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後編

「おっしゃあ!!」

 快哉一撃。ヴァルの振り抜かれた左キックが、半透明な粘液の固まりを粉砕する。防御力の存在しないスライムはその一撃で爆発四散、四方に粘液の飛沫を飛び散らせて絶命した。

 ガッツポーズを決めて次の獲物を探しに小走りでかけだすヴァル。そんな彼を、後ろから半目で眠そうに観察しながらシルルがマイペースに追いかける。

 なんだかんだですでに一階層の半分は越えただろうか。初日の有様から考えると、ずいぶん順調なペースである。

 それに関しては、やはりヴァルが見かけた端からスライムを蹴り飛ばし撃退しているというのもある。だがそれ以上に、シルル・クルルがふつうにやっていれば相当に優秀な斥候だったというのが大きい。

 それが証明されたのは、スライムとは別種の魔物との戦闘だった。

 一階層に出てくる魔物は、当然スライムだけではない。犬ほどの大きさもある巨大ネズミや、頭ほどもある巨大トンボなど、一般人相手なら十二分に驚異となる魔物も当然生息している。

 入り口付近には生息していないそれらが、進むにつれ姿を見せるようになるのも当然の話。そして寡兵であるヴァル達にとっては、たとえ一階層の魔物とはいえ障害となる、はずだった。

 結論から言おう。蹂躙である。

 剣士科であるヴァルは索敵能力に優れていないとはいえ、本来もっと下層のフロントランナーである。能力は、数値でいえばシルルより高い。にも関わらず、シルルはヴァルが反応するよりも早く奇襲に対応し、腰の毒針を魔物に見舞った。

 それで終わり。

 巨大ネズミも、巨大トンボも関係なかった。その一刺しでそれらはひっくり返って僅かに痙攣を見せた後、永遠に動かなくなった。

 そんな事が、スライム以外の魔物と遭遇する度に展開されたのである。

 もはや、シルルの毒殺にかける情熱と成果を認めないわけにはいかない。さらにいえば、道中の貴重な植物などのトレジャー発見率についても、彼女はずば抜けていた。

 盛大な節穴である。シルル・クルルは、非常に優秀な冒険者としての素養を秘めている。スライムどうだこうだで、彼女の事を見くびっていたヴァルや教師陣が間抜けだったと、そういう事である。

 これに関しては、ヴァルもおおいに反省すべきと考えつつも、しかし。

「それはそれとして、結局俺の時間が大量消費されたという忌むべき事実は変わらないんだがなぁ……」

「?」

 そう。結局、シルルが優秀でも劣等生でも、ヴァルが最前線から離れている事実は変わらない。今もこうしてる間に、仲間達が深層に進んでいると考えるとじれったいような、嘆きたくなるような。

 まあ、シルルが優秀ならそれはそれでいいか、とそこで考えを改め直す。シルルが詰まっていたスライムは一階層にしか出現しない。なら、二階層にさえ進んでしまえば、後は破竹の勢いだ。約束の五階層まであっというまにたどり着ける、はずである。

 予定通りに進む冒険なんてない。そう理解しつつも、その楽観に一抹の希望を抱くヴァルだった。


 しかしながら、この後に起きる出来事を予測できなかったこと、それを彼に責めるのは筋違いだろう。

 あくまでも、それはあらゆる不幸が重なり合った結果だった。

 一階層という人気のない場所への警告を後回しにした管理側、予想よりも早く一階層を進めて気を抜いていたヴァル達、警告にしたがって迅速に待避した下層の学園生徒達……誰もが、その時の最善を尽くした結果の、不幸だった。

 だが、それでも現実は現実。

 理不尽は時として、計算された悪意よりも悪逆で、無慈悲だ。


 最初にソレに気がついたのは、シルルだった。

 不意に脚を止めた彼女に、先行していたヴァルが気がついて遅れて脚を止める。訝しげに振り返ったヴァルは、始めてみるシルルの表情の変化に首を傾げた。

 戸惑っている、というのか。

 あのいついかなる時も己のペースを崩さなかったシルルが、明らかに何かに狼狽し、狼狽えている。

「あれ、どうした、シルル?」

「…………ヴァル。なんか変」

「変、って何が。というか、俺から言わせればいつもお前って変というか」

「そうじゃない。何か、来る。下から、変なのがあがってくる」

「下? つーと、二階層からか? もしかしてスタンピードでも起きたのかな……」

 とんとんと剣で肩をたたきながら、ヴァルは記憶にある通路の方へ向き直った。まだ少し距離があるので見えないが、今目の前に広がっている林を抜ければすぐに二階層につながる階段があるはずだった。

