第2話「庇った理由は、あとから分かる」
彼女が「生意気だ」と言われているのを、私は三回聞いた。
一回目は噂話として、
二回目は忠告として、
三回目はほぼ苦情として。
「悪い子じゃないんですけどね」
と前置きした上で、
「ちょっと言い方が」
とか
「若いわりに」
とか
「空気を読まないところが」
とか、
便利な言葉がいくつも並んだ。
私はそのたびに、
「そうですかね」
と曖昧に返した。
否定もしなければ、同意もしない。
社内で生き延びるために身につけた、
無難な態度だった。
問題が起きたのは、会議の席だった。
現場から上がってきた改善案を、
上層部が予算の都合で却下する。
よくある話だ。
よくあるからこそ、誰も驚かない。
誰も、というのは正確じゃない。
彼女だけは、少し首を傾げていた。
「それって、前提が違いませんか?」
場の空気が、ほんの少しだけ止まった。
誰かが咳払いをする。
「この判断って、
現場で起きてる問題を解決する前提じゃなくて、
数字を揃える前提になってますよね」
言葉自体は、丁寧だった。
声も落ち着いている。
だが、言ってはいけないことを、
言ってしまった種類の沈黙が流れた。
上司の一人が、困ったように笑った。
「気持ちは分かるけどね。
それは分かった上での判断だから」
分かった上で、という言葉は便利だ。
思考停止を、理解に見せかけてくれる。
彼女はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、メモを取る手が、少しだけ止まった。
会議が終わり、
廊下に出たところで、私は彼女に声をかけた。
「さっきのは、危なかったな」
忠告のつもりだった。
だが、言い終わってから、
少しだけ後悔した。
「ですよね」
彼女はあっさり言った。
「でも、間違ってると思ったので」
「間違ってることを言うと、
立場が悪くなることもある」
「分かってます」
即答だった。
「でも、それって、
私が引き受けるリスクですよね」
私は、その言い方に、
小さく息を飲んだ。
自分の発言の責任を、
誰かのせいにしない人間は、
案外少ない。
その日の午後、
別の部署からクレームが入った。
「若手の発言が生意気だ」
「上司の顔を立てていない」
「チームとして統制が取れていない」
だいたい予想通りの内容だった。
私は呼ばれた。
なぜか、彼女ではなく。
「君の部下だろ」
そう言われた瞬間、
私は反射的に口を開いていた。
「彼女は、
自分の担当範囲の話をしただけです」
言い切ってから、
ああ、と思った。
庇うつもりはなかった。
少なくとも、意識的には。
「言い方の問題だよ」
「内容が間違っているなら、
その指摘をしてください」
自分でも驚くほど、
淡々とした声だった。
その場は、それ以上荒れなかった。
ただ、微妙な空気が残った。
夕方、彼女が私の席に来た。
「ありがとうございました」
「何が?」
「さっきの件です」
彼女は、
少しだけ気まずそうに言った。
「別に、庇ったわけじゃない」
私はそう答えた。
半分は本当で、半分は嘘だった。
「私は、間違ってると思ったことを言いました。
それで評価が下がるなら、
それも含めて現実なので」
その言葉に、
私は少しだけ笑ってしまった。
「現実を見るのが得意だな」
「夢を見るより、疲れないですから」
彼女はそう言って、
小さく肩をすくめた。
その瞬間、
私は気づいてしまった。
彼女は強い。
だが、
強がってはいない。
自分の限界も、
覆らない構造も、
きちんと見た上で、
それでも言うべきことを選んでいる。
それは、
私が長い時間をかけて
ようやく身につけたやり方だった。
「また、話しましょう」
彼女はそう言って、
席を離れた。
私はしばらく、
その背中を見ていた。
なぜ庇ったのか。
なぜ、あの言葉が出たのか。
その理由を、
私はまだ言語化できなかった。
ただ一つ、分かっていたことがある。
――この人と議論すると、
正しさより先に、
自分の立ち位置がはっきりする。
それは、
少し厄介で、
ずっと手放しにくい関係の始まりだった。




