〈5〉
セーラの部屋は4畳半、大規模なマンションの7階にある。
元々高台に建ったマンションでもあり、窓からは美咲台の夜景が一望できた。
その窓から入ってきたのは、白い獣。あの魔法少女……黒崎那由他に「メッセンジャー」と呼ばれていた、白い獣だ。
一見子犬のような外見、純白のふわふわした毛並みを持ち、尻尾は長く丸まっていてリスのよう。
ぬいぐるみが動いているような愛らしさだが、その赤い瞳には、獣にはあり得ない高い知性の輝きが宿っていた。
「……君は、あまり驚かないんだね。初めて僕が喋るのを見ると、たいていの女の子は驚くんだが」
「最初に見た時は、黒崎に襲われてる最中だったからな」
濡れた髪をタオルでわしゃわしゃと拭きながら、セーラは答えた。
正直、驚いている暇さえなかったのだ。少女の殺人鬼に襲われ、魔法少女に変身して応戦する。
そんな非現実的な体験に、いきなり放り込まれたのだ。
小動物が喋るくらいで、いちいち驚いていられない。
……それに。
メッセンジャーは、セーラの部屋を見回して得心する。
「なるほど。君は、魔法少女が好きなようだね」
かぁっ、と、セーラの端正な顔が赤く染まった。
シンプルで物の少ないセーラの自室だが、壁に貼られているのは、人気の魔法少女アニメのカレンダー。本棚には、少ない小遣いを貯めて買った、中古のブルーレイソフト。
「うっせー! わ、悪いか!?」
脱色済みの長い髪に、鋭い目つき。おへその見える改造制服と、男子達からは女番長と恐れられる緋川セーラ。
しかし、魔法少女は。正義のヒロインは、子供の頃からの彼女の憧れだ。
そして、魔法少女ものに人語を話すマスコットキャラは、不可欠なのだ。
「まあ、僕としては話が早くて助かるよ。なかなかこの現実を受け入れてくれない子もいるからね」
尻尾を振りながら、彼は部屋の中に降り立つ。
「さて、色々説明しなくちゃね。君は魔法少女になるのも急だったし、これからの『儀式』について教えておかないと。今夜は、その為に来たんだ」
「……あのサイト」
セーラはベッドに腰掛け、脚を組む。
「魔法少女を募集するってやつ。あれは、あんたの仕業だな?」
魔法少女になって、願い事を叶えないかと誘うサイト。
名前と、願い事を入力するサイト。親友の結子達一般人には占いサイトとして使われていたが、あれは。
「そう、魔法少女の資格……『奇跡によってしか叶わない願い』を持つ人間を、探し出すためさ。別に、あのサイトだけで探してたわけじゃないけどね」
こくんと頷き、話を進める。
「そして魔法少女に選ばれたのは、全部で100人。これから君たちには、最後の一人になるまで戦ってもらうよ」
「何のために?」
「勝ち残った一人には、『奇跡』が与えられる。宇宙の法則も、運命の因果も全てを覆し、あらゆる願いを実現する力さ。緋川セーラ、君はこの血闘儀式の参加者として資格を得たのさ」
そう話しながらも、愛くるしいポーズで、脚で背中を掻くメッセンジャーへ。
セーラは息を飲み、詰め寄る。
「……で、何が目的だ、黒幕?」
「君はアニメの見過ぎだね……」
呆れるメッセンジャーだが、もちろんセーラは真顔だ。
「冷静なマスコットほど怪しいもんはねーからな。特に白い奴は、信用しねえコトにしている」
「言っておくけど、僕は地球外生命体とかではないよ?」
まだ疑った眼のセーラへ、彼はふぅ、とため息をつく。
「それに、気付かないかい? 僕の名前『伝令役』。ただの使い魔に過ぎないんだよ。主催者は別にいる。彼女の思惑は、僕の与り知るところではないよ」
セーラは、彼の瞳を真っ直ぐに見据える。白い獣の、赤い瞳を。
人間相手ではないので、嘘を言ってるかは判別できそうもない。
「……今は、信じるしかねーか」
再びぽふん、とベッドに腰掛け、セーラは天井を見上げた。