 スタンピードとは、何らかの理由で魔物が上の階層へとあがってくる現象の事だ。原因には特定の種類の魔物の異常発生、環境の変化などがある。

 決して珍しい現象ではなく、そもそも冒険者の始まりはスタンピードによって迷宮から出てくる魔物の間引きであったという説があるなど冒険者には身近な現象である。

 かといって放置していい問題ではない。やっかいなのは、下層……すなわちより厳しい環境で生息し、強靱な魔物が突如として現れる事だ。基本的に冒険者は自分の実力に見合った階層での探索を主軸としている為、そんな中で想定外の実力をもった魔物との偶発的戦闘に入るのは命に関わる。

 とはいえ、ヴァルは本来十階層クラスの冒険者である。たかが二階層程度の魔物、どうとでもなる……そんな風に考えて気楽でいた彼は、しかし次の瞬間、その考えを改める事となった。

 まだ見えない下層への階段。そちらから、臓腑を腐らせるかのようなおぞましい雄叫びが聞こえてきたのだ。

「な……?!」

「……っ」

 ヴァルは息を飲んで剣を構え、シルルが竦み上がったようにヴァルの背後に隠れる。

 突如として、牧歌的とすらいえた一階層の雰囲気が様変わりする。

 静かにそよいでいた風が、淀む。どこかなま暖かく、重たい空気があたりに立ちこめ、木々がしおれ、空をいく雲は散り散りに乱れる。

 そして裂けた雲から吹き出した紫がかった暗雲が空に立ち込めて日光を遮り、しおれた木々から腐臭を伴う汚水が滴って大地をとろかしていく。たちまち、穏やかな平原が腐り爛れていく。梢の向こうで、変化に耐えかねた魔物達が地面に墜ちて動かなくなり、そのまま見る間に腐って土に融けていくのが見て取れた。

「……世界支配!?」

 環境の変化に、授業でならった知識がヴァルの口をついて飛び出す。

 間違いない、はずである。実際に目にした事はなかったが、現状おきている現象は知識と合致する。

 世界支配。階層支配といいかえてもよい。

 それは一言でいうと、強大な魔物……通称、ボスモンスターの意志の力によって、迷宮そのものが変質してしまう事を指す。

 本来、迷宮とは複数の次元が重なって生み出されたとはいえ、あくまで本来存在していた自然環境を元とする。にも関わらず、到底自然に発生したとは思えぬ異常な環境が当たり前のように存在する。例えば、明かりがいらぬほどに結晶で覆われた洞窟であったり、パズルのように複雑な絡繰りを積み上げて生み出された回廊であったり、である。そして、そういった階層には必ず、ボスモンスターと呼ばれる強大な魔物が生息している。

 彼らは、その強大無比な力によって、本来不可侵であるはずの迷宮構造に働きかける事ができる。それにより、自分の住みやすいよう、戦いやすいよう環境を書き換えてしまう。それが、世界支配である。

 とはいえ、それはあくまで理論上の話、迷宮の成り立ちを解き明かす上での推論にすぎなかった。

 ヴァルは何度かボスモンスターと遭遇した事はあるが、世界支配の現場にでくわした事はない。何故なら迷宮内では因果関係がループしており、それはボスを倒しても外にでてまた訪れれば再びボスが存在している、といった具合であるためだ。つまりそもそも”ボスによって世界支配される前の階層を訪れる事はできない”。

 その世界支配が、今、ヴァルの目の前で起きている。

 それはすなわち、迷宮の閉ざされた因果関係を破り、ボスモンスター、もしくはそれに準ずる化け物が、一階層に迷い出てきたという事になる。

「冗談だろ……いや、そういうのが迷宮か」

 しかし、ヴァルの切り替えは早かった。

 そういうものである、とそこそこ長く迷宮に潜っていた彼は知っていた。順風満帆な冒険家が、一つの罠で後生を引きこもって暮らす、そんな事が珍しくないのが迷宮だ。故に、彼は予想外の事態にも、努めて平静を保つ事ができた。

