〈8〉
ぴちゃ。ぐちゃ。ぬちゃっ。
血の垂れる音。内臓が踏まれる音と。
鼻を焦がすような硝煙の臭い、血の臭い、たった数分前まで人間だった汚物の臭い。
臭い。臭い。臭い。臭い臭い臭い臭い臭い。
「う、ううぅぅぅぅ……!!」
口を抑え、胃から中身が逆流するのを泣いて堪えながら。
それでもセーラは立ち上がった。
「なぜ、なぜこんな殺戮をッ!?」
怖い。本当は今すぐ、命乞いしたい。泣いて跪いて許しを乞いたい。靴を舐めたっていい。
目の前の黒ドレスの少女。子供が虫にそうするように、愉しそうに人を殺す殺人者。
廃工場を血の海に変えた悪魔を前にして。
膝がみっともなく震える。スカートの下、腿を失禁した尿が流れる。
それでも、怒れ。怒りだけが、今にも粉々に砕けそうな理性を、ぎりぎりの一線で支える拠り所。
「別にーぃ? た・だ・の・暇つぶしよ♪」
けたけたと嘲笑いながら、黒ドレスは掌の中、拳銃をくるくると回して弄ぶ。
「それにぃ、私さぁ。男って嫌いなのよねー。と・く・に・こいつらみたいなケダモノは♪ 強姦魔っての? レイプ犯っての? 女を性処理の道具としか見てない奴ら! ホント、ただの害虫だと思わない?」
マシンガンで下半身を粉々にされた男の死体を、爪先でつんつんと突きながら。
汚らわしいモノを見る目で言う。
「だいたいさぁ。貴女だって、こいつらにレイプされちゃうところだったんじゃない? 私に、感謝してもいいくらいじゃないのぉ?」
「それは、わかってるけどッ……!!」
この男たちに、同情する理由などないけど。この黒ドレスが現れなければ、今頃自分は慰み者にされていたかもしれないけど。
「納得、できないッ! ここまでする必要なんて……!!」
こんなにも一方的に、圧倒的に。ろくに抵抗の術も無い者を、遊びのように殺す。
……これは、悪だ。ああ、理不尽だ。理不尽、理不尽、理不尽ッ!!
「やだ、怖ぁーい♪ そんな目で睨まないでよ♪」
セーラの怒りの眼光を、軽く受け流しながら。
「あはは♪ 目付き悪いわねぇ貴女。1年4組の緋川セーラ、だっけ」
セーラの名を、知っている?
この黒ドレスが、自分と同じ美崎台高校の生徒である可能性が、セーラの脳裏を掠めるが。
少女の邪悪な笑いに、思考は中断された。
「あははははっははははぁ♪ 教えて・あ・げ・る♪ 聞いたコトあるでしょ、弱肉強食ってやつ♪ 私はさ、特別なチカラを手に入れたの! 選ばれたのよ♪」
両手を広げ、狂った瞳で。
「このチカラがあれば! 復讐できるッ!! 私を玩具にした奴らも! 私の痛みも知らずにぬくぬくと生きてる奴らも! 皆殺しにできるッ! そうよ、私の願いは! 『みんな、みぃんな、殺すコト』!! どいつもこいつも、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺し尽すコトよぉッ!!」
笑いすぎて、涙さえ流しながら、壊れた表情で少女は宣言する。
「そうよ、それの何が悪いの!? 人間はさ、ずっとそうして来たんでしょう!? 弱いヒトを踏みにじって! 何もかも奪って! それを理不尽と言うの? 貴女だって知らないだけで、そんな犠牲の上で生きてるくせに!!」
セーラは見た。黒ドレスの少女の、壊れた涙の向こうに、踏み躙られた者の怨念を。
「あはっ♪ あははははははははーあっはははっははっははははは♪ だ・か・らぁ! 私も同じコトをするの♪ されたコトを、やり返すの♪ 何も、悪いコトなんてないわ♪」
そして、彼女は名乗った。
「私は、黒崎那由他。弱きモノ達の怒りから産まれ、世界を憎悪で蹂躙する……『蹂躙の魔法少女』よ」
「魔法少女、だと……?」
魔法少女。その言葉に、セーラの記憶が反応する。
父がそうだったように、見返りも求めず、傷つきながら。
