小さなお墓
少しばかり、今の世界を歩こう。
最近は足腰がすっかり言うことをきかず、杖がなければ一歩も踏み出せない。かつては軽やかに歩いた道も、今は慎重に足を置き、地面の感触を確かめながら進むしかない。杖に頼る歩き方は、まるで自分の時間が一歩一歩消えていくようで、胸の奥がずんと重くなる。
向かうのは、かつて愛した女の子の眠る場所だ。
墓と呼ぶにはあまりに簡素で、ただ掘った土に身体を横たえ、砂を被せ、折れた小枝を刺しただけのもの。誰も訪れない、忘れられた小さな場所。しかし僕にとっては、世界で一番大切な場所だった。
歩きながら思い出す。
あの日、二人で交わした約束。小さな手を握り、遠く離れた街で平穏に暮らそうと笑ったあの約束。空は春の光に包まれ、柔らかな風が頬を撫でていた。あの頃の僕たちは、未来を信じるだけで胸がいっぱいだった。
現実は違った。
街には騒がしい風が吹き、時折ドラゴンの影のような噂も耳に入ったけれど、僕たちにはどうすることもできなかった。日々の生活をやりくりし、互いに手を取り合うだけの小さな世界で精一杯だったのだ。それでも、あの笑顔を守りたくて、ただそばにいることしかできなかった。
杖を頼りに歩く道の脇、野草がそよぐ。
小さな花が風に揺れるたび、彼女の笑顔が蘇る。無邪気で、いたずらっぽくて、でもどこか儚げだった。僕はその笑顔をずっと守りたかった。未来を一緒に歩きたかったのに、時間はあまりにも残酷に流れ、結局僕は守ることができなかった。
やっとたどり着く。
小さな墓は、思ったよりも寂しく見えた。土の色は雨に濡れて黒ずみ、刺さった小枝は折れかけている。指先で軽く土を触ると、ひんやりとして、胸が締めつけられる。こんな場所で眠るなんて、彼女は望んでいなかっただろう。
膝をつき、杖を脇に置く。静かに深く息を吸い込む。
「ごめん…本当にごめん」
声にならない声が、風に消えていく。泣いてはいけないと思うが、涙は止まらない。心の奥底で抱えていた後悔が、ひとしずくずつあふれ出す。
彼女と過ごした日々は、ほんの一瞬のようで、でも永遠に胸に刻まれている。春の光の下、並んで歩いた道。笑い合った小川のほとり。夜空に瞬く星を二人で見上げ、未来を語った夜。あの時の約束だけが、今も僕を支えている。
杖を握り直し、立ち上がる。
この世界を歩き続けるのは辛い。けれど、彼女を忘れることはできない。愛していたからこそ、僕は今も生きている。歩みを止めてはいけない。土の下の彼女に、まだ誓わなければならないのだ。
「必ず、ここにいる僕の気持ちは届く。安らかに眠っていてくれ」
風がそよぎ、木々がざわめく。まるで彼女が微笑むように、空が明るく光を投げかける。杖を頼りに、ゆっくりと歩き出す。道は遠く、そして険しい。しかし、彼女のために、僕はまだ歩き続ける。
歩きながら思う。愛する人を失った痛みは、何物にも代えがたい。でも、彼女と過ごした日々は、僕の中で永遠に生き続ける。遠くの街は現実にはないかもしれない。しかし心の中で、二人だけの小さな街を描き、彼女と共に歩むことはできる。
杖を頼りに、一歩一歩。
今も、彼女への想いを胸に、僕は世界を歩いている。