 だから、問題は。

「しょうがない、一度引くぞ、シルル。ここにいたらヤバイ」

「…………」

「どうした、シルル。急ぐぞ」

「……あ……。……・ぁ、ヴァルゥ……」

 ぺたん、と床にお尻をつけて。座り込んでしまった状態から、シルルは見上げるようにして、

「腰が、抜けて……」

「わかった捕まれ!」

 女だ男だは、この緊急時には関係ない。言葉を述べるのも惜しんで、シルルの腰に手をまわして抱え上げる。

 だが。

 その一動作が、この状況においては命取りだった。

「!」

 その一撃にヴァルが反応できたのは、奇跡というより彼の研鑽のたまものだった。

 直感に従い、シルルを抱えたまま左足の踵を軸に反転しつつ、全力で剣を振り抜く。直後、森の向こうから二人めがけて放射された灰色の何かと剣がぶつかり合った。

「む、ぐぅ!?」

 二人をおそったのは、水流のようにも見えた。だが、接触する剣から返ってくるのは、まるで粘土を切っているかのような手応え。それも、尋常ではない圧力を伴っている。

 片手では押さえきれない。

「すまん、シルル!」

 一言謝り、彼女の体を放り出すと両手で剣を握る。強まる圧力に、両手の膂力であらがい、ずれていた剣の筋を修正する。

「せぃ、やぁっ!」

 一閃。

 気力を込めた一撃は、迸る圧力を縦に切り裂く。水流は左右に飛散して霧消し、それきり放出は止まった。

 剣を構え直し、眼前の林に意識を集中しながら横目で飛び散った飛沫を見る。

 放射されていたのは、どうやら毒性をもった粘液であったらしい。どこか蹴り殺したスライムににた粘液が地面に飛び散り、しゅうしゅうと嫌な音をたてている。見れば、剣にも腐食したような後がある。

 それだけで生物を殺せる高圧の水流で、圧力をさらに強める粘液性、おまけに腐食毒つき。冒険者を殺すためだけに存在するような攻撃だ。ヴァルの武装がそこそこ上質でなければ、受けきれずにへし折られていただろう。

 そして、今の攻撃で無数の木々がなぎ倒された林の奥。そこに、攻撃を放った敵の姿があった。

「……知らないな」

 一言でいえば、それは二足歩行する爬虫類だった。

 だが、鱗のかわりに粘液に覆われただぶだぶとした厚手の皮を持ち、目元まで口が裂けている一方目も鼻もないのっぺらぼうという異貌、そして防具のように体を覆う繋ぎ合わされたデスマスクなどという姿をもった魔物は、ヴァルの記憶にはない。

 いや、ここまで邪悪な外見の魔物自体を、ヴァルは知らない。

 白い獣人は、にたにたと口元を気味悪くにやけさせながら、一歩、また一歩、こちらに近づいてくる。

 それを見て、ヴァルも覚悟を決めた。

 先ほどの放水攻撃らしきものを見るに、この状態からの離脱は不可能だ。正面からぶつかり合い、最低限、攻撃を封じ手からの離脱でなければならない。

 だが、果たしてヴァルにできるか。

 彼が知らない、という事は最低限、十一階層以降の魔物のはずだ。そして、十階層の魔物すら、彼であってもパーティーの助けがなければ、到底渡り合う事は不可能だ。

 故に、とるべき手段はたった一つ。

「シルル。動けるか」

「う、うん」

「なら、よし。……単刀直入にいうぞ。ここから逃げるのは不可能だ。戦うしかない。だが、まともに戦ったら秒殺される。完全に積んだ」

「そんな……!」

「見たところ、相手は最低でも十一階層……俺の見立てだと、十八階層は手堅いと思う。ふつうじゃない相手だ、剣で切っても死ぬかどうかはわからない」

「じゅっ!? じゅ、じゅうはち?!」

 そう。見たところ、粘液に覆われた皮膚は高い防刃性をもっているだろうし、だぶついた皮の厚みは高い衝撃吸収力を物語っている。物理攻撃で、あの魔物を撃退するのはほぼ不可能だろう。

