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01 異界へ渡った吸血鬼

「暇だな……」


薄暗い森の中に佇む巨大な洋館。その地下にある巨大な図書館のような360度があらゆる本で埋もれた部屋で独り、男は誰に言うでもなくぽつりと呟いた。


外見は20代前半ほどだろうか。髪は腰に届くほど長い黒髪で目鼻立ちはよく整っており、黒塗りの丸眼鏡をかけているため目の色は分からないが180cm後半はありそうな長身にやや細く見える体型からもしも街中にいたらモデルのスカウトが来そうな美青年であることが伺える。


そんな彼がなぜこんな不気味な洋館に居るのか? その答えは単純。彼がこの洋館の主人であり、二千年ほど前に栄えた街の領主であったからだ。


領主になるまでの彼は己の命を増やすことに固執したり身内を増やしたりもしていたが、ある時ひょんなことからとある少女に忠誠を誓い、あれよあれよという間に伯爵の爵位と領地をもらい受け、服従を誓った少女の遺言通りに国の上層部まで腐敗しきった瞬間に国を滅亡させた。



王から民草に至るまで一切の貴賤なくその命を吸いとった男……いや、吸血鬼は国が滅亡した後も自分の力によって緩やかに朽ちていく領主の館で年月の移り変わりをその身を蝙蝠や霧、小動物へと変えて見てきたり、様々な学問や芸術を学び、鑑賞もしたが流石に退屈してきたらしい。


吸血鬼は座っていた豪華な装飾の施された椅子から腰を上げ、傍らにあるこれまた豪華な装飾の施された小テーブルに置いてある高級感溢れる80年物のワインをまるで水を飲むかのようにラッパ飲みするとボトルを手で握り潰した。


当然、ガラスの破片が皮膚を裂き、掌が血塗れになる。


だがその傷はまるで逆再生でもするかのように治っていき、1秒するかしないかの内に血を残して綺麗に傷が消え失せた。


その血を舐めた吸血鬼は


「やはり自分の血は味気無いな」


と呟やきながら一人、コツコツと反響する石造りの階段を上って扉を開けた。




これは、まだ人間が群れることを覚え始めた時代に生まれた男が、悪魔と契約して生まれた一人の吸血鬼として数万年の歳月を過ごし、その末に異世界へと送り込まれた物語である。



吸血鬼が装飾の施され、まるで封印のように幾重にも太い鎖が巻き付けられた重厚な扉を鎖を引きちぎって開ける。


その瞬間、熱感知型の地雷が足元で連鎖爆発を起こす。


壮絶な衝撃と鉄の破片が吸血鬼を襲うが彼は右手が吹き飛び両足の肉の大半が削ぎ落ちて骨が露出している状態でも何事も無かったかのように歩みを進め、5秒もしないうちに手足も再生した。


彼はかつては豪奢な調度品が置かれていたであろう長い廊下を、天井に取り付けられたマシンガンタレットの攻撃によって頭や胴体を抉られながらも通り抜け、大理石で造られた広い玄関を火炎放射器の炎に焼かれながら出て庭に出ると、門の外は相も変わらず薄暗い森で霧がかかり、幽霊屋敷という言葉がぴったりの朽ち果てた洋館が目に映る。


しかしながらここは英国某所。この洋館が国に認知されていない訳がなく、600年ほど前から国はこの吸血鬼に対して秘密裏に殺害を試みてきたが剣や斧、弓矢で致命傷を与えようが、銃で鉛玉を撃ち込もうが、爆撃による集中爆撃を行おうが、伝承にある通りにニンニクの成分を凝縮した匂い玉を屋敷中にばら蒔こうが、教会で祝福を受けた純銀の十字架を鋳溶かして作られた弾丸だろうが、あらゆる毒を試そうが、燃やそうが、凍らせようが、吸血鬼には全く効果がなく、首を落としても心臓を抉っても死ぬ事はなかった。


これを受けて政府は吸血鬼ができるだけ長く屋敷に籠るようにあらゆる学問の専門書や神話関連、童話関連などジャンルを問わず無数の書物を吸血鬼に贈呈した。


だが所詮は時間稼ぎにしか過ぎず、こうしてタイムリミットがやって来たというわけである。


今頃は防衛省に緊急の伝令が入り、王室の避難や吸血鬼の討伐のために最新兵器を満載した戦車や爆撃機や戦闘機、ヘリコプターやらミサイルの発射命令を受けた潜水艦やら巡洋艦が出動している頃だ。


現状を正しく理解しながらも、吸血鬼は門を開け森の中に入り、のんびりと散歩をしているとそれまでは腐葉土特有のサクサクとしつつ滑るような感触だったにも関わらずまるで鋼鉄を踏んだかのような硬い感覚が革の靴越しに伝わった。


(なんだ……?)


