力があって、ようやく目的の楽土脱出を果たす筈だった。それなのに、俺の独断でそのチャンスを無下にして、戦隷士として戦う権利すらも無くしてしまった……同じ奴隷達だけじゃない。あんたの今までの期待すらも裏切ったんだ……本当に、すまない……!」
レジダプアに向き直り頭を下げると、心の底から謝罪の言葉を述べる。
主人登録の必要条件である十億を支払ったことで、琉星の懸賞金はゼロになった。つまりそれは、戦隷士として混血決闘に提示する条件を、完全に失ってしまったということだ。
主人としての権利は手に入れたが、奴隷登録をしている以上、奴隷としての地位は残ったままである。今後琉星は、自分で戦うことが出来ず、自身の奴隷、つまりはリュアの決闘でしか賞金を稼ぐことが出来なくなってしまったのだ。
「本当だよね。君を拾って、折角勝つ為の手段を授けてきたというのに、信じられない裏切りだよ。私は、君には是非とも外の世界を見てもらいたかったんだが……君は、本当に後悔していないのかい?」
「後悔は……していない。今の状況が、正しいことだったかどうかは分からないけど、貫けたと思うんだ。“俺の望む道を俺の手で切り開く”ことを……」
顔を上げて、夜空を見上げながら答えた。
レジダプアに反論するつもりはなかったが、それでも自分の意志は真っ直ぐに貫いた。結果、レジダプアや奴隷達に責め立てられることになったとしても、恐らく後悔することはないだろう。
琉星の真っ直ぐな言葉に、レジダプアは視線を落として呟く。
「フフ、流石は私の……」
「主人?今、なんて……?」
「いや、君が一生知らなくていいことだ」
琉星の耳には届かなかったが、レジダプアは微笑みつつ話を濁す。
「別に怒ってなどいないよ。大した才能を持たない君がここまでやれたのは正直奇跡だ。むしろ称賛を贈りたいぐらいだね」
「……あんたはとことん一言余計だな」
掴み所がない人格なのは相変わらずだが、それでも妙な信頼感を抱かさせてくれる。だから彼女の奴隷として戦う事が出来たし、彼女の助言を素直に受け取る事が出来た。
もし、自分が主人としてリュアと共に戦うのなら、彼女の様に……。
「それで?これからどうするつもり?主人になったことで、今まで以上に楽土内部での妨害が多くなるだろうし、命を狙われる危険性も増えてくるかも知れない。更に言えば、今回の件で総督会からも圧力が出てくるだろうね。君にとってはとてもやり辛く、戦い辛い状況が築かれつつある。そんな現状で、君はどうやって彼女と共に戦うと言うのかな?」
「……ノープラン」
「……君は単細胞か、それともただの馬鹿かい?考えなしに偉華坂を打つのめして、衝動的に主人登録を結んでからに、今後のことも一切ノープラン?いや、本当に何やっているんだよ」
「むぐっ……!」
そう言われてみれば、状況が悪くなっただけなような気もなくもない。
自分で稼ぐ事も出来ないし、肩身の狭い生活を強いられるのも目に見えている。
改めて今後を考えると、不覚にも頭が痛くなってきた。
唸りながら頭を抱えていると、レジダプアが指一本を立てて左右に揺らしだした。
「ならば、私から君に助言を送ろう」
「助言?」
「自らの願いを叶えたいと言うならば────
絶対に“同調”するな」
「……!」
「もし立ちはだかる壁があるならば乗り越えろ。邪魔する権力があるならば否定しろ。君の敵は『この世界そのもの』だ。誰がどう言おうとも構わない。権力だろうが、世界だろうが、全てをその手でぶっ壊してやれ!」
曇りない顔で、拳を突き出してニヤリと笑う。
少し驚いて彼女の顔を眺めていた琉星。
だが、すぐにハッと思い立って同じ様に微笑むと、突き出された小さな拳に、自分の握り拳を打ち付けた。
「はは……上等だよ、この不条理主人」
「期待しているよ、この出来損ない従者」
そう、何も迷う事はない。
状況が変わろうとも、向き合う現象が変わろうとも、琉星の向かう道は何一つとして変わらないのだ。夢を掴むことは、自分の殻を破ること。望みを叶えることは、今を駆け抜けることなのだから。
「君が主人になった今でも、一応私達の主従関係はそのままになってる。何かあったら楽土の何処かをブラブラしている私を訪ねて来なよ。私は、君のこれから辿る道筋を、ゆったりと見守っているからね。あ、そうそう、その右目、大事にしなよ?」
言いたいことだけ言って、レジダプアは自分で車椅子を動かしてその場を去って行った。