魔法少女同士の決闘に、どんな意味があるのか。考えたところで、今は有益な答えにたどり着けそうもない。今はまだ、始まったばかりなのだから。あの黒崎那由他以外に、どんな少女たちが参加しているのかさえ分からない。
「で、アタシは何をすればいい?」
いきなり戦えと言われても、街の喧嘩とは違うだろう。戦う相手がどこにいるのかも、よく分からない。
「魔法少女たちには、この街に集まるよう告げてあるよ。ここは地脈の影響で霊的な加護を受けた土地のようだから、魔力の運用もしやすいし。一か所に集まってくれた方が、僕らの目も行き届くからね。だから君は、挑戦してくる相手を倒していけばいいんじゃないかな」
初めのうちはね、と付け足しながら、メッセンジャーは続ける。
「でも、そうだね……。まずは、黒崎那由他を追ってはどうだい?」
『蹂躙の魔法少女』を名乗った、黒ドレスの殺人鬼。可憐な少女の姿をした悪鬼。
「審判の身で、僕が直接手を下すわけにはいかないんだけど。彼女は一般人を巻き込み過ぎてるからね。那由他を止めることは、君の願い事にも通じるだろう?」
「アタシの、願い事……」
『正義の味方になりたい』。刑事の父が殉職した2年前から、止まったままだった胸の中の時間。
そうだ、チカラを得た今なら、歩み出せるかもしれない。
砕けた夢を拾い集めて、もう一度。父に誇ってもらえる自分であるよう、背筋を伸ばして。
「黒崎那由他……。この街で最近起きてる銃殺事件、犯人はやっぱりあいつなんだな?」
「それ自体が、彼女の願い事だからね」
セーラは天井を見上げる姿勢のまま、しばし考える。
彼女、那由他は、セーラの名前を知っていた。つまり、セーラと同じ美咲台高校の生徒である可能性が高い。自分なら、彼女の足取りを追えるかもしれない。凶行を止められるかもしれない。
「そうだな、やってみっか」
パン、と拳を打ち鳴らし、セーラは勢いよくベッドから立ち上がった。
どうせ、うだうだ考え込むのは性に合わない。
黒崎那由他を見つけて、ぶちのめす。分かりやすいじゃないか。
後のことは後のことだ。
「方針は決まったかな。じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
窓辺にぴょん、と飛び乗り、白い獣は振り返る。
「審判として、君にばかり肩入れするつもりはないけど。必要になったら、来るように念じておくれよ。君は新人だから、もう少しはフォローするつもりだ」
那由他に負けて、初戦敗退にならなければ、だけど。そうも付け加えて、眼下の夜景に去ろうとする彼を。
セーラは呼び止める。
「待った。最後に一つだけ」
「何だい?」
「あんたの名前。『メッセンジャー』っての、呼びにくいし。他にねえのか?」
おかしな質問だね、と首を傾げる彼。
「言ったろう、僕はただの使い魔だって。名称になんて、さほど意味は無いんだよ。好きなように呼べばいいさ」
「じゃあ……」
セーラは考える。インキュベーターでキュゥ〇えみたいな、気の利いた名前を、何か。
「メッセンジャーだから……めそ蔵? めそ吉?」
「……君には、ネーミングセンスというものが欠けているようだね」
はっきり言われて、ショックを受けるセーラに。
「……シロ」
「えっ?」
ゆっくりと告げる。
「シロ。僕の主は、そう呼ぶよ。何か固有の名称で呼びたいなら、それにしてほしいな。僕にとっては、特別な名前だ」
(白いから、シロ。そのまんまじゃねーか)
セーラはそう思ったが、口には出さなかった。「シロ」と名乗った時の彼の眼には、一瞬、名付け主への愛情のような、暖かい感情が流れたのが見えたからだ。
彼は、シロは感情の無い、冷徹な存在ではない。それを伺い知れただけでも、今夜の収穫としては充分だ。
闇に去る彼を見送り、セーラは。
「色々わかんねーコトだらけだが、とりあえず、やってみっか!」
闘いの誓いを、新たにするのだった。