と怪訝そうな顔をしながら吸血鬼が腐葉土を退けると銀色の文字で


「汝、救いを求め、人として終わりを迎え、亡者になってなお神に救いを求めるのならば、この棺によって神の御許へと旅立つ機会を与えよう」


(神の御許……ねぇ)


吸血鬼は神を信じてはいない。何故ならこの世界のどの神よりも自分の方が年上だと言える自信があるからだ。

世界一のベストセラーになった本に載っている神はたかだか二千年の歴史しかないが吸血鬼はもう二万年は生きている。文字通り年季が違う。


(棺だと?)


よく読んで見るとこの銀字が彫られているのは棺だという。


吸血鬼が銀字の周りの土を払うと漆黒の棺が顔を出した。そして目につく「救いを求める」の文字。何故か目が引き寄せられるが次の瞬間には自嘲的な笑みを浮かべる。


(俺が救いを求めていると? 馬鹿馬鹿しい。救いを求めて良いのは俺のような化物ではなく弱く儚い者だけだ。)


だがそう思った直後、思い起こされる遥か昔の記憶。


かつて自分が一度だけ忠誠を誓い、服従した少女の顔。


(神の御許か……神なんてものは信じちゃいないが、どうせ時間は有り余っている。暇潰しに試してみるのも悪くはないか)


そして吸血鬼は棺桶の中に入り、右手を霧に変えて棺桶の蓋を持ち上げ、棺桶に蓋をした。


そこで突如として猛烈な眠気に襲われた吸血鬼は


(英国が開発した罠か? だとしたら見事に嵌められたが、埋まっていた以上その可能性は低いな。とすると本当に神とやらの所まで行けるのか? まぁ何にしろ吸血鬼が棺桶で眠るか……伝承通りだな。初めての経験だが寝心地は悪くない)


という意外と余裕綽々の思考を巡らせていた。


――――彼は気が付かなかった。なぜ棺に刻まれた銀字が神のことを『主』と記していなかったのか。求めるのが『許し』ではなく『救い』だったのか。英国では棺に必ずといって良いほど描かれる十字架がなぜ描かれていなかったのか。彼が理由を理解するのはこのすぐ後のことだ。――――




吸血鬼が目を開けるとそこは真っ暗闇だった。


(暗い……まぁ、棺桶の中だから当たり前だな。とりあえず出るか)


と思考した所で蓋を開けるために腕を前に突きだした。突きだせてしまった(・・・・)


それはつまり、眼前には障害物が存在していないことを意味し、同時に自分の身体は棺の中に在るのではない事を理解するのと同時、闇が湾曲し捻れ曲がるのが見えた。


見えた(・・・)ということは必然、光が生まれたと生まれたということであり、どこから生まれたかと問われれば背後からだ。


だが吸血鬼は光の方向には振り向かない。何故なら今自分の目の前にある闇が、というよりも空間そのものが球体として収束している現象がとてつもないエネルギーを発しているからだ。


徐々に周りの闇が引き摺られるように球体に取り込まれていき、光の面積が背後から左右の空間、上下の空間と広がっていき、闇が球体のみになった後、今度は光も引き摺られるように背後から消えて行く。


代わりに現れたのはマーブル模様の様な極彩色の空間。


やがて球体以外の空間が全て極彩色へと変わると球体は吸血鬼へと語り掛けた。


『汝が救いを求めた亡者だな』


それは問いであって問いではない。既知の事実を確認するかのような口調だった。そして吸血鬼は思考し、問う。


「どうだろうな。それよりお前は何なんだ?」


すなわちお前が神か? と。


『異な事を言う。我は神と人が呼ぶもの。ある時には世界、ある時には自然、ある時には善性、ある時には悪性、ある時には感情、ある時には宇宙、またある時には全。全ての始まりと終わりを見るもの。それが我だ』