 だからこそ。

「だから、君の出番だ」

「…………え?」

「奴を倒すには、特殊攻撃しかない。そして、君は。間違いなく、特殊攻撃のエキスパートだ。そうだろう?」

「……ええ。ええ。シルル・クルルは、その為に存在する」

「なら、よし。……逆に考えろよ。シルルのいってた、”何をしてもいい相手”だぜ、こいつは」

 そう。こんだけ強大な相手だ。

 毒にしても、麻痺にしても、睡眠にしても、まだまだまだまだ到底足りない。何してもいい。何したって、まだ足りない。

 シルル・クルルというサディストにとって、目の前の敵は、敵ではない。只の頑丈な、木偶人形だ。

 白い獣人が、ぷくりと喉を膨らませる。明らかな攻撃の予兆に、ヴァルは最後の指示を叫んだ。

「いいか、前衛で俺が壁になる! レベル差があるってもんじゃない、間違ってもふれるなよ! 微塵にされる!」

「了解!」

 叫んで直後、左右に散会。迸る水流攻撃をかいくぐって、ヴァルは突進し、シルルが周囲の木々の陰に斥候技能で紛れ込んだ。

「うぉああああ!!」

 気合い一閃。

 ヴァルの放った袈裟切りが、白い獣人の肩をとらえる。だが、やはり想定通り、ぬるぬるねばねばの粘液に阻まれて刃が肉に噛み合わない。

 明後日に放っていた水流を止めた獣人が、にたりとヴァルの方を向いてあざ笑う。鼻も目も眉もないくせに、やたらと人間くさい悪意に満ちた嘲笑だった。

 それに、ヴァルも牙を向いて獣のように嗤い返す。

「バースト」

 ちか、と剣が火花を纏う。一瞬おいて、剣と魔物の接触点で目も眩むような閃光が弾けた。

 衝撃波が迸り、魔物の皮膚を覆う粘液が放射状に引き波がされていく。だぶついた皮膚がびりびりと震えて押しやられていくのも見て取れる。だが、そのすべては皮膚を抜いてダメージを与えるにはほど遠い。

 さらに、反動に耐えかねて剣がついに砕けた。腐食していたのもあっただろうが、それ以上に頑強な皮膚にバーストの衝撃をほとんど跳ね返されたからだった。反動で、利き手がしびれて動かない。

 それだけの代価に、得たのは皮膚の粘膜を引きはがしただけ。

 でも、それで”彼女”には十分。

 風を切る複数の音。露わになった白い皮膚に、数本の毒針が突きたった。

 そこをシルルは見逃さない、とヴァルは信じていた。だから、ダメージを与えられないのを承知で、消耗覚悟で技を打ち込んだのだ。

 とはいえ、それで終わりだとはもちろん思っていない。残心を残し、反撃とばかりにふるわれる魔物の右腕をかがんで回避して、彼は一度距離をとった。

「シルル!」

「現在、魔物の耐毒性調査中。対抗手段検索中。待って」

「おし来た!」

 相棒の返事に、快哉を上げて延びてきた首の噛みつきを折れた剣で受ける。

 そう、相棒だ。この場において、シルルを信じなければ生き延びられないなら、それに全身全霊で信頼を注ぐのがヴァルという男の生き方だ。そこに、一切の疑念は存在しない。

 その相棒が、待てといえば、どこまでも待つ。例え遙かに格上の魔物の攻撃にさらされようとだ。

 バキバキと、飴のように剣が白い魔物の牙にかみ砕かれていく。十階層で採掘したレアメタルで構築したはずの剣が、おやつ同然だ。

 根本的な持ちうる資質があまりにもけた違い。

 それでもヴァルが死んでないのは、相手がこちらを侮り、あざ笑い、遊んでいるからにほかならない。邪悪な知性に満ちた圧倒的な驚異……だが、その知性が今はヴァルに利をもたらしている。

「ブレイクッ!」

 食いついてきた牙が一端離れ、溜めをつけて再び食らいつく……その一瞬を計って、顎下に突き上げるような掌打をたたき込む。粘土を詰め込んだ皮袋を殴ったような手応えに、骨が軋む。

 それでもダメージは通らないだろうが、思わぬ衝撃に牙を強制的に噛み合わされた魔物がその場でたじろぐ。その唇に、逃さず数本の毒針がつきたった。

 それでも、魔物の様子に変化はない。

 再び距離をとって様子見に入るヴァルの背後に、まるで陰から浮かび上がるようにしてシルルが並び立った。

「シルル」

「精査完了。ここからは、私の時間」

「え、ちょ?」

 ヴァルの警告を忘れた訳ではないだろうに、シルルは彼の前へと歩みでた。いくら技能に優れていても、一階層すら突破していないシルルの肉体は強化されてないに等しい。本来そんな状態で、強大な魔物の前にでるのは自殺行為である。

