【創作論】自作の客観視について、あれこれ考えました
こんにちは。あるいは、はじめまして。
なろうの海底に棲息して10年目のこまのです。
海底にて、変わらずずっと、非テンプレのファンタジーシリーズを書き続けております。
こんな私ですが、最近ふと考えてみました。10年前といまを較べたとき、自分の中で一番変わったことはなんだろう。
すると考えるまでもなく、答えはすぐに出ました。「自作を客観視することに対する意識」が、一番変わったと。
登録して2年くらいは、「自分が読んで満足できる小説」をめざして書いていました。当時は無意識だったけど、いま考えればそうだったと思います。
でも、その後の作品群はちょっと違う。少しづつ姿勢が変わってきて、いまは「自分の見ている世界が、読者の目にも同じように見える小説」をめざして書いています。
もちろん、めざしているだけで実現できたわけじゃありません。これ、私にとってはすごく難しいことなので。
読者の目にどう見えるか、つまり客観的にどう見えるか。
めちゃくちゃ難題。自分以外の人の目線なんて、そうそうわかるわけがない。だって自分じゃないんだもの。
でも一応、あの手この手でいろいろ努力はしてきました。
以下、私がやっていることや過去にやってみたことを、順番に並べて説明しますね。
★1「登場人物の心情が伝わるように、読者の存在を意識して書く」
基本のき。でも、キャラの心理が複雑だったり一般的じゃなかったり、考え方が間違っていたりすると(そういうことも結構ある)、かなり難しい……。
基本的なことほど難しいってやつですね。
作者というのは小説世界の神なので、キャラの心情も事情も、過去も未来も変化の過程も、すべて知っています。
そのため脳内でそれが前提のようになってしまい、ついつい前提ありきの書き方をしてしまいがちに。
でも読者には何の前提もないので、それだと感情移入できません。
ですので私は、読者にも納得してもらえるように、経過を丁寧に描写したり、共感を得やすいエピソードを重ねたりして書きたいと思っています。(希望です)
★2「登場人物の動線がわかるように、読者の存在を意識して書く」
キャラの居場所や目的地は、作者の中では当然のようにありますが、読者にはやっぱり未知の世界です。
たとえ隣室に行くだけだとしても、未知は未知。コップを手に取るだけだとしても、未知は未知。
時間経過についても同じこと。
そこを忘れず、瞬間移動したりタイムワープしたり、動作省略で結果に行ったりせずに、説明を加えながら書きたいと思っています。(希望です)
★3「自分が書きたいものが読者にはどう見えているかを、考える」
たとえば、かわいい女の子が書きたいとします。そういうときは「かわいい女の子が書きたい!」と自分に言い聞かせたうえで、描写をチェック。
かわいく書けているか、読者にはその子がかわいく見えているか。作中人物だけがかわいいと思っていないか。それを考えます。
「かわいい」を描写するにも、いろいろありますよね。
外見、性格、仕草、台詞、声。妹みたいにかわいい、子猫みたいにかわいい、自分の子どもだからかわいい、などなど。
これらの要素を考えつつ、「人から見てもかわいいか」を考えてみるわけです。
ああ、なんだかえらそうです……。
そして自分にブーメランが! 自戒……!
でも、このまま続けていいですか? 続けさせてくださいね?
★4「読者がどう思いながら物語を読んできたかを、考える」
これは私の場合、話の流れが自分でもわからなくなったとき、大きなスパンでやってみた方法です。
大体15話分くらい(長編なので)について読者目線で考えて、簡単な言葉で書き並べました。
いま適当に考えた例をあげると「1話・どんな話になるんだろう。わくわく」「2話・ヒロイン悩んでるなあ。どうやって解決するのかな」「3話。ヒーロー出てきたけど引っ込んだ。早いっ。次はいつ出るんだろう」
こんな感じです。
これは希望込みというか、結構主観的な見方ではあるんですが、全体をつかむのには便利でした。
キャラの心情に入り込みながら書いていると、全体の流れがわからなくなるんですよ。
そういうときにこれをやってみたら、いままでの流れを踏まえて次を考えることができたため、構成するのに役立ちました。
★5「読者が先をどう予想しているか、登場人物にどんな期待をしているかを考える」
こちらにトライした理由は前項と同じ。
キャラの心情に入り込みながら書いていると、全体の流れがわからなくなる。これに尽きます。
先のストーリーが決まらなくて、自分でも迷走状態のときってありますよね。私なんか常に迷走なんですが、そういうときにこれを考えたら、我に返りました。
それであわてて、予定しかけていたエピソードをやめ、別のものに切り替えました。
これ、読者の期待に話を寄せたという意味ではないんです。
私の場合、話自体はラストまで出来上がっているので、それを読者向けに変えるという選択肢はありません。
でも、「こういう予想をしてるだろうけど、あえてそれをはずそう」とか「こういう期待をしてるだろうけど、そうじゃなくても面白いと思えるものにしよう」とか。
意識を読者に向けるだけで、表現が変わってきたりするんですよね。
★6「舞台を別の場所に置きかえたり、別の人物に置きかえたりしてみる」
これはちょっと特殊かも……。
とにかく世界観や設定、キャラの心情に浸りすぎて、全然冷静に考えられなくなったとき、苦し紛れにやってみた方法です。
自作の例でいうと、とあるギルドが活動している状況を、西洋中世ではなく江戸時代に置きかえました(え?)