対する答えは是。しかし人が創作したものではなく所謂全知全能の神であると。


「そうか。では質問だ。俺がこっちへ来た原因の棺は何だったんだ?」


吸血鬼は問う。ここへ来る直接の原因である棺はどういうものなのかを。


『あれは幾千万もの人間の想いの塊がお前の中に在る幾億もの魂と同化、変成し生まれたいわば歪み(ひずみ)のようなものだ』


答えは多少の思考を要するものだった。


「歪み……か」


『然り』


「つまりは多数の人間の(神に救ってもらいたい)という想いが俺の命と合成され、形を変えたイレギュラーなものということか?」


吸血鬼は自らの思考結果の正否を問う。


『然り』


返答は是であった。疑問が氷解した所で吸血鬼は新たに問う。


「それで? 俺がここにいる理由は?」


すなわち、何故に自分がこの空間にいるのかと。


『汝が棺を使用したがゆえに』


当然の返答だ。しかし吸血鬼が望む答えではない。故に


「言い方を変えよう。あの棺を使えば誰でもここに来られると?」


吸血鬼は質問を変える。望んだ返答を得るために。


『否。あれは汝の中に存在する魂が変化したものであるが故に汝以外に使えば魂が取られるのみだ。さらに伝えるならばあれには救いを求める亡者しか認識できぬ』


吸血鬼には納得しかねる事があった。それは


「つまり俺が救いを求めていると?」


『然り。汝は我が御許まで来たが故に』


つまりあの棺を使用できた時点で救いを求めていたということに他ならないと神は言ったのだ。


「俺にどんな救いが必要だと?」


救いを求めていない、否。求めてはいけないと考えた末に出た問いであった。


『汝が求めた刺激と幸福の救いなり』


返答は至極簡潔。しかし新たな疑問が生じる。


「確かに無限に等しい退屈は望んではいなかったな。まぁ刺激は分かるが、幸福だと?」


これもまた求めてはいけないと考えていたものだ。


『然り。汝の本質は[守護]であるが汝に力を与えたのが汝の世界では悪性に属する者。ゆえに汝の歩んだ道は悲惨。地獄と呼ぶに相応しいもので「俺が望んで歩んだ道だ」』


神の言葉を遮り主張する。

確かに彼に吸血鬼たる力の素を授けたのは悪魔。ある意味でこの上ない悪性の象徴とも言えよう。

だがしかし、その力を自ら望んだのだ。進んでその道を選んだのだと吸血鬼は言う。だが、


『否。伝えた筈だ。我は全であり、感情であると。汝は後悔している。故に幸福が汝への救いだ』


相手は全知全能である。

表層意識ではなく深層意識すらも見切る。故に


「…………で? その救いとやらはどう受ければ良い?」


吸血鬼は反抗を諦めた。もうどうにでもな~れのノリである。

かくして神は方法を説く。


『瞬き』


人はある事象を言われるとその事象を想い描き実現させたくなるものである。


「瞬き?」


故に吸血鬼は反射的に瞬きをした。


かくして、そこはもはや先の空間ではなく、見知らぬ草原だったのである。






吸血鬼は突然の事にしばしの間呆然とする。まさか瞬きの間に見知らぬ草原に立っているなど誰が予想できようか。

だがここでひたすらに呆けているわけにもいかない。だが現在地が分からない。

吸血鬼はため息を吐きたい気持ちを抑えながらも呟く


「さて、ここは一体どこだろうか?」


『ここは我が管理する世界の一つだ』


「……まさか返答がくるとはな。少し驚いたぞ」


まさかの会話継続である。


『ここは理と魔の比率が等しい世界。魔法があり呪いも存在すると同時に科学も同居しているが科学は中世程度。そこに魔法が加わり前の世界とは異なる文化が発展しつつある。汝が悪魔から授かった力と奪った(・・・)力、どちらもこの世界では唯一のものに分類される。強ければ大抵上手く事が運ぶような世界だ。後はものの状態を確認できる技能を授けよう。これで我の救いは終わりだ。汝等に幸多からんことを』


それ以降、神が語りかけてくることは無かった。故に吸血鬼は自ら現状最も興味をそそられている事柄、すなわち神が授けたという「ものの状態を確認できる技能」が一体どういうものなのか、確認することにした。


「状態の確認か……知りたいと意識すれば使えたりする便利なものであればいいのだがな」


ものは試しと自分の状態を知りたいと念じてみる。その結果 


名 無し 

レベル 8962 

種族 吸血鬼(真祖) 

状態 装備最適化中(残魂160070245) 

HP 68800 

MP 74200 

称号 真祖の吸血鬼(オリジンブラッド) 国崩し 太古の英雄 悪魔殺し 

技能 鑑定 吸血 完全再生 黄泉帰り 思考加速 身体完全制御 亜空間宝物殿 全言語完全理解 眷属召喚 


という情報が目に浮かんだ。


「ほう、なるほどな。まるでゲームのような表示方法だ。」


ちなみにこの吸血鬼、有り余った時間を使い極西の小さな島国から生まれたゲームや漫画などの所謂サブカルチャー方面にまで手を伸ばしていたためこのような情報が浮かんで来ても問題無く対処が可能だ。


