もうすぐ着くと言う友達の状況は分からん件(読み切り)
待ち合わせの時間より、十五分早く着いた。
別に、早く来たかったわけではない。
ただ、家を出る時間を少し間違えただけだった。
駅前の広場には、休日らしい人の流れがあった。
買い物袋を提げた人。
スマートフォンを見ながら歩く人。
誰かを待っているのか、柱のそばに立っている人。
僕も、その中の一人になった。
約束した時間まで、あと十五分。
僕はベンチに座り、スマートフォンを取り出した。
友達からの連絡はない。
まあ、いつものことだ。
あいつは時間に関して、少しだけ適当なところがある。
五分くらい遅れることは珍しくない。
だから、そのときは何も気にしていなかった。
やがて、約束の時間になった。
僕は顔を上げた。
人の流れを眺める。
見覚えのある顔はいない。
もう一度スマートフォンを見る。
連絡はない。
五分。
さらに五分。
僕は立ち上がった。
駅の入口を見た。
もしかしたら、今ちょうど出てくるところかもしれない。
そう思って待った。
けれど、出てくる人の中にあいつはいなかった。
さらに三分待ったところで、電話をかけた。
呼び出し音が鳴る。
一回。
二回。
三回。
出ない。
切ろうとしたところで、突然つながった。
「もしもし?」
「おい。今どこ?」
「ああ、今?」
少しだけ間があった。
「もうすぐ着く」
「もうすぐ?」
「うん。もうすぐ」
その声は、妙に普通だった。
焦っているようにも聞こえない。
僕は駅の向こう側を見た。
「どの辺?」
「えっと……もう結構近い」
「近いってどの辺だよ」
「だから、もうすぐ」
「それ、さっきも言っただろ」
「あはは。まあ、あとちょっとだから」
電話が切れた。
僕はスマートフォンを下ろした。
そして、駅前を見渡した。
もうすぐ。
普通に考えれば、あと数分という意味だ。
でも、あいつの場合は違う。
あいつの「もうすぐ」は、信用できない。
僕はベンチに座り直した。
五分経った。
来ない。
さらに五分。
来ない。
僕は時計を見る。
約束の時間から、もう二十分以上過ぎている。
少しだけ嫌な予感がした。
寝坊したのか?
いや。
さっき電話には出た。
ということは、起きてはいる。
家を出るのが遅れた?
それなら「もうすぐ」と言うのはおかしい。
電車に乗っている?
いや、もし電車なら、駅までの距離くらい言えるはずだ。
僕は立ち上がった。
スマートフォンを握り直す。
もう一度、電話をかける。
「もしもし?」
「今度こそ、どこ?」
「今?」
「うん」
「……歩いてる」
「どこを?」
「道」
「いや、それは分かってる」
電話の向こうで、少し笑った。
「ほんとにもうすぐだから」
そこで、僕はあることに気づいた。
電話の向こうから、妙な音が聞こえていた。
風の音。
そして、何か機械のような音。
僕は耳を澄ました。
「……お前、外にいる?」
「え?」
「今、外だろ?」
「うん。まあ」
やっぱりそうだ。
少なくとも家ではない。
なら、本当に向かっているのかもしれない。
僕は少し安心した。
「じゃあ、あと何分?」
「十分くらい」
「十分?」
「うん」
「本当に?」
「本当、本当」
電話が切れた。
僕は時計を見た。
十分。
なら待てばいい。
そう思った。
けれど。
十分後。
来なかった。
僕は笑ってしまった。
「……やっぱり嘘じゃん」
怒っているというより、呆れていた。
また電話をかける。
今度はなかなか出ない。
五回目の呼び出し音で、ようやくつながった。
「……もしもし」
「今度は何?」
「いや、何って?」
「十分って言ったよな」
「言った」
「十分経った」
「……そうだね」
「どこにいる?」
「だから、もうすぐ」
「その『もうすぐ』は禁止」
「え?」
「もうすぐ禁止。具体的に言って」
沈黙。
僕は待った。
「……あと、十五分」
「増えてるじゃん」
「いや、これは……」
「お前、もしかしてまだ駅にも着いてない?」
「……」
「図星?」
「いや、違う」
「じゃあどこ?」
「……ちょっと説明しにくい場所」
「何それ」
僕は笑った。
でも、笑いながらも少し不安だった。
説明しにくい場所。
そんなところ、あるだろうか。
僕は駅前を見た。
さっきまで普通だった景色が、少しだけ違って見えた。
もし、本当に何かあったら?
