テイク-23【愛こそがボランティア】
カキン。
太い指が金色のジッポーの蓋を弾いた。
カチッ、カチッ――
フリントホイールを回す音が、空気を焦がすように二度。
やがて火花が灯り、ジッポーの口から細い火が揺れた。
シュー……
紙タバコに火を点ける。唇にくわえたそれへと、躊躇いもなく。
煙を吸い込む音が、肺の奥を這うように響いた。
「ッスー……」
煙を吐いた。白く、淀んだ霧のように。
その奥で、ゴリゴリに潰れたような低音が、床板を這う。
「わしはな、とっーても悲しいんや」
部屋の空気が凍った。
「地元大阪から遥々東京に出てきてはや五年、組の人間はみな家族やと思って接したきたつもりやったんや」
その体はまるで“戦車”だった。横幅にして一人分は優に超えている。
スキンヘッド。
黒の羽織に、白シャツ。
左手には赤黒の数珠が巻かれ、右手には火のついたタバコ。
「それがや、今日初めて組のもんに裏切られてしもうて……わしは悲しゅうて悲しゅうて……なぁ斑、どう思うど?」
油で整えたオールバックの男――斑、と呼ばれたそいつが静かに首を上げた。
「鰐蔵親分の言う通りですわ……俺も悲しい気持ちでいっぱいや……」
感情の熱も震えもなかった。ただ、底冷えするような“同調”。
「すみません!! すみません!! 組の金を持ち逃げしようとしてホントにすみません! ごめんなさい!!」
悲願の声はもはや絶叫に近い。
黒いテーブルに上体を押さえつけられ、両腕を強制的に伸ばされた男。
数人の手が肩と背中を押さえている。
なにが起こるかは、想像に難くない。
鰐蔵が歩み寄る。
「蛇ノ目會の掟、忘れたとは言わさんで」
左手に小さな短刀。刃先が、光を切った。
「やめてください!! お願いします!! なんでも言うこと聞きますからぁぁ!」
声がしぼむ。
だが、鰐蔵の視線はただ一本――男の小指をなぞる。
口角が釣り上がった。引きつるように。
そのときだった。
「おやおや、ここは社会からのはみ出者を更生するための営業ビルなのではありませんでしたっけ?」
ねっちょりとした声。水飴のように粘るトーン。
「なんや、皇。何しにきたんや?」
「つい一ヶ月も前までは仲睦まじい関係でしたのに、久方ぶりに会ったらその口調ですか? 蛇ノ目會組長、兜森 鰐蔵さん」
「ふん。更生施設を営業しとるんは表向きの話しや。いちいちここでその話しをすんなや」
兜森 鰐蔵。歳は五十五、身長一九二センチ。
その肩幅、声の太さ、表情の変化一つで、すべてがわかる。
こいつは“組長”――裏社会の王の一柱だ。
皇はゆっくりと牛革のセカンドバッグを開き、テーブルに一枚の紙を置いた。
小切手だ。
「殺してほしい……いや、追い込んでほしい人物がいるんだが……」
その言葉に、鰐蔵の眼差しが鈍く光った。
「例の女か?」
「YES」
「魔法少女の力を剥奪したんやろ? お前ら国家でなんとかできるんとちゃうんか?」
「あの女はしつこい。ゴキブリ以上の生命力だ。なんとしても、どうやってでも力を取り戻すはずだ。それに、こちら側が派手に動くと折角のシナリオが台無しだ」
黒革のソファに腰を落とし、脚を組む。
顎を軽く傾け、わざとらしい笑みを浮かべた。
「せやった、せやった。自分らで敵作り出して、それを女らに倒させて――国民全員を騙した自演シナリオが崩れてしまうところやったなぁ」
「流石は組長さんだ、話しが早い……」
皇は再びバッグを開き、今度は“紙ではない”ものを取り出した。
注射器。
緑色の液体が中で揺れていた。
「では、ヘンタイダーの再来――そんなシナリオで、よろしく頼みますよ」
小切手の隣に注射器を置き、皇は踵を返した。
ドアが閉まる音だけが、やけに静かに響く。
「大儲けフィーバータイムの始まりやな♡」
にんまり。
タバコを灰皿に押しつけながら、鰐蔵が笑った。
「斑、手始めにXをこの男に打て」
無言で頷き、注射器を拾い上げる斑。
「やめてくれ! あんな怪人になりたくない……!」
濡れた瞳が懇願するように揺れる。
だが、鰐蔵の視線は“睨み”ではない。
生き物を“どう動くか”だけで判別する、冷たい眼だ。
そして、口角が歪んだ。
「これは更生や……よかったなぁ♡ 救われたで」
――ぞわり、と空気が反転した。
「うぎぁぁぁぁぁ!!」
男の叫びが、壁を震わせるように広がった。