(これがゲームならば筋力や敏捷、頭の良さなどが数値として表れてもおかしくはないのだが……)


と思考した所で吸血鬼は気付く。『ここはゲームの中などではなく現実なのだ』と。何故なら神が自ら『ここはそういう世界なのだ』と吸血鬼に教えたから。


それに気付けばもはや疑問は湧かない。何故なら人間や動物の能力値など数値化できるものではないからだ。


例えば筋力。吸血鬼の筋力が百と表示されたとしよう。

ではそれはいったいどこの筋力の数値なのだ? 腕か? 脚か? 腹か? それとも背中か? 腕と脚の筋力では三倍ほどの差があるという。腕が百ならば脚は三百のはずだ。だが筋力の値は百と決められている。


仮に身体中の筋力が同じだとしたならばそれはもう人の形はしていないだろう。


神は理と魔の比率が等しいと言っていた。ならば物理的な法則も存在し、逆に魔の、自分のような物理的に説明のつかないものも存在するのだろう。


この場合能力値が数値化されていなかったことから筋力などは理、つまり物理法則に従うのだろうと吸血鬼は判断した。


逆にHPやMP、つまり生命力や精神力は魔、つまり物理法則に従がわない弁宣上『神秘』とでも言うべき側にあるということなのだろう。


確かに元いた世界でも崖から落ちた人間が通常、死んでいるような怪我なのにも関わらず自ら電話のあるところまで歩いて助けを求めたり、死にかけの病人が昏睡状態から聞こえるはずのない家族の声を聞いて一命を取り留めたりと、物理的に説明が付かない部分が生命力と精神力にはある。


成る程、そう考えると確かにこの表示は妥当であろう。と、そこまで思考した所で何かが砂煙を上げてこちらにやって来る。


(かなり大きいな、近いサイズは象か? (シャチ)か? いや、それよりも更に……)


そこで相手の全貌が見えた。

それは全長二十メートル、幅六メートルはあろうかというほどの蛇だった。その身体は棘のようなものがついた鱗で覆われ、鮮やかな紫色をしている。そしてその蛇の前には一台の馬車。


サブカルチャーもかじっている吸血鬼は理解した。すなわち


(なんというテンプレートだ……)


と。テンプレート、略してテンプレ。定番という意味合いがある。と、考えているうちに蛇が口を開けた。

そして放たれたのは紫色の線。


いや線にしか見えないほどの高圧噴射された毒液。その証拠に標的にされた馬車……否、馬は高圧噴射された毒液に胴体を両断され、その身体を地に着ける前に骨を残して溶けた。


当然馬を亡くした馬車は動力を失い、馬の骨が車輪に絡まり前面から地面に接触。

慣性の法則の通りに前のめりに地面に突っ込んだ馬車は牽いていた馬が優秀だったのか目測で時速八十キロほどを出していたがために後方が浮き上がり、前面の車輪部分を支点として縦に一回転。複数の男女の悲鳴と砂煙を巻き上げながら停止した。


一方吸血鬼は蛇と対峙し、その口元に三日月を倒したような愉悦の笑みを浮かべ、黒塗りの丸眼鏡の奥から黄昏のような暗く、昏い、紅い瞳を相手を見極めるように細めた。


その瞬間、蛇……正式名ヨルガリウスは全身が氷付けにされたかのような感覚に陥った。

それと同時、本能が逃げろと警鐘を鳴らす。しかしながらヨルガリウスはその巨体ゆえに脳が大きく、知能が高い。


故に先の攻撃は馬車ではなく馬を狙ったのだ。より多くの肉を捕食する為に。だが今は、今だけはその知能が邪魔をした。


目の前の矮小な人間が、強大な捕食者たる自身を害することなど有り得ないと思考した。


そして目の前の餌を喰らおうと口を開けた直後、餌が自分に侮蔑のような瞳を向けながら


「そうか。貴様は獣以下か」


と言う。その言葉の終わりと同時に、視界が反転した。


ヨルガリウスは自身が頭のみになって地面に墜ちていく意識の中で気付く。最初のあの氷付けにされたかのような感覚は、自身が産まれて初めて感じた『恐怖』だったのだと。そしてヨルガリウスの意識は闇に沈んだ。


