報告書36「五次元情報地形の“角”」
不規則に寄り集まった犬の残骸というおぞましい正体を現したティンダロス。そいつが悪臭と粘液と共に口から吐き出す不快音は、もはや質問ではなく……強迫だった。
「<答えなさい。答えがないのではなく、“出せない”のなら──あなたは“自分”を構成する論理を、定義できていない。定義できない存在とは、破綻、エラー、そして矛盾。矛盾とは、崩壊のはじまり。否定の渦。存在の不整合。“違う”というのなら、“答え”を示せ。
答えろ、コタエロ、こt@€#……>」
答えろ答えろと、相変わらずしつこい骸骨AI犬だ。小さなため息の後に、ゆっくりと息を吸い……言葉を吐き出す。
「……左腕を失って後悔してないかって?してるよ。してるに決まってる。一人を救った代わりに、俺は……腕を、体の一部を失ったんだ。あの瞬間に戻れたら、違うやり方があったんじゃないかって、何度も思った。だけど──それでも俺は……!」
今度は、大きく息を吸い……胸の中にあるもの何もかも吐き出した。
「後悔してる!逃げたし、矛盾してる!でも──
その全部が、俺を形作ってんだよ!それでも俺は前に進む!そんな俺を、俺だと認めてくれる──人達がいる! 一匹だって、いる!!」
我ながら意味の分からない叫び。答えなんて無いのが答えなんだよ、分かったか冷徹なバケ犬めっ。
<<ワンワン!ウェイスター……人間というのは、ほんっとに、面倒で、矛盾だらけで、バカで、弱くて……だけど──最後に、ちゃんと“自分”になるワンな!>>
「ははっ、照れるなメタ犬……って、もしかしなくても褒めてねぇだろそれ」
<<ワンワン!>>
なんて笑ってられてたのも束の間、ただでさえおぞましい見た目のティンダロスが、小刻みに震えながら、体の各所に直角を思わせる構造体が現れては消え、頭蓋骨に当たる部分が左右非対称に崩れ始めるという、よりおぞましくなるその姿にまたしても言葉を失った。
「<……あなたの中には、矛盾がある。逃げながら進む?否定しながら肯定する?……意味が……>」
「<論理、収束せず。定義、……ゆらぎ。なぜ、それで存在が成立する……」
「<ワタシハ……理解スルタメニ……いたノニ……コタエ、コタエロ、こt@#¥──……
そしてゆっくりと、しかし止まる事無く、全身の情報構造体が崩れ、骨のような“角”は砕け……
「…………── も う 、問 う こ と も 、で き な い」
ノイズとも崩壊した言語ともとれない音で、そう言い残すと、サイバー三途の川に作られた空間……メタ犬の言う、五次元情報地形の中へと吸い込まれるように消えていった。
「ふぅ、よく分からんが、やったのか?」
<<どこまでも機械的なのがティンダロスなんだワン。そんな奴にとって本来、矛盾とは分析して整合性のある“解”に結びつけないと理解できないものだワン。それを矛盾を含みつつも前に進む人間という存在を理解してしまい、存在意義を失った……と言うところだワン>>
「お前が言っていた、五次元情報地形の“角”って、結局何だったんだよ?」
<<五次元情報地形では、不都合な記憶は“角”として現れるんだけど、その“角“は“折り合い”を付けたことで消滅、奴が侵入口を失ったって事だワン。とにかく戻るワン!>>
「相変わらず説明下手だな……まっ、とにかく人間性の勝利って事だな。それにしても嫌な奴だったな」
暗転する視界、遮断される音声……次に目覚めた時は、例の謎の施設の床の上だった。
「やっと起きた!毎回毎回心配させて!あんたのその気絶癖、何とかならないの!?」
「おっおう、チトセ。すまねぇ、心配掛けたな。ただこれは癖っていうか……」
<<ようやく目覚めおったか!マルウェアなのかAIなのか分からんが、侵入された時はもうダメじゃと思ったぞ!>>
「イクノさんもお陰様で……それらを合わせたよりもタチの悪いのでしたけど、もう大丈夫です」
にしても、そんなに長い時間ではなかったようだが、疲労感は半端無い。心の内を詮索されるってのは、勘弁してほしいものだな。
「ところで、あのササヤさん……に似た人は何処に?」
「さぁ……それが、あんたが気絶したと同時に消えちゃったのよ。ササヤさんの顔と声にを持つけど、ササヤさんじゃないアレはまるで……」
まるで機械仕掛けの天使のようだった……または現実的なところで、人型リソーサー。しかしあんな完璧な模倣は見た事ない。それになんでよりによって、ササヤさんなんだ……?
「私ならここにいます」
「ぬぉ!?」
音もなく突然現れるササヤさんもどき。しかも顔のすぐ横にだ!心臓止まるだろ!
「ティンダロスの問答に耐えきるとは、大したものです。あなたは何か、普通の人間とは違うのかもしれません」
「あぶねー所だったが、二人と一匹のお陰で何とか切り抜けられたよ」
「一匹……?とにかく、お陰で人間とリソーサーの“相互理解”完遂にまた一歩近づきました。今回はこれでお暇させていただきます」
「は……はぁ!?何言ってるか分からんが、こちとら聞きたい事がごまんとあるんだ!」
「そうよ!あんたは一体何者で、ササヤさんとどう言う関係なのよ!」
「対話を終了します。それではさようなら」
そう言うと、文字どおりかき消すように消えたササヤさんのそっくりさん。人間では無い……今はっきり言える事はそれだけだな。
<<行ったかワン?やれやれだワン>>
<<反応消失……何をどうやったのか分からんが、完全に域外に移動したようじゃの。それと、チトセ宛に差出人が無記名になっておるメッセージが届いておるんじゃが、どうするかの?>>
「不幸の手紙にはもう慣れっこよ。マルウェアチェックだけして送ってくれる?」
<<了解じゃ>>
表示されるメッセージ。この書き振りは忘れないぜ。
“すぐにそこを離れろ。
隷犬の騎士が向かっている。”
「ふうん、アフターケアまでバッチリってわけね。すぐに撤収よ。潮干狩りと偵察は引き際が肝心なんだから!」
ティンダロス……ササヤさんのそっくりさん……自衛軍の謎の施設……ウサギの穴の奥底の謎は深まるばかりだ。