事故に遭ったとか。
道で倒れたとか。
電話には出ている。
でも、それだけでは何も分からない。
「なあ」
「ん?」
「本当に大丈夫?」
電話の向こうが静かになった。
「……大丈夫」
その返事だけは、さっきより少し真面目だった。
「本当に?」
「本当に」
「ならいいけど」
「ごめん。もう行くから」
電話が切れた。
僕はスマートフォンをポケットに入れた。
そして、ふと思った。
あいつは嘘をつくとき、必ず「もうすぐ」と言う。
昔からそうだった。
宿題をやっていないときも。
集合時間に遅れたときも。
何かを忘れたときも。
「もうすぐ」という言葉で時間を買おうとする。
もしかして。
まだ家を出たばかりなんじゃないか。
僕はそう考えた。
でも、さっき外の音がした。
なら、家ではない。
じゃあ、どこにいる?
駅?
違う。
コンビニ?
いや。
もしかして、電車を降りたあと道に迷った?
それなら説明しにくい場所というのも分かる。
僕は地図アプリを開いた。
約束した場所までの道を見る。
駅からなら、普通に歩いて十分ほど。
途中に大きな交差点が一つ。
コンビニが二つ。
公園が一つ。
あいつが来るなら、どこかで見かけるはずだった。
そのときだった。
遠くから、こちらへ走ってくる人が見えた。
僕は立ち上がった。
黒い服。
少し猫背。
走り方が妙に変。
「……あいつ?」
目を細める。
違った。
知らない人だった。
僕はため息をついて座った。
そして、またスマートフォンを見た。
メッセージが一件届いていた。
『今、かなり近い』
僕は画面を見つめた。
かなり近い。
さっきまでの「もうすぐ」と違う。
もしかしたら、本当に近いのかもしれない。
僕は立ち上がった。
駅の出口を見る。
交差点を見る。
道路を見る。
人の顔を一人ずつ確認する。
そして。
遠くから、誰かがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
今度は、見間違えなかった。
あいつだった。
髪は乱れている。
息を切らしている。
片方の靴紐がほどけている。
そして、なぜか片手にコンビニ袋を持っている。
僕は呆れながら笑った。
「……何してたんだよ」
あいつは息を整えながら、僕の前で立ち止まった。
「ごめん」
「遅い」
「本当にごめん」
「もうすぐって何回言った?」
「……数えてない」
「こっちは途中から、お前がどこにいるのか推理ゲームみたいになってたぞ」
「ああ、それなんだけど」
あいつは少し困ったように笑った。
「実はさ」
そこで、物語は少し前へ戻る。
同じ日の朝。
僕が待ち合わせ場所へ向かっていた頃。
あいつは――。
眠っていた。
目覚まし時計は、ベッドの横で静かに鳴り終わっていた。
スマートフォンの画面には、何度も通知が表示されている。
それに気づいたのは、約束の時間を二十分過ぎた頃だった。
「……ん?」
目を開ける。
ぼんやりと天井を見る。
そして、スマートフォンを手に取る。
時刻を見る。
一瞬、意味が分からなかった。
「……え?」
もう一度見る。
「……ええ?」
飛び起きた。
「やばい!」
布団を蹴飛ばす。
服を探す。
髪を整える。
歯を磨きながらスマートフォンを見る。
着信がある。
友達からだった。
「終わった……」
急いで電話をかけ直す。
「もしもし!」
『おい、今どこ?』
「今?」
ここで正直に言えばよかった。
「今起きた」
そう言えばよかった。
でも、口から出た言葉は違った。
「もうすぐ着く」
言ってしまった。
『もうすぐ?』
「うん。もうすぐ」
『どの辺?』
「もう結構近い」
電話を切る。
そして、本人も気づいた。
「……まだ家じゃん」
急いで靴を履く。
玄関を飛び出す。
走る。