もし江戸時代にこんな団体があったらどうする? 町民はどう思う?
冷静になりました……。
もうひとつ、身分差のある姫と剣士を、まったく別の国の令嬢と混血平民に置きかえる、という荒業もやってみました。
つまり、こうでもしないと客観的にふたりを見られなかったんですよ。
置きかえたうえで平民に小説と同じ行動をさせたら、ちょっと待て勝手なことするなー!と、まともな判断ができました。
はい、とても冷静になりました……。
★7「普通ならこういう場合、こんな台詞と言動になるだろうと思った内容を書いてみる」
なんか、だんだん恥ずかしくなってきました……。
私がこんなにも苦労しているのは、例の剣士が普通とちがうことばかりするから、読者の目にこいつがどう映っているのか知りたくて……!(本音)
ええと、この状況なら普通はこうするだろう、というのはつまり、こうすれば読者の気持ちを裏切らない、ということでもあります。安全策というのでしょうか。
そこで、自作のとあるシーンを普通(と思われる)言動に変えて書いてみたのですが、これは作者的に爆笑ものでした。
いやもう、面白過ぎた。いつか完結したら、どこかでこっそり公開したいものです。
おかげさまで、大変冷静になりました。
★8「あらすじを書く」
最後はこちら。これはもともと客観視のためではなく、執筆期間が空いてしまったとき、前の話を読者に思い出してもらうためにおこなったものです。
小説情報のあらすじではなく、すべてネタバレしてラストまできちんと書いたあらすじを、活動報告に載せました。
あらすじには作者の感情の入る余地がありません。
キャラの感情は入るけど(彼女は激怒した、みたいに)、あとは起きた事柄だけを淡々とつなげるだけです。
しかも、ダラダラ書いたらあらすじに見えないため、できるだけ短い言葉で簡潔に、誰が読んでもわかるように書く必要があります。
やってみたら、これがすごく難しい。
でも、驚くほど客観的な目線になりました。「この話ってこんなふうだったんだ」と、目からウロコが落ちるくらい。自分でつくったストーリーのはずなのに、不思議ですよね。
あらすじを書くことは、きっと長編を書くうえでの勉強になると思います。そういう意味でもおすすめなのです。
ふう……。こんなところでしょうか。
長い執筆期間、ほぼひとつのシリーズだけを書いているせいもあって、我ながらいろいろやりました……。
なんだか客観のことばかり考えているように見えますが、実際はそんなことありません。
私の場合、こういうことを考え出すのはおもに、創作に行き詰まったときです。サクサク書けているときは、いろいろ試す気にはならないので。
視点を変えると、アイデアが出るんですよ。行き詰まるのは自分の主観にとらわれすぎているとき、とも言えるかも。
そしてひとつ言い添えたいのは、客観視を考えることで執筆がつまらなくなってしまうなら、考えないほうがいいってことです。
筆が止まっちゃ話にならない。創作活動は楽しいことが一番大事。
プロではないんですから、書いていて楽しいことが何より大切だと思います。
ところで……。
客観視することがこれほど難しいのは、どうしてでしょうか。
それはやっぱり、自分の思い込み、思い入れが強烈だからですよね。
作品に対する思い入れ、キャラに対する思い入れ。特に長編の場合は、作者だけが知っている情報量が短編よりずっと多いので(作品内で書いてもいないキャラの過去とかね?)、冷静になるのがすごく大変です。
私はなろうに来る前から執筆していたんですが、昔書いたものを自分で読み返して、あぜんとしたことがあるんです。
ほぼ同時期に書いた、長編と短編。そのふたつを較べたら、レベルの違いが歴然でした。
短編は意外とよかったんです。人に見せてもまあいいか、くらいのレベル。
ところが長編ときたら……。
いや、これはひどいわ。なんでこんなの公募に出せたの?(若かりし頃は公募勢だった)下読みさん、駄作を読ませてすみません。
正直、短編と同じ人が書いたとは思えない出来栄えでした。