それでも正義を、明日を信じて笑顔で、胸を張って、戦い続ける憧れのヒロイン。
だが、この女は。
「わかったぁ? つ・ま・り・私ってば正義の味方なの♪ 腐った世界を叩き壊してぇ? この世を浄化するっていうの? そんな、『正義のヒロイン』なのよ♪」
「……認めねぇ」
「あ? 何ですって?」
剣呑に瞳を光らせる『蹂躙の魔法少女』黒崎那由他へ。セーラは怒りも露わに。
「認めねぇ。お前が魔法少女なんて。正義の味方だなんて」
正義のヒロインは。セーラの知る魔法少女は。こんな風に弱者を踏み躙って、残酷に嗤ったりしない。
軽々しく、人の命を奪ったりしない。
「ムカつくわね、貴女」
ごりっと。セーラの額に、銃口が押し付けられる。
黒ドレスの魔法少女、那由他。その目に浮かぶ色は狂気の愉悦から、冷たい殺意へ。
「貴女ってさ、髪は脱色してるし。制服はおへそ見えてるし。遊んでそうな格好よね? もしかして、そこで転がってる豚どものお仲間だったかしら? お楽しみのご予定だったかしら、ビッチさん?」
顔を近づけて、囁く。
「やっぱりさぁ、殺しちゃおっかな♪ 女の子って、あ・ん・ま・り・殺したコトないけどぉ。どんな声で泣くのか、ゾクゾクするわぁ♪」
蕩けた瞳で、セーラの涙に濡れた頬へ舌を這わす。
ふっと、吐息を吹きかけて。
「で・も。貴女きれいな顔だし? 許してあげないこともないわよ♪ そうねぇ、一枚一枚、服を脱ぎなさい。そして私の前で、自慰でもしてみせなさいな♪ 魅惑のストリップショー、ぱちぱちぱちーぃ♪ 私を愉しませたらぁ、気が変わるかもよ♪」
「ふざ、けるなぁッ!!」
感情が。爆発した。
「おらぁぁぁぁーッ!!」
不用意に顔を近付けていた殺人者へ、那由他へ。頭突きをお見舞いしてやる。
ガゴッ、と重い音。頭蓋骨が潰れたかと思うほど、重くて激しい音。
廃工場中の空気をビリビリと振動させて、セーラの怒りが響く!!
「あ、あぁぁぁぁぁぁッ!?」
まったくの予想外だったのだろう。白目を剥いて、頭を抑えて、那由他は絶叫する。
数々の不良を沈めてきたセーラの石頭。重火器で武装した殺戮者ですら、まともに喰らって無事ではいられない。
声にならない悲鳴を上げて泣き叫ぶ那由他へ。
セーラは片腕で一息に涙を拭いながら。
叫ぶ。吐き出す。想いを、胸を焦がす正義の炎を。
「何にすねてんだか知らねーが。てめぇは、ただの人殺しだッ!!」
「な、何ですって……!」
ぎり、と歯軋りする那由他を睨む。
「アタシは、アタシは! 死にたくなんてない。でもッ!!」
そうだ、死にたくなんてない。
父が帰って来なかったあの日のような。あんな悲しみを、母にも、友達にも。もう誰にも味わってほしくない。
それでも。ああ、それでも。
「てめぇみたいな奴を! こんな理不尽をアタシは許さない! ぶっ飛ばしてやる!!」
たとえ死んでも、それは曲げられない。悪に屈したら、胸の中の父が、笑わなくなってしまうから。
大好きだった父に、誇りに思ってもらえるアタシである為に。
挑め、最期まで。あの日に砕けた夢を、もう一度。この身尽きるまで胸に抱いて。
「こ、このおッ!? 貴女、正義のヒロインでも気取るわけ!? そんなの冗談だけにしなさいよッ!!」
引き金に、指が掛かる。
「いないのよッ! 『正義の味方』なんて!! 私の時には、来なかったッ!!」
死の瞬間。でも、瞼は閉じずに。
「それでもアタシは……『正義の味方になる』ッ!!」
その時だった。
「いいだろう、その願い……『奇跡』をもって叶えるに相応しい」
・ ・ ・
「貴方は……『メッセンジャー』!!」
廃工場に響いた声、若い少年のようでも少女のようでもある中性的な……それでいて荘厳な声に。
『蹂躙の魔法少女』那由他が動きを止め、月の光差し込む窓を見上げる。
そこにいたのは。硝子も全て欠け落ちた窓辺で、満月を背にしていたモノは。