一人残された琉星は、視線を落として小さく呟く。
「今更かも知れないけど、あんたに会えて……本当に良かったよ。ありがとうな」
抗う強さ、変える強さは、彼女から授かり、彼女の手で培われた唯一無二の信条だ。
面と向き合ってお礼を言い合う様な柄ではない。だが、互いに言いたいことは充分にわかっている。
だから、この心は誰にも伝えずに、一生自分の中にしまっておこう。
琉星は、もう一度夜空に輝く星々を眺めてから、展望台を後にした。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
自分の部屋の前に戻ってきた琉星は、扉の前で止まり大きく深呼吸する。
変に繕う必要はない。
自分に出来る形で、自分の望むことをしよう。
それだけ心に刻んでから、部屋の扉を大きく開け放った。
「ただ今戻りましたぞー…………って……?」
「…………えっ」
例えば、男子と女子が同じ屋根の下で暮らすとしよう。
更衣室がない様な質素な部屋の中では必然的に、男子は着替え中とかの女子を気遣って部屋の隅に縮こまるとか、部屋から出るなどの対策をするだろう。それでも一緒に暮らしている以上、非常に気まずい場面に出くわしてしまうことも少なくない。そう言った場合は、女子が顔を真っ赤にして恥ずかしそうに「キャアぁぁッ!!」って悲鳴を挙げるか、「この変態ッ!!」って感じに殴りかかってくるか、どちらかだと思うのだ。
今、シャワー上がりで、甘く優しげな香りを部屋全体に漂わせ、真っ白な柔肌を露見させるリュアが目の前に出現した。
さて、この同棲万々歳とも言える気まずい場面の行く末は、どうなってしまうのだろうか。
「鳴、継……さ……」
「わっ、ちょっ……!す、すまん!!見てない!何も見てないから!!」
まずはこう否定し、謝罪するしか方法はない。
リュアが状況を察知して顔色を変えたと同時に、琉星は勢い良く目を逸らし手を振りながら、目撃したことを否定した。
だが、不思議なことに、部屋の中から悲鳴が挙がることも、リュアの怒り狂った様子も感じられない。それよか、何やら震えた口調で、少しずつこちらに近づいて来ているではないか。
「……あの。鳴継さんと私は、主従関係を結んだ、主人と奴隷なんですよね?」
「あ?あ、あぁ!そうだな!形式上はそうなってるな!いや、でも覗いていい理由になってないと思う!いやいや、別に覗きたくて覗いたわけじゃないぞ!?」
「……あ、あの。奴隷たるもの、主人の為に尽くすのが、一般的な主従関係だと……どこかで耳にしたことが、あります……で、ですので……」
それどこ情報!?と心の中で叫んでいたが、リュアの足音が目の前で止まって彼女の吐息が聞こえてきた。
一体何が起きているのか、とチラリと目の前の様子を伺ってみる。
その瞬間、琉星の身体が硬直して、目が大きく見開かれることとなった。
「ッッ!?」
「────ご奉仕致します、“ご主人様”」
琉星の目の前でリュアが両腕を軽く広げて、見てくださいと言わんばかりに、生まれたままの無防備な全身を自らの意思で見せ始めたのだ。息遣いは乱れ、顔は真っ赤に染まっているところを見ると、相当無理をしている様子が見受けられた。
ちなみにそれは、琉星も同じ心境である。
「わぁぉっ!?いやいいから!!ご奉仕とかそんな恥ずかしいこといいから!!風邪引いたら困るから早く服を着て……!!」
その時、あまりの衝撃に無意識で両手を前に出してしまう。
勢い良く飛び出た手の動きを制御することも出来ず、琉星の手は吸い込まれるようにリュアの身体へ。
「ひゃっ……!?」
リュアの短く甲高い悲鳴で、琉星は一瞬だけ正気に戻る。
目の前には哀れもない姿のリュアが居て、自分は手を伸ばして何か触り心地の良い柔らかい物を掴んでいた。
「……あ!いや、これは……!」
「き……き、き……」
直後、我慢の蓋が飛び立った。
リュアの気配が変貌し、涙を浮かべながら握り拳を作ると……。
「キャアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!」
「何で握りこぶッ……!?」
灼線でブーストが掛かった鉄拳が、無慈悲にも琉星の顔面にぶち込まれることになった。
さて、ここで先程の答えだ。
主従関係を結んだ男女は、女子は意を決して奉仕しようとする。だが結局のところどれも同じ結果で終わる、である。
この日を境に鳴継琉星の、リュアと共に起こす新たな賞金稼ぎの日々が始まった。