 そんな彼女を、白い魔物があざ笑う。見せつけるように毒針を体から引き抜いて、余裕綽々に牙をむいて笑う。

 その嘲笑を前に、シルルは眠たそうな目を揺るがせず、淡々と告げた。

「確かに、貴方にふつうの毒は効かないみたいね。言葉が通じれば、そういいたいのでしょう?」

 言葉とは裏腹に、シルルは腰から数本の毒針を抜き放ち、風を切って投擲した。防御する様子も回避する様子もなく、魔物はそれを正面から受けて、にたにたと笑った。


「でも残念。体に有害かどうかに、毒かどうかは関係ないのよ」


 魔物が、苦痛の声を上げた。

 かき抱くように胸を両手で押さえ、呻きをあげて膝をつく。

 押さえられた腕の下。人間を簡単に引き裂くであろう爪の下で、真っ白い皮膚が紫色に変色していた。それは見る間に膨張し、晴れ上がっていく。

 明らかな化膿症状だ。

「毒が効かない? なら効くようにすればいいだけよ。貴方に投与した二回目の針は、毒じゃない。薬よ。当然、それそのものは人体に有益で、単体なら害をもたらさないけど、体質によっては劇的なアレルギー反応を起こすのよ」

 所謂、薬物アレルギーという奴である。薬物の副作用ともいう。

 投与した薬物が体内の免疫反応と結びつき、抗原となる。そして、そんなものに魔物が耐性をもっているはずがないのだ。

 なにせ、毒じゃない上に自然界には存在しない。

「そしてほかにもいくつか」

 懐から、別の毒針を取り出す。

 それに対して、初めて命の危険を感じ取ったのだろう。白い魔物が、いままで使わなかった尾を振りかざして周辺を薙ぎ払った。だが、激痛にさいなまれている状況でその動きは精彩を欠いており、悠々とシルルはそれを回避して次の毒針を突き刺した。

 先ほどのように、劇的な変化は起きなかった。

 だが、己の体に何か尋常ではない変化が起きているのを感じ取ったのだろう。白い魔物は、体内の何かをえぐり出そうとするかのように体をかきむしり始めた。

 その凄惨な様子にうげぇとヴァルがどん引きし、対してシルルはこれまでヴァルが見たことがないほど生き生きした表情でくすりと笑う。

「貴方、再生能力も高いみたいね? さっきのアレルギー反応も劇的だったしね。普通にダメージをあたえても、瞬く間に再生しちゃうんでしょう? すごいわね。尋常じゃない新陳代謝……だから、それを利用させてもらったわ」

 説明しながら取り出すのは、さきほどの毒針。それは今まで使っていた針とは、金属の輝きが違っているようにヴァルには見えた。

「これね。針自体が有害な重金属でできてるの。生物に分解できず、生物にとって必要な反応の一部とすり替わる類の。本来行われるはずの反応が、重金属にすり替わってしまう事でバグって進まなくなる。そして金属は分解できないから、排出できない限りそのループから抜け出せない。だからどれだけ肉体を修復しようと新陳代謝を加速したところで……ほら、そろそろ体の構造に異常がでてきた頃じゃない? 人間ならそれなりの時間が必要だけど、貴方の場合、数十年分の代謝を数秒で行えるでしょ?」

 シルルのいうとおり、目に見える変化が魔物の体におきていた。

 大量の粘液に覆われていたはずの体が乾きはじめ、真っ白だった皮膚はくすみ、爪や歯が脱落を始める。生きたまま腐っていくかのようなおぞましい有り様は、むしろ見るものの同情を招くだろう。

