産女
産女は、ずっと診ていた――
山深いこの村では、古くから産女の伝承が息づいていた。
身ごもったまま、子を抱くことなく命を落とした女は、産女となる。
生まれたての赤子から目を離せば、産女が闇の中から現れ、冷たい腕でその子を抱き上げ、乳房から命を吸い尽くすという。
ゆえに村の掟は厳しかった。赤子は生まれてから一刻たりとも、母の胸から離してはならない。一日中、肌を重ね、息遣いを感じ続けねばならない。
それが、産女の呪いから子を守る唯一の術だと信じられていた。
入江時子は、この村で長年、産婆を務めていた。
穏やかな笑顔と、確かな手つき。難産のときは夜通し付き合い、母子の命を繋いできた。
村の女たちは彼女を頼りにし、時子もまた、その信頼を誇りに思っていた。しかし、奇妙な噂が、いつしか村を覆い始めていた。
「時子さんの取り上げた子は、皆、死ぬ」
最初は偶然だと思われた。一人、また一人。生まれたときは元気だった赤子が、翌朝には冷たくなっている。原因はわからない。
乳が足りないわけでも、病の兆しがあったわけでもない。ただ、夜の間に、静かに息が止まっているのだ。
時子は嘆きながらも、決して疑わなかった。
「もっと気をつけなければ」と、ただそう思って、次の出産に臨んだ。
ある梅雨の夜、村長の末娘が産気づいた。
難産だった。時子は汗だくになりながら、女の体から赤子をこの世に引きずり出した。泣き声が、土間の闇を裂いた。健やかな、男の子だった。
「おめでとう。立派な男の子ですよ」
時子は慣れた手つきで臍の緒を切り、赤子を母の胸にそっと乗せた。母は疲れ果てた顔で、しかし幸せそうに微笑んだ。
時子は一晩中、傍らに座って見守った。
掟通り、母子が離れないよう、灯りを絶やさずに。夜明け前、赤子の泣き声が止んだ。母の絶叫が村に響いた。
時子は震える手で赤子の体に触れた。すでに、冷たくなっていた。
「…また、か」
時子は膝をついた。村の女たちが、遠巻きに彼女を見ている。誰も、口には出さなかった。しかしその目は、すでに答えを知っていた。
それから数日後、時子は一人、山の奥にある古い産小屋にいた。
もう、誰も彼女を呼ぼうとはしなかった。村の掟は、産女を近づけぬこと。それが暗黙の了解となっていた。
小屋の隅に、古びた鏡があった。時子は、埃を払ってそれを手に取った。
そこに映った自分の顔は、ひどく青白かった。頰はこけ、目は落ちくぼみ、唇には血の気がない。まるで、長い間、土の中にいたかのようだった。
ふと、時子は自分の腹に手を当てた――膨らんでいる。
いつからだろう。気がつけば、確かに、命の重みがあった。だが、夫はいない。恋人もいない。
時子は、ずっと独りだったはずだ。記憶が、ゆっくりと蘇ってきた。
遠い昔、自分が産気づいた夜のこと。激しい痛みの中で、誰も助けに来なかった。夫は山仕事で留守。村の者たちは、嵐を恐れて小屋に近寄らなかった。
時子は一人、血と羊水の中で叫び続け、ついに力尽きた。
子は生まれかけたまま、母の体内に留まった。
抱くことも、触れることも、できなかった。
「…あぁ」
鏡の中の女が、微笑んだ。それは、時子の顔ではなかった。死に顔だった。長い黒髪が、濡れたように頰に張りつき、目は虚ろに笑っている。
時子は、ようやく理解した。自分が、産女であったことを――
これまで取り上げてきたすべての赤子は、彼女の冷たい胸に抱かれ、命を吸い取られていた。
母の温もりなど、はじめからなかった。時子が傍らにいるだけで、赤子は夜の間に死んでいったのだ。
最後に、彼女は自分の腹を見下ろした。中で、子が動いた。
死んだはずの、彼女の子が。時子は両手で顔を覆い、初めて声を上げて泣いた。
それは、生きていた頃の自分でも、死してからの自分でもない、ただの女の、絶望の声だった。
外では、雨が激しく降り続けていた。
村の灯りは、すべて遠く、小屋の闇だけが、産女を抱きしめていた。
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