「相手と自身の力量差も分からぬとはな。弱肉強食が聞いて呆れる」


吸血鬼は失望の色を隠そうともせずに落胆の言葉を吐き捨てる。だがすぐに馬車の存在を思い出す。


「そういえば馬車があったな」


そう言って吸血鬼は踵を返すとひっくり返って上下が反転している馬車に近寄る。馬車のなかを見てみると中には10人程の首輪を着けた人間がいた。


だがその中の6人は首があらぬ方向に向いていたり大半の内臓が溢れていたりと明らかに死んでいる者がいた。特に馬車の前側に座っていたであろう人間は完全に潰れている。


一回転した際に後ろの人間全ての重さと衝撃を受けたのだろう。シートベルトもない馬車で時速八十キロで事故を起こせば人は誰でもこうなる。


だが馬車後部に居たのだろうか、十代中盤であろう三人の娘の内二人は骨折と打撲はあるものの命に別状はない。だが残りの一人は右足の複雑骨折に両肩の脱臼、左腕は骨折、手首は粉砕骨折をしており極めつけは膵臓と小腸の破裂といういつ死んでもおかしくない状態であった。いや、むしろ生きているのが不思議なくらいだ。


ちなみに何故吸血鬼が怪我の具合が分かったのかというと、技能である鑑定のおかげだ。


医学知識が豊富な吸血鬼でも診察の経験が豊富な訳ではない。だが『ものの状態を知る』という酷く抽象的なこの力、使い方を変えれば筋肉や内臓、骨の状態を診ることができる。状態が見えれば知識がある吸血鬼は診断することが可能なのだ。


故に分かる。分かってしまう。腕に抱く少女の命の灯火が消えかかっていることが。

吸血鬼として数万年の時を生きてきて、命を奪ったことなど幾らでもある。だが自分が奪った命は、自分が決めた判断基準により命を奪う事を是とした時のみだ。


見捨てて死に逝くのを傍観しているのも良いだろう。だが自分が奪うのではなく事故で、それも己の目の前で死なれると寝覚めが悪くなる。


どうするか思案していると、少女が『コプッ』という音を立てて吐血した。同時に少女が微かに瞼を動かす。


意識が戻っても身体は動かず痛みも麻痺しているだろう。故に吸血鬼は問う。


「このままではお前は死ぬ。だが娘よ、お前に生きる意志はあるか?」


すなわち生きたいか? と。対する少女はヒュ~、ヒュ~と掠れる呼吸をしながら消え入りそうな声で返答をする。


「い……生き……たい……まだ…………死にたく……コホッ……ない」


それが返答ならばと、吸血鬼はさらに質問を重ねる


「生き残る為に人間でいる事をやめる覚悟はあるか? 化物として忌み嫌われながらも生きる覚悟がお前にあるのか!?」


僅かに、されど確かに語気を強めた吸血鬼の問い。黒塗りの眼鏡を外した吸血鬼の黄昏のような昏い紅の瞳に見据えられて、しかし少女の微かに開いた深い海のような蒼の瞳は真っ直ぐに紅い瞳を見詰め返し、いまだ掠れる呼吸で返答を返す。


「たとえ……人を……コホッコホッ……辞める…………事に……なったとしても……コホッ……私に……生きてって…………言い遺した……コホッ……家族が……いたの…………だから……私は死ねない……絶対に……生きてみせるんだ」


少女の中に在ったのは、ただの生存本能だけではなく、家族の為にたとえ泥水を啜ろうが残飯を漁ろうが絶対に生きてみせるという意地と、化物になろうが家族の遺言を果たすという人としての(・・・・・)誇り。


さて、吸血鬼の返答は……


「…………素晴らしい」


しばしの沈黙、続く賛辞。


「そのひたすらに生に執着する意地も、他人に頼る弱さも、誇り高きその心根も。…………それでこそ人だ。獣の道に堕ちることのない人の姿だ。良いだろう、お前を生かすぞクローディア。汝にノーライフキングたる俺の加護を与え、我が一族に連なる事を許そう。誇れ、クローディア。我等が吸血鬼であることを」


そう言いながら吸血鬼はコートの内側から小さな銀のナイフを取り出すと自身の人差し指を浅く切り、血を数滴クローディアの口元に垂らした。


突然自分の名前を呼ばれた少女――クローディアは軽く目を見開き、口元に垂らされた血にどんな意味があるのか分からず困惑していたが


「その血を飲め。そうすれば晴れて俺達の仲間入りだ」


と紅い瞳の男が言う。


ならばと舌を伸ばし、血を飲もうとした時だった。再びの吐血。だが前回よりも血の量が多い。


そして融けるように薄れていく意識の中で、彼女が最後に見たものは、何かを飲む男の紅い瞳が真っ直ぐに自身を見ている光景だった。

次回はクローディア視点から始まるかも?

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