 かすれた声で唸りながら、魔物が膝を起こそうとする。せめて一死報いようという決死の覚悟がそこからは見て取れた。

 だが。

 猛毒の女帝は、それを許さない。

「そして。それだけぼろぼろになったなら、普通の免疫系はもう働かない」

 指の合間に挟む、毒針、毒針、毒針。

 総勢八種類の異なる猛毒を滴らせて、シルルが鮮やかに笑う。

「ストックは、まだまだまだたーくさん、ある」

 間違いなく。

 その笑顔は慈悲の類ではなかった。


 その後、まともに動くことすらできなくなった魔物は、シルルのもつあらゆる毒の実験台となった。

 魔物にとって、そしてそれにつきあうヴァルにとっても悪夢のような時間が続く。

 魔物が絶命するまで、迷宮内でおよそ数時間の時間が必要だった。




 それから、シルルの周囲は劇的に変化した。

 二十階層からスタンピードしてきた強大な魔物。フロントランナーさえも蹴散らされたその魔物を撃退した落ち零れの斥候科の少女の噂は、爆発的に広がった。

 毒を卑怯、古くさいと馬鹿にできたのも、それが実績を持たないから。実績を出した異端の技術の担い手を馬鹿にするなら、それはそれ以上の自負があるか底抜けの馬鹿である。そして、学園に底抜けの馬鹿はほとんどいなかった。

 シルルの周囲には人が集まるようになり……しかし。彼女は当初の予定通り、ヴァルとの冒険を望んだ。

 そしてシクルド教諭も前言を撤回しなかった為にヴァルもPTを解散せず……二人は今日も一緒に迷宮に挑むのだった。


「やっと二階層に到達かー」

「……うん」

 眼前に広がる、朝靄に包まれた街道といった風情の二階層の光景。それを階段……正しくは次元連結回廊と呼ばれるゲートの出口から見渡しながら、ヴァルは感慨深くつぶやいた。その隣で、シルルも進歩をかみしめるように頷く。

 白い魔物との遭遇から、撃退。その後の後始末や質問責め、何故か書かされた始末書等々の決済に、およそ数日がかかった。

 とんだ横道である。これでヴァルの前線復帰はさらに数日遅れた。一方、最前線のほうは白い魔物で一時混乱したらしいがすでに元に戻っているとの事。差は開く一方である。

「まあ、いいか。とにかく急いで突破するぞ。一階層のスライムみたいなもんはここにはいないし」

「そうなの?」

「ああ。ちょっと刺されると腫れる小さな虫みたいなのが密集してるポイントがところどころにあるが、毒なんてもんじゃなくてかゆいだけだからな。魔物とよぶのもおこがましいレベルの奴」

「ふーん……」

「さ、いこうぜ。ちょっと痒い思いをするけど、最短ルートがあるんだ」

 にこやかに笑いながら、ヴァルは早足で迷宮に踏み込む。彼の頭の中では、すでに二階層は突破したも同然だった。

 シルルを招いて、横道に入る。藪を新調した剣で切り払いながら進めば、たちまち話にあげていた極小魔物が群がってくる。

 剣をふって追い払い、手をふって追い払い。それでも、とりついてきたそれらが皮膚のとりついて、痒みを引き起こしてくる。首筋とか袖とか、露出している部分が痒くてたまらない。

 必要経費だとわかっていても、不快な物は不快である。後ろを歩くシルルも、さぞ不愉快な思いをしているだろう。

 そこで、ふとある思いつきがヴァルの頭をかすめた。

 シルルは、状態異常のエキスパートだ。そしてあの白い魔物との戦いで見せたように、毒しかもっていない訳ではない。むしろ、万が一に備えての薬だってちゃんと常備しているはずだ。痒みどめぐらいはあるのではないか。

「なあ、シルル。ちょっとこういうのに効きそうな薬、もってな……」

 袖をぽりぽりかきながら振り返ったヴァルは、しかしそこで見てしまった。

 そう。

 地面にうつ伏せに倒れ込み、無数の魔物にいいようにチクチクされながらびっくんびっくんヤバげに痙攣しているシルルの姿を。

 ヴァルにはわかる。フロントランナーである彼は、幾度として目にした。

 あれは、死にかけてる人間の反応だ。

「し、シルルーー!?」


 数分後。彼は昏倒したシルルを抱えて迷宮を脱出する事になる。

 学園史上初、正真正銘最弱の魔物に撃退された冒険者のでた瞬間であった。

 原因はアナフィラキシーショック。

 過去に受けた毒に、免疫系が過剰反応を示しそれそのものが肉体を破壊してしまう現象。

 それが、虫にさされたシルルにおきた現象だった。いくら毒の扱いにたけていても、だからこそ起きた悲劇だった。

 そして、虫の群をさけて進むルートだと数日は軽くかかるという事実に彼が気がつきうなだれるまで、さらにあと数時間。


 彼らの目的である五階層までの道のりは、遠く険しい。


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