結局、その長編は3度もリメイクする羽目になり、自分に公募は無理だと思い知り……。3度目のリメイク後にようやく投稿したのが、いま代表作にしている作品です。
ちなみに短編のほうは、たいして手直しもせず、後日そのまま投稿しました(前日譚の一部です)
でね、痛感したのです。作者の思い入れの強さが、完成度の障害になることもあるんだと。
もちろん短編にだって、思い入れはたくさんあるんですよ。でもやっぱり持っている情報量がちがうので、キャラに対して長編より冷静になれるんですよね。
それと短編の場合、ストーリーが最初からしっかりできているし、書くときもストーリー進行を優先させながら書きます。
きっと、それがいいんでしょうね。長編だと書きながら先を考えたりするので、よけい難しいんだと思います。
話はちょっと飛ぶようですが、いま、AI小説があちこちを席捲していますよね。
私はほんの少ししか読んだことがありませんが、想像よりもすごく上手で驚きました。これじゃ流行るのも無理ないのかも……。
で、AIが小説をうまく書けるのは何故だと思いますか?
私はこれ、「AIには思い入れがないから」だと思っています。
機械ですから、特定キャラに対する特別な思い入れはないはずです。
あるように見えたら、それは「このキャラをたくさん書いて」という指示を出したり、そのキャラの情報だけをたくさんあたえているんだろうと(くわしくないので、あくまで想像ですが)。
思い入れや思い込みがないから、冷静に作品を書くことができる。
ひとつのことに片寄らず、最適なバランスで作品を組み立てることができるんじゃないでしょうか。
あれ、そうすると私たちは機械に勝てない?
客観視するのにこんなに苦労しているようでは、AIの完成度に追いつけない?
でも、考えてみてください。
私たちが小説を書こうとする動機ってなんでしょう。
動機はきっとこういうこと。
「作品やキャラに対する、強い思い」
「思い入れのあるものを、目に見えるかたちで外に出す快感」
「それを誰かに読んでもらい、思いを共有してもらう快感」
まあ、ほかにもいろいろあるでしょうけど、私の場合はこの動機がとても大きいです。
機械ではない生身の自分が、つらくて大変な執筆という作業を続けているのは、思い入れがあるからこそ。
執筆上一番大切なのは、完成度云々よりも、そうした思いそのものですよね。
そういうわけで……。
一番大切なものを大事にすると客観視から遠のくという、とんでもない難題を抱えつつ、私は今後もあれこれ試しながら書いていくつもりです。
これを読んでくださっている皆さまも、きっといろいろ工夫しながら書いておられることでしょう。
日々、試行錯誤しつつ、一緒に創作を楽しんでいけたらいいですね。
お読みいただき、ありがとうございました!
あとがき(相互の皆さまへ)
最初のほうで、2年間くらいはこうだった、その後変わったと書きました。
変わった理由はただひとつ。「ほかの作家さんたちと交流するようになったから」です。
感想ともポイントとも無縁、ひとりで地道に書いてはPVがつくと単純に喜ぶ。登録当初の私はそんなふうで、読者と言われても全然ピンときませんでした。
ぼんやりした雲のかたまりみたいな……手の届かない場所にある、ひどく大きな見知らぬ何か。
そんな漠然としたものに向かって、書いていたような気がします。
でも、交流でご感想や反応をいただくようになってから、その感覚が変わりました。
この人はどんなふうに思うかな。あの人はどんなふうに感じるんだろう。そういう視点で考えるようになったんです。
つまり客観視のはじまり。相手が巨大な雲であるのと人間であるのとでは、やはり大違いだったんですね。
だから、本文で読者読者と言っているその「読者」とは、相互の皆さまのことです。
ときどき「相互同士で読み合いっこなんて馴れ合いだ」という意見を聞きますが、私はそうは思いません。むしろ交流することが上達の早道、なろう最大のメリットだとさえ思っています。
いつも本当にありがとうございます。これからも、よろしくお願いいたしますね。