子犬か、リスか。純白の毛並みを持つ小動物。瞳に深い知性を湛えた、常識の埒外に住む存在だった。
彼は……ああ、知性持つこの存在は、人間と同じように彼、と呼ぶべきだろう……は。
緋川セーラに告げる。
戦いの運命の始まりを。
「叶わない願い、ありえない願いを抱くこと。それこそが資格。ただ一つの『奇跡』を求め戦い、争い合う『魔法少女』の資格さ」
「まさか、こいつがッ!?」
驚愕の叫びを上げる那由他に、白い獣『メッセンジャー』は頷く。
「そうさ、彼女……緋川セーラが最後の適格者。100人目の魔法少女だ」
その宣告を聞いた瞬間。セーラの胸の奥、心臓のもっと奥。
魂が、燃えた。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ!?」
熱い、全身が、緋川セーラを構成する全てが、熱い。
なんだ、これは。セーラは自らに問いかけるが、答えは。
知っている。
(ああ、そうだ。これはアタシの熱さだ。この胸の炎だ)
何が起きたか、無論理解は出来ていない。
男たちに廃工場へ連れ込まれ、乱闘して。魔法少女を名乗る殺戮者が現れて。殺されかけて。
でも、これだけはわかる。アタシは今、チカラを手に入れようとしている。
炎になろうとしている。
夜の廃工場から溢れる光! 紅蓮の熱き光!!
運命を背負いし100人の少女へ、血闘儀式の開始を高らかに告げるその光!!
その夜、その瞬間。それぞれの場所で『魔法少女』達は、聖戦の始まりを感知し、星を見上げた。
「さあ、緋川セーラ! 叫べ、魂の言葉を! 血を流し、それでも奇跡を望む、戦士の誓いを!!」
白い獣の言葉に。
今や全身に駆け巡り、外へと溢れ出す魂の炎、その熱を抱きながら。
セーラは。
「……デュエル」
怒れ。怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ、怒れ!
理不尽な暴力、無意味に奪われる命、そんなのは認めない。
私は、正義の味方にはなれない。そんな諦めも焼き尽くせ。
だって、悲しいじゃないか。熱さを忘れ、灰になった心のまま生きていくなんて。
世界が冷えていくのを、眺め続けるなんて。
「ブラッド……」
胸に炎を。世界に熱を。
傍観者を気取って、冷めた顔なんてアタシは出来ない。
綺麗事も、胸の痛みも、一切合財呑み込んで生きろ。炎に変えろ。
この残酷な世界に、自らの運命に納得できないなら。
世界を、焼き尽くせ。
……ああ、だから誓いの言葉は。
「-Duel」
運命に、決闘《Duel》を挑め。
「Blood-!」
熱き血潮《Blood》の導くままに。
悲しみの涙も、理不尽な現実も、必死の生を嘲笑う者達も。この胸の炎で全て焼き尽くす。
紅蓮を身に纏う、炎の魔法少女。その変身の言葉。
紅い血の涙と共に。今、叫ぶ。
「-Duel blood wake-up-《デュエルブラッド・ウェイクアップ》!!!」
第2話「炎翼の魔法少女」へ続く。
魔法少女ファイル♯1 緋川聖良
年齢・16歳
魔法少女名・「炎翼の魔法少女」
願い事・正義の味方になること
固有魔法・不滅の炎
自らの精神を炎に変え、操る能力。物理的な現実の炎と異なり、熱量の上限を持たない。
専用デバイス(武器)・プロミネンスセイバー
灼熱に輝く刃を持った、巨大な斧槍。総重量150kg超と、三国志で名高い関羽の青竜偃月刀の3倍の重量を持つ殺戮兵装。無論本来は物理的に、持ち上げることも適わないが、セーラは魔力によるサポートもあり、この異常な武器を棒切れのように振り回すことが可能である。
特記事項・脱色した長い髪に鋭い目つき、改造制服。その不良じみた外見からは想像しにくいが実は魔法少女アニメ好き。お気に入りは「魔法少女ま〇か☆マギカ」。プリキ〇アもこっそり見ている。