走りながら、また電話が鳴る。
「もしもし!」
『本当に近いの?』
「うん!」
『今どこ?』
「歩いてる!」
嘘だった。
歩いているどころか、全力で走っていた。
そして、最初のトラブルが起きた。
交差点に着いた瞬間、信号が赤になった。
「なんで今!」
立ち止まる。
赤信号を見つめる。
時間が過ぎる。
焦る。
青になった瞬間、走り出す。
その先で、今度は道を間違えた。
「あれ?」
気づいたときには、見覚えのない道だった。
スマートフォンを見る。
地図を見る。
「こっち……?」
逆だった。
「うそだろ……」
急いで戻る。
途中でコンビニの前を通った。
そのとき、朝から何も食べていないことに気づいた。
でも、そんなことを考えている場合ではない。
走る。
走る。
そして、ポケットを探る。
「……?」
財布がない。
立ち止まる。
「財布……」
さっき家を出るとき、机の上に置いたままだった。
戻る。
戻ったところで、玄関の鍵を閉めたか不安になる。
「……もういい!」
そのまま財布を取って再び走る。
そして、ようやく駅へ向かう道に戻った。
その途中で、友達から電話が来た。
『今度こそ、どこ?』
「今?」
一瞬、正直に答えようとした。
でも。
「……歩いてる」
また嘘をついた。
『どこを?』
「道」
『いや、それは分かってる』
電話の向こうで笑っている。
その笑い方が、少し怖かった。
「ほんとにもうすぐだから」
そう言って電話を切る。
走りながら、友達のことを考える。
きっと今頃、かなり怒っている。
でも、もう少しだ。
あと少し。
本当にあと少し。
そう思っていた。
ところが。
駅前の大きな交差点を渡ろうとしたところで、人の列ができていた。
工事の影響で歩道が一部通れなくなっていた。
「嘘だろ……」
遠回りするしかない。
そこで、また時間が過ぎた。
ようやく駅前が見えた。
スマートフォンを見る。
友達からメッセージが来ている。
『今、かなり近い?』
指が止まる。
正直に言えば、
「今、駅の手前」
だった。
でも、送ったのは、
『うん。かなり近い』
だった。
そして。
ようやく待ち合わせ場所が見えた。
そこには、ベンチに座った友達がいた。
立ち上がった。
こちらを見ている。
怒っている。
でも、少し笑っている。
僕は最後の力を振り絞って走った。
そして、ようやく到着した。
友達は僕を見るなり言った。
「で?」
「……うん」
「結局、何してたの?」
僕は答えようとした。
寝坊。
信号。
道間違い。
財布。
工事。
いろいろあった。
でも、全部説明するのは面倒だった。
だから。
「もうすぐ着くと思ってた」
そう言った。
友達はしばらく黙っていた。
そして、ため息をついた。
「お前の『もうすぐ』って、本当に信用できないな」
「ごめん」
「まあ、来たからいいけど」
「……ありがとう」
友達は歩き出した。
「じゃあ行こう」
「うん」
二人で歩き始める。
僕はその後ろを追いかけながら思った。
次からは、絶対に嘘をつかないようにしよう。
今度こそ。
本当に。
もうすぐ。
――そのとき、友達が振り返った。
「ちなみにさ」
「ん?」
「途中で『何かあったのか』って心配したんだからな」
「ああ……」
「事故とか、道に迷ったとか」
「……」
「本当に心配した」
僕は少し申し訳なくなった。
「ごめん」
「次はちゃんと時間通り来いよ」
「分かった」
「本当に?」
「本当」
「もうすぐ来るとか言うなよ」
「……分かった」
二人は笑った。
その日の待ち合わせは、予定よりずっと遅く始まった。
けれど後になって振り返れば、二人にとって一番長く記憶に残ったのは、遊んだ時間ではなかった。
「もうすぐ着く」
という、たった一言を信じながら待っていた時間だった。




